トレモロの空気砲
お話は唐突に魔法院へ舞台が移ります。
が、安心してください、ちゃんとあと何話かお話が進めば、歌の競演会になっていきます。
トレモロは、地味なおじさんである。小太りの。
楔型模様が小さく白く刺繍された、紺のローブが似合わない、と言われるけど、ちょっといかにも魔法使いっぽい格好に憧れがあるから、放っておいて欲しい。
そう、魔法の実力は、さておいて。
魔法院で、本業ではないが、主に事務をしている。魔法の仕事だけじゃなくて、ちゃんと事務をやる所を認められて、チリ魔法院長に実務を押し付けられがちな何でも実現バーニー君とは、割と仲良し。
今も出来上がった書類を纏めて、事務主任に出した帰りで、魔法院の建物の廊下を、ポヨンポヨンとお腹を揺らしてーーいや、そんなに大きなお腹じゃないんだって。小太り、そう少しだけだ。ただちょっと柔らかな腹なのだーー歩いて自分の研究室に帰る所。
長い廊下には、ズラリと扉が並んでいる。
ガタン、と個々の研究室の一つ、落書きや美しい少女の写真、魔法陣のダミーが貼られた、竜樹がいたら、男子文化部の部室か?とでも言うだろう雑多な汚れ扉が、ガタガタタタ!ギイ•••と開く。ホラーかよ。
うん、でもトレモロは慣れているから。その扉の中の主が出てくるのを、通りかかったついでに待った。
「ト、トレモロ、•••良い所に。助けて、助けてください!」
「うんうん、ロワズィ、落ち着いて。どうしたんだい?」
しわくちゃの黄色いローブを着た、痩せぎす、もっさりした猫背の青年が現れて。
「けいひのしんせいしょ、よさんのしょるいがいちまいもかけませんんんんん。」
しんせいしないと、これ以上よさんがががが!じばらのりょひせいさん、けいひがががおりなくてててて!
うええええん!!
どうしてなのだろうなぁ、とトレモロは不思議である。魔法院の同僚の彼らは、皆、本当に優秀なのである。研究を纏めた報告書などは、とてもとても、トレモロが読み解けないくらいに難解な言葉、魔法陣、魔道具の設計図。なのに。
魔法の研究と実技はめっぽうできるのに、普通の事務書類を何でか書けない。
経費や予算の申請の、一般的な書類が書けないのだ。
多分、どーでもいいと思ってる箱に入ってるんだな。諸々の事務は。
魔法院の同僚で友達の、ロワズィが、よぼよぼ徹夜明けで、研究室から出てくる。時々お酒を一緒に飲んだりして、愚痴を聞いたりする仲だ。
「手伝ってあげるから、自分で書こうね。ロワズィ。」
トレモロが、丸っこい指でロワズィの肩をぽんぽんする。トレモロのそれは、柔らかい手のひらの感触もあって、何故だか人を落ち着かせる仕草である。
「う、うん、がんばる!いつも、ありがとう、トレモロ。」
グスッ、と涙をつるすんじゃないよ、いい大人がさ。慰め励まし、さあさあ、と。
2人がロワズィの研究室へ入っていこうとすると。
カッ、カッ、カッ。
カツン、タタ、カツン。
踵の高い靴を履いた、睫毛も長いグラマラスな女性。周りに侍るような男性達2人が。
女性のローブは朱色。派手派手である。模様は楔型一択であるのだが。周りの男達は、目が覚めるようなスカイブルーのローブ。優男達だから、似合うっちゃ似合う。
「あらぁ、事務のおじさん。久しぶりね。私の書類もやっといてくれない?」
「ああ、フゼア。久しぶりだねぇ。事務のおじさんはねえ、自分で書くのの手伝いはするけど、やっといてくれは、しないんだー。」
自分の中での、決まり事である。
睫毛が長すぎて流し目すぎて、半ば瞼を瞑ったフゼアは、ふうん、と悪びれもせずがっかりもせずに受けると。
「魔法がショボくて用を成さないんだから、他の人の事務をやってくれたって良いじゃないの?」
「全くそうだよな、ドロワ。」
「ああ、トレモロ親父がやるべきだ、ゴーシュ。」
右目を長い前髪で隠しているのが、ドロワ。
左目を前髪で隠しているのが、ゴーシュ。
2人は兄弟で、フゼアの、なんていうか、賛美者?恋人候補ではない所が、哀れな美青年達である。
トレモロは、怒らないけど受けない。
フゼアは悪意がない。本気で、トレモロがやれば良いのにな、と思っているだけだ。だって。
「事務のおじさんの魔法、フーッと空気砲が、どこまでも伸びていくだけじゃない。つるん、と人や物を避けさせるから、攻撃にもならないし、何にもならないじゃない。他の魔法は何一つ使えないんだし。かといって、研究もあまり•••頭よくないでしょ、おじさん。」
そうなのだ。
トレモロの魔法は、珍しいから、といって魔法院に就職できたのではあるが。
特に何に役立つでもない。
最初のうちは研究もされたのだが、次第に、皆、何にもならない空気砲を、調べるのに飽きた。
「それでも、空気砲の魔法陣の開発が、こないだできてさ。ちょっとコツがいるし、距離と勢いについて、私が試行錯誤して見本を作る必要があるけど、思いのままに誰でも、空気砲が撃てるようになるかもしれないんだ。」
それが、トレモロの本業である。
「ハッ!」
「カハハ!!」
ドロワとゴーシュは、腹を抱えて笑う。髪がぴょこぴょこ踊っている。
「何にもならない空気砲を、誰もが撃てても、何にもならないだろ!」
「そ、そそ、そんな事ない!トレモロの空気砲は、誰も傷つけないとこが、良い魔法だと思う!!」
ロワズィが、勇気を振り絞った!て感じに反論してくれるが。
「役立たずになりたくなければ、やってよ。事務のおじさん、お願い。瑣末な事に手を取られたくないの。私の研究、ちょっと難しい所なのよね。」
何故足をクロスさせるのだ。身体の半分の丈のローブ、スリットのあるスカートから、チラリと見える足は長いけど、この魔法院で色気は割と、無駄である。
皆、異性にも同性にも、魔法以上に興味がある者が少ないのだ。
「ごめんね。自分で書くなら、手伝いはするけど、って決めてんの。」
トレモロは、自分のこの状況を、別にそんなに悪いものだと思っていない。でも、何でも、はやらないんだ。
ケチね、とフゼアはカツカツ歩いて去った。ドロワ、ゴーシュ、頼むわよ、と眠そうな目で。
「ええーっ!?」
「えええぇ!」
賛美者も難儀である。彼らも魔法院の職員だから、自分の仕事もしなくちゃだし。
トレモロとロワズィは、首を長く伸ばして見送っていたが。
「トレモロ。あの•••ごめんな。」
「ん?何が?」
しょるい。書けなくて、いつも手伝ってもらって、ごめん。本当苦手で、助かってるけど。
「頼まない方が、いいかい?」
窺うようなロワズィは、弱気に気遣い、びくびく、すまなそう。
「何だよ、ロワズィが自分で書く書類の手伝いくらい、何でもないさ!さあ、悪いと思ってるなら、おやつのとっておきのボンボン、お楽しみ箱から一つ頂戴!」
ポム!とお腹を叩いて、ドゥハハ!と笑う。
「へへ。しょーがないな!ボンボンやるよ!•••助かるぅ!」
トレモロは、今この仕事を、全然嫌じゃない。
じゃないけど。
「あ、トレモロさん。」
ロワズィと書類を書いて、提出した帰りに食堂でご飯にしようぜ、と歩いていた2人はーーー竜樹様に触発されたチリ魔法院長の指示、何でも実現バーニー君の肝入りで、食堂が出来て、不健康な魔法院の住人達は狂喜乱舞した。ご飯が、手軽に、いつでも!だーーーひょこ、と給湯室から顔を出したバーニー君が、おいでおいでとトレモロを呼ぶ。
「バーニーさん。竜樹様の所へ行っていたのでは?」
彼は何かと便利に使われて、あっちいっちゃ働き、こっちに戻っては働きしている。トレモロは、身体大丈夫かなぁ、と心配である。
「ええ、そうなんです、帰ってきたばかりでね。それで、その、竜樹様なんですけど。トレモロさんに、興味あるって。」
え?
「竜樹様が、私に?」
トレモロが戸惑うけれど、ロワズィは、やったじゃん!て顔で、ぷくぷくした二の腕を叩いた。
「明日来るって。竜樹様。」
「え!?ここに!?」
何だろう。私に?かの方が?
「事務能力かなんかで目に留まったんですかね?」
不思議だ。だって。
ニカ、と笑って、バーニー君は。
「いいえ。トレモロさん、あなたの魔法に、興味があるのですって。竜樹様は。」
え、えええええ?
翌日、半信半疑のトレモロの研究室に、本当にギフトの御方様がやってきた。
「や。初めまして、トレモロさん。私、ギフトの人、畠中竜樹です。」
ショボショボ目に、地味な顔、この国の者と比べて、低い身長に、鍛えても痩せてもいない真ん中くらいの身体。
ザ・普通。いや、普通よりずっと地味。
そんな竜樹様は、トレモロと握手して、開口一番、こう言った。
「トレモロさん。気象風船、撃ち上げてみない?」
それで、くくりつけたカメラで地上を撮ってさ。
雲が写ってるだろうから、鑑定で天気予報、その写真から予測されるお天気情報を出してもらって。
テレビやらラジオで、少しもめるかもしれないけど、毎日俯瞰で、あなたの空気砲があれば、風船とカメラを打ち上げられるんじゃ、ないかな。
「そしてテレビでは、地方現地の毎日お天気情報を、うん、うん、そう、彼らに。旅する歌い手、吟遊詩人達に、リポートしてくれるように、頼んじゃおうかな。」
歌の競演会で、吟遊詩人達や、貴族の歌い手さんを、リポーターとして勧誘してみましょうかね〜。




