リルケ男爵家ファフニールの婚活 6
「奥様、食堂のテレビの設置、完了致しました。このような感じでよろしいですか?」
「ええ、良いわ。」
魔道具テレビの納品である。設置までやってくれる、親切な商会に頼んだ。テレビの高さを視線にちゃんと合わせるために、アイボリーにグリーンの葉っぱ模様が落ち着く、テレビ台も買った。
ペルーシュ夫人とレッキスと、そしてファフニールがいるベルゼウス伯爵家の食堂に、ファフニールが一抱えできないほど大きな、魔道具テレビが入った。ここだけではなく、寛ぎの居間にもある。
食事時に観ながら食べるのも良いけれど、テレビが観たい時に、ずっと食堂にいろというのも何だか、だからだ。いかにも伯爵家らしい金の使い方である。
ちなみに、ファフニールのリルケ男爵家では、食堂にしかないが、用は足りている。皆、食堂が大好きだからだ。
「ご苦労様。ラムダ、後は任せたわ。」
ラムダ老執事に目配せするペルーシュ夫人。帰りに裏の使用人休憩所で、作業員にお茶の一杯も飲んでいってもらいなさい、と指示してあるのだ。そりゃあ高級なお茶ではなくて、使用人が休憩時に飲むようなお安いものだが、ベルゼウス伯爵家はケチではないので、こういう時にちゃんと労う。素朴なお菓子もある。
ラムダ老執事に促されて、商会から来た作業員たちは。
「奥様、お気遣いありがとうございます。」
嬉しそうに、ニコニコと頭を下げた。
さて、とそこに残ったのは、ワクワクした顔のレッキスと、ニパッと笑ったファフニールと、ちょっと首を傾げたペルーシュ夫人である。
「テレビ、買ってはみたけれど、そんなに良いものなの?」
ファフニールが、買った方が良いですよ、とお勧めしたため、ペルーシュ夫人は、そうお?と思い切った。
ドレスや宝飾品でさえ、あまり買う気もなく、地味に生きてきたのだ。夫が外の女に貢いでいるというのに、何だか張り合う気さえなく、無気力に……だから、彼女の買い物としては、割と思い切って、本当に必要なのか分からないテレビなるものを買ってみたのだ。
「楽しいですよ。国の内外で、色んな事が起こってるのを知るのも楽しいんですけど、今週の王子様はとってもお可愛らしいし、笑顔になっちゃいます。後々には、ドラマとかいってお話のようなものもしたいと思ってらっしゃるんですって、竜樹様。気になりません?」
「そうねえ。お話ねえ。劇場に行ったのも、かれこれ10年も前に行ったきりだわ、私。」
「お義母様、テレビ、つけてみませんか……?」
最近のレッキスは、こうしたいな、を遠慮しながらも言えるようになった。ヒヨドリが、ピイよ、と餌をねだったかのごとく、それを使用人一同が、ええ、ええ!と喜び勇んで叶える日常が普通になってきている。
レッキスとペルーシュ夫人の関係も、どこか隔たりがあったものが、段々と近づいている。何しろファフニールが突然言ってくる、「お庭に食べられる実の樹を植えませんか?苗木を選びに行きません?」だの、「明日、庭園が美しいって評判のグレーヌ男爵のお家の庭でピクニックしませんか?いつ来ても良いよっておじ様から許可もらってるんですよ〜。」だの、そんないきなり?ええ!?と、どう対応するか2人して、おたおたえとえと、どうする?と相談する事も増えたからである。
「そうね、観てみなければ始まらないわね。じゃあ、いくわよ……!」
プツン。
にゃんにゃんにゃりらりん♪
ぱーぱやぱぱやぱー♪
『奥さま3時のお時間です!今日のお客様は、舞台俳優で有名な方。嘘つきペテン師で王様にまで成り上がる、エスクロク役を25年続けてらっしゃる、もうベテランもベテラン、フーレイさんに来ていただきました!もうねえ、エスクロク、何て魅力的な役でしょうかしら。ペテン師なのに、善王になっちゃうのよね。』
『ふふふ、荒唐無稽なお話ですよねえ。だけど、何だか、おお!と見入っちゃう、ってふうにしなきゃなんですよね、俳優としてはね。』
テレビの中では、渋くて格好良い、味のあるベテラン俳優が、舞台ではなく私の顔を見せながら、リラックスして話をしている。
「まぁ!まぁあ!この舞台、俳優さん、私、娘時代に観たわよ!ええ!歳をとったわねえこの方も〜!ヘェ〜、えぇ〜、でもやっぱり素敵〜!」
食堂の椅子に座り込んで、もうペルーシュ夫人は肘をテーブルに付け、前のめりで観ている。
ヘェ〜、なんてレッキスも、ファフニールと隣り合って座って、ニコニコしながらテレビを観た。
義母、ペルーシュの、キラキラした様子は、少女時代に返ったかのようだ。
「レッキス様。良かったですね。」
「ん?ファフニール、良かった?」
彼女が言ってくる事は、突然だったりもするけれど、大体は楽しくて嬉しい事なので。レッキスは今度は何が良いんだろう、気を抜いて、ん?とファフニールに顔を向けた。
「食堂でお食事してる時、割と何を喋ったらいいか、えーと、ってなるでしょ。朝なんてボーっとしちゃうしね。喋らなくても勿論良いのだけど、ベルゼウス伯爵様がいらっしゃる時なんか、何だか気まずくありません?」
キョトン、とニパッ顔のファフニールを見つめるレッキスである。
そうなのだ。ペルーシュ夫人とも、最近は良いけれど、ずっと気まずく朝食を摂ってきた。それでいて、時間をズラす、ということをしないのは、それが最低限の親子の関わりであったから、かもしれない。
月に2、3度ある顔合わせ。父であるベルゼウス伯爵セティーク。外の女の所ばかり行っている、だが家の経営だけはちゃんとやっている、冷たい関係の父親との朝食は、まるで冷室にいるかのような居心地の悪さで……。
「君は何でも知ってるね、ファフニール。……どうして?」
純粋に不思議に思って、レッキスはもう、テレビどころではない。
「えーとね、リルケ男爵家ってギリギリ貴族、だとはお伝えしたと思うんですけど、それもあって、割と市井の者たちとよしみが深いんですよね。領地の者とも、広く深く、繋がりがありますの。そうなると、聞くでしょ、そういう、外に女のいるお家の、娘さんや息子さんの愚痴とかって。」
帰ってくんな、うぜえオヤジ。金だけ入れろ。
「とか影で言われるもんです。それでいて、結構、今仕事は上手くいっているのか、とか、偉そうに父親側は朝食で聞いてきたりして、めちゃくちゃ鬱陶しがられていたりするんですよね。」
うざ〜い真似をしながら、ムムフン、とオヤジと息子両方をユーモラスに見せる。
ムムフンと尖った口が可笑しくて、レッキスはブフ、と吹いた。
くく、くくく、く。
「あはは、確かにウザい。」
「でしょう。テレビがついてるとね、あーこんなニュースあるんだぁ、とか、世間話的に話題にもなるのと、へー、ほー、なんて言って、喋らなくても良いし、気を向けなくても、ん?ん?何だって?って感じで素知らぬ顔でね。いられちゃうからね。何か良いでしょう。レッキス様、家で緊張するなんて、やってられないでしょ。気楽にいきましょうよ。」
くふ、くふふ。
レッキスは笑って、ファフニールの手を取って握った。もう躊躇いもなく、手を繋ぐ癖がついた彼である。
ポッポとほっぺを薔薇色にしながらも、にぎにぎ、として、うっとり、カタン、と椅子を寄せた。
ファフニールは勿論、顔を合わせて、肩をキュと上げて、悪戯っぽくニッカリ笑うのである。
次の日、朝。
昨夜、帰ってこなくても良いのに、ベルゼウス伯爵当主セティークが帰宅したので。仕事上どうしてもの事があったらしく。
朝食、早速テレビ、大活躍である。
『今日のはよスタ、ブルーエアナウンサー、特集は?』
『はーいランディアナウンサー、特集は7時50分頃から、美味しい新しい秋のお菓子、先取り!です!喫茶店やお菓子屋さんなど、お高いものからお手頃なものまで、たっぷりお届けします。』
『良いですねぇ私、甘いもの、大好きなんです。』
『まぁ!ランディアナ、甘いもの好き男子なんですね?皆さんも、秋の良き日に、お菓子を買いに出掛けてみては?それでは、今日のトピックスはこちら!』
「お義母様、ファフニールに、栗のテリーヌ買ってきましょうか。」
「あら、良いわねえ。私もお店に行ってみたいわ。一緒に行ってくれない?昨夜のニュースで、貴族女性も勇気を出してお出掛けを、ってやってたもの。まずはブーツを買わなくちゃね。」
セティークは、いつもこんな風だっけ?と妻と息子を、チラリチラリと見た。2人は何だか寛いで、ほんわか話を続ける。
セティークを完全無視して。
「良いですとも、ご一緒しましょう。じゃあ、ラムダにお店を見繕ってもらいましょうか。ブーツを誂えるのは今度にしましょうよ。ファフニールが言っていたけど、貴族女性は薄い絹のストッキングを履いて、サンダルでも良いそうですよ。素敵で歩きやすいものがあるのですって。今年の夏の流行ですけど、秋も寒くなるまでは履けるそうですから。」
「まあ、私には若すぎない?」
「お店に行って、見てみて考えませんか?きっと楽しいです。誂えるのも良いけれど、きっと今年は少ししか履けないから、来年のお試しに既製品で。嫌ならやめれば良いんですもの。」
「そうねぇ。新しいものを見るだけでも、楽しいかしら。」
う、ううん!
咳払いをすると、レッキスとペルーシュ夫人が、チラ、とセティークを見る。
見るが、また2人で顔を合わせて、楽しそうに話を始める。
「今日ファフニールは午後からですから、午前中にお出かけしてみましょう。」
「そうね、そうね。あの娘に、私だってやるんだわ!って言ってやるのよ!」
「きっと笑って喜んでくれますよ、彼女は。」
ふふ、うふふふ。
心なしか、セティークの手紙を持ってきた老執事のラムダまで微笑んでいる。控えている使用人たちも皆、2人を見て微笑ましい顔をしている。
う、ううん!!!
また、チラリと見られるが、今度は黙ってテレビを観はじめる2人。
何なんだ、とセティークは思った。
ここの主人は自分である。
確かに他所に女性を何人か囲っているが、だからといって今まで何かを言われた事はない。
生活は充分に豊かであるだろうし、子供ももうけたし、まあそれは婿に出てしまったが、レッキスがこのベルゼウス伯爵家を継ぐには心許ないのであるから、女を囲うのは仕方あるまい。今更ペルーシュと子を作れないだろうし、年齢的にも。
つまり自分は爪弾きになるような事を、何もしていないはずだ。
微妙に気まずい雰囲気を不本意に思いながらーーー今までの冷たい家庭がデフォルトで誰にも文句を言われなかったので、セティークにとってはあれが普通で、まるで鈍い浮気父親そのものな彼は。
う、うううううん!!!
と盛大に咳払いをして、注目を集めるのに失敗して。仕方なく手紙を開いた。
手紙には、今、話題に上がっていた、ファフニールの事が書かれていた。
読み終わって、カサリとテーブルにそれを置くと、セティークは何の気なしに言った。
「おい。レッキス。ペルーシュ。ファフニールという娘の事だが、そろそろ次の見合い相手に回してやれ。」
ぎょ、として振り返る2人の注目を浴びて、セティークは少し、機嫌が良くなった。そうだ、場を支配するのは、自分でなくてはならないのだ。しかし、次の瞬間。
ダ、ダン!!
テーブルをレッキスが打つ。
あの大人しい、いつでも小さくなっていた子供が、ずオオオォォと嵐を背負っている。
「いやです。ファフニールと私は、婚約して、将来は結婚します。」
軽蔑の目で、静かな文句も言わない妻、ペルーシュまで。
「あの娘はウチの娘よ。貴方なんて家に帰って来ないんだから、お嫁さんなんて誰でも良いでしょ!だったらファフニールで良いでしょ!3つ月も婚約せずにウチに繋いでおいて、やっぱりやめます、なんて言えるわけないでしょ!そもそも貴方が帰ってこないから婚約の話が出来なかったんじゃない!ダメよ!イヤよ!ウチの嫁はあの娘よ!!」
怒涛。圧倒される勢いである。
気づけば、ラムダ老執事も、いつもよりこちらに迫っている。ムムムという顔で。使用人たちも眉を寄せて、セティークを見ている。料理長までドアから覗いている。
睨みはしないが、何を言い出すんだ、と、ここにいる全ての者がセティークに反した。
「な…なんだ!?たかが男爵家の娘だろう!?そんなに美人なのか?」
ハッ、と2人はバカにした笑いでこちらを見ている。
「美人なら誰でも良い貴方とは違うわよ、レッキスは。」
「彼女は得難い尊い女性ですよ。彼女がいれば、私はいつでも笑って生きていける。勿論、彼女を大切に、幸せにしますよ。私の出来る限り全てをもって。貴方は沢山の女性と関係を持っているかもしれないけれど、ファフニールとの暮らしみたいに満たされた生活なんてした事ないのでしょ。誰か1人を、大事に、大事に、守って命を懸ける気持ちが分からないのだから。」
腕組み、見下ろす。立って囲む。
セティークを。夫を。父を。
何だろう。何なのだ。
この2人を、こうまで変える、使用人の全てを掌握するファフニールとは、どれだけの悪女なのか!
「お前たちが何と言おうと!その娘は諦めてもらう!レッキスに妻など不要だ!身体が、弱くて……この家を継ぐことが出来ないだ、ろ、……お前何だか元気で艶々しているな。」
久々に見る息子は、艶々のふくふくのすべすべで、まだ身体は薄いが、いかにも素敵な王子様、といった風情になっている。よく見れば。よくよく見れば。気づいてなかったが。
「レッキスは継げますわよ。最近熱も出していませんし。どんどん元気になってますから。」
ペルーシュが、レッキスの肩に手を乗せて、力づける。
セティークは面白くなかったから、どうしてもファフニールを嫁にもらいたくなかった。それに。
「もう次の見合い相手から、あの娘を寄越してくれ、婚約もしないのにウチに繋ぎ止めておくな!とせっつかれているんだ!」
難しい息子をもった家から、ファフニールは切望され、ジリジリと順番を待たれていたのだ。そして、セティーク宛に、どうなってるの、と手紙まできた。それが先ほどの手紙だ。
「何だかあの娘と見合いすれば、どうしようもなかった息子が気持ちを改めて、次の素晴らしい相手と巡り逢えるらしいな!そうだ、なかなか不思議な力をもった娘なのだろうよ。ウチもそうさせてもらおうじゃないか!あんな零細男爵家などと結んでも何の得にもならぬ!せいぜい上手く使って次に回してやれば良いんだ!」
「死にます。」
「離婚させていただきますわ。」
何なんだよ!
セティークは、こうまでしてファフニールに拘る2人の気持ちが全く分からなかった。分からない事は怖い。だから見たくない。だから、逃げた。
「とにかくこれは決定事項だ!今日そのファフニールが来るんだろう!もう来るなと言っておけ!」
言い捨てて、それがどんな結末を招くのかも考えず、いつものように自分を通して女の所に逃げた。
残る2人は、そして使用人たち、ずっとベルゼウス伯爵家に残って生きていく人々は、逃げ場のない彼らは。
じっと、じっとりと、逃げた男を見ていた。
テレビではブルーエアナウンサーとランディアナウンサーが。
『それでは今日が良い1日でありますように!いってらっしゃ〜い!』
と手をにこやかに振っていた。
ファフニールはるんるんるふるふ、といつものようにベルゼウス伯爵家にやってきた。
ラムダ老執事が、いつもニコニコだけど、いつもよりもずっとニコニコした顔で待っていて、それは何だかヒンヤリ怖くもあったのだが、丁寧にファフニールを招き入れてくれた。
レッキスが玄関に入るなり。待ち構えていて、縋るような瞳で正面から両腕をガシリと掴んだ。
「ファフニール!」
「はーいファフニールですよ!参りました!今日はですねぇ、観光名所付きの歩数表本と、歩数計ってのを持ってきました!売り出したばっかりなんですよ〜。これでお散歩が楽しくなりますよ!沢山一緒に歩きましょ……。」
ふにゅ、とお口を閉じたファフニールは、ギュッと、ギュウウッと、レッキスに抱きしめられていた。
「……レッキス様?」
「……いやだ。やだ!」
次の瞬間、ダッと片腕を掴まれて階段を上がり、引っ張られたファフニールが連れ込まれたのは、レッキスの。
お見舞いもしたことがある、殺風景だったのが最近少し、彩りの増えてきた、私室、そう、寝室である。
魔道具のポットとお花の保温プレートが、ベッドサイドテーブルの上にのっている。
グイッと引かれて、寝台に突っ伏す。あらあらら、力が強いんだなあ、弱いと言ってもやっぱり男性、などとファフニールは呑気である。
たちまち腕の中に引っ張り込まれて組み敷かれて。あらら、あら。
柔らかな乙女の胸の上に頬をのせたレッキスは。
今にも泣きそうな顔をしていた。
そして、バタン!と閉まったレッキスの私室のドアを、ペルーシュ夫人とラムダ老執事、使用人たち、料理長まで出てきて、てんてんてん……と物言わず見ているのだった。
庭師のトマム爺は、玄関先のあれこれを庭から見ていて。
「若い、若い、ふぉ、ふぉ!」
なんて笑っていたのだが。




