見ているものが正解とは限らない
貴方は“人を殺したいと思った事はありますか?”
例えば読み手が何人か居ると仮定した上で
家族、親戚、友人、知人、彼氏、彼女、妻、旦那、出てくるのはこれくらいでしょうか?
さてここで問題です。この場合誰が悪くなるのでしょうか?
TV「続いてのニュースです。本日未明近くに住む男性が意識不明の重体で見つかりました。警察は___」
カオリ「あ、そーさおり見た?これうちらの学校すぐ近くじゃんね心霊スポットって言われてた地元民は近寄りません!!みたいな場所で見つかるって怖くねー?」
サオリ『見てないけど大学中みんな噂してるもんね食堂でその話しか聞いてない笑』
カオリ「いやたまたま付けてたニュースでこれ流れてて来る時怯えて怯えて笑まーじで怖かった」
サオリ『いや、怖いんだろうけど楽しんでるじゃん笑メイクバッチリだし』
カオリ「そりゃあー取材来るかもしれんじゃん私にインタビューされなくても通るだけで美人とか可愛いとかで盛り上がってくんねーかなぁって」
カオリ『ちゃっかりしてるね』
サオリ「まあねー」
「ちゃっかりじゃないだろ自分の承認欲求が満たされるかもしれないと思って朝からメイクをしっかりして着てるてかそもそも怯えてはいない。」
ほら、あっちの席で盛り上がってる
(今度ここいこーよ!心スポさっきも人殺されかけたんでしょ?やべーじゃん幽霊なんだよきっと
(えーいやだよぉこわーい
(えー俺ら守れるよ?
(えー幽霊に勝つの?うけんね笑
最悪だ最悪最悪最悪最悪最悪
まぁそもそもその輪の中に入ってないで勝手に聞き耳立ててその会話にぶつぶつ独り言ってる僕は最悪以下だな。
世の中見えているものが全てじゃない。そんなことを言い始めたのは誰だろうか僕はその言葉に賛成するここの食堂にあるもの達には何が見えていて何が見えてないのか見えている物を見えてないことにして過ごしてるのかはたまた僕と言う存在は見えていないのか。愛だの地位だの名誉だの形になっていないものにどれだけの信用をしているのか
愛し合って結婚した芸能界きってのおしどり夫婦と言われ5年後泥沼の不倫離婚など週刊誌に売られ叩かれてその後どちらか片方は不倫しても地位だけは残っていたりする。酷い話しだどっちが悪いなんて言ってた視聴者も「〇〇さんなら不倫されてもいいから結婚したい!」「不倫して離婚して嫁テレビまだ出られへんのにこの地位確立しとるやん」言いたい放題だよなほんと。ここでは愛、地位、信頼関係、全て無責任。
だから僕は人間を信用しないし、信頼もしない、期待もしなければ愛なんてなくていい人間が生きていく上で最低限での生活がある程度できればいいと思って生きている。
だからだろうか僕は何かを望んだ事がないと思っていた。望むことなどない普通に平凡に生きれればそれでいいそう思ってたのに