希望の光
モグモグワハハ、と皆して和やかに記念飲み、ご馳走に舌鼓を打っていると。
竜樹の側に、清酒・月まどかを推した白髪オジジ、べセル伯爵がニコニコとグラスと食べかけの小皿を持ってやってきた。
「竜樹様、本日はありがとう、ございます。本当に、楽しいです。ほ、本当に•••。」
じわ、と涙ぐむほど?なのか?泣き上戸なのか?べセル伯爵。
「いえいえ。べセル伯爵も、本当に真剣にお酒の審査をして下さって、お客さんもドキドキワクワク楽しかったみたいです。こちらこそ、ありがとうございます。試飲も、あの審査員が推してたやつ!なんて嬉しそうに言ってる人もいて、盛り上げてもらってねえ。」
グラスと小皿をテーブルに置き、グスッ、ぐじゅ、とハンカチをポケットから出して目に当てるオジジ。
おうおう。竜樹はニッコリ、べセル伯爵の背中に手を当てる。
しょも、と背中を丸めて、テーブルからグラスを取り、清酒・月まどかをツッと飲む。涙の滲んだ目尻の皺、赤くなった鼻、天を仰いで、また、スン。鼻をすする。
「第一回の、お酒の、し、審査員にしてもらって•••一生の記念になりました。それほどに、わ、私の、お酒に対する知識、味覚を、認めて頼みにして下さった。わ、わ、私が、ワインのコレクションで有名であったから、名前が竜樹様まで届いた事でしょうね。」
「ええ、本当に貴重な、代々からのワインコレクションだと聞いていますよ。周りの人中に、飲ませてくれって、煩いんじゃないですか、ねえ。冗談混じりでしょうけどね。」
竜樹はべセル伯爵の様子が、少しおかしい事には、あれっ?と思っていたけれど、だからこそ、普通に、思った事を嘘なく、ただ、ゆるりと話をして、背中を撫で続ける。
「•••そうなんです。コレクション、その、その、バラバラにして、売り飛ばそうと思ってるんですよね。竜樹様、もし良かったら、記念に1本受け取って下さいませんか。竜樹様になら、とっておきのを差し上げますよ!」
空元気を出して、ニ、と笑う。
え!?
「いやいや、勿体無い。とっておきは、ご自分用に残しておいて下さいな!」
代々のコレクションなんて、そんなに簡単に散じれないだろう!
「いえ、お酒も、今日で、やめてしまうのでね•••。」
しょんぼり。
どっと、老けて見える丸い背、一筋乱れた髪は、先ほどまでの生き生きしたお酒審査会議の様子とは、全く違う。
「べセル伯爵。お酒まで、やめてしまうんですか?」
お酒、大好きなのだろうに。長い時間、情熱と愛情をかけてお酒に接して。王宮で重要な晩餐会などを行う際の、アドバイスをしたり、お酒の本を書いたり、活躍しているから、そういった活動にも支障が出るに違いない。
「お酒より大事なものが、私にもありますのでね•••。」
赤い目で、ふふっ、と笑った。
「•••お父様!」
15歳位の少年だろうか。
白髪混じりのべセル伯爵の、元の髪色、赤みを帯びた褐色。青白い肌、溌剌としていていい年齢なのに、瞼は泣き腫らしたように赤く、擦ったようになっていて、悄然とやつれている。どこか震えているような。
「テンテ。お前も来てくれたのか、皆と一緒かい?」
ふ、と笑って迎えたべセル伯爵は、そっと酒のグラスをテーブルに置いて。竜樹に向けて、先ほどのしょんぼりをシャキッと変えて。朗らかに息子を迎えた。
「竜樹様、こちら、私の一番下の息子の、テンテです。意見交換会に連れて行きましたから、チラッとお会いした事がありますかね。テンテ、ご挨拶しなさい。」
「竜樹様、テンテです。お久しぶりでございます。それで、あの、あの。」
声もしゃがれている。
変声期なのか?
「テンテ君。お久しぶりです、ギフトの竜樹です。ゆっくり話をして大丈夫だからね。何か飲む?」
痛々しくて、優しく話しかけるが。
ぎゅむ、と苦しい顔、唾を飲み込み、飲み込み。ふるふる、ふる、と必死の顔を振る。
竜樹の足元で、サンジャックも、サンも、困りごとの雰囲気を感じ取って、黙ってくっついている。
「竜樹様、あの、お父様に言って下さい!コレクションを手放さなくて良いって!お酒も、ずっと、楽しんで、って!」
「テンテ、いいから。大丈夫です、竜樹様、お気になさらず。さ、ご挨拶もした事だし、失礼しよう、テンテ、少しは何か食べたらどうかな?ご馳走、美味しいよ。無理はしなくて良いけどね。」
テンテ少年の背中に、先ほどまで竜樹がべセル伯爵にしていたように、優しく当てて撫でながら、父は息子を思いやり立ち去ろうと。
ぐいっと。
ん?とべセル伯爵は足元を見る。
ズボンを、サンと、サンジャックが、握って引っ張って。
「きぞくのおじさん、ダメだよ。」
「たつきとーさに困りごとは、ちゃんと言わないといけないんだ。自分だけで、悩んでたら、ぐちゃぐちゃになっちゃうし、心配かけちゃうんだよ。」
いつも言われていること。
小さな胸に、困りごと、悩みを抱えていないで。とーさに話して。
そうです、そうです。
良い子のサンとサンジャックは、撫でこしてあげましょう。
「べセル伯爵、テンテ君。ここは一つ、ギフトの竜樹に、悩み事を話してみませんか?関係ない人と喋って、口に出すだけでも、気持ちが落ち着いたりするものですよ?」
バーニー君とお助け侍従のタカラが、椅子を持ってきて、皆して、ご馳走テーブルの前にこちょっと集まって座る。
どこか控室の個室を用意してそこで?とも思ったが、わやわやガヤガヤしているここで、飲み会のノリでの方が良いかな、とも思い父子に確認すると、大丈夫だということで。
ある一定の範囲の音が、こちらからは漏れないよう、バーニー君が魔法を使ってくれる。
テンテ君のお膝に、隣り合って座ったサンジャックが、ポム、と手を乗せる。ほのかに人肌、温かいと、ホワッとなって話せるから、とサンジャックの経験からだ。
「僕、ぼく•••。」
テンテ君が、震えた拳を膝に、サンジャックの手をギュと握り、言うには。
ある時、幼馴染の友達が、テンテ君を誕生日のパーティーに招んでくれた。彼は身元もハッキリしている貴族の少年で、付き合いも長く、まさかそこで。
「パーティは、雑多な雰囲気でした。人が多くて、その人達も、あんまり上品な感じが、しなかった。誕生日のパーティーなのに、幼馴染のリオの挨拶もない。リオは何だか固い顔をして、僕を呼ぶと、お酒を勧めてきて。ちょっとだから、良いだろう。君の家はお酒のコレクションをするほど詳しいお家なんだから、これくらい、って。断れなくて。」
テンテ君は少しのつもりだったのに、何だかやけに勧められて、疑心をもった。ようよう1杯飲んだけれど、あとは断って、目を強張らせてリオが止めるのを、早く帰ろうと振り切った所で。
ガクン、と腰が抜けて。
あっという間に、ニヤニヤした大人何人にも引きずられて、別室へ連れて行かれたのだそうだ。
「リオは、嫌がってるのに引き摺られていく僕から、プイッと目を逸らして。さよなら、って言いました。」
別室で待っていたのは、妖艶な女性。
「しゃ、写真を、撮られました。僕は吐いた。汚いわね!ってその女性•••ザックス男爵未亡人は、言って。」
わなわな震えるテンテ君に、何の写真、とは誰も聞かなかった。
口を開けなくなったテンテ少年の後を続けて、父伯爵が。
「酔っ払ったテンテに、亡夫の喪に服しているのを、押して開かれた。証拠があるから、責任をとって、テンテの妻にしろ、と言うんですよ。相手は未亡人で、32歳、テンテとは16も違います。それが出来なければ、酒のコレクションを渡せ、と言ってきたのです。さもなくば、とは、言いませんよ。でも、写真がどうなるか、どう使われるか。」
リオは、誕生日のパーティー以降、テンテ君と会っていないのだという。
べセル伯爵は、そりゃあ調べた。リオの家、ヨーク子爵家は、女主人が亡くなって居ないのを良い事に、ザックス男爵未亡人に、半分乗っ取られたようなものなのだった。
当主が未亡人に喰らい付かれて、リオも恐らく毒牙にかかり、いかがわしい者ばかりを集めて君臨している腐った女王に、踏み台にされて。
「ザックス男爵未亡人は、その美しさと腐った人脈で、沢山の男達を言うがままにしているようです。周りの者はあの女に心酔していて、何でもします。そういう、毒のある女性のようなんです。•••コレクションとテンテ、どちらが大事かなんて、言うまでもない事です、家に毒婦も入れたくありません!テンテは•••幼馴染も失い、あの日のショックで。」
女の人が、近づくのが、ダメになってしまったのだそうだ。それは、母さえ、姉でさえ。
そして、お酒も。ワインの瓶を見るのも吐き気がするくらいなのだと。
「テンテ君、良く今日、この会場に来たね。勇気がいったでしょう。」
竜樹がショボショボした目を案じて向けると。コクン、と頷き。
「今日は、お父様の、晴々しい日だから。わ、私のせいで、ずっと、家の中が暗くて、みんな、お父様が、今日が最後の、記念の日だから、って、もう、決めて、いて。•••わ、私、どうにか、何とか、したくて。」
サンジャックは、テンテ少年の横に、コテンと頭を寄せてくっつく。気持ち、分かるのだ。
「テンテさま。おれも、きもちわるかったよ。ヘンタイに、さわられて、きもちわるかったよ。」
はっ、と。
サンジャックを斜め見下ろしたテンテは、目を見張っていたが。くく、くっ、と呻いて、少し下の位置にある、サンジャックの小さな肩を、背を抱いて、抱きついて、胸に抱え込むと、ひっ、うっ!と悲鳴のような啜り泣きを始めた。
掠れた声は、変声期なんかじゃない。泣いて泣いて、叫んで嗄れたのだ。
抱かれてサンジャックは、小さな腕を広げてテンテの胴に回して。
すーふ、と竜樹は息を吐いた。
「べセル伯爵、例えコレクションを渡してしまっても、相手が写真を破棄するという確証は、無いわけですよね。」
「•••ですが、渡さなければ、テンテは。」
バーニー君が、トントン、と竜樹の肩を叩いた。
「どうやら、その、毒婦ってやつが、現れたようですよ。」
ザックス男爵未亡人、チリ魔法院長にもコナかけてきたんで、知ってるんです。チリ魔法院長は、全く相手にしてませんでしたけど。
へっ、と皮肉な笑いに口端が片方だけ上がっている。
魔法で音が聞こえないが、何を話しているかは、その顔ぶれで分かるのだろう。妖艶、肉体美、腐る直前の熟しきった完成美。香ってくるような、黒髪の美女が、気怠げな美青年達を引き連れ、赤い唇を開けて。
「何を仲良くお話されているのかしら?私も仲間に、入れて下さる?」
テンテが、サンジャックに縋り抱きつく力が、ぎゅぎゅむ、と強くなった。
サンジャックは、苦しかったけれども、ポムポムと背中を叩くだけで、大人しくしている。
「バーニー君、遮音の魔法を解いて下さい。ギフトの竜樹、贈り物な俺が、無事贈りたい人にギフトを贈れるように、恐喝犯と話してみようよね。」
ショボショボ。
「写真を、この世界に持ってきたのは、俺だしね。」
いつもと同じく、竜樹はショボショボ目で、風采の上がらない地味な感じで、だけど。
安心感いっぱいな、穏やかな口調で。力だって強くないのに、いつも前に出る。
ぐいっと、清酒・月まどか。コップに残った全てを飲んで、タンッとテーブルに置き、立ってぶるる!と武者震い。
「こわい!毒婦、こわいけど、頑張っちゃう!それがとーさだから!口先三寸、何とか、なれ!皆、助けてね!」
そんな竜樹を、マルサ王弟も勿論、バーニー君も、お助けタカラも、威嚇しているヴィフアートも、エルフのロテュス王子も、皆が、ツツっと寄って守ろうとする。
とーさ、カッコいい!
サンジャックは、お目々をまん丸にして。
この時、大人の男の人に、とーさに、憧れるって気持ちを。
自分が目標にする、真似したい大人の男ってやつを。
胸に、種。ポワッと宿す事ができたのだ。
それはこの後も、サンジャックという1人の少年が、ずっと生きていく時に、支えになる姿。
元親父によってできた、大人への失望を、最後の1カケラまで、ざあっと全部綺麗に上書きする。希望の光、になるのだった。
サンジャック話、1話で終わらず。うん、書きたい事を思う存分描きたいと思います。
でも早く、エンリちゃんとニリヤのサーカス見に行った話も書きたいです。




