閑話 ネクターの決別
「母上が、私に?」
困り顔のミランが、お風呂後で遊んでいた3王子と竜樹に、はい、と頷いた。
「キャナリ側妃様が、ネクター王子殿下にお会いになりたいのだそうです。」
「会わなくて良いんだぞ、ネクター。」
竜樹は碌な事起きないだろうな、と嫌な予感がひしひしとした。ネクターに全然構わず、自分の気分のいい事しかしてこなかったキャナリ妃である。蟄居申しつけられて、反省したなんてありえない。
ネクターは、口をまむまむして、多分それが癖なのだろう、ポツポツと喋る。
「母上、反省したと、思う?」
「思わないな。」
竜樹は、ネクターにはっきり応える。
「私に、会いたいのかな?本当に?」
ゆらゆら、揺れる瞳。
ネクターの気持ちは分かる。遠ざけられていた自分の母親に、会いたいと言われて、期待に揺れているのだろう。誰だって母親に嫌われたくなんかない。
「俺も行くから。ネクター、一緒だから。」
「ねくたーにいさま、ぼくもいっしょいく。ついてくよ。」
「私も行こう。みんなで行って、みんなで帰ってこようよ。」
うん、とネクターは、ニリヤにギュッと抱きついた。その2人に、オランネージュが抱きついて、3王子が団子になって、ネクターの背中をトントンしている。
ネクターは、すー、ふー、と息をして、興奮を落ち着けて。
「母上に、会いに行く。みんなで。」
覚悟を決めた顔をして、言った。
東の離宮。
夜、ひたひたと歩く音の響く廊下を、侍女さん達が先導して、みんなで歩く。空気も冷えて、ふるっとネクターは震える。
「ネクター王子殿下をお連れしました。」
侍女が、扉の前を固めている兵士に告げる。兵士は、ドアをノックして、中にお伺いを立てると、どうぞ、とそこを通した。
キャナリ側妃は、生成りのワンピースで、落ち着いた格好をしていた。そういう格好しか出来なかった、とも言う。王様は、リュビ妃とお子の冥福を祈れとキャナリ側妃に言った。それしか出来ない、他のことは、何も出来ないのだ。美しく着飾る事も、もはや出来ない。
「ネクター!何をしているのです!平民王子や平民出のギフトなどと馴れ合って!こちらにいらっしゃい!下賤な匂いが移るわ!オランネージュ王子様も、私を笑いにでも来たのですか!お帰り下さい!」
「母上•••。」
ガッカリしたネクターの肩に手を置いて、竜樹はキャナリ妃に話を促す。
「御用を伺います。ネクターの保護者は、俺なのでね。」
「まあ!貴方、うまくやったわね!王子達の面倒をみるとなれば、下賤な平民出でも、高い地位が保たれると思ったのでしょう!?ネクターはあげませんからね!ネクター、貴方も貴方よ!母がこんな所に蟄居申しつけられているなんて、貴方も嫌でしょう、どうして早く来ないの!早く王に取り成しをして頂戴!エトワールの王子の母が、こんな見窄らしい格好だなんて、恥よ!」
「母上•••。」
母上は、リュビ妃様とお子に、悪かったとは思わないのですか。
「何で私が!勝手にオッターがやったんじゃない!それに運が悪かっただけでしょ。堕胎薬で死ぬなんて、よっぽど神に疎まれているらしいわね、あの方。だからって何で私が蟄居なの!?」
「あ、神様もリュビ妃も、今も見てると思いますよ。こないだみたいに出てきちゃうかも。」ドローン、おどろどろ、とね。
竜樹がうらめしやの幽霊の手をやると、ぴっ とキャナリ妃は一瞬、口を閉じたが、めげずにネクターに訴えた。
「とにかく、母が居ないとやっていけないと王に言ってちょうだい!そうすれば、私はここから出られるのよ!ネクター!いい子にしなさい!言う事がきけないの!?」
「母上。」
ネクターは、淡々と、口にした。
「母上は私に会いたいんじゃなかったんだ。自分が助かりたいから、私を便利に使おうと思っただけなんだ。」
「そ、そんな事ないわよ。会いたかったわよ。そんな事より、王に取り成しを•••。」
「母上、ここで、いい子にしてなさい。」
すわった目をして、ネクターは。
「母上は、私を抱っこしてくれた事、今まで一度もないですよね。私知ってるんだ。侍女のみんなが、噂していたから。普通一度くらいは抱きしめるのに、って。子供産むと体型が崩れるって、私が泣くと煩いって、本当に、ただ父上に好きになって欲しいばっかりで私を産んで、可愛いと思ってはくださらなかった。」
「そんな、そんな事ないわよ•••。」
ウロウロとあちこちに目を遣り、キャナリ妃は狼狽える。
じゃあ、私の家庭教師の先生の名前が言えますか?私の好物は?私の癖は?
言えますか?言えないでしょう?
「し、知らないわよそんな事!貴方だって私の好きな物知らないでしょう!」
知ってます。
私は、知ってた。桃の実が好きだって。
だから、果実の飲み物の名前の私は、少しは好かれてるのかなって、思ってた。でも、母上じゃないんだ。名前は、父上が付けたんだ。母上が好きだからって、付けてくれた。
「でも、これからは、母上の好きな物を、忘れます。」
さよなら。
もう二度とお会いしません。
くるりと踵を返す。
「ちょっと、ネクター!何でみんな私を置いていくのよ!私が何をしたっていうの!?戻りなさい、ネクター!」
応えないネクターの代わりに、竜樹は終わりの言葉を告げる。
「貴女は、私が私が欲しい欲しいのお化けなんですよ。奪うばかりで、与えなければ、嫌がられて当然でしょ。子供だって、ちゃんと愛情を返してくれるのに、貴女はしない。してこなかったんだな、て事を、一人でここで考えて下さい。」
最後の愛されるチャンスは、たった今無くしてしまったけどね。
お化けとは一緒にいられません。
ネクターと、オランネージュとニリヤと竜樹は、「なによー!!な、なんなの、何でなの!私は、わたし、」叫ぶお化けのいる部屋から出て、廊下を歩く。
と、マントを翻し。
「父上•••。」
王様が、途中で待っていてくれた。
「ち、ちちうえ。」
ポロリ。
ネクターの頬を、玉になった涙が転げ落ちる。
「父上〜っ!」
ポロポロ。涙が、止まらない。
駆け寄ったネクターをギュッと抱きしめて、王様は、慰める。
「可愛い息子達を泣かせて、私達は悪い親だな。すまないなネクター、許しておくれ。」
背中を、撫で、撫でする。
「は、母上が、あんな、ははうえ、で。ご、ごめんなさい、ごめんなさい。」
私の事、嫌いに、ならないで。
「嫌いになど、なるものか!」
お前は、私の、可愛い息子だよ、ネクター。
その日、王様と王妃様と3王子は、初めて一緒に眠った。
ネクターは、ヒクヒク、しゃくりあげていたが、みんなになでなでされて、ニリヤが寝落ちする頃には眠った。
そうして、次の日からは元気になったが、母親の事は、それ以降自分から喋る事はなくなった。
これは決別の物語。
別れてもわからない、欲しい欲しいのお化けが、東の離宮で、もうもらえない欲しいを毎日、呟いている。
わちゃわちゃした楽しいお話の途中、湿った閑話ですみません。ネクターも、思い切るまでにこんな事あったよ、という。