リルケ男爵家ファフニールの婚活 7
「レッキス様?」
寝台に組み敷かれたファフニールの、その柔らかなお胸に頬を付けて。レッキスは湧き上がる喜び半分、ぐつぐつとした醜い行き場のない気持ち半分に、すり、と柔らかさを味わうように擦り付けた。
流石にファフニールも、ほっぺがポポッとなっている。
「……どうして。」
「どうして?」
頬を擦り付けたまま、上目遣いに、ああ、甘えてしまう。レッキスはファフニールの息子じゃないのに、まるで母を請うかのように。その自分のどこか幼稚で卑劣なやり方、そのものも、忌々しくて。
レッキスはぐちゃぐちゃと頭を胸に乱暴に。
「いた、いたた!分かりました、分かりましたから優しくして下さい、レッキス様!」
「……だから何で抵抗しないんだ、君は!私だって男なんだぞ!このまま好きにされたら、どうなるか、分かってないだろ!」
ふぉっ!といきなり怒って、両腕を押さえたまま上から正面、覗き込んだレッキスは、やっぱり今にも泣きそうで。
「……分かってますよ。赤ちゃんができるような事ですよね。」
襲われてるはずなのに、どこか飄々としてるのである。
「この期に及んでも、私なんて幼い子くらいに思ってるんだろ、君は。お母様にでもなるつもり?私はお母様にこんな事しないけれど?でも、だから君は、私を侮っているから、平然としてるんだ。」
ぎゅぐ、と掴んだ手首が強く締まる。
痛かったけれど、ファフニールは、レッキス様ぜんぜん本心語ってないなぁ、と思っていた。彼女は観察眼が素晴らしく優秀なので、そういう事、分かるのだ。
「う〜ん。確かにレッキス様に対して、母性を発揮してしまう事は、あるんですよね。だって、レッキス様、弱々の、しおしおだったじゃないですか。それをここまでにしたのは、それなりに、注ぐ気持ちがありますよ。」
「そ、それは、ありがとう。」
ファフニールは、う〜ん、う〜ん、ゴロンゴロン、とその自由な髪ごと、頭をシーツに擦り付けて。いかにも考えてます!って風に唸った。パサッファサッとする髪が、良い匂いだなぁ、とレッキスの気が逸れる。オレンジの花の匂いだ。
「レッキス様。私は朴念仁じゃないつもりなんですよ。思い違いじゃなければ、レッキス様は、私の事が、好きですよね?」
カッ、と真っ赤になった。
ファフニールの上から、湯気が立ちそうなレッキスが、目を半目にして、パチパチしている。
「う……、うん。」
「母性の話をしましたけど、レッキス様、分かっていますか。レッキス様は今、成長中なんです。私が母性に似た気持ちをもって、そして、こういう事さえも許してくれるだろうと、結婚も婚約もしないままに、しちゃっても許してくれると、甘えてそう思う気持ちも、なきにしもあらず?」
「…………。」
そう、だといい。
レッキスは、ファフニールの優しさにつけ込んでいる。けれど、流石に、こうしたら嫌だと逃げると思っていた。逃げないでと、縋るように捕まえて組み敷いた。
「う〜ん。レッキス様、あのね。私は、レッキス様と、こうなるの、嫌じゃないですよ。」
「……許して、くれるの?」
ファフニールをこの手に。
抱いてしまえば、瑕疵をつけてしまえば、レッキスと結婚するしかなくなるだろう。そんなダメダメな幼稚な、唾棄すべき案。レッキスは我ながら反吐が出そうだった。
あの父と呼びたくもない人と、どこが違うというのだ。こんなやり方。
それでも、ファフニールを。
「君を、手放したく、ない……!」
ポトリ、とついに落ちた涙が、ファフニールの頬からシーツに、つつうと伝った。
もう手首は掴まれていない。
だから、ファフニールは、レッキスを下から抱き寄せて、頭をよしよし、と撫でた。
「……ぐすっ。」
「レッキス様。母性とか父性とかって、付き合い始めた恋人たちは、何となく相手に、擬似的に甘えたり甘えられたりの関係で、近くそういう事、あるのみたいですよ。お祖父様が言っていました。相手に色々してやりたい。相手にしてもらいたい。まるで、完璧な父のように尊敬する守ってくれる人であってほしい。守ってやりたい。どこまでも優しい母のように包んで受け止めて欲しい。受け止めたい。見ていて欲しい。見ていたい。だけど、異性として、それをドーンと破る性欲もありますよね。お祖父様は、そんな、混ぜこぜな時期の成長中の恋人たちの期間も、甘くてそれはそれは、良いものだよ、思い出になるよ、と言っていましたっけ。」
「……くるしいよ。」
こんなの。
ぐずぐず泣きだ。
「レッキス様が成長中で、私に甘えているとして、この後、どんどん大人になって、素敵になって、母みたいな役割の私がいらなくなって。今度は、一緒に色々な事を半分ずつ、責任もって尊敬しながら分け合うパートナーたる、素敵な女性に目が向く。そんな可能性だってあるんですよ。多分、レッキス様は、幼い頃から自分を、自分のこうしたい!を、育てて来なかったろうから、ね。そんな恋人を育てる、っていうのはね、私には危険もある訳ですが。」
母と言わずとも、糟糠の妻を捨てる男は、一定数いる。まるで服を脱ぎ捨てるように。
だが、お互いの注ぎ注がれが上手くいっている頃から、時が経てば成長し合って、ズレていくことは、それはどうしようもなく、ある事なのだ。
「だから、ここで、婚約前に、致してしまえば、私にはリスクが、かなりあるのですけどね。」
ファフニールは、ゆっくり、ゆっくり、頭を撫でてやりながら言葉を紡いだ。
「それでも後悔しないかな。捨てられても。っていうか、それが私の選択肢で、面白かったし、その後も面白くやっていける。ってきっと思うくらいには、私も、レッキス様が、どうやら気に入っているみたいなんですよねぇ。」
「……ダメだろ。優しすぎるだろ。そんなの、損ばっかりじゃないか。グスッ、ましてや、女性に瑕疵なんかついたら、私と結婚するしかなくなるんだよ。っ、く。」
「そうですねぇ。」
フリフリ、と足を上げて、片一方脱げかけた靴を、ぽん、とベッド脇に放る。
「まあ、レッキス様が急にこんな事するのは、きっと相応の何かが、あったのだろうなぁ〜、と。それ位、分かります。信頼はありますよ。だからね。」
ぐい、と抱いていた頭、顔を真正面に向けさせて、合わせてジッと目を見て、そして。
ニパッ!といつもの笑い。
「どうしたの?って聞きますよ。話をしましょう。甘えて甘えられて、お互いに助け合って、役割を変えていって、頼もしいパートナーとなって。最後はお祖父様とお祖母様になって孫に囲まれる。そんな結婚相手として、育っていく。できるかもしれませんよ?夢は叶えるもの。レッキス様、ちゃんと未来を見ましょう。ここで致すのもいいですけど、私と、ちゃんと未来を、見てくれませんか?」
ああ、いつも笑わせてばかりなのに。
こんな時だけ、真正面から。
「……君、カッコ良すぎるよ!」
「女はカッコいいものらしいですよ。腹をくくると。」
お祖母様が言ってました。
ニハハ、とやっぱり笑うのが、ファフニールなのである。
レッキスは少しだけ、悔しくなって。頭を落とすと。
はくり、ふにに!
柔い胸の上の方を、パクッとやった。上目遣いで。
「ヒェッ!」
ペシ!と頭を叩かれても、何だか甘いのである。
ベッドにいつまでもいると、変な雰囲気になっちゃいそうだから。レッキスとファフニールは、椅子を寄せて向かい合って話をする事にした。看病用の椅子と、レッキスの文机の椅子である。
今更ながら、先程までの接触に、ドキドキと胸が熱くなり、ファフニールの顔を正面から見られない。触った感触を確かに覚えている。女性って、温かくって、良い匂いがして、ふわふわに柔らかいんだもの。
目をあっちの方へ逸らしながら、ポツポツと。
「父に……手紙がきたんだ。ファフニールを見合いさせたい家から。その家も、今までの君が笑わせてきた男たちみたいに、難しいご子息がいらっしゃるんだろう。」
『もう次の見合い相手から、あの娘を寄越してくれ、婚約もしないのにウチに繋ぎ止めておくな!とせっつかれているんだ!」』
ショボ、と項垂れる。
「父は、もう、ファフニールにウチに来るなって、言えって。」
ぐぐぐ、と拳を握る。
ほえー、とお口が開いちゃうファフニールである。何だかそれって。
「随分勝手な話ですねぇ。私、別にその手紙をくれたお家の息子さんと会うなんて、一言も言ってないし、誰からも言われてませんよ?」
まあどのお家か知りませんけど。
「でも、父は、君と私を婚約させてくれそうにない。失礼な話だけれど、リルケ男爵家に旨みがないと。……今まで私の事なんて、いてもいなくても、どうでも良いみたいにしてたのに!元気になってきたら、なったで、勝手な事ばかり!それに、君のお陰で私は元気になってきたのに!」
『あんな零細男爵家などと結んでも何の得にもならぬ!せいぜい上手く使って次に回してやれば良いんだ!』
ほえー。
聞きながら首が傾げているが、まあ、まあ。
「まあ、リルケ男爵家と結んでも得がない、っていうのは、そうかもしれないですわねぇ。分かりやすい得はねぇ。」
「そんな事、言わないで。得とか損とか、そんな事じゃないんだ。私は君と、どうしても婚約したいし、結婚したい。でも、今の状況だと、それを整えるはずの父が、邪魔してるんだ。」
まったくウザいオヤジだ、とファフニールの真似の真似をして、くだけた口調で吐き出した。
「ウンウン。文句言えるのも、良い事ですよ。私ね、婚約の話が出てなかったので、きっとベルゼウス伯爵様が嫌がっているんだろうなぁ、と思ってました。ペルーシュ様とレッキス様は、多分、私を受け入れて下さってるなぁ、とは、分かってたんですけども。」
「あの人は帰ってこなかっただけで、今まで話の一つもしてなかったよ。知らんぷりしといて、今日、突然に君を突き放したんだ。どこかの家に、良い顔したいだけなんだ、アレは。」
ブスくれて悪態を吐く。
ウンウン。
「ベルゼウス伯爵様は、全然、私の事なんて、気にしてなかったのですね。まあそれはそれ。私、ウチの嫡男のジャバウォック兄様と、お父様に話をしましてね。もし、レッキス様がベルゼウス伯爵家にこだわらなければ、貴族の地位にいたいのでなければ。ウチの領地で、兄の手伝いの、文官と領地邸のお手伝いの夫婦になっても良いかなぁ、なんてね。そんな道もありますよ?」
父は何だか、ちょっと嬉しそうだったし。
兄は、「お前が1番お祖父様に似ているから、領地の皆も喜ぶんじゃないか?」と言ってくれたし。
「勿論、ペルーシュ様もお連れしましょうよね。お義母様になる訳ですし、行きたいと言えばですけど、この家にこのまま残しておくと、悲しい感じになっちゃいそうですもん。置いていきたくないですよ。」
ガチャ!バン!
「え!本当!?本当に連れて行ってくれるの!?」
はた、とドアから顔を出す、ペルーシュ夫人と顔を見合わせる若い2人である。
いつから、見てた?聞いてた?
ラムダ老執事が、「奥様……。」と目を手のひらで覆っている。って、ラムダ老執事も見て、いた?!
ぞろぞろ、と使用人一同、心配そうな顔でドアから顔を覗かせている。
う、ううん!
ペルーシュ夫人が咳払いをして。
「婚約前の男女が、密室で2人っきりになるのは破廉恥だから!仕方のない事よ!私は義務として!分かったかしら?」
うむ。
「はーい。」
手を上げて素直なファフニールなのである。
恥じることも何もない。
レッキスは少しだけ、恥ずかしそうな、恨めしそうな顔をしている。
「まぁとにかく、どうにもならなかったら、そんな手もありますよ。って事です。ベルゼウス伯爵家で働く皆さんを、置いていくのは、私も何だか嫌ですよ?そして、そうですよ、まだ、何も頑張ってなくないです?婚約、結婚に向けて、外向けに根回しというか、そういうこと。私たち、してないですよね?できること、あるんじゃないです?」
ウンウン。根回し、してない。
ペルーシュ夫人とレッキスは、顔を上下に、目を丸くしている。
「ジャバウォック兄様がアイデア出しした、あの婚約破棄事件の催しや劇みたいに。私とレッキス様が、こりゃあ婚約するだろうなぁ、婚約するしかないよなぁ、ベルゼウス伯爵様もそうするしかない、と観念、思わせられるアイデアが、きっとあるはず。沢山の人に根回し、できるだけ注目を浴びて噂になるような。ねえ、考えましょうよ。私たちで。」
使用人たちも、ラムダ老執事も。
ウンウン、と顔を上下に。
「頑張ろう。考えよう。まずは、何をしたらいいだろう?」
「そうね、そうね……考えましょう!ラベルおじ様にも助けを求めましょう!」
誰かに助けてもらう。
レッキスは、今まで、自分から積極的に助けを求めた事はなかったけれど。
ファフニールの、愛しの君のためになら、勇気を出して、助けてくれませんか、って、何度でも、誰にでも言える。
そう、嫡男だったけれど婿入りした、レッキスという弟を不憫に思い気にして気にして、壊れ物、触るのが怖いように接して育ってきた、微妙な間柄の。
ムエット兄様にだって。
「あ、私も、ちょっと、ベルゼウス伯爵様の囲っている女性たちについて、色々ご近所と本人たちに聞いてみますね〜。」
ファフニールがサラリと難しい事を言う。そんな事できるのか。調査が仕事の本職でもあるまいに。
「私、どこに行っても、話をして、聞いてもらうの、警戒されないでできるみたいですの。この、美人とは言い難い親しみやすい顔は、天からの授かりものというやつですわ〜!」
ファフニールは、可愛いよ?
レッキスに真面目に言われて、ちょっと照れて、ニパッ、と笑った彼女は。誰が見ても年相応の可愛らしい、そしてファニーな、魅力的な女性なのである。




