熱く痛い
ロンが、同じ小ちゃい子組のセリューと別れたくないと。
大人になって羽ばたいてゆくことに恐れを抱いて、ぐずぐずひんひん。白熊眷属レザン父ちゃんの胡座にぽちょんと座って、お胸に鼻を擦り付けて、ふに〜ん!と泣き始めたのは、きっとお昼寝時間を過ぎて、少しおねむでもあるのだ。
ショワの占いのお客さんとも、沢山話をして、お祭りのコーフンとも相まって、疲れが一旦、山から谷へと急降下、かったるさ。
「やだよ、ヤダァ、っく、ひん、ひく、うぇええぇ。やだ。セリューと、わがれない。ずっと、ずっと、ちっちゃいこぐみ、だも!」
エフォールとアルディ王子が、抱っこのロンに寄って、大丈夫だよー、泣かないでー、と眉寄せて慰めたけれど。
ロンの悲しみは、今のおウチをあーんしん、でスクスク育っているからこそ、深いのだ。
「ロン?大人になりたく、なくなっちゃった?」
レザン父ちゃんが、よしよしよー、しながら、ほっぺの涙を親指の腹、次いで、でっかい手のひらで拭ってやる。ぽふぽふ、ぎゅっと。
「なぐなっ、おとな、なりたぐないになった!ヤダァ!」
困ったね〜。と言いながらも、レザン父ちゃんや大人組は、ほんわか笑顔である。大人になる痛みの、これはほんの、ほんのさわり、一欠片である。
未来に不安にならないで。
これからも安心して暮らしていて、良いんだよ。
そうして、その学びが来る時、その時に、ちゃんと悲しんだり、喜んだり、味わって成長していけば良いんだ。
だけどロンの嘆きも、これもきっと、学びの一つなのだよなぁ。その小さな背中に、未来を一杯に背負って、キラキラしているんだって、大人たちは分かっているのだ。
「ロン?おとなになっても、セリューと仲良くしてたいねえ。」
「う、ゔん。たつきとーさと、ラフィネかーさの、おウチでぇ……っく。」
じゃあねえ。
「セリューは、大人になったら、寮を出て働くかもだねー。そうしたら、ロンは、寮のお仕事をしてさ。」
「っく、りょうの、おしごと?」
ぽろん、と涙が溢れたが、パチンと瞬いたお目々は、ぴ、とレザン父ちゃんのお顔を見上げて、ジッと真剣だ。
「そうだよ。寮のお仕事。竜樹お父さんと、ラフィネお母さんと、今度は新しい小ちゃい子組のお世話をしながら、ずっとずっと一緒だね、って、セリューが困った時や、遊びたくなった時に、寮にきてね!って呼んだら良いんだよ。お手紙も、電話も、あるだろう?竜樹お父さんが、前いた世界では、電話を皆が持ってたよ、って言ってたからさ。ロンが大人になる頃は、きっと、皆が持ってるかもよ。おはなし、いつでも、できるんじゃない?」
ちょっぴり、セリューより神経が細やかさんなロンは、教会の赤ちゃんたちにも優しい。動作が乱暴じゃない、というのは、力の加減が難しい子供にあって、ましてや男の子で、生来優しい気質なのであろうと思われる。子供たちのお世話をするのも、なかなか向いているかもしれないよなぁ、とレザン父ちゃんは思うのだ。
そして、きっと、時が進んでも、国が良くなっても、竜樹お父さんの手を欲する寮の、教会の子たちは、一定数、そして結構な数、いるものだろう。
お世話をする者が、きっとこの先も必要なのだ。
ん?と顔を近づけて目で目を見て。
レザン父ちゃんの提案に、ロンは。
ふにゅん、お口をとんがらせて、ウン。とコックリ頷いた。
「お、おれ、おれ……。」
こしこし、と涙を小ちゃな手の甲で拭く。キラキララ…と、瞳が希望に輝き出す。
「セリューにきてね、する。たつきとーさと、ラフィネかーさと、りょうでみんなの、おせわする。まってる!おはなしも、する!!」
うんうん。
未来は分からないけれど、でも。
そういう未来を、欲しいなって、心に抱いて成長するのは、それは、素敵な事だから。
もし、ロンが、このいっ時、納得して、パッと忘れてしまっても。今、本気でそう思ったこの、愛しい時間は、ロンの、そしてエフォールやアルディ王子にも、きっと栄養になるのだ。
占い少女ショワは、ロンが、くふふ、と泣いたカラスが笑って皆に撫でられているのを見ていた。弟エトも、ニッコリしてロンの肩を叩いている。
ああ、そうだよなぁ。
一緒にいたい、って素直に言っていいんだ。
あんな風に。例え相手の気持ちがどうであろうとも、望む気持ちは、素直なそれは、持っていて良い。
そしてそれが、それを出来る事が、とても。
嬉しいんだ。
「トラジェ。」
ロンを見たまま、視線をトラジェに向けないショワは、俯き加減でお茶のコップを手のひら、丸く膝の上、持っている。ペタンと座って隣同士、トラジェは、ピクンとまつ毛を揺らしたが、返事は、しなかった。
「私に不幸を渡して、トラジェは、私とお別れするつもりだったでしょ。だって、普通、そんな事されて、仲良くして、いられないものね。」
モントレお師匠も、姉弟子ルルーシュも、ハピお母さんも、ティザンお父さんも、ほんわりした気分のまま、喧嘩中の少女2人を、見守っている。
トラジェは、応える事もできず、一層首を垂れてしまう。
「私、すごく心の中が痛かったの。傷ついたの。腹立たしいの。今も。でね、それが何でかっていうと、不幸を本当に起こさせようとした訳じゃない、アンタの占いはそんなにチンケじゃないって、分かってる。実際、ハピ母さんも無事だったしね。」
俺は足を怪我してめっちゃ痛かったんですけど、と弟エトは思ったが、黙っていた。エトは雰囲気読める賢い弟なのだ。
「トラジェが、私と、お別れしても良い、って思ってるのが、腹立つの!だって、私は、私は、……別れたいなんて思ってないんだから!」
何か、負けたみたいじゃない!
くしゃん、とくしゅくしゅに歪めた顔のショワは、もー!ぷんぷん!と分かりやすく怒っていた。ぼん、ぼん、と太腿を拳で叩いて。
「へ?」
トラジェが、パッと顔を上げて、隣のショワを見る。
だって、だって!あんな事したのに!
ハピお母さんを、トロットサンダッツ若様に乱暴させようと。
「ショ、ショワ、私……!」
確かに、本当に不幸が起こる占いではなかった。ショワが、不幸を知るだけで良かった。トラジェはそこまで悪くはなりきれなかったし、そんな度胸もなかったから、細かくは分からなかったけど、そちらに物事を誘導する事で、とにかく上手くいく、だろう、という読みに賭けたのだ。
嘘をついてトロットサンダッツを嵌めた。幸せに生きているショワを、何だかモヤモヤと伝えきれないような複雑に入り混じった気持ちで、それはショワのためと言いながら苦しかったのは何故か。
もしかすると、運命の女神ディスティナ神様に、これは罰でも当てられたか。
今、胸が熱くて、とてもとても。死にそうに。
胸が、胸が、痛いんだ。
「トラジェが別れて良くても、私は嫌なの。本当は、謝って欲しい。酷いことして、ごめんね、って言われたい。でも、でも、言わなくっても良いわ。思ってないことを無理に言わせるよりも、もっと、欲しいものがあるの。」
どうして。
どうしてトラジェは、泣いているのだろう。
「ロン君を見ていて、思ったの。私は、トラジェが好きなんだから、しょうがない。夏のストーブに近寄れない猫みたいに、大丈夫な時に、不幸の火傷を痛がって、暴れる猫みたいな子よ、アンタは。だから、私、わたしはーーー。」
ふっ、とトラジェの方をショワが見た。眠そうな目は、今、物凄く面白くなさそうに半目だけれど、頬はポッポとして、果敢に告白を続ける。それは恋の、ではない。純粋な、この人を好きだと思う、名付ければ陳腐に情とも言えるのだろうが、もっと、もっと、好きの源にある。
人として、人を、好きだということ。
ゆっくり持ち上げられたショワの片手が、トラジェの膝の、握った拳を。汗ばむ少女の手のひらは熱く、しっとりとして、被せて。
「アンタが不幸を私に教えるって言うなら、私は幸福を。幸福を、トラジェに教えるわ。アンタと私は違う。同じやり方じゃ、やっぱりやってけないだろうけど。確かに私は、夏のストーブを怖がる気持ちは分からなかったもの。でも今は、少しは、生きてて、怖いってこと、周りにあるって気づいてる。トラジェ、アンタがいることで。ーーーそれで、そんなアンタが幸せになるには、周りにいる、悩みいっぱいのお客さんだけじゃ、ダメって思うわ。」
トラジェ。私が隣に座ってる。
「大丈夫だよ、熱くないよ、って隣に。私がそうしたいの。ロン君みたいに、素直に、そうしたいの。一緒にいたいの。学び合いたいの。」
「あ、あ、熱いよ、っく……。」
幸福は時に、不幸よりも熱く。
痛く、痛く、苦しいのだ。
モントレお師匠が、2人の姉妹弟子に、仕方ないなぁと。だけど、安堵のため息を漏らす。口元は微笑んで。姉弟子ルルーシュも、楽しそうに笑っている。
「まあトラジェ、今後は、不幸をショワにぶつけるなら、自分の気持ちを素直に話すくらいにしておくんだね。占いで変に画策すると、ディスティナ神様に嫌われてしまうぞ?」
トラジェは返事が出来なくて、喉に熱い塊がぐるぐると詰まって。うんうん、うん、とただ、頭を上下するのだった。




