レザンの気持ち
レザン父ちゃんは、満足してお茶を飲んでいた。
側には愛しの妻、エタニテがいて、可愛い息子、満腹のデュランを抱っこして、ゆらゆら揺れている。
一度どうしようもなく手放したそれらを、再び側近く、一緒にいられる事ができる喜び。
それに勝る事はないけれど。小さな喜びは幾つあっても良い。
故郷で、かつて一緒にいた仲間達と、蟠りを越えて再び緩やかにつながり合い、これからもやってゆける。
デュランにとっても、クマの郷に関係ができた事は、今後何か困ったことがあった時に話を聞いてもらえる第二の場として、広がりを得た。
とても良い事だと思う。
周りに認められて、そこにいるのを、許される。
当たり前のようでいて、そうではない事が、レザンは叶って今、とても嬉しい。
「もう一杯、どうだ?飲みやすい白ばっかじゃなくて、今度は赤でよ。チーズとナッツのつまみもあるぜ。」
皿と、赤いワインの瓶とコップを新たに持って。
《クレヴィリーダー。》
「よせよ。今夜からもう、お前がクマの郷のリーダーだろ。」
ははっ、と笑う。
エタニテが。
《腹黒オヤジ。まだ働け。リグレス、イリキュート、みてやる、だろ?》
ニン、と笑ってデュランを撫でる。
デュランは、くあ、と欠伸して、スリスリ。エタニテの腹に、ふこふこのお耳を擦り付けている。
「ああ、まあ、そりゃそうなるだろうよな。お前たちは心配しないで、まあ、竜樹様の所へ戻りな。今回、電話も持ってくれて、リーダーになって、もしもの時は駆けつけてくれる、そんな後ろ盾に、お前たち神様の眷属2人が付いてくれる。これほど嬉しい、安心できる事はねぇよ。元リーダーとしても、礼を言うぜ。」
目元に皺を寄せて、穏やかな顔で、ただただ礼を言う。
《良いんだよ、クレヴィリーダ、いや、クレヴィお義父さん。クマの郷と、離れている時より、少しだけ関わりを持たせてもらった今の方が、ずっと気持ちが嬉しい。これからずっとずっと、長く生きる俺たちだって、帰る場所が、親しく受け入れてくれる場所が、2つもできるなんて、とても安心の事なんだ。》
《長く、ミマモルワよ。》
ふふっ、と顔を見合わせて、ねっ、そうだね!と笑い合う若い夫婦に、クレヴィは、ふ、と苦い笑みを浮かべて。
常温の渋い赤ワインの栓をキュポキュポ、ポン!と捻り開けて、澱を入れないようにレザンと自分のコップとに静かに注ぎ。
「お前たちの寛大な心に、乾杯。」
チン!とぶつけ合ったコップを、キュウ、と傾けて味わう。
放り込んだナッツとチーズが、もぐもぐ、じんわり。口の中でどこか渋く香り高い、ワインの味と共に広がって美味い。
「ごめんな。レザン。エタニテ。」
飲んで。ショボ、とする。クレヴィ腹黒オヤジだって、反省するのである。謝っても仕方のない事ではあるが、要らぬ苦労を、それも特大の苦労をかけたのは、クレヴィ親父の、2人を結ばせて郷の外に出す、という采配をきっかけにしてだ。
幾ら次代のリーダーにとリグレス、イリキュートを推したからとはいえ、穏便にレザンとエタニテを郷に残す方法は、幾らでもあった。
「俺はさ。レザンの力量が、恐ろしかったのかもしれねえんだ。あんまり喋らねえお前が、それでも、郷の皆に信頼されて、認められているのを知っていた。リグレスがリーダーになった時、レザンがそれを、嫌だとは言うまいとは思ったよ。でも、周りが放っておかねえかな、とも思ったんだ。かといってレザンをリーダーにするにも、ちょっと足りねえ。カリスマだけじゃあ郷は纏まらねえ。泥臭く、人の力を沢山集めて、手助けしたくなるような、そんな、弱さも持った、人間くさいリーダーじゃねえと、俺が安心出来なかったのかもしれねえ。」
何しろレザンはその頃も、何かと頼りにされてーー頼りにされ、あちこちから力を望まれるリーダーが1人いるより、皆が助けたくなるリーダーをと。このままでは、郷が2分されるのでは、と。
「正直、郷の外での生活に困って、お前たちが負けて帰ってこねえかな、とも思った。頭を下げて土のついた、リグレスの下に付いたお前らが補助にいれば、もっとうまくいくんじゃあ、ってな。頭だけで組み立てても、人は願望通りになんていかねえものよな。お前たちは、出ていくと決めたら自分達でやっていく、と離れていって、負けて戻ってくるなんてあり得なかった。エタニテが儚くなっても、レザンもデュランを抱えて困ったろうに、俺たちに助けを求めるだなんてーー退路を俺が断ったんだもんな。信じてくれは、しなかった、当たり前だ。」
言ってくれたらいいのに。
助けたのに。
その気持ちは、ない訳じゃなかったのに。
困っている人に、後から何とでも、言う事はできる。
けれどもその時、助けてくれる人として、脳裏に浮かばなかった。信頼されていなかった。そういう関係を築いてこれなかった、そうしてしまったのはーーー悪いのは親である、クレヴィだと、腹黒オヤジは思う訳なのだ。
《クレヴィお義父さん。俺はね。》
グッ、ごくんと、赤ワインを口にして、パクッとつまみのチーズの欠片を放り込んだレザンは、もぐ、もぐ、とゆっくり味を確かめながら。
のんびり、話す。
眠そうなデュランを、幸福と共に眺めながら、コップを、くる、くる、と手の中で遊ばせる。
《今日、今。色々な事を、エタニテと、デュランと、楽しく、時にはしんどく、辛くだけれど、経験して味わってきたからこそ、今日の和解が成って、上手くいったんだ、って思えるよ。》
俺はこの郷にいる時、リーダーなんてものについて、何にも考えてない若造だった。ボーッと生きていたね。
「ボーッとか。ほんとか?」
クレヴィ元リーダーは、怪訝な顔をする。あの頃のレザンは、若くて無口だったが、だからこそ、何か深く考えてそうな、賢そうなツラをしていたものだ。
ハハッ!とレザン父ちゃんは笑う。
《本当、本当!今よりもっと、ずーっと、ボーッとしてて何も考えてなかった!•••まあ、何も考えてなかったから、郷を出る羽目になったんだね。》
自分が子供だった、と思えるのは、少し誇らしく。そしてその頃が少し恥ずかしく、複雑に気持ちが混ざり合いながら、自分を認めてあげられる、穏やかで優しい気持ちがするものだ。
そこそこの人望を集めていたのは、きっと欲がなかったからだろう。そして、孤児で、郷の皆に育てられもしてきたから、それに感謝して皆に気持ちを開いて。
《甘えてる気持ちが、確かにあった。これからもずっと、このまま受け入れてもらえるんだろう、って。そうして、それが、悪い事ばっかりでもなかった、と思う。そんな甘ちゃんだったからこそ、自分がそうされて当然だと思うように、郷の皆も仲良く受け入れて、誰かのために動く事が、当たり前に出来ていたから。》
うん? •••うん。
クレヴィ元リーダーは、あの頃の、若くて少し言葉が足りなくて、鋭く目を光らせて生きていた、レザン父ちゃんを思い出す。どこかアンバランスな魅力があったのは、未熟ゆえもあった。
《ねえ、クレヴィお義父さん。俺は、郷を出てから、肉体労働で、稼いでいたんだよね。工事現場で、段々とやれる事も増えて、最終的には現場監督をやってたよ。》
現場監督になってみて。
いや、それまでも、温かい郷を出て、厳しい外の世界で、リーダーたる監督の下で働いてみて。
《現場監督って、本当に優秀な人は、幾つも仕事をもってて、その人が1人いると、幾つもの現場が回る、って事があるんだ。そのくらい目端がきいて、人にも仕事にも目を配って。その人の言う事なら信頼できる、例えその時は間違っていても、こちらから伝えれば聞いてくれて、仕事を成り立たせる中で正しく扱って、気持ちを逸さない。困った時、この人ならなんとかしてくれるーーー。》
クレヴィお義父さんは、確かにそんなリーダーをやっていた。腹黒オヤジってエタニテは言うけど、それも、含めて、郷のためにならない事は、しないって。
《監督って、自分も動くけど、周りを良くみて動かすのも、上手なんだ。不平不満が、全くないとは言わないけど、やっぱり監督の言う事を聞いてしまう。そして、その人が言うならまとまる。そんな力を持ってる。色々な監督を見てきたよ。腰が低い、自分が緩衝材になって交渉する、穏やかなタイプ。カリスマで、仕事が出来て、周りがほっといても付いてきて、動いてくれるタイプ。可もなく不可もなしだけど、堅実にまとめ上げるタイプ。その誰もが、誰一人として取りこぼしのないように、なんて、出来ないんだ。》
人はくっついたり離れたりする。気持ちがある。そこに仕事を乗せていかなきゃならない。仕事は穴を開けるわけにはいかなくて、必ず成功させないと。
人が大勢集まれば、弾かれる者は出てくる。人間関係が上手くいかなくて、周りをズタズタに引き裂いてしまうような人も。
《俺は、そんな人も、それぞれ1人1人話をした時、決して全員が悪い人ばかりじゃなくて、ただ大勢の中で上手く出来ない不器用さを持った人なんだって、全員が大勢の中にいなくたって、って。そう思う事も色々あったけど。その、外れた人を癒して居場所を作る仕事は、リーダーの仕事であって仕事じゃないんだ。それはとても重要だけど、難しい仕事。現場で監督をして、工事の仕事をしながら、そこまでできる人は、なかなかいない。むしろ、フォローをする、補佐の人が、自然といたりしたものだったよ。》
そうして、あまりにも仕事としての集団を乱す存在は。
《リーダーは、決断しなきゃいけない。その人を排除して、別の場所に移動させる事を。今なら、厳しくて合わないその状況から、排除して動かして別の視点を持てるようにさせる、それもまた、道なんだって思える。》
だけど、最初は、なんて可哀想なんだ、ってなかなか受け入れられなかった。だけどズルズルしててもダメなんだ。お互い辛い時間が、長くなってしまう。
《その後の事まで、多少は考えて断つリーダーは、親切だよね。でも、皆、自分の人生を生きているんだ。何もかもをお膳立てされて生きていくわけにはいかない。きっかけはどうあれ、断たれた事から、自分を救っていかなきゃなのは、自分自身だ。周りの力が必要な人も沢山いるけれどーーーそれは、また、リーダーとは、別の役割の人だね。》
断つ事は一見、冷たいようだ。
けれど必要な事でもある。
《やり方、関わり方は、人それぞれなんだけど、そうして、リーダーでもなんでもない、普通の、そこにいる人が、案外ちょっと親切だったりもしてーー人の世って冷たくて、時に温かくて、どうしようもなく理不尽で、そこで1人1人が生きていかなきゃならない。》
レザンの視線は、息子デュランに注がれている。
そうだ。これからを、そんな冷たくて厳しくて時に温かい世の中を、生きていかなきゃなのは、子供達なのだ。
クレヴィは、反省している。
こんな風に厳しい外を見てきたレザンだからかもしれないけれど、ああ、やはり。レザンは、リーダーの素質が、ありありとあったんだな、と。
それを無視出来なかったから、だから、クレヴィは郷を追い出したのだ、と。
最初からレザンをリーダーにして、クレヴィの下に付けてやり、可愛がって育てればどんなにかーーー。
「俺は、バカだな。あぁ、こんな俺が、お前の、レザンの、義父ちゃんで良いものかなぁ!?」
《良いに決まってるだろ。クレヴィお義父さん。俺はやっぱり、クレヴィお義父さんて、大したもんだったんだな、って思ったんだ。やっぱりリーダーだな、って。あの時、エタニテとの結婚を許してくれて、ありがとう。路銀も沢山、助かった。俺は外に出てから、あの金の本当の価値を知ったよ。外に出なければ分からなかった事が、沢山あるんだよ、クレヴィお義父さん。》
もし、は言うまいと思う。
きっと、本人が言うように、辛い経験を越えてきたからこその、今のレザンなのだと。
「そっか。」
《うん。これからも、よろしくお願いします、お義父さん。》
ああ、ああ。
今夜の酒は、なんて目に沁みるんだ。
「•••リグレスが郷の外に出てみるのも、レザンにしてみれば、やっぱり良い経験になると思うかな。」
《うん。クレヴィお義父さん。きっとリグレスは、でっかくなって帰ってくるよ。俺は、そう思うな。》
少し離れた所で、聞き耳を立てていたリグレスとイリキュートは、ああ、ああ、本当に俺たち、私たちは。リーダーには気持ちも経験も、足らなかったのだ、と話を聞いていて、つくづく思った。
エタニテ母ちゃんは、ニコニコしている。
デュランは、そんなエタニテ母ちゃんのお膝で、お話を聞きながら、半分寝ているけど、この事を後で、懐かしく思い出したりするだろうか?
ブレイブ王様と、ラーヴ王妃様は、手を繋いで黙ってレザン達の話を聞いて、一つ、二つ、頷いている。ラーヴ王妃様のお膝のアルディ王子は、お目々をパシ、パシ、と瞬いて、お耳をひこひこさせながら、黙って、けれど案外熱心に、話を聞いている。
竜樹はショボショボした目で、ニコリ、と少しだけ笑って、お膝のニリヤと背中のネクターを、揺らした。
オランネージュとファング王太子は、男のリーダー論を聞きながら、目をいっぱいに見開いて、そうか、そうなのか、と心に漣。きっとこのお話を、折に触れ思うに違いない。
クマの郷の連中は、レザンとクレヴィ元リーダーの話を、ただただ、ああ、そういうこともあるよなぁ、と深くそれぞれに思いながらも、さりげなく。
普通に宴会やりながら、昇り始めた月を見て、クマの郷も、ワイルドウルフも、ありがたいことに、安泰だなぁ、俺たち、私たちも、頑張らなきゃなあ、としみじみ思っていた。
そしてクレヴィの妻、ミュリエルは、本当に全く男どもはどうしようもないんだからな、だからそれを補助するんだから、相談しなさいよ!と思いながらも、怒りが半分、解けはしないけれど、それもまたエタニテ達の人生ってやつなのか、と少しだけ腹に落ちる気持ちがしていた。
今、エタニテ達が幸せになったれば、腹にも落ちるというもの。母にできる事は、まだまだ幾らでもある。
怒りはこれからの女達、子供達のために、全てを無くす事は、ないのだろう。




