祝福はお菓子に困らない縁
晴れた午後、3時半にもなろうか。
秋の日は程よく射して、すじ雲がすうっと筆で撫でたよう。高く、すーっと息を吸えば、まるで絹のようなすじを吸い込めるか。
ヒヤリ、でもぬくり、とした相反する空気は冬を予感させつつも豊かな実りを孕み香ばしく、それでいて清々しい。
その高い空の下、ロンと子犬は。
ピティエのいる調理台の内側、キャワンワン!だめー!きちゃだめ、もう、っく、め、うわぁ!
と聞こえてくる。
ピティエは、はわはわ、と慌てた。トラブル担当のトリコを呼んだけれど、子犬とロンのわちゃわちゃ声は、困った事に。尊きお方、ボンボンテール神様のすぐそば。
土煙の匂いがしていて、お茶を飲んでいるかの神に、これでは……。
ロンも子犬も、悪気はない。ないが。
ボンボンテール神は、土煙の中でお茶のカップに(そう、取っ手のない湯呑みはまだピティエのお店プラージュでは扱っていなかったのである)ぱふ、と手を蓋、のっけていた。お膝には空のお皿、盆が乗っているので、なかなか腹筋とバランスが必要な座り方である。
パチン、パチリ、と目を瞬いて、ロンと子犬を見ている。
「お客様、大丈夫ですよ!当店のトラブル担当が参りました、子犬はお任せ下さい!」
「ワン!きゃわう!」
トリコが腰を曲げて、低い位置にいる子犬を捕まえようと右往左往するが、なかなかすばしっこくて、いや、遊んでもらっていると思っているのか、尻尾ぶんぶん、口が笑ってはふはふワンワン。
ロンは、ボンボンテール神の前に大の字で立ち、涙を湛えたお目々を精一杯に見開いて、ムムンと威勢。
「いぬ、ダメ!だいじょっぶ、おれが、まもる!」
調理台の内側へ回り込んで覗き込んだ、おおお、エフォールとアルディ王子、レザン父ちゃんは、隠れていた少女を守っているロンに、やるじゃん!と。思いつつも。
内側は細々としたものが置いてある。お茶殻を捨てる、銅の茶殻入れがボンボンテール神とは離れてピティエの側にあったり、お菓子の入っていた番重、空のものが積み上がっていたり。裏側ってワクワクする。目をとられて、いやいや、それはおいといて。
ロン、犬怖いのか〜。
「ロン、子犬は遊んでるだけだよ。野良かもだけど、悪い子じゃない。今、捕まえてもらえるから、落ち着いて。」
レザン父ちゃんの伸びてきた手が、ロンの頭を撫でる。でも、ふるるるる。
「いぬは、ダメなんだよ。ジェムにいちゃが、かまれてぶーぶーにはれた!のら、いぬ、てきなんだよ!おねつがでた!ウンウンくるしんだんだ!」
ロン……。
そうか、だからなんだ。
ロンたちが街の浮浪児だったころ、野良犬はきっと、大きな脅威であったろう。野良に噛まれて、腫れて、小さな身体は寄る辺なく、命にも関わることだったろう。
ロンはそれを、覚えているのだ。
そうして、涙つるして怖がるだけでなく、仲間のアルディ王子やエフォール、レザン父ちゃん、ピティエ。
女の子の、ボンボンテール神を守ろうと、短いぷくっとした手足を張って、庇っているのだ。
「ジェム、犬にかまれたの?」
「ふわ、痛かったんじゃない?おねつがでたの?」
子犬を捕まえるのに手伝って、アルディ王子がトットッとステップを踏む。子犬はそれを、すり抜ける。
ウン、とロン、こっくり。
「ジェムにいちゃ、おれたち、どうしてもなおんなくって、こまった。ちりょうしのの、おかねをかせぐのに、アガットにいちゃと、ロシェにいちゃが、はだかになった!」
!?
「ロン、それどういうこと?」
ピティエが嫌な予感に胸をぐるぐるさせながら。
トリコがようやっと子犬を確保して、尻尾ぶんぶんはふはふびちびちしているのを、なんとか抱き上げて、おっととしている。
「!ピティエ様、子犬確保しました!っわ、暴れるなお前、遊びはナシだよ、こら!」
「?ロン、子犬捕まえたから、大丈夫だよ!ありがとうね。アルディ殿下、狼だから、コラってしたら子犬いうこときかないかな?」
「うーん?どうだろ?お父様とかは、ケモノたちに、ガオってできたりするんだけどー。」
はだかは聞き捨てならない。
と思っているのは、少年たち以外である。
トリコも、ビチビチする子犬を、ググッと胸に抱き締めて、とにかく場を整えようと。
「わんこ。まて、よ。」
ボンボンテール神が、カップに手蓋をしたまま、静かに一言。
少女の高い声なのに、それは耳に、従わずにはいられない、厳かなる。
ピタ、と子犬は、テキメン落ち着き。クゥ、と鼻を鳴らして顔を傾けて、耳と尻尾を垂らした。
子犬を落ち着かせるには、周りが興奮していてはいけない。冷静でいなければならないのだ。
ニ、と笑って、ロンに守られたボンボンテール神は、未だ緊張感漂うロンに、とんとん、と。その小さな頼もしい背中を叩く。
「ロン。犬はてきなのに、守ってくれたのだな。お前さんは、なかなか良い男だなあ。ありがとうね。」
ううん。
「いいの。っふ、いぬ、だまった、すごい。えーっと、なにちゃん?」
「ボンボンテールちゃんだよ。ピティエ、ロンの話を聞こうよね?となると、お喋りのおとも、お菓子とお茶のお代わりをもらえるかな?」
「え、ええ、お待ち下さい。子犬を落ち着かせて下さって、ありがとうございます。ご満足されるほど、どうぞゆっくり召し上がっていって下さいね。」
うんうん、とニッコリな少女神である。
「さあ、ロンも、アルディ王子も、エフォールも、レザン父ちゃんも。ここの木箱にでもお座りな?」
トントン、と少女が隣の木箱を叩いて言うのに、何となく言う事聞いちゃう少年たち。抗う気にならないのである。
「なまえ、しってるの?」
「ああ、有名だから。竜樹とーさの子どもたちは。」
そっかー、と納得のロン。
そしてエフォールとアルディ王子も、3人、ボンボンテールちゃんの側の木箱に、えっこらしょ、と座った。レザン父ちゃんは木箱の一つをヒョイと移動させて、3人とボンボンテール神、ピティエの方を正面に、がばっと足を開いてどかっと座る。足が長くて、そうしないと座れないのだ。
トリコの腕に大人しい子犬を、レザン父ちゃんが貰って。
「どうもきっと野良じゃないかも、この子犬、人慣れしているもの。飼い主が来るよ。ここで俺たち、お茶しながら待ってみるから。トリコさん、お疲れ様。」
「え、ええ、よろしいのですか?ピティエ様、こちら様にお願いしても……?」
うんうん、レザン父ちゃんなら大丈夫。
お墨付きをもらい、トリコは子犬をレザン父ちゃんの腕に任せて、はふ、と息を。胸に手、深く礼をして、定位置に戻っていった。
ととと、とカップにお茶が落ちる音。
お皿に練り切り、ドゥ芋大福、栗餡しぐれとトリプルで、特別のふるまい仲間の皆に、木箱でお茶会。
ピティエは、はだか話に落ち着こうと、より一層真剣に、お茶淹れお菓子皿を配り。
通りの出店席では、お茶時間の今は、注文して届きゆき、お客さんたちも話に花が咲き、またゆっくり足を休めたいのだろう。席空かず、また、回るまでに時間待機となりそうなのだ。
「ロン、アガットとロシェ、はだかって、どういうこと?」
ピティエが心配、不安。
少年たちが、かなり危うい生活を送っていたのを知ってはいるけれど、まさか。
レザン父ちゃんは、子犬を撫でて普通にしている。黙って見守っている、と見えないピティエにも分かるから、大きなことはないよね?と、だけどハラハラ。
「うーんとね。えをかく、がか?のおじちゃんがいて、はだかになった。はだかで、うごいちゃいけなくて、さむくて、すっごく大変だったんだって。」
「!そ、そうなの!画家さんがね。そっか、そっか。」
ほー。
ヌードモデルを頼むなら、室内を温かくしておいたり、一定時間おきに身体を休めて動かしたり、気を使わなければならないのだが、画家は少年たちを荒く扱ったものだろうか。
コロコロと動く、あの年頃の少年たちに、黙ってジッとしてろ、とは、なかなかの苦行でもあったろう。
だが、絵に描くだけなら。
「てとか、あしとか、どうなってるかー、て。サワサワさわられたり、やなかんじだったから、ジェムにいちゃがおねつのときしか、やらないだったんだよ。おかねけっこうもらえたけど!」
アウトっぽい。
だが、そのお陰でジェムのお熱にぶーぶー腫れた噛み傷は、治ったのだろう。生命を優先させなければならなかった少年たちに、ひとまず生活はぬくぬくだったピティエが、何を言えるものでもない。
「ロン、もう竜樹とーさの子たちは、はだかモデルをやらなくても良いだろうよな?」
「うん、ボンボンちゃん。もうしない。アガットにいちゃも、ロシェにいちゃも。おれも!」
うんうん、ならばよし。
「ロンが私を守ってくれたから、お礼に、ちょっとした祝福をさずけようよね。」
ぱくん、モグモグ。
大福を味わいながら、ボンボンちゃんは、ウフッとする。
「なにせ、お姉様かミ…いや、お姉様たちがキャーッとなっている、麗しく恋しい神話…物語みたい!であったから、ボンボンちゃんは、守られてとっても、嬉しかったので!ロンはかっこよかったのでね!」
ヌフフふ。
「ボンボンちゃんが?しゅくふく?」
「祝福すると、何かいいことあるの?」
アルディ王子がお耳をワッピしてお茶を啜る。
「祝福って、だいたい、口づけだよね!ほっぺかどっか。ロン、ボンボンちゃんにいいなー。」
エフォールが、カップを両手で丸く持って、あはは、とちょっと赤くなって笑う。
「ふふふ!ボンボンちゃんの祝福はな、お菓子との縁が死ぬまで、続く、できるのだわよ?どんなに貧しくなっても、なーんだかお菓子が手に入ったり、食べられたり、作れたりする。お菓子やさんなどには、大喜びの祝福なのですよ。」
パチン⭐︎とウインクもキュート。
「ボンボンテール様、ロンはお菓子やさんになったものでしょうか。」
ピティエが、それも良いのかもなぁ、と口を入れる。ロン自身は、ほえ?って感じだ。いや、いや。えーっとね。
「おれ、おとなになっても、たつきとーさと、ラフィネかーさと、りょうにいるの。ちっさいこぐみを、おせわしたり、するんだよ。」
神からの祝福を、何の気なしに、ウウンいらない、するロンに、ピティエは。あー、とほほ、である。ナイショなのだものね?祝福って言ってる段階で、ナイショも何もなさそうだけど、でも、言っていいよとは言われてないので、ピティエはむずむず。
「お菓子やさんかぁ。そういえば、王宮のお助け侍従さんや侍女さんたち、お菓子を腰に良くもってるよね。王宮にお菓子やさんがあったら、なくなった時とか、あと、新しい美味しいお菓子とかを、買いに来そうだなぁ。」
アルディ王子が、目をお空に向けながら、むーん?と考えて。
「子供たちで、お菓子やさんをやる?そうすれば、ロン、大人になっても子供たちのお世話しながら、お菓子やさんできるんじゃない?」
「あっ、あっ、そういえば、竜樹さまが、あっちの世界で、子供たち運営の駄菓子屋っての、仕入れも、店番も、やってー、ってお店やお金のお勉強ができておやつも、なんてのの話を、してくれた事あったよね!私もお菓子やさんがあったら、お店の勉強したいな!」
エフォール、思い出した!
「竜樹さまが、たまにつくるお菓子も出したりしたら、いいよね!手作りで、できたての、ほら、美味しかったじゃない。さーたんだぎ?さーたあんだだぎ?」
サータアンダギーである。
「ドーナツのまるいヤツですね!ほっこり甘くて、ごまがこおばしかった〜。カリントウも良かったし、私たちもお手伝いできるかも、お菓子づくり。いつもは出せないけど、教会の子たちのお菓子や屋台みたく、できたら楽しいかなぁ。侍従さんや侍女さんには、今日は手作りお菓子あるよ、って、どうやってお知らせしたらいいかな?」
ウンウン、とボンボンちゃんはニコニコしている。
「おかしやさんと、おせわのひと?おれ、できるかなぁ〜?」
うーん。どうだろう、と首を傾げる面々である。
「あのね、この喫茶室プラージュだって、仕入れ、掃除、店番、帳簿つけ、とかあと、棚卸しってやつなんかもするんだよ。私も、商売のやり方を習いながらやってるんだけど、ちゃんとやる、って、割と色々あるよ。子供たちだけでやるのはいいけど、侍従さんや侍女さんたちが買えるお店にするのは、結構大変かもよ。」
ピティエが、うーん?と腕を組んで。子供たちのやりたいかも、に、いいよいいよ!と言ってあげられたらとてもそれは素晴らしい事だけれど。その前に、どんな事があるのか一緒に考えるのも、また、彼なりの友情である。
「たなおりりって、なに?」
「棚卸しだよ。お店には商品が、財産としてあるでしょう?それが、今、どのくらいあるか、ぜーんぶ数える。」
「何のためにするの?」
アルディ王子、エフォール、ロンも不思議そう。
そう、棚卸しとは。
と、棚卸しの説明をピティエがしようとしていた時に。
「あの〜。」
調理台の前に立ったのは、老人と男の子供。似ている山形のツンとしている唇、祖父と孫か。
硬い髪質なのだろう、祖父孫、後ろで縛っている海藻色の髪は、もこもこと不恰好である。
「そちらの子犬、逃げ出したウチの子犬でして。ああ!その、良かったら差し上げたいのですが、ともかく、その、お話を。」
祖父の名はキーナン。
孫の少年、アルディ王子と同じほどの身長で、ちまっと小さな控えめお目々、ぶっとい眉の彼は、コギー。
庶民の着こなれた、けれど清潔な服は小綺麗に見える。
「あちらのジャサントゥ通り下通りで、キーナン菓子店を営んでおります。」
どうぞ皆様、お見知りおきを。
一言も喋らないコギー少年は、祖父キーナンの合図でペコリと頭を下げた。




