何も言えない
キーナンおじいちゃんは、まずアルディ王子の言葉に応えて。
「コギーも子犬を他所にあげるのは、ちゃんと話をして分かってくれましたんです。それっていうのも……あ。」
キーナンおじいちゃんが、ピティエのジャサントゥ通り出店の方を見てぽくんと口を開けた。マズイ、という顔で、そそっと。
「頼みます!子犬をこちらにあげたことにして下さい!話だけでも良いのです!今、この時だけでも!」
「ええ?キーナンおじいちゃん、それって……?」
エフォールたちがハテナ?になっている。キーナンおじいちゃんの視線を辿れば、あっちこっち、彷徨い駆けてくる、止まる、駆ける、少年。
出店の縁台を、くるくると避けて、キョロキョロとしていたその子は、アルディ王子と同じ位の背格好なコギーよりも、一回り小さい。上着やズボン、身なりは良いが、どこかくすんでいる。
黒に金髪のハイライトな、ふわもこの犬みたいな捻りのあるツンツン短髪を揺らして、何かを探しているように、縁台の下を屈んで覗いたり。ほっぺは真っ赤に上気して、手には何かを握っている。
顔は真剣で、出店のお客さんたちに、どうしたの?なんて言われている様子だ。
そして、お客さんがうんうんと頷いて指をさし、ピティエの調理台がある方を示す。あっちだよ、と、少年の目がこちらに向き、あっ!
ブラウンとグリーンの中間のようなヘーゼルの瞳が、キラキラ!と輝いてこちらにピピンと視線を合わせた。
コギーが、すふ!と息を荒くして、えっと、と言うみたいにおろおろと立った。
少年はパッと笑顔になって、先ほどの子犬のように身体中を弾ませて、駆け寄ってくる。
「ここにいた!」
はっ、はっ、はっ。
「コギー、キーナンおじいちゃん、わんこ!探したよ!キーナンのおばちゃんが、子犬が逃げて追っかけてった、て教えてくれたから、わた…俺、みんなにそこら中聞いてさ!」
はっはっ、はっ、はふー。
少年は、腰を折って膝に手を当て、その片手に握っているのは皮の赤いくたびれた首輪、はふー、はふー、と息を整えていたが。
やがてフッと起きて汗をポケットのよれよれハンカチで拭って、人懐っこく。
そこでお茶会をしている他の見知らぬ皆に、挨拶した。
「え〜っと、こんにちは!子犬を捕まえてくれたんですか?みんなでお茶飲んでいるの?」
「うん。いぬがあばれたんだよ。おれが、まもった!それで、かいぬし?くるよっておちゃしてた。」
ロンが素直に応えて、キーナンおじいちゃんは、キョトキョトしている。この位の少年に、こういう話にしてね、があんまり通じないって、おじいちゃんは知っているので。
コギーも、立ち上がったまま、ソワソワしている。
「そうなんだー。飼い主、俺だよ!コギーがくれるって。ありがとう、犬が暴れてごめんね。噛まれたりしなかった?」
少年は、子犬を抱いているレザン父ちゃんに近寄ると、その腕に余るような、子犬ながらみっちりした重さの胴体、前足の脇に両手を差し入れて抱き上げた。まるまるっと、お尻を持ってだっこする。
子犬も落ち着いていて、尻尾フリフリ、ぺろぺろ、と少年のほっぺたを舐めた。きっと汗でしょっぱいだろう。
「うん、かまれなかったよ。」
「噛んだりしなかったよ。遊びたくってはしゃいじゃっただけだよ。君の子犬なの?えーと、えーと、キーナンおじいちゃん?」
ロンとアルディ王子、アルディ王子はキーナンおじいちゃんのお頼み事、子犬を貰ったことにして!がどうなんだか迷って、おじいちゃんに振った。
キーナンおじいちゃんは、ふー、と息を吐いて。
「シフレ、その子犬はな、こちらの皆さんにあげてしまったんだよ。こちらでご迷惑をかけたのだから、キーナンじいちゃんとしても、お詫びに、気に入った子犬をあげない訳にいかなくてなぁ。悪いが、今回は譲ってくれんかな?また、次の時にリンリンが子犬を産んだら、シフレのお家にあげるからねぇ。」
え。
シフレ、と呼ばれた少年は、表情を止めてキーナンおじいちゃんを、そして、次にコギーを見た。コギーは、ぷるるるる、と頭を振った。それ、どっちの意味?と皆が思った時。
「いぬ、いらないよ。あばれたり、かむじゃん。てきじゃん。りょうにつれてかえらない!キーナンおじいちゃが、もらったにしといて、ってゆったけど、やだよ!」
ムン!とロン。
そうだよね、ロン。君はこういう事にしといての嘘、つかないんだよねぇ。
どういうこと?
シフレは、眉をピクリとさせて、お口をへの字にして、キーナンおじいちゃんを見た。
あっちゃー、じゃないんだよ、キーナンおじいちゃん。
ふーす、と息を吐いて、何だか観念した風のおじいちゃんは、まあ、まあ、と。シフレを手でこいこい、して、腰をずらして、木箱の端っこに座らせた。コギーもそれを見て、フニャすとん、と腰を下ろした。
ボンボンちゃんはその間、面白そうに目を笑ませて、お菓子をもぐもぐ。着実に食べ進めている。お茶もね。すすー、と。
「シフレよ。お前さんの家は、その、お母さんとお前だけの家だろう?」
「うん。だから、犬がいたら、悪い男がお母様…母さん狙いで来たりするのに、吠えてくれていいよね?」
シフレは肩を落として、胸の子犬に鼻を埋めている。目はもう、うりゅっ、としている。おじいちゃんが、シフレに子犬をあげたくないんだ、って分かった。コギーはいいって、うんうん、って頷いてくれたのに。
おじいちゃん、困ったなーと両手で顔を覆う。コギーも木箱をズズズとシフレの側に寄せて、眉寄せ、そっと小さな背中を撫でた。
「キーナンおじいちゃ、たつきとーさだったら、こうゆうよ。ロン、おはなししてごらん、て。おはなししたら、そーだねーって、うんうん、って、してくれて、おむねがほっと、わかったになるの。みんなにおはなし、してよ。」
ロンは嘘もつかなければ、真っ直ぐな解決法も知っているのだ。
「そうだな、キーナン。ここで偶然に関わりをもった者同士、お茶を飲んで腹を割って話をしなければ、もやもやするし、シフレの小さな胸も辛いままだろう?ボンボンちゃんは黙って聞いているから、素直に話をしてごらん。子供だってちゃんと話せば、訳が分からないじゃないだろう。なぁ?シフレ?」
ボンボンテール神様が、少女の高い声でゆっくり話せば、うんうんと少年たちも頷く。
シフレも、鼻を子犬に埋めたまま、こくん、と頷いて、閉じた口の端からギュームと漏らす。
「わた…俺、やだよ。大人は勝手に決めるばっかり。知らないうちに、こうしなさい、って決まってて、ダメじゃないか!ってゆわれる。どうして?って知りたくても、何も言って貰えない。決まったんだから、って。子供って、ソンだよ。」
はやく、大人になりたい……。
揺れる言葉、ぽろん、と頬を涙が溢れる。
コギーがギュッとシフレを抱きしめて、キーナンおじいちゃんをキッと睨んだ。おじいちゃんは肩を小さくすくめて、指をぽちぽち合わせ、何だか居心地悪そうにする。
「……キーナンおじいちゃん。どうして、俺に子犬をくれないの?」
シフレは貴族の子供だった。
正しく、だった、である。
チャント男爵家の嫡男だった。母は子爵家からの娘で、一つ上の身分からの嫁であったが、特に偉ぶったり生家を盾に我儘を言うような性格ではなく。ほややぁ〜んとした、のんびり屋。子爵家では、可愛がられて育った娘であった。
シフレは、母に愛されて育ち、父はそんなに愛情を顕にするタチではなかったが、可愛がられていない、という事もなかった。特にこれといって、今まで何の不自由もなかった。
シフレの母の子爵家は、たまたま不幸が続いて、母方の祖父祖母、そして継いだ伯父が亡くなった。伯父に子供はいなかったので、若い妻は実家に帰り、遠い親戚から子爵家を継ぐ者を据えた。
つまり、シフレの母を守る、近しい子爵家の者は、大体鬼籍に入っていなくなってしまったのである。
そうとなって、チャント男爵は、早速、妻を離縁した。ピシャン!と、それまであったかに思われる愛も情も切って、捨てたのである。
そんな素振りはなかったのだそうだが、市井にいる、ジャサントゥ通りで流行らない雑貨店を営む愛人とその娘を、代わりにチャント男爵家に入れた。シフレは嫡男なのに、廃嫡されて平民へ。
母と外に出された。
「その流行らない雑貨店を、在庫ごと慰謝料代わりに、シフレとロマランさん、シフレのお母さんですな、母と子に押し付けたんです。愛人と正妻の立場の入れ替え、まったくの意地悪ですよ。何でこんな事ができるんだか。……ですが。」
シフレの母、ロマランは、ポヤポヤんと、いつでも笑顔で、ジャサントゥ通りでも元々いた愛人の性悪母娘たちみたいではなく、商店街の皆に、多大な心配とお世話をもって受け入れられた。悔しい!なんて、いつまでも奪われたものを憎んだりしなかったのだ。
貴族の高いプライドなどなく、親しみやすく。けれどお嬢様育ちで、いかにもふやふや、母と息子、生活が危ぶまれて。
周りが放っておかなかったのである。
何とか雑貨店を回し始めて……シフレもコギーという友達を得て、一時しょげたけれど、何とか楽しくやりはじめて、となった。なったのだが。
「でもなぁ、シフレよ。どう考えても、犬を飼うだけのお金が、お前の家にはないだろう。飼い犬は時々、怖い悪い病気を運ばないか検査があったりする。その費用は飼い主持ちだ。検査は大体年に1回、銀貨5枚はかかる。病気が見つかれば、治癒魔法を治るまでかけなければならない。何とか無理をしてそれができても、ご飯は毎日かかるんだよ。クズ肉を買ったって、それなりに量がいる。リンリンを見れば分かるが、この子は大きくなるよ。散歩も連れて行かなけりゃならないし、躾もしないと危険だ。」
ドッグフードなんてない世界である。犬は肉食寄りの雑食、ご飯を用意するには、クズ肉やクズ野菜を選んだとしても、それなりに手間と、お金がかかる。
「……できる。俺の食べる分、犬にやる。」
シフレは子犬を抱いて離さない。
「それがなぁ。ロマランさんとお前さん、まだ、家の中をちゃんと回す事すらできていないだろう?洗濯も、ご飯づくりも、片付け掃除も、お店の事も、下手っぴだ。周りの商店街の連中が助けて、なんとかなってるが、そうでなけりゃ、上手く回っていない。」
ピティエが時々、追加の注文のお茶などを淹れながら、気にして話を聞いている。ボンボンちゃんはスッと存在感を薄くして、ロン、アルディ王子、エフォールの少年たちは、キュと眉を寄せている。
白熊眷属レザン父ちゃんは、コギーとシフレを優しい目で見ている。
「コギーが子犬をシフレにあげる、って言い出して、どうしたもんか、っておじいちゃんたち商店街の連中も、そこまで助けられるか話し合ったんだよ。それで……犬はまだ、早いんじゃないかな、ってなったんだ。」
確かに女子供の2人の家に、犬がいれば安心がある。
だけど、自分の世話がしっかりできない家で飼われる犬は、可哀想な事になってしまう。飼いきれなくて、人を噛んだりすれば危険とみなされて処分もある。野良犬にでもなれば、小ちゃな子たちに危ない。
「そういう事にしたくないんだよ。何も、犬がずっとダメなんじゃない。もうちょっと、先の事でも良くないかい?」
シフレは。
ムギュ、と唇を噛んで。
子犬のふわふわを頬に擦り付けて。
我慢をしているんだ。
今の生活だって、子供ながらに理不尽な生活の変化を、必死に受け入れて。その中での、見つけた楽しみ、子犬の体温。遊んでとすり寄ってくるふわふわ。
これも我慢しなきゃならない。
あれも、これも。
だけど、周りのおじいちゃんたち商店街の皆が、父親なのにサッと切り捨てたチャント男爵みたいじゃなく。
それぞれのお家の事もあるのに、シフレとロマランの母子の事を、親身に考えてくれているのが、シフレにも分かるから。
我儘言っちゃいけないって。
だから、何も、言えない。
コギーとくっついて、ただ、何も言えないのだ。
健康診断、血液検査の結果、返ってきまして、そんな悪くなかったです。詳しくは活動報告まで。
食事や運動を見直して、節制始めました。
更新も引き続き、楽しく無理なくできるだけがんばります。
ふわっとした予定ながら、読んで下さる方に感謝を!




