キュイエ嬢は情熱家
カスケード子爵家当主代理ムラング、クラフティの叔父様が。ふわっふわの猫っ毛、綿雲のように広がるオリーブ色を、何とか撫で付けて。
トランキール男爵の王都邸に向かっている。
一人、馬車の中である。
子爵家と男爵家で、爵位に隔たりは1つしかない。そして、こちらからお願いもあるので、呼びつけるのではなく、こちらから出向いた。
トランキール男爵家は、ルーシェ嬢の生家である。
竜樹が花街2分の1健全化計画でエステ店の事業、引っ張って来た元花街組の、落とし屋に落とされた貴族の女性の1人が、ルーシェだ。
今頃、大画面広場でエステの実演、生き生きとお客様に、エステティシャンとして施術をしている•••とは、ムラング叔父様が知っているはずもない。
ただ、トランキール男爵家が、竜樹様の事業のエステ、何やら領地のスモモスという酸っぱい果実で、関わりがあって。
今、盛り上がりかけている。と、情報を民俗学の聞き取り仕込みの広い耳でキャッチして。
家業のオリーブ農園で採れたオイルを、美容にいかがですか、と竜樹様に、いやそこまでいかなくてもいい、後援のサテリット商会のクレール翁への繋ぎを、つけて欲しくて。オリーブオイルで作る石鹸や、オリーブ葉エキスを使った美容品の展開などを、食用だけでなく販路を広げたく。
今、サテリット商会は繋ぎを取りたくてもなかなか取れない、人気の商会である。
ただの平民の商会なら、貴族位であり強引に呼びつける者もいるのだろうが。クレール翁には、エステ事業を一緒に考えているギフトの竜樹様もいれば、本人はハルサ王の息子、第三王子ニリヤ殿下のお祖父様でもある。
老舗の商会らしく、連絡をすれば無碍にはされないが、そしてちゃんと話は聞いてくれるが。それにしたって殺到の、貴族達を抜きん出て見てもらいたければ、工夫はしたいところだ。
何故かトランキール男爵家は、このお祭りの日のアポイントメントを、自分達で言い出してきたにも関わらず。お時間長くかかりそうでしょうか、と、丁寧に失礼にならないようにだが、弱腰に伺いを入れてきて。
何故?
ムラング叔父様には分からない。
だが、そんなに長く話しませんよ、としながら、準備の気持ち消化不良でも向かうしかない。本当なら、これなら紹介しても大丈夫、と思ってもらいたく、沢山プレゼンしたかったのだが。
トランキール男爵家の、父、母、兄が。関係を切って亡くなった事にした娘で妹、元娼婦でエステティシャンのルーシェの。こちらから切った、酷いことをしたのに、領地の助けに、スモモスをエステに、と手紙をくれた優しい娘の。
生まれ変わった花舞台を、見に行けなくて、行きたくて。ソワソワしてるだなんていう事は。
男爵家の家族にしか分からない事だ。
目的地に着いた。門扉前に一角馬車が止まる。
そこには、白い華やかな、別の一角馬車が止まっていて。
ムラング叔父様を乗せた一角馬車の御者は、またかぁ、タハッ、として。相手のクルヴェット伯爵家の御者に、片手を挙げた。
相手も、よ、と気軽に挨拶してくる。
御者はそれぞれ、御者台を降りて、馬車の扉をコンコンと叩き、自分の主人に報告した。
「ムラング様、トランキール男爵家前でございます。いつも通り、クルヴェット伯爵家の馬車もございます。」
「キュイエお嬢様。やっとカスケード子爵家の一角馬車が来ましたよ。ムラング様にお手を取ってもらいますか?」
ギャン!とムラングは驚き顔になったし。
キュイエお嬢様は、ふ、と口元に笑みを浮かべて、御者に応えた。
「ええ、お願い。まさか、無視してはいかないでしょうね?この私が、折角、力添えしようと待っていてやったのですからね?」
「だそうです。」
とクルヴェット伯爵家の御者は、深く礼を、出てきたムラングにしながらも、端折ってシレッと伝えた。慣れっこなのである。
ムラングは、ううぅ〜!と唸りながらも、御者が扉を開けて、そ、と爪先を上品に揃えてタラップに下ろした、その女性に。
「キュイエ様。またですか!何なんですか!どうして私が仕事で来る先の情報を、知っているんですか!」
手を曲がりなりにも貴族、優雅に差し出して受けながら、ブー垂れた。
ホホホホ、と高笑いをしつつ、柔らかな白魚の手指をムラングに片方預けて、スラリと地面に降りたキュイエは、キリッとした眉だが他は甘い顔立ち、橙色がかった金髪をくるりたふたふ流し、愉快愉快。楽しそうである。
「何故かしらねえ。知っているのよ。貴方が仕事で失敗しないか、面白く、いえ心配で、いつものように力添えに来ましてよ!このキュイエ、いつも言っていますけど、なかなか有能でしてね。」
「そりゃあこの間まで、婿取り予定の総領娘でらしたんですものね。ご領地の経営のお仕事などは、婿様任せでなく、お勉強を子供の頃からしていらしたのだから、それはそれは、このムラングなど足元には及びますまいよ。」
くわ、と口を開けて嫌々に喋るムラングは、普段はこんなに喋らないのだ。
キュイエだけである。ムラングをこんなに喋らせるのは。
「そう、そう。そうですわ。利用せよ、と言っているのですわよ。良い話でしてよ?研究者をやりたい、ふらふら者のムラング様には?」
ウフッ、と。
ムラングの胸までしかない、小さなキュイエなのに、肝の太さとパワーは多分、倍以上にある。コロコロ笑われて、ムグムグむぐぐと口元をモグモグするムラングは、今ひとつ屈服できない。
ムラングはキュイエを、嫌いなんじゃない。だけど、いつもいつも。
こんな風に、先回りして、子供の頃みたいに、頼りないわねえ、って風にツンツンして、ちくちくした言葉で。
一緒にいると、何か傷つくのだ。
好意がない、だなんて、まさかそんな鈍感な事ではないんだけれど、ほんのちょっとは好意の欠片があるから、付き纏われているんだとは、分かっているけれど。
そうして、キュイエの事、そう、全くもって嫌いじゃあ、ないんだけど•••。
このまま、尻に敷かれるのは、情けなさすぎて納得できない!!!!
男のプライドが、そしてヒョロっ子だった昔の劣等感が、ズキズキするんである。
ムスティ老執事は、腹立ちながら笑顔という矛盾した複雑な表情で、それでも礼を失さず、竜樹に訴える。
ここはカスケード子爵家の食堂、皆を一堂に、子供達誘拐未遂事件の話を、聞いている所。
「ムラング様には、キュイエ様という、クルヴェット伯爵家のお嬢様が付いています。かのお方は、つい最近まで、婿取り予定の総領娘として、領地経営の仕事をしながら、ムラング様を婿に取ろうと働きかけてらした、なかなか素敵な女性なのですけど。」
「ムラング、当主代理で夢破れたって訳か?」
マルサ王弟が、出されたクッキーを、ポリポリ食べながら突っ込む。
「いえいえ。キュイエ様は判断力と行動力のある女性でして。のほほんとお育ちになった、妹ごが恋愛されて、お相手が伯爵家の次男、どうしよう、と判明したと同時に、家を妹婿に譲りましてね。ご自分は、ムラング様の嫁に行くから良い、と。はっきりしたお約束も、ムラング様との間にないのに、勇気ある方です。」
「思い切りのある方なんだね。」
情熱的な女性なのだなあ。お家より、ムラング叔父様を取ったのだ。
「キュイエねえ様は、すばらしい方なのです。ただ•••ムラングおじ様、負けちゃってるんだ。いつも、一緒の時、ショボっとしたお顔されてる。」
あぁー。
あー。
クロクの連中でさえ、あーな、って顔をした。
強い女性、魅力的だけど。負けちゃう男子には、男子なりの、矜持もあるのだ。
「そんなの、負けとけば良いって気がしますけどねー。女性に強く出て、プライドを満たすために押さえつけたりする男は言語道断だし、負けるにも度量ってやつが要りますよ。本当に頼り甲斐があって包容力があって強い男って、ここぞ!って時以外は、負けてくれると思うんだけど。」
うん、竜樹は普段から負けとくんだろーな。
とマルサは思った。そして、負けても、ちゃんと女性の方から、弱いところを見せて甘えてくれたり、お互い協力したり、気を張らずプライドに邪魔されず、自然体で。
「男って、アホなのだよ。」
「マルサ、しみじみ何だい?」
竜樹には、何でもない事が、蟠ったりしちゃうんだよぉ〜!マルサはそこまで、物分かり良くなりきれないのだ!!
クククク、とロテュス王子がさも可笑しい、って風に笑って。ニリヤとエンリちゃんもつられて何だか、ニハ!と笑った。
「おんなのこには、やさしくだよねえ。」
ニリヤが、ウンウン、と分からないながらも分かったような事を言ったので。
「女の子の方が強い時って、あんだぞ、ニリヤ。そん時も優しくするのって、難しくないか?」
マルサ、今までどんな女性と触れ合ってきたのだい。
「エンリつよいでつよ!」
ニパッ、と笑うエンリちゃん。
「でも、ニリヤでんか、やさしいでつ!でんかとられる!になったとき、おなのこに、エンリ、ガブしたでつ。チッチもしたでつ。•••エンリに、チュしてくれたでつよ!」
ふぅ〜ん、そうなの。
「良いねぇ、エンリちゃん、良かったねえ。」
竜樹は、ニコニコうんうんしているが、マルサはハテナ?になっている。とにかくマルサ叔父様より、ニリヤの方が、女性に対しての態度は一歩進んでそうである。
クスクスっ、とクラフティが笑う。
涙が滲んでいた、寂しいクラフティだけれども、お友達のニリヤとエンリ。胸にちょっとだけ、ポッと灯がともる。
「ムラング様は、民俗学の研究者やっていた時みたいに、何でも自分で一旦取り込んで、そうしてから指示を出したいんでしょう。けれど、私めが僭越ながら思いますれば、忙しい責任ある人ほど、重要度に従って優先順位をつけて、人を頼って信じて任せます。その見る目があるかどうかも、当主たる者の力であり、統べる者でありましょう。どこの領主も、小さいながらも一城の主人でありますれば。」
「あー。ムラング叔父様は、頼れない人かあ。何でも自分でやりたい人ね。説明するのも手間がかかって、頼むには信じて任せて、その結果をちゃんと受け止めて•••組織で働いている人ならば、そういうの多少なりとあるんだけど、研究者ってピンだからねえ。」
だけど、それで済む問題じゃない。
「クラフティへの対応を待たせておいて、自分は負けたくない。優先順位が自分のプライドが先になってるよ。そして、プライドがあっても良いけど、自分の、飲み込みにくいよ、って気持ちをちゃんと伝えてないんでしょう。言わなくても分かって欲しい、みたいな。それはダメだな。」
竜樹の言葉に、クラフティはしゅんとして。
「だけど、キュイエねえ様、たしかに私と話す時と違って、ムラング叔父様と話す時にツンツンしてるんです。どうして、2人とも、好きあってるのに、素直に、大好きだよ、って優しく仲良くしないの?って私は、思います。」
はやく仲良くしなくちゃ、何にもない時に、突然、事故で、死んじゃうことだってあるのに。
「もったいないな、って、私は思います。」
しん、と大人達、クラフティの言葉に、痛く染み入る。
マルサは、子供にさえ分かってる事が、大人にはなかなか出来ねぇんだよなぁ。とお茶をズビ、啜った。情けない、大人。
竜樹も、ウンウンウン、である。
「キュイエ様は、ツンデレってやつなのかなぁ。好きな男の人に、意地張ってツンツンしちゃう、女の人は、確かに可愛いんだけど、まあ〜、ムラング叔父様は傷ついちゃうのかもね。だとしたら、キュイエ様も、自分のやり方に固執しないで、素直に、ちょっと歩み寄る所があっても良いのかもねぇ。」
ツンデレです、って言って、棘のある自分の言い方を受け入れてよ、って。相手が嫌がってるのに押し通すのも、それは、嫌がらせになるだろう。ツンデレは免罪符じゃないのだ。
「まぁ、どっちにしろ、2人とも大人気ない。恋のやりとりにあれこれ言いたくないけど、現状、クラフティが犠牲になっているんだからさ。」
「だな。で、大体どういう意味か分かるけどさ。」
ツンデレ、って、何?
マルサの疑問も、尤もである。
クロクのリーダー、ロニーは、不思議な気持ちがしていた。
ギフトの竜樹。
自分達は、叱られるのだと思った。
この人に怒られるのは、何故か怖い。
だけど、一向に怒られない。
話を一つ一つ、紐解くように丁寧に聞いていく。穏やかに。何だか時には笑って。
クロクの皆がいるのが、自然なようにふるまう。
そうして。
「さて、ムラング叔父様の事、クラフティの気持ち、ムスティ老執事の企み?は、分かりました。ここからは、クロクの皆に話を聞いてみよう。リーダーの、ロニー?」
あ。
聞かれる。
ドッ、と心臓が血を吐く。キュ、と痛む。
順番が、来てしまった。
「ロニー。親に可愛がられてる子供達を、無理矢理攫うだなんて、怒りたい所だよ。だけどね、ロニー。」
竜樹は、穏やかに口元を緩めて、微笑んでいる。
それが、途轍もなく、怖い。
「•••クロクの皆みたいに、大人から気持ちを注がれる機会がなかった子達を、ただ叱っても、勝手な大人が勝手に怒ってるだけに思えるだろう。」
キリキリと胸を刺す。ことば。
「信頼を失くす怖さは、それを持ってからじゃないと分からない。俺は養子で育ってるし、親がいない子はダメだなんてのは、ないと思うよ。だけど、親じゃなくても、環境からでも、周りの人にでも、育てられて初めて、愛情を受け取るやり方を上手に学んで初めて、バランス良く人生を歩んで行く力を得られると思う。だから、俺は、ロニー達に、気持ちを、まずは注ごうと思います。」
ケッ、と思う。
何を偉そうに。
だけど。だけど。
逃げられない。
「手始めに。ロニー。君の気持ちを、どう育ってきたか、からで良いから。俺に、話してごらん。」
3連休更新、読んでいただきありがとうございました!
大分調子が出てきました。これからも頑張りますので、お付き合い下されば嬉しいです。(*^^*)




