エタニテ母ちゃん
竜樹はいつもの夢の感覚がして、よっしゃあ!と拳を握った。
後、亡くなった保護する魂達が出てきていないのは、シロクマ獣人の子、デュランだけだ。待ってた、凄く待ってた。
あの、寂しくて悲しくて、ゆらゆらと濡れた瞳、竜樹の片足に心いっぱい力いっぱい、ギュッと縋りついて。眉を下げて頬寄せてくるのも、もう見なくても良いのだ。
ちゃんと思われてるんだよ、ってデュランに、やっと伝わる。
もや、と霞がかった、小さな部屋に、竜樹は立っている。
そこには赤ちゃん用の、素朴な木の揺籠があって、ゆら、ゆら、と誰かが動かしたのか。
古いテーブル。片足を直した椅子、そして背を足した椅子と2脚。煉瓦造りの、壁に小さな窓から、柔らかな光が射す。
ふ、と片足に温かさと重さが。
「デュラン。」
「竜樹とーさ?」
片足に掌をギュッ。定位置に縋りつき、上目遣いに、デュランが不思議そうにしている。いつもの夢のようじゃない、不思議に確かな夢だから、デュランも勝手が違うのだろう。
す、と柔らかな光が遮られ、ふ、とそちらを2人、見る。
びくん!と、小さな身体が震えたのが分かった。
「父ちゃん!!」
「デュラン•••遅くなって悪かった、悪かったなぁ。」
父ちゃん、死んじゃってごめんなぁ。
窓を背に、眩く輪郭光るその人に。タタ!と駆け寄るデュランを、抱き上げる父ちゃん、シロクマ獣人のレザン。竜樹よりも頭1個半も大きくて、肩幅も広くて、外仕事だったようなのに色白で。デュランと同じ、何もかもを見通すような金の目に、長い白のストレートの髪の毛を、そのまま垂らしている。
デュランは、ひん、ひん、ひっく!としゃくり上げ始め、くぐもった甘い泣き声、首っ玉にかじりついて、頬を擦り付けた。
「と、父ちゃん、お、おれ、ひとりで、やだったよ!死んじゃ嫌だよ!おいてかないで!」
•••ごめんなぁ。
目を伏せるレザン父ちゃん。
デュランの頭を撫でる腕は、ザリザリに怪我をして•••それでも大きな手、優しく優しく包み込む。
「父ちゃん、デュランが心配だった。竜樹とーさの所で、やってけるか。母ちゃんも心配してた。ファング王太子殿下に腕輪も貰って、皆に優しくしてもらって、怒られる事も疎ましがられる事もなく腹一杯食わせてもらって•••父ちゃんと母ちゃんは、やっと安心した。だから来たんだ。ずっと、デュランを見ていたよ。」
「父ちゃん、ぐす、ひっく、母ちゃん?」
顔を見合わせ、瞳を合わせて、言い聞かせるように話すレザン父ちゃん。
母ちゃんも見てた、というなら、何故ここに来ないのだろうか?
竜樹は、せっかくの父子の最後のふれあいだけれども、もし母ちゃんも来られたなら、だって本当に、デュランを産んだ時に亡くなったのなら、これが最後の、そして初めての、母子のふれあいの機会になるのだから。と差し出口を言う事にした。
「レザンさん。竜樹と申します。デュランを、ちゃんと育てます。レザン父ちゃんを忘れる事なく、でも俺も竜樹とーさんとして、デュランを一人前の大人になるまで。そして自立してからも、何かあれば実家代わりの拠り所として、いつまでも頼りになると誓います。どうか今後ともよろしくお願いします。デュランを見守っていて下さいね。そして、母ちゃんも心配していた、とおっしゃいましたけど。」
レザン父ちゃんは、話しかけた竜樹に、抱き上げたデュランの、みっしりとした重さをものともせず、ペコリとお辞儀をした。
そして、親が子を頼む時の、何度も竜樹が夢で見た、何とも言えない訴えるような目をした。
「竜樹様。デュランを可愛がってくれて、ありがとう。どうか、どうか、この子をお願いします。優しくて、良い子です。ちょっと、沢山食べるけど、その分力持ちで、後々きっと誰かのお役に立ちます。この子の母、エタニテも、随分と感謝していました。•••して、いました。」
「ここに来る事は、できないのですか?お母さん、デュランと話す、最後の機会です。こんな機会、逃しちゃダメなんです。もし、もし、呼べるようなら!」
ふるる、と悲しく白光する髪をはたはた、シロクマお耳をくっつけた頭を振って、レザン父ちゃんは竜樹にしょんぼり。
「エタニテは、あいつは、産まれて一度も抱いてやる事の出来なかった、可愛いデュランの事を心配過ぎて。他の未練が残った母ちゃん達の、張り裂けた魂の欠片を呼び込んじまって、悪いモノになりかけてんです。デュランが鞭打たれたのも、良くなかった。怨みの気持ちが抑えられずに、呼んだら、まともでいられず、竜樹様を呪われた手で切り裂いて。そしてデュランを、力いっぱい抱きしめて、抱き壊してしまうだろうと•••俺がエタニテを、止めていたんです。」
ああ、それで。
「それで今まで、夢に現れる事が出来なかったんですね?」
コクリ、と頷くレザン父ちゃんは、金の目を曇らせて、デュランに頬ずりした。
「会わせてやりたかった•••!でも、出来ない!竜樹様が、本当に可愛がって下さるのが分かるから、きっとこの人なら大丈夫だから、俺たちは竜樹様にデュランを育ててもらいたいんだ!母の乳の味も知らない、不憫な子です!会わせてやる事は出来ないけれど、どうかエタニテの気持ちも、汲んでやって下さい!」
ああ。
想っているのに、会えないなんて。
「エタニテさんは、どうなるんですか?悪いモノになりかけて?」
レザン父ちゃんは、ふるる、と頭を振るばかり。目を伏せて。
そんなのあるか。
一度も抱いてやれなかったんだ。
会えないなんて、悪いモノになって、デュランを見守ってもやれないだなんて。
「そんなのあるか、ないよな?」
「?竜樹様?」
竜樹は、すうっ、と腹に力を込めた。
危険があるかもしれない。
でも、この、霞がかった世界が、確かに誰かに守られていると、そんな温かな気配も感じるから。
「レザンさん、俺は良いから、デュランを守って下さい。お願いします。」
「え•••竜樹様!?」
す〜っ。はあ。
「お母さ〜ん!デュランのお母さん!エタニテさん!最後の機会、デュランに会いにおいでなさい!俺なら大丈夫、きっとあなたは堪えられる!」
「竜樹様!!」
レザン父ちゃんが焦って、デュランを抱いたのと反対の腕で、竜樹の手を掴み、ぶるるる!と頭を振るが、竜樹はどうしても心の声を叫ぶのを、止めなかった。
怪我をしたレザン父ちゃんの腕は、もしかしたら、母ちゃん達とエタニテを抑えるために、なのかもしれない。
「お母さん!優しいお母さん達。どんなにか子供達が心配だった事でしょう。」
お乳をあげたかったね。
抱きしめて、あげたかった。
我が子が虐められてるのを、何とかしてあげたかったよね。
優しいお母さん。
「あなたたちの、温かい、優しい眼差しを、忘れないで。そうして、ゆっくり、出てきて下さい。母と子と、会えるのは今しかない。お母さん達が、気持ちを幾許なりと成就させられるのは、今しかない。きっと神様、メール神様の、お導きもあります。あなたたち、お母さん達を司る神様なんですもの。ね、そうでしょう、メール神様!」
竜樹は真剣に祈った。
竜樹の世界では、奇跡もあるのかもしれないが、大体において神は、自分を見守る存在としてのみあり、律する為の、心の拠り所、現実には、何か手をかけてくれるというものではなかった。それで良い、それで良いのだ。だってこんな風に、頼ってしまうもの。
けれど、こちらの世界で、曲がりなりにも神様達と交流して、かの方達もどうしようもない、手出し出来ない事もあるのだろうけれど、それでも助けてやりたいと、心をかけてくれているのを知ったのだから。
きっと、こんな時、頼らないのもダメなのだ。
「いいね、使っても良いです、その為のいいねです、どうか、どうか、メール神様!」
ぱっ、ちらり。
ピンクの薔薇が、一輪。夢の中なのに、ふんわり確かに、竜樹の目の前で咲いて、ふわふわと落ちた。
『その頼み、私の望みとも合いますよ。竜樹、良く私を呼んでくれました。』
薔薇が落ちた所に、すう、と光の裾。優しい胡桃色の、ウェーブしたお髪がたなびき、其処彼処に薔薇咲き、温かい光に包まれた、メール神様。
微笑むその神様は、衣をはためかせて、西洋絵画に出てくる母子像の母のよう。なのに一重に黒茶の瞳が輝いて、どこか和風だ。ふっくらした身体でいながら、神秘的でとても美しく。抱擁感を感じさせる綺麗で淡い、撫子色の光と共に、ふわふわと浮いていた。
ニッコリ、笑顔が安心を呼ぶ。
『名指しで頼りにされては、神とて張り切るしかありますまい?ましてや私は母なのですもの。ちょっと顕現しちゃったわ。まあ夢の中だから、大丈夫、顕現に、いいねは要らないわ。竜樹の母のイメージを借りました。』
ああ、それで、どことなくマリコ母に、似ているのだ。
『エタニテ、いらっしゃい。大丈夫よ、私が悪い気持ちを、怨みの気持ちを、抑えていてあげる。デュランに会いに、そのままの姿で良いから、まずは安心して、いらっしゃい。』
おいでおいで、と手招きする向こう側が、赤黒くぼうわり靄がかったかと思うと、ぶおん、とそれは現れた。
はーっ、はーっ。
息も荒く。けれどその瞳哀しく。
白銀の髪、毛並みのお耳、まだ若いシロクマ獣人のエタニテは、その銀の瞳に涙をなみなみと湛えて、ぶるぶる震えながら、一歩一歩近づいてくる。
《デュラン•••。》
右腕が、爪も鋭く禍々しい獣の手だ。赤黒くぬらりとしたそれは、子供達と離れ離れにさせられた、怨みの気持ちをもって、世界を切り裂こうとしている。
メール神が、手にした薔薇で、ポン、とその腕を気軽に打った。
ポワン。パッ!
光弾けて。
みるみるうちに、エタニテの元の腕となり、怨みは抑え込まれて、少し黒い爪が伸びてるかな、位になった。
《デュラン•••私の赤ちゃん。デュラン、かわいいこ。》
ぽた、ぽた、垂れる涙に、デュランは。
息を飲むレザン父ちゃんから、モゾモゾ降りて、そのズボンを片手で掴んだまま、頬をポッとさせて。
「か、母ちゃん?」
《母ちゃんよ。エタニテ母ちゃんよ。デュラン、いらっしゃい。》
躊躇い、だけど、顔を上げて、勇気を出してトコトコと、デュランはエタニテ母ちゃんの所に行った。
心逸る、そのままに、すっと腰を落として受け入れ、優しく力強く、ギュッと抱き上げた母ちゃんは、涙を止めぬままデュランに頬ずりした。
《デュラン、ああ、デュラン!!お乳をあげたかった、抱きしめてあげたかった!こんな風に、いつだって、側にいてあげたかった!》
「エタニテ•••良かったね。デュラン、これがお前の母ちゃんだよ。エタニテ母ちゃんだ。良くギュッとしてもらいな。」
レザン父ちゃんが、ホッと息を吐いて、エタニテ母ちゃんの背中に手を回して、デュランごと抱き締める。
「ウン!母ちゃん•••かあちゃぁん!」
デュランは甘えて、その胸に。
ウンウン。うんうん。
竜樹とメール神は、満足の気持ちで頷き合う。親子が会えた。良かった、良かった。
『さて竜樹。これからどうします?』
メール神が、うふふ、とふくよかに笑う。
「どう、とは?メール神様?」
いつもの写真コースでは、ないんかな?
ポンポン、と薔薇を唇に当てながら、メール神は考え考え。
『エタニテは、今は私が抑えていますが、この場から引き下がれば、すぐにあの、悪いモノになりかけの姿に戻るでしょう。デュランに何か悪い事が重なれば、世の中に現れて、相手の者も、その周りの無辜の者も、惨殺しかねない。そういう怨みの腕は、変わらず消えないものなのよ。』
「それは•••エタニテお母さんにも、デュランにも、決して良い結果には、なりませんね。」
そうなの。
パチ、パチ。瞬きをするメール神は、今も微笑みを崩さず、多分、竜樹の答えを待っているのだ。
うん。ふむ。
この世界は、神の力が、竜樹のいた世界より、もっとずっと具体的に現れる世界だ。だからきっと、こんな願いも、いけるのでは、ないだろうか?
ふかふかの白銀のお耳に、神社の境内、両脇にピッとお座りをするお稲荷さんを思い出す。
「眷属。メール神様の眷属に、エタニテお母さんをするには、いいねがどれくらい必要ですか?」
ショボショボとした目で窺い聞けば、ふわ!と嬉しそうにまた、メール神がほころんだ。
『ふふふ!やっぱり竜樹ね、よろしい、満点の答えです。そうね、眷属にするには、5000いいねもあれば良いわ。というか、それ以上貰って、あまり強い眷属にしてしまうと、力が余ってバランスが取れないのよ。また大きすぎる力で、デュランのゆく道を、潰してしまうでしょう。だから、本当に弱い、ただ、子供達を見守って危ない時にちょっと助けたり、知らせたりする、そんな存在にする事はできるわ。』
エタニテ母ちゃんも、レザン父ちゃんも、デュランを抱き締めたまま、真剣に話を聞いている。
『良いかしら?エタニテ。お前は人ならざる者になるしかない。ならば、私の眷属になってみない?子供達を見守る、優しいエタニテという眷属に。デュランだけじゃない、他の子も見守るのよ。そして•••デュランが人生を全うした後も、エタニテはずっと、眷属として残り、魂の輪廻から外れ、子供達を見守る存在でいなければならない。言葉もたどたどしくなるでしょう。力も、眷属としては弱い方ね。でも、それでも、デュランと一緒に、その人生を生きている世の中で、見てあげられるわよ。』
竜樹の、子供達の寮で。
《はい•••メール神様。子供達を末長く見守れるならと、この腕の、お母さん達の魂の欠片も、喜んでいます。皆、きっと、誰も傷つけたくなんかなかった。ただ、子供達が可愛いだけなんです。私も、私も、デュランを、側で見守ってあげられるなら。》
すり、と目を瞑りデュランの頭に涙を擦り付ける。
『二度と、夫のレザンの魂と、出会う事は出来なくなりますよ?』
「それは•••。」
レザン父ちゃんが、苦しげに母と子とを見る。子供を産む時に亡くなった、まだ幾らも一緒にいる事がなかった、愛しい妻である。だけれども、自分の寂しさと、エタニテの悪いモノへの変貌を、引き換えにする事は出来ない。デュランも、その方が、母が側にいた方が。
レザンが覚悟して返事をしようとした時。
『それならば、私の出番であろう!なあ、我が妻、メール神よ!』
パッ、と黄色い薔薇が咲き、しかし顕現はせず。
「ペール神様!?」
空間をゆらゆらと、その力で震わせて、低く、やはり温かい声が響く。
『妻と子と、父が離れて暮らすのは、どうなのかな?魂が2度と会えないのと、いつかまた会えると思って逝くのとでは、人にとっては、大分違うよ。そうだろう?竜樹?』
「ええ、ええ。そう思いますね、ペール神様。」
むっふっふっふ。
笑い声も太い。
『ならば、レザンは私の眷属としよう!子供達を見守り、冒険させ、しかし危ない事からはちゃんと守ってくれる眷属、レザンとして。エタニテと夫婦眷属のまま、この世でしっかりと、一緒にお勤めを果たすと良い。竜樹の寮や孤児院では、見守らなければならない子供達が、沢山いるだろう?そこを、縦横無尽に、自由に飛び回って、いつの間にかそこにいて、いつも何処かにいて、見守っている父ちゃん眷属に。』
ふー、とため息を吐くメール神である。
『ペール神。それは良いけど、またあなた、力加減を間違えるのではないの?あまり強い眷属では、レザンもデュランも、エタニテも可哀想よ。勿論竜樹だって困るわ。その調節、ちゃんと出来るのでしょうね?』
『勿論!勿論だよメール神!大体いいね、500000くらいかなあ?』
『5000くらいです!!』
『•••ほんのちょっと、なんだねぇ。』
大丈夫か、ペール神様よ。
「恐れ多くも、お願いさせてください!ペール神様、おれも、是非、眷属になって、エタニテとデュランと、そして子供達と、一緒に!!」
どうか、一緒に!!
ふふふふ。
うふふふ。
夫婦神様達は、嬉しそうに笑い、そして、ウンウンと頷いた。ペール神様は顕現していないけれど、何となくそんな感じがした。
だからきっと、これからはきっと。
『竜樹。目覚めたら、エタニテとレザンを頼みますよ。人の世界で、馴染んで暮らせるように、力になってやってちょうだい。』
『頼むよ、竜樹。私も力加減を頑張るからね。』
「ありがとうございます!メール神様、ペール神様!あとお花も沢山、ありがとうございます、ペール神様!!とっても助かってます!!」
お礼が滑り込みで言えて。
仲良く笑って抱き合うデュラン親子を見ていたら、ほんわり眠りに、ゆるりと誘われ。視界が解けていったと思ったら、深く深く、デュランも竜樹も、眠っていたのだった。
ピロン、とスマホにメッセージ。
『いいねを5000、使いました。』
『いいねを50000、使いました。』
ペール神様は、それなりに頑張ったようである。
竜樹達は眠っていて、まだそれを知らない。




