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中山裕介シリーズ第9弾

「さあ、今日は番組始まって初の二時間スペシャルです!」

 大村さんの一言で番組はスタート。

「この番組がスペシャルなんかやって良いんですかねえ」

 多田さんが自虐ネタを挟んで観客を笑わせる。が……。この時の観客はホームページで番組観覧は募っているものの、ほぼ別番組の観覧募集で落選した人達。「仕方なく」観に来たという状態だ。

 前半は東明館大学を舞台にした、『ムダ! リサーチ』。題名はオレが考えた? というよりそのまんま。

「これを待ってたのよあたし。ほんとよ!」

 東明館大学前でカメラが回るなり、おネエ系タレントは嬉々とした表情。

「普通だったら絶対お縄だもんね」

 大村さんは微苦笑を浮かべる。

「よく許可降りましたよね。誰かスタッフの中にこの大学の学長の息子さんとかいるんですか?」

 若手芸人は企画内容に呆れている。

「学長は寛大なお方なんだよ。じゃあ行こう」

 大村さんの一言で四人は中に入って行く。

 一行がまず向かった先は卓球部。睨んだのはやはりラケットのグリップだ。

「あらこんな所に球が!」

 おネエ系タレントは若い男子を見てテンションが上がったのか、床に転がったピンポン玉に嬉々とする。その様子に一行と部員達は空笑い。

 肝心の感想は「正に男! って臭いがしますね」とアイドル。

「それじゃあ(視聴者に)伝わらないよ」

 大村さんに突っ込まれていた。

 次に向かったのが剣道部。防具は臭いと有名だし予測も出来るので、態とプレビューVから除外していた。

「これは強烈そうだな。あんたいったら」

 大村さんがおネエタレントに振る。

「えっ! あたし?」

 態とらしいし顔はにやつき十数秒は嗅ぐ。

「長くないですか?」

 芸人に突っ込まれやっと顔を上げたおネエは渋い表情となり、「ボーグ!」と叫ぶ。臭いはきつくても若者なら良いって事かいな。



「ただいまあ」

 相方が帰宅した。

「おかえり」

「何? あの低視聴率番組のチェックしてるの?」

「笑顔ではっきり言わないでくれよ」

「だって本当の事じゃない。私の会社でも噂になってるよ。「東チャンは深夜向きなのか」って」

「深夜向きねえ……」

 でも東チャンの二人は、ピンでプライム帯の番組のMCもしているからなあ。深夜で冠を数本持っているのも、相方の言う通りだが。



 最後に一行が向かったのは吹奏楽部。トランペットのマウスピースを睨んだ。

「唾で凄い臭いがしそうですね」

 アイドルがコメント。こちらも直ぐに分析出来る。

「これもあんたからいった方が良いんじゃねえの?」

 大村さんはまたおネエに振った。

「またあたしから?」

「だって若い男の臭い好きでしょ」

「まあね」

 トランペットを演奏しているのはかなりのイケメン。

「じゃあ拝借するわ」

 臭いと分かっていながらも満更でもない顔。が……。

「うっ! うふぇ! 何これ!?」

 このリアクションに一同、スタジオも爆笑。

「金属が溶けてるう」

 おネエが芸人にトランペットを渡す。

「ああっ! やっぱ人間が出す臭いクサッ!」

 芸人も眉間に皺を寄せ辛苦な表情。

「うわっ! 化学反応起こしてる」

 大村さんも然り。

「あっ! 金属の臭いじゃない! ウンチみたいな臭いがする」

 アイドルも然り。

「アイドルがウンチって言うな!」

 芸人が突っ込む。



「この企画、誰が考えたの?」

「オレ、元々あった企画案にオレ達が肉付けした」

「大変だね、放送作家も。バカな企画をぶっ飛んで考案してさ」

「常識がなきゃぶっ飛べないよ。時には難しい企画も考案しなきゃいけないし。こんなバカな企画を真面目に煮詰めるのも作家の仕事だからな」

「アナウンサーも不承不承な仕事をさも楽しそうな顔してやらなきゃいけない時もあるよ。当意即妙な返しが出来なくて、後でディレクターに怒鳴り散らされたりしてね。それでお酒やタバコに走しちゃったりする。お互い因果な仕事だね」

 相方はライトな口振りでテレビを観続けていた。

 因果っか。メディアに顔を出す職業の人は、確かにそうかもしれない。



「ちょっとあんた黒い涙出てるよ」

 大村さんがおネエに指摘する。強烈な臭いに涙が出て、アイシャドウが溶けたのだ。

「ほんとに? でも顔は凄いタイプ。ちょっとお口の匂いを嗅がせて貰っても良い?」

「何だよそれ」

 芸人が突っ込む。

「嗅ぐくらいなら」

 部員は空笑いだろう。おネエは顔を部員に近付ける。

「近いよ、近い!」

 皆で突っ込んでいるが、おネエはニヤニヤして止めない。部員の方から顔を引き離して行く。

「フフフ。ちょっと(テンションが)上がって来た」

「やっぱおネエは変態だな」

 満足そうなおネエと呆れる大村さん。

 結果、一番「臭い」と判定されたのは、吹奏楽部のトランペットのマウスピースという事になり、Ⅴは終わった。



 その後は『T・B・C』のコーナーが挟まれた。

 今回は男性対決。モデルと男性芸人が二の腕、腹筋、目で勝負する。

「今回は両者公平にする為、筋肉自慢の芸人三人を集めまして、雌雄を決したいと思います!」

 大村さんの言葉に、「面白い!」「筋肉じゃ絶対負けねえぞ!」多田さん、芸人の一人は大きな声。

「今回こそは芸人に勝って貰いたいね。芸人の意地を見せ付けてやれ!」

 多田さんの発言に、「任せてください!」「モデルが美しいとは限らないんだぞ!」芸人達は意気込む。

 モデル三人は一言も発せず苦笑い。

 そして全ての対決が終わり審査結果は、審査員六名中三対三でドロー。

「良い勝負だったんだけどねえ」

「今回は悩んだ。マジで甲乙付け難かった」

 大村さんも多田さんも渋い笑み。でも……。

「モデルが勝つと思うなよ!」「今日で思い知っただろ!」

 芸人達のシャウトに、「ガチで挑んだんですけど、やっぱり悔しいですね」「普段から栄養面とかトレーニングには気を付けてるんですけど、手強かったです」モデル達も複雑そうな笑み。



「そりゃあんな顔になっちゃうよね。芸人さん達も気を付けてるんだろうけど、モデルはもっと気を張らなきゃいけないんだから」

 相方、奥村の呟き。ここまで彼女は一切笑っていない。「Laugh」な番組構成ではないのかいな? 明日の数字が気になり始めた。



 後半は多田さんがロケに出向いた、『Mr.ジンカワと行く ミートツアー』。

 今回は穴場の焼肉店を巡るのだが、

「良いか皆? 焼肉っていっても今から行く店は肉は当然、舌塩に乗せる葱、後タレにもすっごく拘ってる店ばかりだから」

「大体分かってるよ、そんな事」

 のっけから飛ばしまくるジンカワに対し、多田さんや他の男女の出演者は呆れ顔。

「じゃあ早速行こう!」

ジンカワは言うのだが……。移動中のワゴン車の中でも、

「最初に行くのは神田(千代田区)にあるんだけど、そこは熊本から空輸されて来たあか牛が有名な店なの。そこのあか牛丼がオレ好みの味付けで旨いんだあ。大き目の角切り肉が七切れも乗っかってるんだよ。正式名称は褐毛和種っていって、一九四四年に和牛として登録されたんだよ。あか牛はさあ……」

「話は店に着いてからで良いよ、ジンカワちゃん」

多田さんも他の出演者もうんざり顔。

「何だお前ら、今日はオレがメインなんだから話聞けよ」

「だって冒頭から薀蓄ばっかなんですもん。まずは私達が食べてからの感想を聞いてくださいよ」

 現役モデルの女性タレントが微苦笑を浮かべて言う。

「牛だけじゃなくて、食材っていう物は知識も必要じゃないか」

 ジンカワは動じる気配、なし。

「あか牛っていうのは耐寒と耐暑性に優れてて、放牧に適してるんだよ。それに性格も大人しくて飼育もし易いという特性も持ってる」

「牛の特性まではもう良いですよ」

 男性芸人も然り。

「お前ら勉強しようとしない奴らだなあ」

 ジンカワは呆れる。もっと呆れているのは視聴者だろう。

 薀蓄については熱弁を揮うジンカワだが、肝心の芸の方では緊張するのか途中でかんだりする事がある。本末転倒な芸人。

 やがて店に到着し、ジンカワは立ったまま、他の出演者は着席し、あか牛が運ばれて来た。

「ほら見てみろ。肉質は赤みが多いだろ? それでいて適度の脂肪分も含んでて、旨味と柔らかさ、ヘルシーさも兼ね備えているんだよ」

「もう分かりましたから早く食べさせてくださいよ!」

「脂肪分とか柔らかさとか、そんな知識くらいで良いんだよ、オレ達は」

「そうですよね」

 モデルも多田さんも芸人も、カメラがあるから空笑いを浮かべているが、垂涎としているのは明らか。

「まずはその物の特性を知らなきゃ駄目なんだよ。分からない奴らだよな」

 ジンカワはまだ食べさせようとしない。

「だから早く!」

「せっかく火も点いてるんですから!」

 モデルと芸人が急かす。

「分かったよ。じゃあ乗せてくぞ」

 ジンカワは不承不承な表情と口振りで、肉を網の上に乗せて行く。が、

「自由に焼かせてくれないのかよ!?」

これには多田さんも不満。

「焼き加減っていうのが分からないだろ? 素人は」

 「仕切り」を任せてオファーはしたが、拘りというより頑な。数秒間で肉をひっくり返して行くジンカワに、

「もう良いんですか? レアは好きですけど、もうちょっと焼いた方が良いような」

「ちょっと早過ぎじゃない? ジンカワちゃん」

モデルも多田さんも訝しがる。

「いや、これくらいが丁度良いんだよ。牛肉は焼き過ぎちゃ駄目なんだ」

 柳に風。そしてまた数秒経ち、

「はい、もう良い」

各々の皿に肉を取り分けて行く。

「じゃあ頂きます」

 芸人がタレに付けようとすると、

「ちょっと待て! 最初は塩で食べてくれ」

「自由に食べさせてくれよ」

「まずは塩の方が味が良く分かるんだよ」

苦笑いを浮かべる多田さんに、真顔で力説。仕方なく全員は「まずは塩」で食す。

「うん、柔らかくて旨い」

「殆ど噛まなくて良いですね」

「ジンカワさんが言ったように程好く脂肪もあります」

 多田さん、モデル、芸人もこれには納得。

「な? 塩の方が良く分かるだろ」

 満足げな笑み。

「はい、次行くぞ!」

 でも仕切りはジンカワのまま。また数秒で焼き終え、

「今度は醤油ベースのタレで味わってみて」

「あっ、タレも旨い」

「私はタレの方が好きかも」

「タレの中ににんにくが交ってて、でも肉の味も負けてないですね」

多田さん、モデル、芸人はやっと肉をじっくりと味わう。

「よし! 次はタンな」

 上機嫌になったジンカワはタンを一枚ずつ焼いて行く。

「ああ、タンも旨い! ビールかご飯が欲しくなりますね」

「うん、飲みたくなって来た」

 芸人も多田さんも至福の表情。

「済みませーん! ビール頂けますか」

 モデルが破顔して手を挙げる。が……。

「アルコールは駄目だ。肉の味が悪くなるから」

「えーっ!」

 明白に不服。

「それにこの店の肉はこれでお仕舞だからさ」

「えっ!? もう終わりなの?」

 多田さんも満足していないのは明白。

「次があるから。次が」

 ジンカワは宥める口振りで言うが、

「あのう、タンの場合、もうちょっと尺が欲しいんですけど」

カメラの後ろのディレクターからの注文。

「お前何言ってんの? タンは希少なんだよ」

「でもあか牛丼もまだ……」

「ここで腹一杯にしてどうすんだよ? そんなに尺欲しいんなら、三万円持ってる?」

「財布の中には一万数千円しか入ってないです……」

 真顔の芸人と困惑するディレクター。一応ホンはあり演出だが、ジンカワの目は画面で観ていてもマジ。これ程肉に対する「愛」が深かったとは……。

「一万数千円じゃ駄目だな。皆、次の店に行くぞ! 早く立って立って」

「こんなロケなら出るんじゃなかった」

 モデルが呟く。この発言にはスタジオも失笑が流れた。モデルの気持ちを痛切する。

 次の店に向かう車内でも、ジンカワの薀蓄は止まらない。出演者は勢いに諦めモード。

 終始『ジンカワ ONEMAN LIVE』でVは終わった。スタジオは出演者も観客も苦笑、失笑。誰も手を叩いて笑う者は、なし……。



「あそこまで拘りっていうか押し付けられると、只ウザいだけだよね」

 相方が笑みを浮かべて言う。だがその笑みは、蔑み……。今回は「Laugh」には至らなかった。

「まあ、ウザいわな」

 オレも苦笑するしかない。

 画面には次週の予告とエンドロールが流れていた。



 翌日。横浜にある特定地上基幹放送事業者(キー局のネットワークに属していない放送局)での会議前に、昨日の数字が気になり<マウンテンビュー>に立ち寄った。

 オフィスエリアに入るなり、

「昨日の『ラフな――』の数字でしょう」

陣内社長がライトな口振りと表情で視聴率表を渡して来た。

 見てみると、全体的には八・○%。毎分は最高で『T・B・C』のコーナーが放送されていた時間帯が、九・一%。最低は、やはりMr.ジンカワが薀蓄を披露していた部分で七・六%。視聴者もうんざりしていたようだ。

 とにかく、全体の数字は微増だが上がるには上がった。

「私もさっき確認したけど、スペシャルでこの数字はね」

 社長は微苦笑を浮かべていた。

「後は、タイムシフトで何処まで行けるか……」

 オレは微苦笑すら浮かべられない。三神さんが以前言ったように、統合しても良いから二桁に乗せられれば良いのだが。

 八日後、タイムシフトの結果が出た。いつものように陣内社長から表を渡されて見てみると、九・八%。「惜しい!」とも思えず、「まあ、こんなもんだろうな」と冷静に分析している自分がいた。



 月曜日の会議。室内は重苦しい雰囲気で包まれていると思いきや……。お貴さんは枦山さんと談笑中。村田さんは「良し! その線で行こう」と破顔して電話中。別番組の企画案か合コンの話かは分からんが。

 沢矢さんは「私、今目を付けてるっていうか、良い人がいるんです」と、ニヤリとして口に出す。しかも相手は三神さん。

 数字が二桁に行かなくて落胆している様子もなく、「良いねえ。誰かに取られない内に猛アタックした方が良いよ。ハハハッ」いつも通り。

 そういうオレだって大場と……。

「オレこの前、萩市(山口県)にグルメ企画のロケハンに行ったんだけどさ、その序に萩城にも行って来たんだよ」

 大場は破顔。

「良いなあ。久しぶりの城巡りじゃん」

「ああ。石垣や堀、二の丸の土塀や城門の一部が復元されてるだけなんだけどさ、中々見応えあったぜ。石垣の高さは四メートルくらいで、積み方は割と乱雑なんだけどさ」

「確か、駅前に十分の一ケースくらいの天守の模型があるよな?」

「あるとは聞いてたけど、そこは見れなかった」

 「城跡を見た」というだけで満足だったのだろう。別に残念がってはいない。

「萩城は二つの川に囲まれた三角州に築かれてるんだよな?」

「そうそう。毛利輝元はその前の広島城も三角州に築いたな」

「オレ、広島城にはある歴史番組の取材の合間に行った事あるぜ」

 今度はオレが破顔してしまう。

「かなりの難工事だったらしくて、一五八九年四月十五日に鍬入れ式が行われて工事が開始されて、九一年一月八日に輝元は入城したって本で読んだんだけど、石垣が完成したのは九三年だったんだってさ。オレが見学した今は天守の他に二の丸の表御門と平櫓、多門櫓に太鼓櫓も復元されてるし」

「オレも本で読んだけど、五重と三重の大小天守に八八基の櫓が建てられて、大阪城に匹敵する城だったとか」

「らしいな。石垣も軟弱な三角州地盤に築かれたから、重量を分散させる工夫がされてるって。輝元は三角州に城を築くのが好きだったのかは知らないけど、中国九ヶ国百二十万石から、関ヶ原(の戦い)で西軍に着いたせいで周防、長門(山口県)の二九万八千石に減俸されても、石垣と五重の天守を持つ城を築いちゃうんだもんな。輝元の意地だったりしてな」

「意地かどうかはオレも分からないけど、名高い家柄だからな」

 大場は失笑して返す。

 さっきから日本史、城好きではない人には、「そんなお城あるの?」とか「興味ねえし」と率直に思う内容だろうけど、どちらの城も二○○六年に日本一○○名城(広島城は七三番。萩城は七五番)に選定された城なのである。

「後は、水戸城の大手門と二の丸隅櫓も復元されたよな。暇があったり取材で水戸市に行った時には、一度は行ってみたいけどな」

「中々暇取れないからなあ」

 大場は椅子の背もたれにべったり背中を付け、両腕を後頭部に当てて溜息を吐く。

「でも水戸城ってさあ……」

「天守相当の三層櫓の内、復元されてないのは水戸城だけなんだってな」と続けようとしたが……、『バンッ!!』根本さんが両手で机を激しく叩いた。当然室内の全員がビクッとし、しーんとなる。

 「水戸といえば水戸黄門だろう」と思う人が多いだろうが、その黄門様がいた城も一○○名城(十四番)に選定されている。こんな時に何だけど。

「You two! Gimme a break!!(貴方達いい加減にしなさい)」

 根本さんが珍しく声を張り上げる。

「今は会議中よ!」

 根本さんの目はオレと大場に向けられていた。オレ達だけ? 席を外しているのはオレと枦山さん、沢矢さんもいるのだが。

「済みません」

 仕方なく大場と共に頭を下げた。



「席に戻りなさい。三神さんまで何なの? プロデューサーが会議中に私語をするなんて。「あの件」を失念したんじゃないでしょうね?」

「いや、分かってます。昨日も自棄酒飲みましたけど、何か気を紛らわせたくてつい」

 三神さんも神妙な顔付になった。「あの件」という事は……。

「この前のスペシャルははっきり言って数字が振るわなかったのは、皆さんも周知してるわよね」

「はい……」

 返事はしてみたが、スタッフ全員予想は出来ているのだ。

「(数字は)改善されなかった結果を持って、番組は来月中旬で打ち切りよ。改編期を待たずしてね」

 根本さんは苦渋の表情。

「今週の定例会見で発表される。だから今日が、最後の会議だ」

 三神さんも然り。

「あたしも昨日、三神さんからの電話で知った。夕貴も知ってたでしょ」

 下平の問い掛けに、「うん」神妙な顔付で頷くだけ。

「これだけ優秀で、ユーモア溢れるスタッフを集結させても、それを活かせなかった。これは私達プロデューサーの責任ね」

 根本さんは苦笑を浮かべた。

 スペシャルは「試験」。結果によって「捨て石」という事だ。暫し沈黙の時。

 口を開いたのは、

「やっぱオレ達「作家の」企画案が駄目だったって事なんですかね?」

と村田さん。ニヤニヤしながら……。

「別に作家だけじゃないわ。さっきも言ったけど、これは連帯責任よ」

「でも前以って出されてた企画案の肉付けの仕方が悪かったんですよ。きっと」

 村田さんは「誰かを」指しているようなにやつき。低視聴率で打ち切りとなるのに、嬉しそうな口振り、にしか聞こえない。

『プツン』オレの中で何かが弾けた。

「作家の企画案が駄目だったって言いますけど、村田さん、あんた一つでも案を出したんですか?」

「それは言えるかもしれない。会議中も携帯弄りっぱなしでさ。合コンの打ち合わせだか知らないけど」

 下平も目に余っていたようだ。

「何だよお前ら。おいユースケ、口を慎めよ」

「だって本当の事じゃないですか」

 にやつきから屈辱の表情へと変化して行く。

「お前今度オレを焦らせる話吹っ掛けて来たらって話、覚えてねえのか!?」

「覚えてますよ。ぶん殴るんでしょう」

「記憶力良いじゃねえか。それが今なんだよ!」

 立ち上がりガンを飛ばす。

「後で喫煙ルームにいようが、何処でも殴ってやるからな!」

「ちょっと二人共止めなさい」

 根本さんが獣を見るような目で制する。が……。

「後で、じゃなくて今ここで殴ってくださいよ」

 無視してオレも挑発的な口振りと目で応戦。

 『バン!』三、四十枚はある資料の束が飛んで来た。

「先輩に向かって何だお前!? 調子に乗るのもいい加減にしろよ!」

「別に調子には乗ってませんよ。でも事実じゃないですか。あんたは椅子に座ってるだけで人に押し付けてばっかで」

「言わせておけば理が勝ったような口利きやがって!」

「もう喧嘩だったら外でやれよ。ああうるせえ!」

 大場は呆れて両耳を塞ぐ。だが……。

「前に既知しましたけど村田さん、作家成り立ての頃は積極的に企画案を出してたそうじゃないですか」

「……」

 大場も無視して続ける。

「私も知ってる、その話。でもプロデューサーやディレクターに悉くボツにされて行ったって」

「お前まで入って来んな!」

 沢矢さんと村田さんは目を合わせないものの、口を利くのは初めて見た。

「その結果、今みたいに人に押し付けて囃し立てるだけの作家になった」

「うるせえ! お前にオレの気持ちが分かる訳ねえ。いつも下平や大場から背中を押されてばっかのサイレントマイノリティにな!」

 『グサ!』今の言葉は刺さった。

「それは否定しませんしありがたい事ですけど、作家のスラングじゃ有名ですよ。村田さんはギャラの殆どをキャバや合コンに遣う「只の遊び人」になったって」

「仕事の鬱憤を晴らして何が悪い! お前にそこまで言われる筋合いはねえぞ!!」

「オレは金の遣い方を言ってんじゃねえ! 自分が稼いだ金を何に遣おうが勝手だ。オレが指摘してんのは、作家はどんなに企画案をボツにされようが、企画を考え続けるのが生業。それを疎かにしてるあんたの心根の事を言ってるんだ!!」

 遂にオレも声高になってしまう。

「……」

「もう良いでしょう二人共! お互いの心中を吐露し合ったんだから。村田さんは座りない」

 根本さんのうんざりとした口振りに、村田さんは屈辱に満ちた表情で下唇を噛んで、オレは不承不承ではあるが黙った。

「村田もユースケ君もありがとな。喧嘩する程、番組に愛情を持ってくれてたんだよな? 番組に対してそこまで真摯になってくれて、オレは心苦しい」

 三神さんが口を開いた。その表情は切ないというか、遣る瀬無いというか、複雑そうだ。

 察する事は出来る。プロデューサーとして、「父と対決」と報道され鳴り物入りで番組は始まり、三神さんも「今度こそは!」という気概があったに違いない。

 だが番組は三ヶ月半で打ち切られる。「プロデューサーの立場」のプライドも傷付けられ、精神的にはかなりのダメージがある筈だ。



会議再開。村田さんはオレとは視線を避けていたが、

「セレブお嬢様がバイトに初挑戦する企画案、ありましたよね? あれやってみましょうよ」

積極的に肉付けして行こうとする。

 若手の頃を述懐し気持ちが吹っ切れたのかは知らないが、表情は生き生きとしている。携帯の事も忘れ、初めて見るハンサムっぷりだ。

「あの企画ねえ。アルバイトの経験がない子二人がその給料で十万円を貯めるっていう趣旨だったのよね」

 根本さんは苦笑を浮かべる。

「でも最終回の企画に持って来るには、面白いコンテンツなんじゃないですか。企画趣旨としては未完ですけど」

 下平も顔は苦笑だが、目には意気込みが感じられる。

「因みにお貴さん、バイトの経験はあるの」

 村田さんが訊く。

「ええ、ありますよ。大学時代に。「何事も経験は大事だ」って、父から言われて「それだけは」許してくれました」

「「それだけは」って膳所さん、まだセレブ作家のつもり?」

 根本さんはまた眉をひそめた。

「だから私はセレブじゃありませんよ」

 お貴さんは顔は苦笑。口振りはライト。

「もう良いじゃないですか、その話は」

 また根本VS膳所にならない内に。

「でも作家に成ってからはないんだよね」

 と村田さん。

「就活もありましたし、二年くらいで辞めました」

「普通就活もやりながらバイトもするんだけどな」

 大場は鼻で笑う。

「何処でバイトしてたの」

「ハンバーガーショップです」

「お貴さん、国内にはセレブの友達いないの」

 村田さんが訊いた。

「何人かはいますけど……」

 彼女はその後の展開を警戒しているようだ。

「じゃあロケに参加してくれる女友達二人はいるって事だね」

 村田さんはにんまり。企画が通る事を確信している口振り。

「うーん。一応打診はしてみますけど、保証は出来ませんよ。彼女達は「本当のセレブ」ですから」

 彼女からは笑顔が消え、明らかに困惑。

「一日数時間なんだから、大丈夫じゃない?」

 沢矢さんは口振りは穏やかだがまるで他人事。

「その前に何処でロケするのかも問題だし、許諾してくれる店を探さなきゃな」

 三神さんは扇子を右手に持ったまま腕組し、冷静。

「まずはお貴さんがバイトしてたハンバーガーショップとかファミレスとか、飲食店が良いんじゃないですか」

 村田さんもにんまりを消し、真顔。

「飲食店。学生ならありがちよね。まずはシミュレーションして、プレビューⅤを観たいわ。膳所さん、女の子なら誰でも良いから「本当のセレブ」の友達を一人見付けて、貴方と二入で一日入店して来て頂戴」

 根本さんから威令が下った。

「えっ!? 私もですか?」

 彼女はまだ困惑した表情。予想していた通りの展開だったようだ。

「だって膳所さんみたいな「浮世離れ」した人が行った方が企画の滋味が分かり易いじゃない? ホホホホホッ」

 いつもの根本CPに戻った。のは良いのだが……。

「分かりました。何人かの友達に当たってみます」

 渋々承諾。

 プレビューⅤ、シミュレーションにまで作家を遣うとは、制作費も一千万前後と削減されているこのご時勢致し方ないのかもしれないが、放送作家もコンビニエンスな存在となったものだ。



 そして「最後の会議」から四日後の金曜日。THS社長、山下洋子の口から、

「弊社で現在放送しております『ラフな東チャン』は、八月中に放送を終了致す運びとなりました」

定例会見で述べられた。

 翌日土曜に放送された第十一回の放送分の数字は四・○%。タイムシフトと合わせた統合視聴率でも六・五%だった。



 その間にも、お貴さんは何とかプレビューⅤに出演してくれる友人を探す為に奔走。やっとの事で一人の女友達から承諾を得たそうだ。

『五、六人に打診しましたけど、みんな「えーっ、やだー」「そんなとこで友達つかうのズルくない?」とか言われて、「ギャラにバイト代が加算されるから」って必死にお願いして、ロケ前なのに疲れましたよ』

 とメールされて来た。

 下平や枦山さんらディレクター達もロケの許諾を得る為に奔走し、何とか神奈川県内にあるステーキ、ハンバーグといった肉料理を専門に提供するファミレスから許諾を得たらしい。

「カメラは誰が担当になるの」

 下平に電話で訊いた。

『今回は夕貴。楽しそうな映像が撮れそうって、プレビューⅤなのに楽しみにしてるみたい。後は、一応音声係もね』

「そっか。オレ達の時と同じだな」

『本番もそうだけど、途中でバックレて貰っちゃマジで困る。貴子ちゃんにもその辺は念を押したけど。浮世離れした子達にバイトなんか雇ってくれるとこなんてそうないんだからさ』

「まあな。普通に面接受けたら落とされるだろうし」

『そうだよ。東京、神奈川、埼玉の飲食店とかに何度企画意図を丁寧に説明して回った事か』

 下平達ディレクター陣も疲れたようだ。



 プレビューⅤロケ当日の午前十時、膳所貴子と友人のミサキは都内から神奈川の店までタクシーで現れた。

 ミサキは東京を中心に、北は北海道、南は九州に支社があり、ニューヨーク、キャンベラ(オーストラリア)にも支社を持つ大企業の社長の一人娘だ。

「久しぶりのバイトだなあ」

「何か美味しそうだよね」

 膳所もミサキも余裕の笑み。この時までは……。

「おはようございます」

 二人揃ってユニゾンの挨拶をし、軽く頭を下げる。出迎えたのは男性支店長。

「おはようございます。早速更衣室で制服に着替えてください」

 支店長は微笑を浮かべている。こちらもこの時までは……。

 上下紺の制服と帽子を被り、支店長の下へ戻った二人。

「着替えるのがちょっと遅いですね。会話しながら着替えてたんですか」

 渋い顔の支店長に、「はい。済みません」神妙に謝るのは膳所だけ。

「もうお店は開店してるんです。ダラダラやってたら時間のロスで、他のスタッフにも迷惑が掛かります」

「はーい」

「はい」

 かったるそうに返事をするミサキに、

「「はーい」じゃなくて返事は「はい!」。もっと闊達に」

 冷静な口振りではあるが目は「妥協を許さない」といった感じの支店長。

「後、ミサキさんでしたっけ? 何の為に帽子を被ってるのか分かります?」

「……」

「清潔さを保つ為。(髪を)下ろしてたら帽子の意味がない」

「はい……」

 膳所は短期間であってもアルバイト経験者、髪を後ろに結んでいた。

「後指の爪。ネイルは禁止です」

「あっ、忘れてた」

 二人共、膳所は透明、ミサキはピンクのネイルでピカピカしている。ネイルを落とし、髪を結んだ二人は改めて支店長の下へ。

「それじゃあまずは接客の練習をします。まずはミサキさんから」

 ミサキは特に緊張した様子も見せず、

「いらっしゃいませ。ここの店はご利用した事はありますか?」

支店長の手本を真似たつもり。

「日常会話じゃないんだから、謙譲語。「ご利用された事はありますか?」」

「私、謙譲語苦手なんです」

「それは個人の問題だよね。スタッフに成るからには習得して貰わないと困る」

「はい」

 ミサキは渋々返事をした。

 続いて膳所。ミサキを客に見立てて、

「いらっしゃいませ。当店をご利用された事はございますか?」

緊張した様子だが笑顔。ここはパスした。

「それではお席にご案内致します」

 歩き出す膳所に透かさず支店長は、

「駄目。何名か訊いてないでしょ」

険しい表情で指摘。

「あっ、一名様です」

「駄目。やり直し」

 膳所もミサキもまた玄関に戻る羽目に。

 次はメニューの説明。

「当店のメニューを注文して貰うと、サラダバー、ライス、パンは全てただ」

 流石のミサキも緊張して来た。

「注文が決まったら、こちらの「ナースコール」じゃなかった。コールボタンで呼んでください」

 客役の膳所は下を向き失笑してしまう。それに対しミサキはメニュー表で膳所の頭をはたく始末。

「駄目。謙譲語も出来てないし、普通お客さんにそんな事しないでしょ。真面目にやってよ」

 支店長は表情は疎か口振りも険しさを増して行く。

 続いて膳所。

「当店メニューを注文して頂くと、ライス、パンは無料でご利用頂けます」

「サラダバーが抜けてるよ」

「あっ、失礼致しました。サラダバー、ライス、パンは無料となります。ご注文がお決まりでしたら、こちらのコールボタンでお呼びください」

 まずまずの出来。ミサキと比べれば及第点である。

「どうですか? 貴子ちゃんの接客態度は」

 枦山ディレクターが支店長に訊く。

「まあ、合格で良いでしょう」

 しかしミサキは不合格。洗い物担当に回された。

 その合間に、

「どう貴子ちゃん? 久しぶりのバイトは」

枦山さんはカメラを回したまま話し掛ける。

「こんなに厳しかったんだって。しかも支店長、怒鳴る事はないけど、逆にあの冷静さが怖い」

膳所は苦笑した。

「後ちょっとだから頑張って!」

 枦山さんは小声で左手でガッツポーズを見せる。

 一方、洗い場に連れて行かれたミサキ。

「ここにある食器、全部洗って貰います」

「えっ!? 私が一人でですか?」

「そうです。早くしないとどんどん溜まって行っちゃうよ」

「手袋はないんですか?」

「ありません。他のスタッフも素手で洗ってるから」

「手が荒れちゃうし素手じゃやです」

 「一度も」アルバイトをした事がないミサキは渋い顔で拒否するが、

「嫌でもここで働く。時給を貰う以上はこの店のルールに従って貰うよ。手が荒れるとかそんな事気にしてたら終わらないし帰れない。っていうか帰さない」

明言。

「中々厳しいなこれ……」

 枦山さんは心中の言葉を口に出してしまう。

 ミサキは嫌々洗い物を始めるが、人生初というだけあってペースが遅く、中々捗らないまま昼のランチ時を迎えてしまう。

「そんなんじゃいつまで経っても終わんないよ」

 支店長もやきもきしている。

 膳所はというと、ホールスタッフを任されたまでは良かったが……。

「はい。国産百%ハンバーグ、ソースはデミグラスソース。ライスは普通。お客さんに出す時は「鉄板が熱いのでお気お付けください」って言うんだよ」

 支店長から念を押されながらハンバーグとライスを受け取る。

「国産和牛……」

「国産百%」

「国産百%ハンバーグ、ソースは……何でしたっけ?」

 全ての言葉を覚えられない。

「国産百%ハンバーグ。ソースはデミグラスソース。ライスは普通」

 膳所に対してもやきもき。

 客の下へハンバーグとライスを運ぶが、

「お待たせしました。国産百%……」

「もう良い」

中年サラリーマンから説明を省かれた。

「済みません……ライスは普通です」

 笑顔で対応するも、

「ライスは頼んでない」

彼女の聞き間違え。

 仕方なくライスの皿を厨房まで持って帰る。

「ライスは頼んでないそうです」

「もうこれ破棄するしかないんだよ。それとさあ、メニュー名はスピーディーに覚えて貰わないと、鉄板から熱が入っちゃって焦げる可能性があるんだよね。そこん所は改善して貰わないと、もうホールも任せられない」

 膳所にも、明言。

 結果、二人はこの日、時給九五十円で一万五千二百円を稼いだ。



 撮影終了後、「お疲れさま」枦山ディレクターが笑顔で二人に声を掛けると、

「本当に疲れた。もうくたくた」

膳所は力なく帰宅するタクシーの座席にもたれ掛かり、ミサキは、

「もう嫌! こんな経験二度としたくない! 貴子、友達の誼で付き合ったけど、貴子の仕事に巻き込まないでよね。これ、ガチだから」

二人共社会の厳しさをまざまざと痛切して帰路に着いたそうだ。



 THS内の小会議室でプレビューⅤを観終わった根本さんは、

「中々面白い企画ね。もっと早くやれば良かったわ」

ご満悦。

「最終回にするには勿体なかったなあ。『目指せ十万円』にしといた方が(数字が)取れたかもしれない」

 三神さんは扇子で頭を叩きながら後悔の念。大して変わらなかったと僕は思うのですが。

 何はともあれ企画は通った。後は「本番」のロケに出演するセレブタレント二名をブッキングし、アルバイト先に許諾を得るだけだ。



 そのロケ地に選定されたのが、千葉県内にある動物園。下平や大場ディレクターはまた企画意図を丁寧に説明し、難色を示す相手を捩伏せたのだとか。

 ブッキングされたのは、父親が不動産会社を経営し、母親はピアノ教師をしているお嬢様、KOU。

 もう一人は、両親揃って大学教授で、子供の頃はベビーシッターや家政婦に育てられたという、AKIMI。

 後者は男性である。理由はセレブタレントが所属する事務所を何軒も当たりオファーしたが、当人が「やりたくない!」「絶対無理!」と出演を拒否した為致し方なく。

 二人共名前がローマ字表記なのは、KOUはタレント業の傍ら雑誌やファッションショーでモデル活動もしている。AKIMIもクラブのイベントやライブでDJ活動をしているから、かは知らないが、単にカッコ付けたいだけなのかも。

 ロケは八月に入って直ぐに行われ、Ⅴはまず、二人がアルバイト情報誌を見ている所から始まった。しかし初めからバイト先は決まっている。これ、只の演出。

「ここに決めようぜ」

「ああ、何か楽しそうだし、面白い発見がありそう」

 AKIMIもKOUも嬉々としている。今の所は。二人は正真正銘、アルバイト経験がない。

 午前八時。「おはようございます」寝惚け眼で現れた二人に対し、園長は「おはようございます」と挨拶したが、揃って金髪、カラーギャングのような二人の風体を見て唖然としている。

 作業服に着替えた二人だったが、揃って上着をズボンから出し、KOUは髪を下したまま帽子を被っている。

「何なのそのダラッとした着方は? やる気あるの? 上着はちゃんとズボンに入れる。それと君、髪は後ろで結んで」

 唖然から遣る瀬無い顔へと園長は溜息交じり。

 「はい」二人はまた更衣室へと戻る。

「まずは動物の餌作りから始めて貰います。それを園内に運んで」

 気を取り直した園長が、キャベツの葉だけが入った二十ケースはあろうかというカゴを指差す。

 この園では近くのファストフード店から野菜の切れ端や使わない部分を、無料で譲り受けているのだとか。

「これを二人で?」

 KOUは初っ端から目を丸くする。

 二人は「仕方ない」といった表情で、キャベツが入ったカゴを四ケースずつ荷車に積んで運ぶ。

「押すのはオレがやるから」

 AKIMIが荷車を押して行くがバランスが保てない。

「っち。何だよこれ。タイヤ四つ付ける費用がなかったのか?」

 この発言にはスタジオの出演者も仕出しの観客も笑う。

「荷車ってそういう物だよ」

 多田さんは突っ込む。

 何とかキャベツを作業場まで運び終えた後は、バナナ、リンゴなど餌を包丁で一口大に切って行くのだが、

「包丁持ったの初めて」

「オレも」

KOUとAKIMIは物珍しげに包丁をまじまじと見る。

「ほら、そんな事してる時間ないよ」

 園長の顔付が険しくなって来た。

 KOUはリンゴに包丁を突き刺したり、AKIMIは裂いて行ったりと乱雑な手付きで作業を続ける。出演者達は「危ない危ない」「うわあ、見てらんない」と顔をしかめている。

 園長はバナナの切れ端を掴んで、

「何でこれ捨てちゃうの?」

険しい表情。

「いらないかなって思って」

 KOUはライトに答える。

「この部分は食べられるでしょ。これはお金を出して買ってるの。そんな部分を捨てるっていう事はお金を捨ててるのと同じ。分かる?」

「済みません……」

 KOUは謝罪するが明らかに納得していない。

 餌の準備が出来たら飼育小屋へ。猿やシマウマ、熊に餌を与えて行く。

「うわあ、食べてる食べてる。かわいい」

 KOUがこの日初めての笑顔を見せた。

「はい、餌やりが終わったらシマウマの小屋の掃除ね」

「はい」

 返事はするが、二人はダラダラと歩きながら園長の後ろに付いて小屋を目指す。

「うわっ、臭い!」

「ああくせえ!」

 小屋に入るなりの第一声。

「溜まった糞尿を片付けて」

 園長は二人のリアクションを無視。

 糞はスコップを使い、尿は水で洗い流して行くのだが。

「うえっ! 顔に掛かった」

 スコップで糞を掬っていたAKIMIの顔に糞の粒が随所に。

「きゃっ! 私も」

 水で尿を洗い流していたKOUの顔にも水が飛び跳ねた。

「もうやだあ!」

 KOUは泣き出してしまう。

「泣くなよ。後でシャワー浴びれば良いんだから」

 AKIMIが言うと、

「シャワーなんかある訳ないだろ」

園長は険しい顔のまま。スタジオはまた笑いに包まれた。



 顔を拭いたKOUはその後、受付のアシスタントに。AKIMIはシマウマや象の身体を洗うサポートに就き、

「社会の厳しさを学んで貰わないとね」

大村さんがコメント。

 二人は時給八百円で七時間のバイト。計一万一千二百円を稼いだ。



 最後のVはあまり、というより評判は良くないに等しい『Mr.ジンカワと行く ミートツアー』。今度は中目黒にあるステーキハウスへ。

 最終回なので大村さんも交じり、五人の男女、スペシャルの時とは違う芸人とアイドルとで向かう。

「今から行く店はレアで食べるのが一番旨いんだよ。それだけ新鮮な神戸牛を扱ってる店なんだ」

「私ミディアムが好きなんですけど」

 アイドルが注文を付けるが、

「駄目駄目。ジンカワちゃんは受け付けてくれないから」

多田さんは諦めの笑み。

「オレはウェルダンだな」

「だから駄目だって大村。このコーナーはジンカワちゃんに「全てを」任せないと」

「流石多田君。分かって来たねえ」

 一人だけ感心。

「今日行く二店は最初は神戸牛、後は米沢牛なんだけど、二店ともレア。味付けは塩コショウだけ! これが一番旨いんだ」

「えーっ、ソースでも食べたい」

「ジンカワさんは肉の説明だけしてくれれば良くて、後は放っておいてくださいよ」

 アイドルと芸人は苦笑を浮かべて訴えるが、

「ジンカワちゃんは好きにさせてくれないから」

「肉っていうのは只ソースとか付けて食べれば良いってもんじゃないんだよ」

多田さんは笑顔で皮肉、ジンカワはそれに気付かず熱弁。

 移動中の車内でも、

「霜降りにはマーグル状の脂肪が細かく交わっててね、人肌の温度でも溶けちゃうんだよ。だから口に入れ得た瞬間に、赤身の持つ旨さと脂肪の甘みと香りが絶妙に絡み合う!」

ジンカワの熱弁は相変わらず。これが数字を落とすんだろうに。それだけ肉に対する拘りは画面を観ていてもまざまざと伝わっては来るのだが……。

「ジンカワちゃん、豆知識はその辺で」

「今聞いただけで十分旨い肉だって分かりました」

 大村さんも芸人も、笑顔一つ見せないジンカワに呆れ笑い。

 中目黒のステーキハウスに到着。レトロ調な店内。カウンター席、テーブル席を入れても二十人前後入れば満席になりそうな落ち着きのある空間ではあるが……。

「オーナー、宜しくお願いします! 全員レアで出してください」

 ジンカワには落ち着きは微塵もなし。

「ジンカワちゃんはいつも来店するとこんな感じなんですか」

 多田さんがオーナーに訊く。

「はい。直ぐに注文してちゃちゃっと食べて帰られます」

 オーナーも苦笑。

「お店の雰囲気も感じ取りましょうよ。せっかく良い感じなのに」

「雰囲気は確かに良いんだけど、肉は早く食べないと固くなるだろ」

 アイドルからの忠告も柳に風。

「オーナー、早く人数分のステーキをお願いします」

「いつもこんな感じで急かすんですか」

 多田さんは呆れて同じような質問。

「はい。いつもこんな感じです。私にも「拘り」があるんですけどね」

 オーナーは苦笑いの中に少々皮肉を入れる。

「ここはオーナーに任せた方が良くないですか?」

「オレも初めはそう思ったんだけど、神戸牛の旨さを知っちゃったっていうか、独学で習得したんだよ」

 芸人の忠告も放念。

 オーナーは苦笑を浮かべたまま肉を焼き出す。が……。ほんの十数秒行くか行かないかの刹那で、

「はい、ひっくり返して! 塩コショウしちゃって」

「えーっ! 流石に早くないですかあ?」

「オーナー、他のお客さんにはもっと焼きますよね」

アイドル、大村さんの不満に、

「そうですね。個人的にはもうちょっと火を通した方が良いとは思うんですけど……」

またも苦笑いの中に皮肉。

「食べて貰えば絶対旨いから!」

 ジンカワは肉に集中し、顔も目も笑らっていない。

「はい、もう良い!」

「もっと焼いた方が絶対良いですって」

 芸人の笑みは苦笑や呆れではなく、最早訝しげ。他の出演者も同様。

「でも薫りは良い。頂きます!」

 アイドルはナイフとフォークを手に取る。他の皆も複雑そうな笑みを浮かべて食す。

「うわっ! まだ冷たい」

「特に脂身の所は全然火が通ってないよ」

 アイドルも大村さんも渋い顔。

「オーナー、もっとジンカワさんを指導した方が良いですよ」

 芸人の言葉に、

「ええ。私も「職人」ですからね。私のやり方にケチを付けるお客にはもう来店して頂かなくても結構です」

笑みを消して明言。

「そんな事言わないでよ、オーナー。次からは気を付けるからさ」

 流石のジンカワも一矢報いられ、少し神妙とした表情になる。これにはスタジオでも笑いが起こった。

 


最後に一行が向かうのが、米沢牛を扱った恵比寿(渋谷区)にある店。さっきオーナーからの一言で改心したかと思われたジンカワだが……。

「米沢牛は神戸牛と並んで日本三大和牛の一つだって事は、皆知ってるよな?」

「知りませんでした」

 アイドルは口振りも表情も冷めている。

「不勉強だな。きめ細かな霜降りは脂の質が最高級でさ……」

 いつものジンカワに戻ってしまう。

「ほんと薀蓄が止まんないんだよ」

 多田さんがスタジオのゲストに愚痴る。

「造詣があるのは分かりますけど、ゆっくり食べられないですよね」

 番宣ゲストの女優が同調。話は少し逸れるが、低視聴率番組に「番宣」でゲスト出演しても……芸能人もご苦労さんなこった。

 恵比寿の店ではジンカワは先程までの焼き方まで注文は出さず、全てオーナーに任せていた。が……。

 全員分の肉が皿に乗せられると、

「焼き終わったら無駄口を叩かないで食す! 薫りと味を存分に楽しめ」

「煩いなあ、もう」

アイドルはイメージなんか気にしない。

 今回も『ONEMAN LIVE』でVは終わった。

 


そしてスタジオでの出演者達のトークと女優の番宣を映しながらエンドロールが流れ、「『ラフな東チャン』は今宵で終了。楽しんで頂いた皆さんに多謝 出演者・スタッフ一同」と誰もいないセットと共にオレが書いて下平が加筆修正した女性が読むナレーションと、字幕が映し出され番組は終了した。東チャンからのコメントは一切、なし。

エンドロールの構成の欄に「中山裕介」と流れたが、何だか虚しい気持ちを抱いてしまう。普通は構成の欄に自分の名前が流れると欣快の気持ちを抱くのが放送作家という生業なのだが、こんなにも虚しく切ない気持ちを抱いたのは初めてだ。

 もう放念しない最終回の数字は、五・七%。タイムシフトと統合して七・八%だった。



 これより二週間前、最終回の収録が行われた当日。放送まで五日しかなかったが、THS内の大会議室にて打ち上げが催された。

 THS内の食堂から揚げ物や焼きそば、サラダなどが運ばれ、ビールやチューハイといったアルコールも瓶や缶ではあるが用意されている。

 出席者は東京V2チャンネルの二人と、今日ゲスト出演したお笑いコンビとピン芸人の五人だけだが、プロデューサー、ディレクター、作家といった主要なスタッフは全員参加。これ、「最後くらいは皆でこれまでの留飲を下げましょう」という根本仁美チーフプロデューサーの提案。

 オレ達作家はスタジオにはいなかったが、半強制的にTHSに召集された格好だ。

「皆さん、短い間でしたけど、私は楽しい時間を送る事が出来ました。数字は数字。こんなにユーモア溢れる出演者、スタッフに囲まれてるんですもの、私は『ラフな東チャン』を素晴らしいコンテンツだったと思っています。それだけ、私は番組とスタッフの皆さんを愛しておりました。勿論東チャンの二人も。こんな形でお別れするのは本当に寂しい……」

 根本さんが言葉を詰まらせる。チーフプロデューサーとしての責任感、番組が世間に認めて貰えなかった慚愧の念がない交ぜになっているのだろう。

 でも、「スタッフを愛していた」という言葉には疑義を感じる。根本VS膳所が繰り広げられた事もあったし、膳所貴子を目の敵にしていたのだから。

 もしかして、根本さんは心中ではその事もひっくるめて「楽しい時間」だったという訳かいな……。

「ごめんなさい。バラエティに涙はいらないわ。今日は大いに楽しんでください。では乾杯」

「乾杯!」

 各々がアルコールを手にし、打ち上げというより「遺憾の自棄酒の会」は始まった。

「お貴さん、本当は出席したくなかったんじゃないの?」

 側にいた彼女の気持ちはどうなのか。

「まあ、あんまり乗り気ではありませんでしたけどね」

 衷心。

「でも昨日、根本さんから電話が掛かって来て、今までの事は忘れて、最後くらいは楽しくやりましょうって優しい声で言われたんです。それに、貴方とは二度と会う機会はないと思うから。も付け足されて」

 彼女は苦笑した。

 「最後くらいは楽しく」「二度と会う機会はない」。認めはしないが労いの気持ちはあるようだ。

「そうだったの。オレは事務所の社長から伝聞されたけど、お貴さんは直接かあ」

「ええ。でもあの番組で英会話講師役とか、プレビューⅤのブッキングや出演まで体験して、何だかんだいっても楽しんでる自分に気付かせて貰ったのも事実ですから」

 彼女は微笑む。放送作家を「ふあー」とした気持ちでやっている人が……仕事の辛苦や楽しさに「やっと」気付き始めたか?

「ユースケ達作家は良いよね。もう次の職場に行けるんだからさ」

 赤ら顔をした下平、枦山、大場ディレクターの三羽烏が近付いて来た。

「あたしらなんかロケ場所探したり編集したりして徹夜の毎日なんだから」

 下平は愚痴るとビールを三口。

「そうそう。ロケVのプレビューまで間に合わせるのに如何に大変だったか」

 枦山さんもチューハイを一口。

「まっ、今度はスタジオの編集して、完パケ(完成パッケージ。オンエア出来る状態の素材)にしなきゃいけないしな。しかも五日で」

 大場はビールを持っているが……飲まんのかい!

「オレ達だってロケハンにも行ったし、打ち切りだからホンを間に合わせるの大変だったんだぞ」

「お互い忙しいんですから」

 お貴さんとバディを組み応戦。

「でも次の番組に行けるでしょ」

 下平は大分酔っている。後「五日で」完パケにしなくちゃいけないんじゃないのかい? そんな状態で編集作業が出来るのかい?

「新番や他のレギュラー(番組)のホン書きやロケハン行って打ち合わせしたりして、オレ達だって楽はしてないよ」

 少しうんざり気味に言ってやる。

「それに作家は非正規労働ですからね」

 沢矢さんも入って来た。こちらもビールで赤ら顔。

「ディレクターと作家、どっちが「楽」って勝負じゃないからな。お互い頑張ろうぜ!」

 大場は場を収める言葉で締めようとしているが、

「いいや! ディレクターの方が仕事量多い!」

枦山さんはよろけて大場の右腕にしなだれる。

「放送作家だって常に色んなとこにアンテナ張って、頭を動かしてなきゃいけないんですよ!」

 お貴さん、珍しく真顔で言うね。誰かの受け売りだろうけど。

「そんなのディレクターだって一緒だっつーの!」

 下平はまたビールを一口。

「もう良いだろお前達。ごめんな。オレ達根本さんにお酌して来るから」

 大場は二人の腕を掴み去って行く。

「何なの。放送作家を見縊って」

 沢矢さんは不快な表情でビールを飲み干す。

「オレも不快だけど、あれが奴らの本音だな。人間アルコールが入ると抑制が利かなくなってぼろが出たりするからな」

 オレも根本さんや三神さんにお酌して来よう。

「じゃ、オレは両プロデューサーの所に行って来るから」

「あ、私も行きます。貴子ちゃんはどうする?」

「私は良いです。また根本さんに因縁付けられそうですから」

 彼女は苦笑して返す。アルコールの力でぼろを出しまくる人間は嫌い、という事か。

 オレと沢矢さんは三神さんの下へと向かう。

「お疲れ様でした」

「お世話になりました」

 オレと沢矢さんとで挨拶し、側のテーブルにあった瓶ビールを手にする。

「ああ、君達もご苦労だったね」

 三神さんは笑顔で、オレが瓶を差し出すとプラスチックのコップを向けて来た。

「「親父に負ける」というより、また番組をコケさせちゃったよ。オレ、編成に残れるか心配。また別の部に飛ばされやしないか冷や冷やしてるよ」

 三神さんは笑ってはいるが、目には不安が表れているのは明らか。

 「大丈夫ですよ」なんて軽はずみな事を口にするのも憚れるし、隣の沢矢さんも笑みを作って無言という事は、同じ思念なのだろう。

「また一緒にやりましょうよ」

「そうですよ。今度は平均十%台の番組、渾身で企画考えますから」

 沢矢さんが続けると、

「何だい加奈ちゃん。『ラフな――』では渾身じゃなかったの?」

「いや、そんな事ないですよ」

墓穴を掘ったか。

「でも僕ら、本気でまた三神さんとやりたいって思ってますよ。時間帯なんか関係ない。プライム帯だろうが深夜であろうが」

「そうかい? 嬉しい事言ってくれるね。ハハハハハッ!」

 空調が利いている室内なのに、三神さんは上機嫌で扇子を扇ぐ。気付くのが遅いが、この人、上機嫌になると扇ぐ癖。それでいて不機嫌だったり鬱屈した時には机や頭を叩く。一種のバロメーターだったのだ。

 根本さんの方に目を向けると、三羽烏はいなくなっている。



「じゃあ僕ら、根本さんにも挨拶して来ますんで」

「そうですね」

「ああ、行って来い」

 三人が破顔した所で、瓶を持って根本さんの下へ。

「お疲れ様です」

「今回は急な展開でご苦労様でした」

「あら、貴方達こそホンを間に合わせるのに大変だったでしょう」

「いや、僕たちの苦労なんか」

 お酌しながら労う。

「でも、作家さん達は掛け持ち出来て良いわよね。私達社員よりは効率が良いのは事実だし」

 ぼろを出したな。顔も目の笑いも見縊っているようにしか映らない。

「でも、社員の人達より金貰ってる訳でもないですから」

「まあ、私達も一般の派遣社員と同じ形態なんで」

 沢矢さんも若干ムカついたのだろう。笑顔でスルー。

「ユースケさん、喫煙者なんでしょう。今日は特別よ、室内で吸っても良い事にしてあるから」

「そうなんですか」

 よく見てみると、近くのテーブルにアルコールと一緒に百円ショップで購入したのか、大きくて深い灰皿が二つ置いてある。

「でもいいです」

「良いのよ吸っても。その代り私にも一本頂ける?」

「えっ、吸うんですか?」

「大学生の時までは毎日吸ってた。今でも時々ね」

「そうだったんですか」

 迷彩パンツのポケットからタバコとライターを取り出し、根本さんに「ありがとう」一本差し上げる。

 オイルライターに火を点け、根本さんはタバコを近付けた。

「ユースケさん、私も一本貰っても良いですか?」

「沢矢さんも吸うの?」

「作家に成る前は一日に何本か」

 彼女ははにかむ。彼女に箱を差し出し、「自分で点けますんで」と一言。オレも一服する事にした。

「ゴホッ!、ゴホッ!」沢矢さんが咳き込む。

「久しぶりに吸うからよ。ホホホッ」

「でも慣れて来ました」

 三人で喫煙。禁煙ブームも何処吹く風……。

「今回の打ち切り、岡本制作局長から水奈編成局長に申し出たからよ」

 根本さんは真顔になり声のトーンも落とす。

「編成局長に申し出……」

「岡本局長って、九十年代のバラエティを牽引して来た人って聞いた事ありますけど」

 沢矢さんも声のトーンを落とす。

「その最重要人物か……」

「岡本局長はこれまで、ディレクター、プロデューサー時代にもメディアにはコメントやインタビューには応じても、姿は見せた事はないし裏方に徹した人で、「昭和・平成のテレビ屋気質の男」って言われてるわ」

「それは聞いた事あります。雑誌のインタビューにも首から下の胴体すら写真は載ってませんよね。僕もお会いした事がない」

 オレも声を落とす。別に悪い話をしている訳でもないのに……。

「私達作家の中でも、大御所の人以外は顔を見た事はないんじゃないですかね」

 沢矢さんは首を傾げ、推測している。

「一九八十年代後期にTHSは全日で視聴率一位を達成したの。岡本局長は乗りに乗ったTHSを九十年代に更に押し上げた立役者よ。それで考案したのが「番組のパッケージ化」よ」

「若手芸人を束ねて、テロップを入れるタイミングやワードの拘り、随所に入るナレーションとかですよね」

「そう」

「後、感動とお笑いを組み合わせるバラエティドキュメンタリーの要素もですよね」

 沢矢さんが付け加える。これくらいの知識は放送作家でも精通している。

「岡本局長は「ディレクターやプロデューサーは全てを説明出来ないと成り立たない」という信念を持って、細部の設定にも拘って番組をプロデュースして来たクリエーターよ。私達みたいな後輩テレビマンにも「岡本イズム」は浸透して行って、私や三神さんも模倣という表現は悪いけど、デフォルメしたつもりで演出にも細部にも拘って番組をプロデュースして来たつもりだった」

 根本さんは微笑を浮かべてはいるが、目には切なさが見える。

「でも模倣は模倣でしかないでしょう。オリジナルのクオリティには遠く及ばない。岡本局長はそれを危惧したのよ」

 根本さんは紫煙を吐き、タバコを灰皿に押さえ付けた。

「『ラフな東チャン』は自分のイズムを引き継ぐどころかタイトル通り作りも「Rough」で荒っぽい。あんな制作態勢では番組も「パッケージ化」されず、東京Ⅴ2チャンネルは疎か出演する芸人の職能も伸びて行かない。改編期まで待たずに打ち切るのが火急だ。こう言って編成局長に直訴したのよ」

「粗製の番組を継続するのは局にとって害悪だ。って事ですね」

「そういう事ね」

 明言してしまったが、これは紛れもない事実。

「私達は岡本制作局長のイズムを踏襲したつもりで、「Laugh」の方にだけ目を向けていたんでしょうね」

 根本さんは微笑を浮かべつつ下唇を噛んだ。

「でも差し出がましいですけど、「経験」にはなったんじゃないですか。エジソンだって失敗しても「こうやれば駄目なんだ。だからこれは成功なんだ」って部下に言ったそうですし」

 沢矢さんは破顔し、テーブルに置いていた瓶を持って「どうぞ」と根本さんにお酌した。

「ありがとう。逆に励まされちゃったわね」

 根本さんも破顔した。が、目には潤むものが。チーフプロデューサーとしての基盤が不足していた憾み、踏襲どころか道を外してしまった制作態勢を作り出してしまった屈辱が表れているのだろう。



 東チャンの二人はどうしているのか? そう思い目で探すと、多田さんはディレクター陣と談笑中。大村さんは一人でタバコを吸っていた。

「じゃあ僕ら、「主役」にも挨拶して来ますんで」

「ええ」

 沢矢さんと共に大村さんの下へと向かう。

「お疲れ様でした。作家の中山です」

「沢矢です」

「ああ、貴方達作家だったんだ」

 大村さんは笑みを向ける。

「まあどうぞ」

「あ、ありがとう」

 大村さんにもお酌した。「君達も」大村さんはオレから瓶を受け取り、「ありがとうございます」「どうも」オレと沢矢さんにもお酌してくれた。

 しかし、アルコールにあまり強くないオレと沢矢さんは少し飲み過ぎていた。

「番組開始の早い段階から、東チャンさんは企画案を出さなくなりましたね」

 顔は笑みだが言葉には皮肉を込めて……。

「「面白い!」「興味がある!」っていうのが、番組のコンセプトだったんですけどね」

 沢矢さんも然り。

「あの番組、やりながら駄目だなって思ったんだよね。数字は下がる一方だったし」

 大村さんは表情も口も穏やかに。オレ達の想いを意に介していない。

「数字が悪い=評価が低い。けど私達スタッフは最後まで希望は捨てませんでしたよ」

 沢矢さんは笑みを消しライトな口振りで返すと、

「それはごめん」

大村さんからも笑みが消えた。

「番組のメイン、まして冠なのにやる気をなくして貰ったら、スタッフもやりようがなくなりますよね」

 言い終わるとビールを三口。

「申し訳なかった。正直途中からオレ達のボルテージが下がったのは事実だよ」

 三人の中で神妙な雰囲気が流れる。

「世間に受け入れて貰えない。でも東チャンファンは今週も観てくていたと思いますよ。低視聴率とはいえ、※印(計測出来ない程、視聴世帯が少ない)ではなかったんですから。観てくれている人がいる、多かれ少なかれであろうが仕事に真摯に向き合うのが「プロ」ってもんじゃないんですか」

 アルコール効果もあって語気が強まってしまう。

「確かに言う通りだね。オレ達はプロの自覚も視聴者を楽しませる気概も足りなかったね」

 大村さんが空笑いを浮かべた。芸能人ではないが業界の後輩から苦言を呈されるのは屈辱な筈だ。

「多田さん、ちょっと良いですか!?」

 沢矢さんが近くでディレクター陣と談笑していた多田さんを呼ぶ。別に頼んでないのに……。彼女もアルコール効果だな。

「何だよ。番組以外で二人にするなよ」

 多田さんは苦笑しながらこっちに来る。

「東チャンは番組途中からやる気が失せたそうですね?」

 沢矢さんはアルコールで取り乱す事もなく、ライトな口振り。

「ああその事。ぶっちゃけるとその通りだよ」

 多田さんも苦笑を消し、ライトに返す。

「多田」

 大村さんが多田さんの右肩に手を置く。「それ以上言うな」と訴える目。

「私達作家なんですけど、ユースケさんが言いたい事があるそうです」

 もう何にもねえよ! しかも自分がコンビを揃わせておいてオチは丸投げかい!

 ビールを一口飲んで大きく息を吐く。

「仕事に対する真摯さも忘れ、芸能界に毒された横着コンビ」

「何だと?」

 多田さんは苦々しげな顔付に変わるがスルーして、

「あんた達には当分プライム帯の冠は来ねえよ!」

言い終わってまた大きく息を吐く。プロデューサーも口にしてはいないだろう暴言を……一体オレは何様なんだ?

「かもしれないな。オレ達のレギュラーは昼の情報番組と、深夜の三十分の冠二本だから。な?」

 大村さんが多田さんと目を合わせる。

「根本さんや三神さんじゃなく、若手作家に明言されたか。メンツ丸潰れ」

 二人は揃って苦笑い。



「ああ、喧嘩にならなくて良かった」

 言った張本人が一番ドキドキしている。喉が渇いたのでビールを飲み干した。

 宴も酣ではあったが、約二時間半で打ち上げは終了。

 東チャンの二人に対し遠慮会釈もなくやらかしてしまった事を、今更ながら後悔する。

「ユースケさん、「当分プライム帯の冠は来ねえよ!」って最後の決め台詞、カッコ良かったですよ」

 沢矢さんはにやつく。彼女は気にも留めていない。

「二人を招集させたのはどちらさんだよ。あんな事言うつもりじゃなかったんだぞ」

「でも溜飲は下がったんじゃないですか」

 彼女は尚もにやついたまま。からかいやがって。

「別に溜飲なんかなかったよ」

 だが、二人に対して抱いていた想いを吐いたのは間違いではない。

「まっ、良いか。お疲れ様」

「お疲れ様でした」

 軽く流してTHSを後にした。気が晴れたのか釈然としないのか、何とも微妙な気持ちだ。



 後日、<マウンテンビュー>のオフィスエリアにて。

「オレの予測が当たった。「勝ち」ですね」

 陣内社長に向け、態と得意げな笑みを浮かべて言ってみる。

「勝ちって何? 別に勝負なんかした覚えねえよ」

 社長は微苦笑すら浮かべず「ガン飛ばし」モード。

「別に勝負とは言ってねえよ」

 オレも社長に倣う。

「また二人共……」

 珠希が痛々しい顔付で近付いて来る。

「オレの予想が当たったって言っただけですよ」

「そうね。今回は中山君の思念が正しかった。で、ギャラを上げてくれとか要求して来るの?」

「いいや。別にそんなつもりはありませんが」

「なら良いし、私も安心した」

 陣内社長がやっと微笑を浮かべた。

「そんな邪な考えで仕事してたら干されますよ」

「まあね」

 オレも微笑を浮かべる。

「ああ良かった。また喧嘩になるのかと思った」

 珠希は安堵の表情と深い溜息を吐く。

「たまには(社長と)意見が対立する事もあるだろう」

「只の見解の相違よ、珠希ちゃん。貴方も私にぶつかって来ても良いんだよ」

 社長は珠希に意味深な笑みを見せる。

「私は……穏便主義なんで」

 珠希は微苦笑を浮かべてオレ達から後退りして行く。

 陣内社長は珠希を一瞥すると、

「でも中山君、THSと東チャンとは後八か月弱の契約があるんだよ。次はTHSからオファーが来ると思う」

「そうですか。分かりました」

「分かってるなら、行って来い!」

社長は破顔。いつもの二人に戻った証だ。

 自分のデスクに戻り遠巻きにオレ達を見ていた珠希も破顔。

「次の番組の放送時間は」

「二三時台だって聞いてるけど」

 陣内社長は承諾させる気満々。オレは諦めの気持ち満々で訊いたんだけど。

「やっぱり、深夜、ですか」

 「あんた達には当分プライム帯の冠は来ねえよ!」。東チャンの二入が苦笑いしていた場面がフラッシュバックされた。



 お盆の時期に入った。今年は父方の祖母、スミの七回忌だ。

 オレが二十歳を越えても一万円の小遣いをくれたり、たまに帰るとご馳走で迎えてくれたりと、「優しいお婆ちゃん」だった。

『婆ちゃんの法要を爺ちゃんのうち(父の実家)でやる予定なの。忙しいだろうけど帰って来れる?』

 お盆前に母の小枝子から電話が入る。

「ああ、そうだったな。社長に伝えて何とか参列出来るように時間を貰うよ」

『放送作家ってそんなに忙しいの? 大変な職業に就いたわね、あんたも。忙しいのはありがたい事だし、自活して行けてるんなら親も安心だけど』

 小枝子が気の毒さと、安心をない交ぜにして微笑んでいる姿が脳裏に浮かぶ。

「でも爺ちゃんにはあんまり逢いたくないんだよなあ」

 オレは渋い顔付になり、本音が口を吐いてしまう。正直祖父、定義と逢うのは気乗りしない。

『昔の述懐が好きな人だからね。あんた初孫だし、可愛くて仕方がないのよ』

「可愛いって言われてもさあ……」

 祖父、中山定義は御年九十になる「後期後期高齢者」。東大の獣医学を専攻し、念願だった獣医師に成れたお方。よってかは知らないがとにかく教育熱心な人。オレが小学生に上がると毎回成績表を確認する為にうちに来ていた。オレはそれが嫌で仕方なかったけれど……。何故祖父に成績表を見せなきゃいけなかったのか!? オレは今になって凄く後悔している。成績は両親が確認していればそれで良い事だ。

 金に対しても世知辛い人で、「初孫」とはいえ玩具を買って貰った記憶はない。お年玉でも千円。それでも「多いんじゃないか?」と笑っていた。

 「玩具を買ってやりたいが、将来の為に金を残してやっておきたい」と小枝子に言っていたそうだが、心中ではどうだったか。でもランドセルや修学旅行といった「教育」に関しては出費してくれたけど。

オレが東明館大に進学する時も、「そんな私立で良いのか?」と難色を示し、放送作家に成ると決めた時も、態々夜にうちにまで訪ね、「お前みたいな純朴で繊細な奴はそんな仕事に向いていない。都心には出るな。再考しろ」と言って来た。

純朴って、只の世間知らずの「純バカ」だと直感してしまうのだが、そんな邪な考えを持つ奴が本当に純朴か?

結果的に、オレは定義の憂いを一蹴して行動したが、今の所後悔はしていない。困難は誰にだってあるし、どちらかというと面白おかしく大学生活、放送作家活動をさせて貰っていると、オレは思念している。

因みに大学に進学する時も、「入学費は工面してやる」と口にし、難色は示しつつやはり教育に関しては「優しいお爺ちゃん」なのだが……。

「自覚ある行動をしろ」「分からない言葉が一つでもあれば、直ぐに辞書を引け」が口癖で、「いつまでもあると思うな親と金。ないと思うな運と災難」と教えてくれたのも定義なのだが……。

対照的にスミは「優しいお婆ちゃん」で、ゲームやソフトを買ってくれたり、お年玉の額も定義より歴然だった。



 翌日、早速法事の件を<マウンテンビュー>に立ち寄って陣内社長に告げる。

「お婆ちゃんの七回忌なら仕方ないね。いつ行われるの?」

「十三日だそうです。だから十二、十三日に休みを貰えるとありがたいんですけど」

 真顔でライトな口振りで社長の表情を窺う。

「でもさ、法事だったら二日丸々休みにしなくても良くない?」

 案の定の反応。

 放送作家、増しては若手で自活出来るような人間は、人によって区々だが、月に一日休みがあれば良い方。夜に四、五時間だけ空きがあったり、月によっては週四日貰える場合があるけれど、いっても放送作家は非正規労働者。

 「ラッキー」と思って休みを謳歌している人もいるかもしれないが、オレみたいな若輩な小心者は「二日休み、三日休み」と告げられると内心冷や冷やしてしまう。

「だから十二日の夜と十三日の午後だけ休みというか、時間が欲しいんです」

 打診の方法を変えてみる。

「そう。それだったら良いよ。うちの「稼ぎ頭」が二日も休んじゃうと私もちょっと困るなあって思ったけどね」

 陣内社長は安堵の笑み……なのか?

「私の方からも番組サイドには嘆願しとくけど、中山君の方からも話はしておくように。身内の家事だったら先方も致し方ないって呑んでくれるとは思うから」

「分かってます」

 こうしてオレはレギュラーのテレビ、ラジオ番組のプロデューサー方に直接会ったり電話で事情を説明して回り、十二日夜から十三日午後まで仕事を休ませて貰える事になった。



十二日の二十時過ぎ、久しぶりに東京・羽村市の実家に車で帰った。

「お帰り」

 小枝子は笑顔で迎えてくれる。

「ただいま」

 何故か素っ気なく返してしまう息子。

「ご飯は?」

「済ませて来た」

 会議中に出た仕出し弁当だけどね。

 父の譲一はというと、リビングでテレビを観ているようで、笑い声が聞こえて来る。

 オレが二階の自室に向かおうとすると、

「挨拶しといたら?」

小枝子に促され、リビングの戸を開けた。

 譲一は顔はそんなに老け込んだ様子はないが、白髪になっていてオレにはすっかり「爺様」に見えた。こうやって年老いて行く親の姿を痛感するのである。

 テレビの影響もあり、譲一は笑顔でオレと目を合わせる。オレは一回頭を下げて、

「帰って来ました」

と告げる。

「はい」

 父親からの返事はこれだけ。男同士、あれこれ話はしない。元々、譲一は寡黙な人だし、オレも達弁じゃないから。

 二階の自室に上がり、電気を点けエアコンを点けようとすると、プラグが抜かれているばかりかリモコンには電池さえ入っていない。

「普段は誰もいない部屋だからな……」

 それでも換気と掃除はたまにしているようで、部屋はカビの匂いはせず埃一つ落ちていない。

 ベランダで一服した後、窓を開けっぱなしにし、机にノートパソコンと資料を広げ、十月から始まる予定の新番の企画書とホンの執筆を始めた。

 オレから遅れる事約三十分。弟の秋久も車で帰郷して来た。

 二三時頃に歯磨きをしようと一階の洗面所に降りると、秋久はトイレから出て来て手を洗っている。

「オッス」

「オッス」

 久しぶりに逢った兄弟も会話は簡単な挨拶だけ。秋久は臨床心理士として横浜市内の病院に勤務している。大学は国立で大学院にまで進んだ、兄よりも優秀な頭を持つ弟だ。

 オレ達兄弟は子供の頃、一緒に遊んだり喧嘩もしたが、殴り合いはした経験がなく、口喧嘩止まりだった。秋久は子供の頃、身体が小さく直ぐに泣き出す奴だったから。

 だが中学生になるとクールで理知的な性格となって行き、野球部に入部。高校でも野球部に所属し、特にスポーツをやっていないオレとは鍛え方が違う。これでは手を挙げても兄が負けるのは明白だ。



 夜が明けて……普段は着ない濃紺のスーツに黒いネクタイをし、秋久は家の近くの空き地に停車していた黒のワゴンで、オレは青のハッチバックに譲一と小枝子を乗せ、オレの運転で中山定義家へ出発した。

 定義家に到着すると、譲一の兄妹家族、いとこ達が集っていた。

 定義は秋久に対しては「元気だったか」と訊くだけだったが、オレに対しては……、

「お前が都心で苦労して仕事してると思ってな」

と破顔してオレの両肩に手を置く。

「大丈夫だよ、爺ちゃん。何とかやって行けてるから」

 オレは破顔ではなく「うんざり」の苦笑い。

 でも譲一一家が四人揃うのは希な事。いとこの結婚式にも小枝子が仕事で出席出来ない、又は夫婦そろって仕事が忙しくて出席出来ないなど、父方母方両家の行事で四人が揃って出席するのはまずあり得ないといって等しい。

 そして法事が始まっても、終わって僧侶も交えた親戚一同の食事会になっても、オレはずっと定義の隣に座らされていた。

「朝五時頃に起床したらな、まずは牛の餌にする草を切る仕事から始まるんだ。昔は何でも人力だよ」「戦時中、羽村にトラックが五台ばかしあったかなあ」「オレが大学生の頃は全国的に食料難でな。何処の食堂へ行っても開いてなかったんだよ。仕方ないから下宿の家に戻ってタバコを吸って空腹感を紛らわせたもんだった」

「生字引き」らしく饒舌な定義。この人、注がれたビールも殆ど飲まず、ほっとくと一時間でも二時間でもずーっと口角泡を吹かせて喋り続ける性質。

秋久はというと、斜向かいに座り定義の事など意に介さず年の近いいとこと話している。彼曰く、「爺ちゃんの話は聞くに堪えない」そうだ。他のいとこ達も同様の思念を抱いているという。

 だが、それはオレも同じ。初孫で可愛いからとはいえ、定義の物言い伽にはとっくに疲弊している。オレが発言する言葉は「へえ」とか「ええ」くらいのもの。

 それに、「戦時中、羽村市にトラックが五台ばかしあったか」なんて、知らんがな! 最早令和の世。軽から大型までビュンビュン走行している時代だ。「お前に理知的さを付けてやろうと思ってな」以前、定義が口にした事があるが、こんな話で果たして理知的な頭脳になるのやら……まっ、活かすも殺すも自分次第。一応頭のアーカイブには留めている。仕事柄、何が活かされるか分からないから。

「最近はお前が都心で苦労して仕事してるんだろうなあって心配で堪らなくてな。聞いてやらなきゃいけないが、とは思っていたんだ」

っち! またその話か。

「大丈夫だって、その点は。何とかやってるし年金も払ってるし納税もちゃんとしてるんだから」

 オレもさっきと同じ言葉を繰り返すしかない。

「所で放送作家ってどんな仕事をするんだ?」

 ……序論の知識もなく反対したのかよ。

「端的に言えば、番組の台本書いたり企画を考えたり、それに肉付けして行って、タレントやディレクターと打ち合わせをしたりする仕事」

「東京から出る事はないのか?」

 定義は携帯どころかパソコンすら持っていない。別に必要ないからかもしれないけど、固定電話だとセールスとか詐欺に遭う可能性もあるだろうから、せめて携帯くらいは持っていた方が良いと思うんだけど。

 話を元に戻すと、定義はオレがどんな仕事をしているのか心配で仕方ないのであって……。「そんな事は義理の娘(小枝子)から聞け!」と思ってしまうけど、又聞きだと歪曲するだろうからな。

「旅番組とかで地方に行く事もあるよ。「ここをロケのスタート地にしよう」とか、「ここでタレントにこういう事をやらせよう」って、ディレクターと打ち合わせする」

 うんざりと投げ遣りがない交ぜになった口振りで答える。定義は口振りには気に留める様子はなく、「そうか」と一言。本当に理解したのか?

「まあ、どんな仕事にせよ希望を持つ事が大切だ」

 一通り聞いて直ぐ自分の話に戻す。これもこの爺様の性質。

「オレは今畑仕事をして野菜を育ててるんだ」

 定義は定年後に畑仕事を始めた。昔時からほうれん草や大根などを大量にうちに持参しては、「毎日食べろ」と言っていた。それに対し小枝子は「爺ちゃんもサラダに出来るレタスやキャベツを作ってくれたら良いんだけど」と少し愚痴っていたっけか。

「その野菜達が大きく、味良く実らせるのが、今のオレの生き甲斐だ」

 破顔する。「希望」と「生き甲斐」、今のオレにあるのか。自分が携わった番組がオンエアされたり、エンドロールの構成の欄に「中山裕介」と名前が載ったりした時は喜びも一入だけど、人間は「慣れる」生き物。喜びも希薄化して行っているような気もする。

 放送作家には「四十歳定年説」というのがある。定義に似て憂いを感じ易いオレは、後十数年後どうなっているのか。色んな面にアンテナを張り、日々何かを観たり読んだり思念していないと、若いプロデューサーやディレクターには遣って貰えなくなる生業だ。

 今は下平希や大場花といった旧交のディレクター、陣内美貴社長も「稼ぎ頭」と吹っ掛けて推してくれてはいるけど、下平や大場は何れプロデューサーへと昇格する。その時二人はオレを遣ってくれるだろうか。いつまでも「急にオファーした方が躍起になる」では駄目なのだ。

 「四十歳定年」。オレは放送作家としてその説を越えられるのか。「希望と生き甲斐」。働きながら、毎日時間に追われながらだと中々見付けられないと思う。

「オレは戦時中に満洲国に渡ってな……」

 定義は次の話を始めたが、子供の頃から何度も聞かされたし、はっきりいって上の空。



 答えは当然出ないまま、定義に「拘束」される事約五時間半で「解放」され、両親を実家まで送り届けてそのまま南青山の自宅マンションに帰った。秋久も同様で実家には戻らず、一家はこれにて散逸。

 車である為、アルコールは一滴も飲んでいない。



「おかえり。どうだった? 久しぶりの家族とお爺ちゃんは」

 相方が微笑を浮かべて訊く。

「どうだったも、疲れるだけだよ」

「お爺ちゃん、九十歳でお元気なんでしょ?」

「元気あり過ぎ。あの様子じゃ下手すれば百超えるぞ」

「良いじゃない。めでたい事なんだから。私なんか両家の祖父母はもう亡くなったし」

 相方は羨んでいるようで、諭すような口振り。

 あんな述懐話に孫を付き合わせて、お節介な程に憂いを増大させる祖父でも、二度と逢えなくなると寂しくなるのだう……いや、逆に安心したりして。

 スーツを脱いでクローゼットに仕舞い、小一時間程疲れを癒した後、THSで今月下旬から開始される『ラフな東チャン』の後番組の打ち合わせの為、また車を走らせた。

 二、三日後、某局の番組で出演者と打ち合わせがあった為、オレはサブ(副調整室)で収録風景を見ていた。

 その時、リュックの中の携帯がバイブする。画面を観ると小枝子からの電話。出ようか後で掛け直そうか迷ったが、「出て良いよ」とチーフプロデューサーの「お許し」があった為、「済みません」と一言告げサブを出て電話に出た。

『今、仕事中よね?』

「そうだけど、どうかした?」

『爺ちゃんがね、あんたの事を誉めてたわよ。今日野菜を沢山うちに持って来た序に』

「そんな用件で態々電話して来たのかよ」

 呆れるにも程がある。

『ごめん、でも伝えたかったから。「あいつは頭が良くて確りしてる。都心で何年も仕事して来たんだ。衰滅する筈がない」ってね』

「また人の事を査定したんだ。あの人」

 定義には孫や身内のみならず、オレの友達まで査定するこれまたお節介な性質もある。

『でも少しは安心したのかもね。以前は早く連れて帰って来いって煩かったのよ』

「連れて帰るも何も、羽村市だろ? 電車で一時間半くらい、車で高速遣えば一時間の距離にいるんだぜ」

 呆れ果てて頭がくらくらして来た。

『そうよね。東京都内だもんね。フフフフフッ!』

 小枝子が一人爆笑する。

「とにかく、そんな用件だったら今後電話じゃなくてメールにするように」

『ごめん、ごめん。ちょっと声が聞きたくなったもので』

 義理の父親が父親なら義理の娘も娘……。

「二、三日前に会ったばっかだろ。これでも忙しい身なんで、じゃあ」

 一方的に電話を切った。もうやってらんない。



 一方、ユースケの「相方」事、奥村真子はというと……二一時過ぎ、港区内のディスカウントストアにいた。

 必要な食料品や化粧品をカゴに入れて行き、最後にペットグッズ売り場でふと足を止める。「これ、使えるかも」二人のマンションはペットを飼う事は禁止されているが、「目的の物」を手に取ると、あまり深く考えず、只何気ない気持ち、「Rough」な感じでカゴに入れた。

 「私、何買おうとしてるんだろう」奥村はカゴの中の「物」を見て微笑。誰に対してでもなく、自分自身を嗤ったのだ。

 彼女は暫しペットグッズ売り場に立ち竦んでいたが、微笑を消して速足でレジへと向かった。

 そんな相方の画策など知る由もないユースケはというと……THSで八月下旬から開始される東京Ⅴ2チャンネルの深夜の三十分番組、『東チャンSTREET』の詰めの打ち合わせを、プロデューサーの大石景子(局P)と、この番組からプロデューサーに昇格した下平希、チーフディレクターの大場花と作家、膳所貴子とNARINAKAの六人でTHS内のスタッフルームで行っていた。

「第一回目と二回目の企画は決まったね。後はホンの方を、貴方達三人でお願いね」

「一回目のはもう書き終わってますから、二回目も直ぐ執筆に取り掛かります。な?」

 膳所とNARINAKAに目を合わせる。

「そうですね」

「そうっすね」

 ユニゾンの返事が返って来た。

 ホンの執筆を穏やかな口振りで促した大石プロデューサー。こうと決断したら決然とした態度で邁進し皆を引っ張ってくれ、現場では常に明るくアットホームな雰囲気を作ってくれる、スタッフにとってはやり易いお方。それに対し……。

「皆、今度の新番はあたしの初! プロデュースなんだからね。そこんとこは頭の片隅に入れといてよ」

 下平プロデューサーの顔には嬉しさよりも焦燥感が滲んでいる。無理はない。『ラフな東チャン』の打ち切りが決まった先月下旬、急遽プロデューサー昇格の辞令が勤務する<プラン9>から出され、喜びに浸る間もなく大石プロデューサーと共に作家などスタッフを招集しなければならなかったのだから。



 番組立ち上げが急遽なのは別に珍しくはないが、今回は「急にオファーした方が」ではなく本当に急。本来ならば祖母には悪いが、法事に参列している場合ではなかったのだ。

 スタッフルームは『ラフな――』の場所をそのまま使用して問題はなかったが、大変なのはタイトル決めとコンテンツ。タイトルは東チャンの大村政高と多田勇樹を軸に、東チャンと同い年だが後輩のオクシデンタルリズムの二人、大政功希と飯田孝秋、昨今グラドルから女優業の仕事が増え始めたKAORIがレギュラーであり、その五人に若手芸人、コンビが出演する予定な事から番組を「街」と見做し、大石さんが番組立ち上げ二日後に絞り出した『東チャンSTREET』に決定。

 コンテンツは『ラフな――』で上がっていた企画案を修正、肉付けし、「間に合わせ」の企画となってしまったが、大石さんはそれで良しとしてくれた。だが二回目以降は新たに練り上げなければならない。

 オレ達作家も大変だが、もっとご苦労さんな状態なのは大場ディレクター陣。何せ放送は今月末の土曜二三時三十分から。それまでにスタジオ、ロケ場所となる管轄に許諾を取り、ロケを撮り、編集してプレビューまで持って行かなければならない。時間がないからと粗製なものにすれば、また打ち切りが待っている。

 オレもロケハンに同行してここで何をやらせるか、大場らディレクターと打ち合わせ、スタジオの演出はどうするかと、また打ち合わせ。

 作家もだがディレクター陣も目の下に隈が現れるほどへとへとになっていた。なのに……。



「ホンには001って表紙に書いといて」

 大石さんはにこやか。

「三桁までやるつもりですか?」

 番組が長く継続されるのは喜ばしい事ではあるが、正直、今は喜びや希望を抱く余裕は、なし……。

「そりゃそうよ。前の番組が打ち切られたから、それに伴って急遽始まる新番だからって、出演者は勿論だけどそれを支えるスタッフが希望を持たなくちゃ」

 大石さんも疲労困憊だろうに、この人は笑みを絶やさないのだから凄いバイタリティーだ。

「ユースケ君も疲れた顔してるね。希ちゃんや花ちゃんにも言ってるんだけど、スタッフがげんなりしてたら出演者を乗せられる企画なんて浮かばないって、前に言ったでしょ」

「ええ。昔時から大石さんに教えられましたから」

 アットホームな現場作りを心掛け、疲れていたり物憂いな表情をしていると、絶対に許さないプロデューサー。確かに大石さんの笑みには艶があり癒されてはいるのだが……。

「分かってるんなら疲れた顔しない! 髪の色は明るいんだから。でもどうしたの?」

 下平や大場も、他の誰も触れて来ないが、大石さんのアンテナには引っ掛かったようだ。

「ああ、これですか。初回の企画やホンの仕事にめどが着いたんで、ちょっと遊んでみようっていうか、突飛なアラサーになりたかったんです」

「何かブラックジャックみたいだよ。でも良いんじゃない、突飛っていうか遊んでみようって心が湧いて来たんなら。だったらせっかくのイメチェンだし、そんな疲れた顔しないの!」

 大石さんはオレの両肩に手を置く。

 オレの頭髪、右側の前髪から前頭部に掛けて金にしてみた。別にブラックジャックをイメージした訳ではないが、初回のホンを執筆している途中、一旦伸びをしてボーっとしていた時、秋久が大学時代に金髪にしたり赤に染めたりしていた事を思い出した。

 自分はずっと黒のままだったから、一度どんなものかやってみたかったのだろう。秋久は美容院でやっていたが、オレはディスカウントストアでブリーチ剤を購入し、分け目を作って自分で三時間くらい掛けてブリーチした。

 似合う似合わないはどうでも良い。只、やってみたかっただけ。



 第一回目の企画はスタジオでVを観ながらトークをするロケ企画。その名も『繁盛しているけど気になる!? 店』。

 東チャンやレギュラー陣がロケに出て、「繁盛しているんだろうが何か気になる店」に来店。ダメ出しというのか突っ込みを入れて行くという店側からすれば「芸能人が何様だ!」と言いたくなるような内容。

「店の宣伝にはなるかもしれないけど、バラエティとはいっても貶しを笑いに変えたら店にとっては却って悪影響な気もする」

「その前に企画の綱領を許諾してくれるお店があるかどうか」

 下平、大石両Pは初会議で難色を示したが、

「でもファンキーな店主だったらOKしてくれると思うけど」

枦山夕貴ディレクターだけは乗り気だった。許諾を得る交渉をするのはディレクターなのに……。

この時点で放送まで二週間を切っていたが、ディレクター陣は何とか「ファンキー」なラーメン店と広島風お好み焼き店を東京都内で見付け、企画の綱領を理解して貰った上で許諾を得た。

 一軒目のラーメン店は十二畳くらいはある広い屋台なのだが、店主がユニークな湯切りをする人で、麺の入ったざるを持ち一旦店外に出て助走して店内に入り麵をざるから一回上げて「はあい!」と言いながら湯切りは終了。これ、一種のパフォーマンスなのは一目瞭然。

 二軒目のお好み焼き店も中年の女性店主が主役。その焼き方は、まず豚バラを焼き、焼けたら一旦皿に退ける。それから生地と麺を焼いて生地の上に豚バラ、麵、キャベツを乗せて行き卵、上に乗せる生地を焼く。そこまでは普通。なのだが……。

 問題はお好み焼きを周回させる時。キャベツが山盛りの為、どうしても鉄板の上のみならず、あちこちに飛散してしまう。女店主は全く意に介さず焼き続ける。これ、パフォーマンスではなくガチ。



 この二店を取り上げる為、八月中旬の木曜日にレギュラー五人はロケ地へ向かい、終了すると大場らは一日でVを編集。翌日には観客も入れないスタジオでの収録。

 そうして全体をもう一度編集し直して完パケの状態にしてプレビュー、大石、下平両PはOKサインを出した所で何とか放送日までに間に合った。



 後日、某キー局の廊下で大場と擦れ違った。

「お疲れさん。お互い大変だったな」

 衷心で労う。

「ほんとヤバかったよ。プレビューで下平が編集のやり直しとか言って来たら、マジ殺そうと思ってた」

 大場は笑っているが、カラコンの目の奥には「疲労」が滲んでいる。

「でもプレビュー一発で通ったし、後はオンエアされて数字だな」

 気なるのはそこ。大場も同じだろう。

「ああ、そうだな」

 って言ってるし、ホッとしたのも束の間ってやつだ。でも人間、先は見えないので、

「それじゃあな」

「またな」

と言って各々の仕事へ向かう。


『東チャンSTREET』初回オンエアの前日の深夜。THS内のバーでディレクター、作家と付き合い程度の飲酒をし、車は地下駐車場に停車させたままタクシーで帰宅した。

「おかえり」

「ただいま」

 ふと相方の顔を見ると、何やら子細ありげな笑みを浮かべている。普通に微笑めないのかよ……。

「唐突なんだけどさ、相方、これ着けてみてくれない? 悪いけど」

 相方の手には赤いリード。子細はそれだったか……。

「酔ってんのか?」

「お付き合いでちょっとね。でもこれ買った時は素面だったよ」

 オレも付き合いだったけど、破顔しやがって。

「酒の勢いで持ち出して来たな」

「まあね。さっ、早くベッドに行こう」

 アルコールのせいで欲情。

「ほら早く!」

「待てよ、靴も脱いでないのに」

 嬉々とした奥村に手を引っ張られ、強引に寝室へ。相方は室内に入るなり服を脱ぎ始めた。

「赤い眼鏡を掛けてる女はドエロだ」「それにロングスカートなんて穿いてたら確実」前に珠希が確言した言葉が頭を過る。

奥村は眼鏡とコンタクトを使い分けている。テレビに出演する時はコンタクト。それ以外は「赤い」柄で全面は黒く四角い眼鏡。そして、たまに穿くロングスカート……女の勘は鋭い。

オレは、相方もそうだろうけど、ストレスにアルコールも加わり、そんな「プレー」よりも早く寝たいし気乗りしない。だが、下半身は正直に表現する。

 仕方あるまい。オレも服を脱ぎ、二人して素っ裸になった。

「じゃあ着けるよ」

「勝手にしろよ、もう」

 人生で初めて装着される首輪。スミの法要の際の久しぶりに締めたネクタイよりも違和感あり。まあ、人間が着ける物じゃないからな。

「さあ横になって」

 相方にリードを引っ張られる。

「おい! 苦しいよ」

「ちょっとくらい我慢してよ」

 横になるなり彼女はオレの「あそこ」にゴムを装着し、騎乗位体勢になると、

「ほら、ワン! って吠えてみて」

「ああ苦しい。リードを引っ張んなって。人をペット扱いすんな!」

もう奥村真子は正気ではなく「自分の世界」の人間。その状態のまま……。

「ほら、犬はお腹を見せると服従したサインなんだよ」「犬が大の字で寝る訳がないでしょ。両腕は上に挙げる!」。面倒臭いやら照れ臭いやら苦しいやらで頭の中は猥雑。

 こんなSEX、AⅤだけで十分だし結構。

「ああ苦しいって言ってるだろ! 全然気持ち良くねえし」

「そう? 私は楽しいけど。それに、犬は喋る訳ないでしょ」

「だったら自分で着けてみろ!」

 相方を振り払い首輪を外し、彼女の首へ強引に装着。リードを引っ張ると、

「あっ、苦しい! ちょっと加減してよ」

「犬は喋らないんだろ。四つん這いになれ!」

「ええっ、またバック? お尻好きなの分かってるけど、女にしては恥ずかしい体勢なんだよ」

「雌犬が四の五の言うな! 早く」

奥村は渋々四つん這いになり、その体勢でリードを引っ張って差し上げた。

「ああっ、苦しい苦しい! 無理無理!」

 相方は胡座をかいて首輪を外す。

「自分で買って来たんだろ? こんな物。そこでおしっこの体勢でも取れ!」

「そんな恥ずかしい体勢なんか絶対いや!」

 オレは相方の隣に大の字で横になり、

「もっと楽しいSEXをやろうぜ」

呟くように言うと目を閉じ、そのまま寝息を立てていた。

数十分後……。

「ねえ、相方起きて!」

奥村に身体を揺蕩させられ目を覚ます。相方はまだ全裸のままでいた。オレもだけど。

「相方が寝ちゃって数分後に携帯が着信音を鳴らしたの。気になってリュックから携帯出そうかどうか戸惑ったんだけど、仕事の大事な話だったらって思って携帯の画面見たら「下平希」って出てた。でも出ようかどうか迷ってたら切れちゃって。留守電になったの」

 相方はオレの携帯をかざしたまま。多分……というか絶対。

「そうなんだ」

 相方の心境は心配よりも好機の方が勝ったな。女は男の携帯を見たがる性質の人が多いから。

「下平って人、結婚するみたいだよ」

 案の定……留守電も聞いてやがった。

「オレも聞いてみるか」

 相方から携帯を受け取る。プライバシーの侵害も何処吹く風。でも下平が結婚ねえ……あんな元ヤン読モが。

『もしもしユースケ? 今仕事中なの? 仕事の話じゃなくてあたしのプライベートなんだけど、結婚する事になりました! ご祝儀、別に気にしなくて良いけど、一応期待してるから! それじゃあ』

 下平も飲んでいるようで、気を遣っているようでご祝儀貰う気満々じゃねえかよ。誰が出すか! それにしてもあいつ、いつから彼氏がいたんだろう。いつもだったら直ぐ「あたし彼氏出来たから」ってノリで口走る性質の奴が。

「ねえ相方、私達もそろそろ籍入れる事考えない?」

「何だよ急に?」

「周りの人が結婚するんでしょ。私も周囲の人がどんどん結婚して行くしね」

「あの束縛が激しくて、メールも直ぐに返さないと憤怒する下平がねえ……」

「めでたい事だよね。お祝いの品贈んなくちゃね」

 奥村は破顔した。が……。

「って下平希っていう人とはどんな関係?」

 真顔になる。

「プロデューサーに昇格したばかりの友達だよ。只の旧交」

「そうなんだ。それで、私達の籍は?」

「話を元に戻すんかい! 籍って言っても今こうやって同棲してるし、事実婚みたいなもんだろ」

 同棲を提案したのも奥村からだし。

「事実婚っか……まあそうだよね。ハハハハハッ!」

「な? 籍入れてなくても。ハハハハハッ!」

 全裸のままのドエロ事実婚夫婦。最後は「Laugh」で締めた。というより誤魔化した。



 翌日の二三時三十分、事務所で他局の番組の仕事をしていたが、休憩エリアに出てテレビをつけ、チャンネルをTHSに合わせる。

 画面には『東チャンSTREET』とバックは黒、ロゴは赤で表示され、テーマ曲と共に東チャンの二人が映し出された後は、オクリズの二入がTHS正面玄関で、『仮面ライダー』のショッカー風の全身黒タイツの姿の男達にボコボコにされる。

 そこにKAORIが現れ、ショッカー風の男達を薙ぎ倒しオクリズは拍手を贈りKAORIはカメラに向かってドヤ顔で決めポーズ。

 メンバー紹介が終わった所で最後に五人全員が白バックの前に立ち、オープニングは終了。初回はこんな感じ。

「何? 東チャンの新番?」

 陣内社長が現れた。

「ええ。ちょっと気になったんで」

 社長もオレの右隣に座ってテレビを観始める。

「さあ、今日から装いも新たにスタートします『東チャンSTREET』。ではありますけども、多田は腰痛を悪くしましてスタジオはお休みです」

 大村さんが苦笑いで告げる。

「初回でしょ? 今日は」

「タイミング悪過ぎ」

 オクリズの大政と飯田も苦笑しながらぼやくと、演出として女性の笑い声が流れる。

 多田さんが腰痛持ちなのは既知していたし致し方ないけど、まさか初回でとは……。

 隣の陣内所長は笑いもせず何食わぬ顔。

「社長」

「何?」

「今回の番組も多分長続きしないでしょうね」

「またそんな事言って、出演者が一人休んだからってどうなるか分からないよ」

「でもメインですからね。まあ先の事は分かりませんけど」

 でも直感。若干ではあるが幸先悪い。

 この男、まさか番組を辞めるとか言い出すんじゃないだろうね。幾ら番組の立ち上げが急だったとしても、それだけは許さないよ。仕事を投げ出すのはうちの沽券にも関わる。

「中山君、ちょっと早いけど来年の目標は?」

 話題を変えてみる。

「また急ですね、まだ四ヶ月はありますよ。来年かあ……小説書いて、作品を深夜ドラマ化して貰う事ですかねえ」

 全くもってそんな気はない。口から出た外連味。

「その答えも唐突だけど、深夜ドラマってとこが控えめで、中山君らしいね」

 彼にはブレない芯の強さはある。それに、幾ら渋っても仕事は地道に粘り強くやって行く性格。だから私や周囲の人達も中山君を疎かにしないし出来ない。これは人徳なんだけど……。

「社長、今度はオレに小説を書かせる気ですか?」

「いいや、別に訊いただけだけど」

 小説書いてドラマ化は出任せだ。番組を降りる為の口実ってとこだろう。

 陣内社長は機嫌を悪くする事も笑みを見せる事もないが、この人は絶対に仕事を辞退させない……っていうか社長はそんな事を許すような性質の人ではない。

 だが、今回の番組は「辞退」を再考したいのが本音。さてどう切り出すか。

「ハハハハハッ!」

 特におかしくはないが一応「Laugh」で締めた。

 何なの? 突然笑い声出して。

「フフンッ」

 私も彼に合わせて「Laugh」。

 番組をエンディングまで観てまた「辞めたい」虫が蠢き出した。

「敵はTHSにあり!!」……。

                                 

                                  了


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