2つのラインで
「おれ……。」
セリューが、『マニマニ山へ』の見本を胸にギュッと抱いて、キューッと目を瞑った。
『マニマニ山へ』は、歌が本になったような本で、調子よく節回し、マニマニ、まにまに、マニマニ山へ♪と、森の銀子熊が、踊りながらピクニックの用意をしていく。マニマニ山には、気持ちの良い、世にも美しい花々の咲く陽だまりがあるのだ。
ナッツと糖蜜を入れたお菓子を焼いて、果物とナイフ、パンにほぐし肉と野菜とソースを詰めて、お茶を水筒に、たっぷりと。
マニマニまにまに、歌って準備、段々と森の仲間が増えてきて……。
セリューの口がへの字になっている。お菓子がこんがりしっとりと、そして新聞寮の皆で賑やかに美味しいものを食べている時みたいに、ご馳走、楽しげ、セリューはこの本を見て、ふわぁとした気持ちになった。文字はまだ習い始めで良く分からないけど、そう、幸せになる。素敵なものを自分のにしたい、手元に置いておきたいという気持ちは、自然にあるものだ。
だけど。
ギュッと胸に小さな本。抱きしめて。
ラフィネは、笑ってしまった。そんなに苦しそうな顔をしなくても良いのに。そう、型抜きと、自分の星のヨーヨーで、お小遣いは全部使っちゃってるのだ。
だけど、甘えて我儘を言えるようになってきたのよね。と嬉しくもある。
寮にきた当初、小っちゃい子組でさえ、こちらから良いよ良いよと言わなければ、お腹が空いてもかまって欲しくても、ジッと当然に我慢しているような、遠慮があった。
充分に貰っていいのを、欲しいよって言っていいのを、分かってなかったのだ。
「ん?セリュー、欲しい本があるの?」
今気付いたように、ラフィネがセリューと目線を合わせて。つんつん、と胸の『マニマニ山へ』をつつけば、上目遣いで、セリュー。
「……おれ、おこづかい、つかっちゃった。」
しゅん、とする。
誰が悪い事もない、だけど、お金が無いものはない。この手に素敵な本があるのに、持って帰れない。
「そうねえ。だから、セリューの、っては、買えないわねえ。いっぺんに使うと、こういう風に、後から買いたいものがある、って事が、あるわよねー。でも……素敵なヨーヨーを、皆の分も、買えたじゃない?それは、良かった、違う?」
ちがわない、と、顔をフリフリ、ぱんぱんポッケのヨーヨーを出して、チラリと、ふにゅ、半分笑う。そうだよね、ちゃんと欲しいもの、買えたんだ。
ここでラフィネがお金を貸しておいて、後で豚の貯金箱から徴収する、という手もあるけれど。欲しいもの!と手持ちを全て、まだお祭り前半にもかかわらず型抜きヨーヨーに突っ込むセリューである。それが仲間の小ちゃい子組への心があったとしても、思い切りが良い、お金の使い方、でもね。それもお勉強。あれば全部使っちゃうようでなく、計画的に決まったお小遣いの中でやりくりする、だから自分の本としては買えない、を今日はやろうかな?とラフィネは方針を決めた。
だけど。
ルリユールの本は、そう、確かに買うに値する本だ。
まだ小さな本を抱きしめたままのセリューに、ルリユールがニカニカしている。子供はおべんちゃら言わない。本当に欲しいと思ってくれているのだ。何ならあげようか、って言いそうな気持ちになっている、喉まで出掛かって、とはラフィネもセリューも、気づいてはいない。
「セリュー。セリューの、ってじゃないけど、寮の子たちに、ラフィネかーさが本を何冊か買っていくわ。どれどれ、『マニマニ山へ』ね。ふぅ〜ん、面白そうな、素敵な本じゃない?寮にあれば、皆と仲良く、本読める?」
パチパチ、と目を瞬いたセリューは、ふく、とほっぺを膨らせて赤く、口の両端をキューと上げてモニモニ、恥ずかしそうに。
えへへへ。
ふふふ。
「……いいの?かーさ。」
「いいわよ。皆も喜んでくれるもの、きっと。」
ニッコリ、と目を合わせて笑えば、セリューはパッと元気に手を上げた。
「ウン。おれ、なかよく、よめる!」
ラフィネに『マニマニ山へ』を渡して、ムフンと立って意気揚々、ルリユールを見た。くーださーいな、だ。
ルリユールも手を伸ばして、ガシガシ!とセリューの髪を混ぜて、嬉しそうに撫でた。
「ジゥ、このおはなのほんにするでちゅ!かわゆ〜でちゅもの!」
型抜きしても銀貨1枚と銅貨3枚残っていたジゥは、『花物語』を。
「おれ、この、ロティはなきたかった、にする!」
型抜きで思った本が買えなかった、しょんぼりしていたドレは。大事に使ったお小遣いがちゃんと銀貨1枚と銅貨7枚、残っていたので。
あれこれ、そちこち、中身も読んで、どれが良いかなーして、慎重に選んだ欲しい本。お祭りの記念に念願の本が買えて、ホクホクと嬉しそうにムプン。小鼻を膨らませている。
ラフィネとマレお姉さんから、預かっていたお小遣いを貰って手渡す小さな子供たちの手、手に。ルリユールは大きな、けれど生むものは繊細で器用な手を出して、少し震えながら大事な銀貨を受け取った。初めて売れた売り上げだ。銀貨はピカリとしている。
ちゃんと見本じゃなくて、積んである綺麗な本を渡す。
「ありがとう、他にも、もっとつくるから、また読んでくれたら、嬉しい。」
キュと細めた目はやっぱり恐ろしい吊り上がり、傷の引き攣りなのだけれど、何だかもう、それ込みで、目の奥の優しさが、味にも見えた。
「ぼく、これ、ぼうけんのほん!」
キャフがおじいちゃまに、強請る。
「いいよ、キャフ、あと、おじいちゃまと、この本も読んでくれるかい?気に入っちゃったんだ。『ことりのあ』だよ。」
ウン!とキャフも、フンフン鼻歌、嬉しそう。ふ。半目。ふ、とまつ毛が降りて。くちゅん!
ふ、ふわぁぁあ。小ちゃなお口がパッカリ。
欠伸して、買った本を大事に抱えたまま、おじいちゃまに寄りかかる。
あらら、唐突のねむねむ。
ラフィネも笑いながら、全部の種類の本を1冊ずつ買って。
「ルリユールさん、新しく出す本は、どこで買えるの?」
う、と困る。
うん、先の事、全く決まってないのだ。何しろルリユールは、このお祭りに全力だったので、どこかの本屋に頼み込んで置いてもらうだの、住み着いている製本所を整えて販売スペースを置くだのは、これから工夫してって所だ。
「ええと、製本所に来てもらう……あ、場所か、ええと……。」
「ねえ、ルリユールさん。この先の事、色々決めてある訳じゃ、ないのよね?」
「う、う。」
ラフィネは、竜樹と相談した気になって、彼ならどう言うだろうかと考えた事を、キャフもねむねむになった事だし、さっさとルリユールに提案して、一歩進める事にした。
「ルリユールさんの納得するようにつくった本。それはそれとして、銅版画に彩色したままを印刷した、大衆向けの廉価版を、出さない?」
布製本の、妥協なく丁寧につくられた本は、オリジナルとして。ナンバリングして、金貨1枚ほども貰ったっていい。そう、触って読んで楽しめる、美術品のような価値もコミで売るのだ。図書館や、貴族家へ、美術館にも置いていいかも。教会にも置けば、貧富の差があっても、そこそこ子供たちの手にオリジナルだって触れられる。
そして、もう一つのライン、廉価版とはいえ、印刷にも紙にもこだわったものを、それこそ銀貨1枚で、多くの子供たちに。
「そうすれば、ルリユールさんのやりたい事が、限られた子供たちだけにじゃなく、良いものが大勢に、伝わるし。私、印刷とかに詳しい訳じゃないけれど、新しい印刷製本所の職人さんと、工夫のしがいもあるんじゃないかしら。美術館のボン様がおっしゃってたのだけど、美術館の印刷物って、それはそれ、とても拘って美しくつくるそうだしね。生活費も、これから先に活動していくための資金も、上手く回ると思いませんか?」
「え、でも、その……印刷するお金もないし……。」
それまで、のーん、と待機していたグランドとピコであるが、そこで、ズイ、と一歩前へ。
「それはウチが負担しよう。息子のキャフのために、新しく出す本を買い支えたい。我がロマンチカ子爵家が、ルリユール殿、貴方の事業を支えよう。」




