リルケ男爵家ファフニールの婚活 8
コンフィズリー伯爵家ムエットは、その封筒を、ふるふると震える手で掴み、何度も差出人を見た。
彼の腹違いの弟、ベルゼウス伯爵家の、レッキスからの手紙である。
何度見ても。何度見ても。
ぶわぁ、と涙が湧いてくる。
あの冷たい家庭に、ただ置いてきてしまった、始末を押し付けてしまった、とても繊細で遠慮がちな弟、レッキス。
あの父の被害者同士。
兄弟同士、仲良くしたかった。
だけれど、気を遣えば遣うほど、かまえばかまうほど、申し訳なさそうに居た堪れない様子をするから、そっとしておくしかできなくて、挙句。
「ムエット兄様は、私の事をお気になさらず、幸せになって下さい。私に、ベルゼウス伯爵家を継ぐという道を残して下さって、ありがとうございます。」
儚い微笑みで、最後に送り出してくれた。
それから、何度も寝ついていると聞いた。継ぐだなんて、はなから考えていなかったのだと言いたげに、遠縁の者に、もしもの時はベルゼウス伯爵家をと。打診をしているとも聞いた。
お見舞いに行きたかったけれど、この家にもう、来なくていいから、と返事が来て、行けなかった。強引に行けば無理して、元気なフリをして、その分傷むのだろう。
その弟から、手紙。
「うっ、うっ、ふうっ、うっ。」
ぐずぐずに泣く。拳で涙を拭く。そこに、真っ白なハンカチが寄せられる。嫁のグレースである。
「良かったわね、ムエット。あの、つつけば頭を隠す、でんでん虫ちゃんが、あちらからお手紙をくれるなんてねぇ。」
「ぼう、じんでもいい……いや、じにだくない。」
この、手紙を読むまでは。
庭の四阿で、白い草模様を模った脚の美しいテーブルで、夫婦は手紙を執事からもらい、そして今。寄り添ってその封筒を覗き込んでなかなか開かずにいる。
ぶるぶる。ペーパーナイフで、すす、すすす、と慎重に開ける。
グレースとムエット、頭をくっつけて、なになに?えーっと。
『親愛なる ムエット兄様へ
お久しぶりです。
お元気でいらっしゃいますか。
私は最近、とても元気です。元気になりました。
お腹も痛くないし、熱も出ない。
ベッドに寝付く事が、本当に少なくなりました。毎日、楽しく暮らしているのです。
信じられないとお思いでしょう。
ですけれど、ペルーシュお義母様とも、なかなか仲良く、明日を楽しみにするという気持ちを、初めて味わっている日々なのです。
それには、リルケ男爵家ファフニール嬢の話をしなければ、なりません。
ファフニールは、私のお見合い相手です。そして、とても朗らかで、愉快で、魅力的で、可愛らしい人です。
いつも私を笑わせてくれて、身体の事も、心のことも、気にかけて、さりげなく楽しく促し、健やかに元気にと導いてくれました。毎日、家に来てくれます。私の身体を守る魔道具や、ちょっとした気遣いの品を、良く持ってきては、ペルーシュお義母様とも楽しくお茶したりしています。
私に、自分を大事にして、やりやすい方法で。と言ってくれたのは、彼女が初めてです。
いいえ、本当は、周りの皆が、私を気にしてくれて、そう思っていてくれたのかもしれません。
自分の殻に閉じこもってばかりで、その事に今更気づけたのは。
やっぱり、面白い話で、「笑っていたい」と私に手を差し出してくれた、ファフニールが、いてくれたからなのです。
ムエット兄様も、グレース姉様に、そんな気持ちを抱いた事があるでしょうか。世界が開けるような。
結婚するということは、一つの奇跡ですね。私は今、とても、魂の半身、伴侶を得る事に、前向きになっています。
もちろん、ファフニール嬢と、先ずは婚約をして、と順を踏んでいきたいと思っているのですが、少し問題があるのです。
ファフニールは、人を笑わせるのが大好きで。
私とお見合いをする前に、何人かの男性とお見合いをしています。そこでもお相手を、かなり笑わせたようです。
まあ、それらのお見合いの話自体は流れたのですが、どうも、彼女には不思議な力があるらしく。私のように結婚に前向きでなかった、または結婚願望があっても、個性的で難しいご子息たちの気持ちをほぐして、彼女の後にお見合いを改めてしたご子息たちは、難しい所が改善され、よき相手と出会えたりしているようです。
私で彼女の婚活を止めたい、最初で最後の男になりたい、と思う私ですが。
あの人、父という名の暴君が、ファフニール嬢との婚約を邪魔しています。
他にもファフニール嬢の不思議な力を待つご子息の家から、次に回せと、せっつかれ。
その家に良い顔をしたいこと。
また、リルケ男爵家に、結婚で結ぶご縁の、旨みがないと思われること。私は継げないと見下して、外の女性にせっせと種を撒いていたというのに、元気になった途端に今更の、損得勘定です。
ムエット兄様。
貴方の差し出した手を、ずっと取ってこなかった私です。
ですが、今、今こそ、どうか、貴方の助けを、私に手を、お願いですから。
我儘な弟を、どうか、助けて下さい。
ファフニール嬢と結婚したいのです。
彼女以外は、いらない。
そんな気持ちを、ムエット兄様なら、分かっていただけると、信じています。
助けて。
貴方の弟 レッキスより』
ぼええええええぇ!
号泣滂沱。ムエットの頬を、ぼろぼろと涙が落ちる。
「だずげでっで!あのレッキスが!わだじに!わだじに!!」
ひぃいいぃん!
「良かったわねぇムエット。私の可愛い人。あらあら、びしょびしょよ。」
拭き拭き、ハンカチが頬を行ったり来たりする。
「それにしても、あのでんでん虫ちゃんがねぇ。男らしくなったじゃない。どんな女性なのかしら、ファフニール嬢って。リルケ男爵家は、経済的には何という事もないけれど、代々ご家族のお人柄は、なかなかしっかりした人ばかりのお家だって聞くわよ。」
「どんなアバズレでも、わだじが、ムエット兄様が、げっごんざぜであげるうぅぅぅう〜!」
ムエットは全く甘々で仕方のない兄である。
プハ、とグレースは笑った。
こんな、弟思いの可愛い人。気持ちの重い、熱い、そしてやっぱり兄弟で似て、怖がりで敏感な人。
ずっと家の事で悩んでいたから、コンフィズリー伯爵家の婿に引き抜いてやった。グレースが嫁に行く方法もあったけれど、あんな家にいつまでも、置いておきたくなかった。
コンフィズリー伯爵家の父にも母にも、可愛がられて幸せで、でもそれを後ろめたく思って、どこか楽しめないでいた、優しい人。
スッキリするチャンスじゃない。
その、リルケ男爵家ファフニール嬢がどんな人かにもよるけれど、下心がないとも限らないしね。でも、もし下心があったとしても、まあまあ、夫婦として、レッキスを幸せにする事はできるのだ。
それができるほどの、頭の良さがあるかどうか。
「ねえ?私たちが、見極めてあげなくてはね?でんでん虫ちゃんが、ちゃんと良いお嫁さんをもらえるかどうか。アバズレじゃ、結局幸せにはなれないわよ。そうしたら、ムエット、貴方、また心を痛めるでしょう。」
グレースの優先順位はハッキリしている。ムエット、それから少し後にでんでん虫ことレッキスだ。
レッキスが幸せになれば、ムエットが幸せだからだ。
ぐずぐず、ぐすん、と涙を拭いて、ムエットは瞳をキラキラさせて手紙を何度も読む。
「お兄様として、ここは、何としても良いようにしてやらなければ。グレース、ベルゼウスの家にまずは行ってみよう。元気になったという、レッキスに会って話を聞いてみなければ。」
「私も行くわ。女性の事は、女性にお任せよ。ペルーシュお義母様にも、お会いしてみましょう。どうお考えなのか、聞いてみたいし。」
2人とも、父なるベルゼウス伯爵家セティーク、浮気我儘勝手鈍感親父の事は、全く考慮にないのだった。
いそいそとお出かけして、ふくふくの艶々のすべすべの、元気なニッコリ笑顔のーーー少しはにかんだレッキスに出迎えてもらったムエットは、またもや号泣する羽目になる。
グレースは、どんなに下心があったとしても、ファフニール嬢の手腕は確かだと、唸らざるをえないのだった。




