ルリユールの物語
強面のルリユールの前で、子供たちは本格的にしゃがみ込んで、出店の天板レース布の古色アイボリーに、思い思いに本を広げている。
後ろから見たら、4つのおちりがまんまるで、背中のカーブが、ニハハと笑えるほどいじらしい。
ヤンキー座り、もといアジアンスクワットは、日本人な竜樹の体躯に比べて、欧米人寄りに近いこちら、パシフィスト、そしてソルセルリー大陸の民たち(獣人含む)でも、あちらの世界と違って皆できるのか。子供たちは皆、かかとをぺったりつけたまま深くしゃがめているし、それを見ても誰も、おや?などと不思議そうにはしない。
マレお姉さんは、流石に女性、膝を揃えてしゃがんでいるが、踵はぺったりである。エルフもまん丸座り。
子供たちが寄っかかっている出店の天板布は、ルリユールの実家、クーヴェルチュール子爵家、古い物を物置から、使わないなら下さいと、貰ってきたものだ。
古いが物は良いもので、何ならアンティークで貴重、ルリユールの母は眉をちょっと片方上げて、お金に余裕がない息子の甘えに、仕方ないわねぇ〜、という顔をしたのだが。そのおかげで、今ここで本を演出するさり気ない下地として、誰にも知られず威力を発揮している。
「おじいちゃま、よんでくだちゃい!」
キャフが、『君の物語』を開いている。
表紙は高い青空の色、暈しが入った雲を思わせる布で。貼られた絵は、少年の顔。裏をくるっとすれば、そこにはまた、両表紙で、少女の顔。
(さあ、『 』!
君の冒険を始めよう。)
「これ、いきなり本文に『 』で空白があるけれど。」
ペラリと捲って、フレーズおじいちゃん先生。
「ああ、そこは、本を読んでいる子の名前をそれぞれ、思って読んで欲しい。」
名前を書いてしまっても良いし、その都度読み聞かせる時に、その子の名前を入れてあげて。
フレーズおじいちゃん先生、す、と息を吸って。キャフの後ろに片膝で座り手を伸ばし、まん丸おちりと小さな背中を囲って、本を持って読み出した。
「さあ、『キャフ』!君の冒険を始めよう!」
「……ぼくの、ぼうけん!」
キャフは、呼びかけられて、すふ!とお口をニンニン、おじいちゃまを見上げて笑って、また本に目を輝かせて。そこには、庭に駆けてゆく男の子の、目から見た場面、自分の靴先が描かれている。少年は世界に駆け出す。木のうろに、物資を溜め込み、秘密基地をつくって、物見の木登り、お母さんの使い古しのスカーフ旗を枝に。
そこに1人の女の子がやってきて……。
裏表紙の女の子側から読むと、それが、逃げた迷い子猫の探索で、秘密基地をつくって大威勢の男の子と出会って……。
真ん中のページへ向けて、それぞれの視点で、少年と少女の物語が収束してゆく。結末は………という、仕掛け絵本なのである。
通りがかりのお祭りの、人々はルリユールの強面に、ん?となるが。響くフレーズおじいちゃん先生のいい声、読み聞かせに、足を止める。
セリュー、ジゥ、ドレも、それぞれ他の本を手にしたまま、キャフとおじいちゃん先生の読み聞かせに気を取られている。
子連れの夫婦が、気になってその後ろから覗き込む。娘ちゃんが、あれ、と指さして、お目々をキラリ。
段々、人だかりがしてくる。
そう、子供たちがリラックスして集っている出店ならば、と、ルリユールだけより、安心を一つ持って寄ってくるのだ。
ルリユールは見てもらえている事に興奮して(そう、だって、昨日から出店を出しているのに、チームラフィネが初めてのお客さん、やっと見てもらえ始めたのだ!)益々怖い顔になったが、もう、誰もそれを恐れなかった。
ラフィネが話しかける。
「ルリユールさんは、どうして、小さな本をつくる事にしたんですか?」
この本たちは、安価に買い叩いてはいけないと、ラフィネは思った。
美しいもの。丁寧につくられた、それはこの世界に煌めく、良いものたち。
結婚する前は、とある商会の元婚約者の実家の手伝いをしていたラフィネ。だから読み書きができるのだが、何事も経験はするもの、元婚約者は他の女性を連れて来てラフィネを捨てたものの、良き物はそれに値する値段で、という物の見方が入っているのは、竜樹と話をする上で、とても役に立っている。
竜樹、彼がお茶飲みの機会に、時々言うこと。
「大量に安く何か作られる事で、大勢の人が豊かになる事もあるのだけど。それと同時に、手仕事で古くからのやり方の、少ししか作れないけれど、モノづくりの原点になる、高く見積もる職人仕事も存在し続ける事が。両方からグラデーションにお仕事があって、物も事も広がるのが、本当に豊かなんだと思うよ。」
新しい時代に流されて、捨てられるもの、置いていかれる人。だけど原点を無くしては、人も事も物も、厚みのある豊かさは得られない。吹っ切っていない、胸にどこかそれを置いている竜樹らしい。それでも変化を齎す人、ショボショボとした目で、何度も、繰り返し。
ラフィネは、だからこそ、ルリユールを放っておいてはいけない気がするのである。
「俺、本、子供に読んで欲しくて。」
「ええ、どれも、子供向けですものね。でも、大人も素敵って欲しがると思うけど。」
そ、そうかな、と照れて頬を掻くルリユールに、続けて?と促す。
「俺の実家、クーヴェルチュール子爵家は本好きな家で、だからって学者筋じゃないんだけど、本は沢山あったんだ。子供の頃から、美しい、手描きの豪華本なんかを、中身が読めなくても見せてもらえて、俺は、それが、好きだった。」
本の中には、知らない世界があった。
わくわくするトキメキがあった。
知らない女性の装飾、挿絵。
草花の詳細な図。
魔獣図鑑のおどろおどろしさ。
神々のお姿、圧倒的で壮大な神話。
挿絵だけではなく文字が読めるようになると、トキメキは益々と。
「子供に、良いものを見せてやりたい。子供だからこそ、その手に、美しいものを、誰にも遠慮する事なく、つくってみたかった。子供の頃の俺につくっているのかもしれない。あのワクワク、胸弾む、知識は無くても、字が読めなくても、分かる。美しい、綺麗な、面白いものは。」
子供の手に、小さな本は、しっくりくると思うし。
「それだけじゃなくて、その。現実的な話、う、材料費が。小さい本は、布も、紙も、糊も絵の具も何もかも、少なくて済むんだ。俺、三男で、このままだと貴族籍も無くなるだろうし、実家から身を立てろ、ってある程度の金だけもらってて、この先、自分でやってかなきゃなので。……でも、材料と出来上がりの質には、妥協したくなかったから。」
小さな本なら、そのどちらも実現しやすい。全てを自分でやる、1人作家の、自分なりのやり方を模索した結果なのだ。
「ウチには本が沢山あったから、良く頼む専属の、本の修復師のじいさんがいたんだ。それが俺の師匠なんだけど、じいさんは結構でかい製本所の商会長で。竜樹様が、新しい印刷と、大量に値ごろな大衆向けの、布製本とは違う紙本のやり方を教えてくれた時、製本所の職人たちの所まで来て、言った事があるって、教えてくれた。」
職人さんは物づくりの原点を知っている。
俺は、全ての製本印刷に関わる人を、新しいやり方に変えてください、って言うつもりはないです。
原点を忘れない人がいてくれたら、嬉しい。
「だけど、原点を知る職人さんたちが、新しい本のつくり方に携わってくれたら、きっと、これからの本に、いいんじゃないかって思います。って。じいさんはすぐに、職人たちを新しい印刷製本のやり方の工房に移して、それで、誰もいない、残った昔ながらの製本所は、俺に。」
『ルリユール坊ちゃん、あんたみたいな、どっかカツカツしてない浮世離れしたヤツが、この昔ながらの製本所を継ぐといいんだぜ。どうしても生活、食うのが先になっちまう職人たちじゃ、出来ないことを、アンタが、たった1人で、やりなよ。』
ルリユールは、竜樹の言葉を、師匠のじいちゃんの言葉を。
器用じゃない生き方、でも、恵まれて生み出せる器用な手を頼んで、このお祭りで、勝負!と小さな本を出来るだけ、つくって出してみたのだった。
1人のつもりが、職人さんたちが気にかけて、若いルリユールにあれこれ教えに来てくれたのは、やっぱりそれも、技術を大切に思う、忘れたくない職人だからであろう。金も出ないのに、しょっちゅう見にくるから、ルリユールは製本所に寝泊まりしているのだが、全く寂しくなかった。
「それなら、もう少し高く売っても良いんじゃないです?その値打ちは、あると思うわ。」
ラフィネの評価に。
ぬふ、と笑う顔も怖いけど、ルリユールは、段々と愛嬌があるようにも見えてきた、その強面で。
「だって、手に取って欲しいなって、思うだろ。そんなにお金がない家の子だって、精々銀貨1枚なら、手に取ってもらえるかも。見れば分かる!そんな本をつくったんだ。って俺、思ったから。」
見てもらわなければ、意味がない。
だから、銀貨1枚で良いんだ。
キャフは、物語の結末まで読んで貰えて、本を裏返して。
「こち、おにゃのこ、でちゅね。どちておにゃのこでちゅか?」
なんて言っている。
絵本は、一度読んでしまったからといって、いらないよ、というものではないが。それにしたって、全部見本で読ませてしまうのは、大盤振る舞いで、商売っけがない。
でも、ルリユールは、本を楽しそうにあちこちする、キャフやセリューたち、他のお客さんを見て、恐い顔をニカニカとさせて、さも嬉しそうなのだ。まだ、誰も、1冊も買ってやしないのに。
こんな時に、竜樹ならば。
どうするだろう。ラフィネは、む〜ん、とした。




