ミニュイとシャトゥ
夕刻、ラベンダー色から闇色に深くなりつつある空に、黒ずくめのミニュイの僕、黒髪赤目黒服君が空を飛ぶ。
誰かが目を留めそうなものなのに、誰も上空を気にしない。何らかの認識阻害の魔法を使っているのだろう。縦横無尽に、しゅた、しゅた、と、屋根からテラス、雨樋に爪先を引っ掛けて、軽々と飛び回る。雨樋も震えもしない。
音も微かに、とん、タタン、と、猫が肉球で屋根の上を跳ぶがごとく。
下町から平民街を抜けて、豊かな商人など中間層の住む地区。ある瀟洒な屋敷の敷地に入ると、植えられた樹々を伝って、人なら絶対に届かないだろう場所を足場、ぽ〜ん、ふわりと遠く飛び回り、2階の窓、バルコニーにたどり着いた。
キイ、と鍵のかかっていない窓を開ける。
中は薄暗く、魔道具ランプがひとつ、ゆらゆらと落とした光を揺らしている。
「シャトゥ。ご苦労様。首尾良くいったかい?」
窓を後ろに、ゆったりした肘掛け椅子に腰掛け、大きな艶光りする重厚な机、執務室らしき場所に座る、人物。
白髪に、ラベンダーの色が、同じ夕闇の空に溶けるよう。
黒服君、シャトゥは、肘掛け椅子に座る人物の前まで行き、片膝立てて跪くと、胸に手を当てて、その赤目を半分閉じ、恭しく頭を下げた。
「ミニュイの旦那様。全ては良きように。パレス達には、魔石で釘を刺しておきました。余計な事はしたくても出来ないでしょう。ギフトの御方様の件は引き取って、旦那様預かりとさせました。」
「宜しい。いつもながらお前に頼めば、万事良きようになるね。シャトゥ、私の息子。お前は立派になった。」
ほわ、と頬を赤らめたシャトゥは、目を閉じて微笑む。
「ありがとうございます、お父様。」
ふふふ、と笑い、老ミニュイは当時をありありと思い出す。
「お前を拾った時は、大怪我をしていても、野良猫のように唸って私を寄せつけまいとしたものだが。懐かしいね。•••もう大人だ。私の仕事を奪って、殺して成り代わろうとするくらい朝飯前だ。」
くすくす、シャトゥを人差し指で、クイクイ、と呼ぶ。
シャトゥは頬を染めたまま、両膝をついてにじり寄る。
「お父様。シャトゥは生涯、ミニュイの旦那様の忠実な僕です。大きな大きな腕を持つ旦那様に成り代わろうなど、とんでもない事です。如何様にもお使い下さい。」
ミニュイの膝に頭を、すり、すり、擦り付けて、猫めいてうっとり喉を鳴らす。
撫で、撫で、と。肉体労働をしない、皺があり歳は感じられるが指の長い、肉の付かない乾いた手のひらで、その黒髪を丁寧にサラサラ撫で。ミニュイは、はあ、とため息を吐く。
「お前は本当に良い子だよ。良い子過ぎてねぇ。私を追い落とす位に、野心があっても良かったのだよ?もう独り立ちしても良い程に、力をつけた。それでも私の元が良いのかい?」
一時もおかず。
「はい、お父様。」
「育て方を間違えたかねぇ。シャトゥ、生涯とは言っても、私の方が先に逝くのだよ?その後どうするのだい?」
仕方ないなぁ、と優しい声音に、うっとり見上げて。
「シャトゥはお父様の薦める相手と結婚して、跡継ぎをもうけます。お父様のやっているように裏のバランスをとって、馬鹿な連中の鼻面を掴んで君臨します。ミニュイの力は後々まで。ミニュイの名も継いで、お父様がずっとやってきた、そしてこれからもやりたい事をします。」
褒めてというように笑むシャトゥは、迷いのない瞳をしている。
サラリ、サラリと撫で、長い横の髪をつ、と掴む。
「私のやりたい事とは、何だと思うのかい?」
「ミニュイの旦那様は、自ら悪役になって、悪を制御して、悪にしかなれない者達に生き場所と利益を与えながらも。大きく道から外れ、表の無辜の者を沢山傷つける馬鹿者を、最低限に減らしています。」
はは、と暗い光の中、白い歯が大きく笑う。
「•••買い被りだよ。私は大概、悪に染まっているよ。手を汚さなければ、この世界で生き抜いていけないしね。もしそれが本当だとしても、なかなか自分を悪の中で制御しきれるものじゃない。お前にそれが、出来るかい?」
「します。お父様の良きように、シャトゥはいつだってします。」
すりすり、と再びミニュイの膝に頬を擦り付けて、瞼を閉じる。
ぽんぽん、頭を撫で、ゆっくり息を吐き、ミニュイは、うん、と一つ頷いて、話を変える。
「時にシャトゥ。お前はギフトの御方様を、どう見るね?」
もはや膝に腕を投げ、抱きつくシャトゥは、もそもそと喋る。
「シャトゥはギフトの御方様は好きです。ミニュイのお父様と似ています。あの方は大きな腕をお持ちの方。覚悟が出来ている方。きっと裏社会のボスに利益を、と言った話も、その通り利益がありつつ、表の人々に悪い事にはならないでしょう。それは、弱き小さな者達にも。」
「そう見るかい?やはり?」
「はい。」
ぱっちりと瞳を見開き。
「きっとあの方は嘘を吐かれないでしょう。ミニュイのお父様は、決して害を与えられず、王様と同席の、誉れある会議で、公の仕事を貰い、裏の者に分配しつつも認められて、堂々とお仕事できるはず。あの方は表の方。どうあっても裏まで表の仕事に引っ張っていく力のある方。あの方が関わった、花街のお仕事を見ても、そう思います。」
「まあ、私もあれだけキッパリ言われれば、そう見ているがね。」
トン、トン、肩を叩くミニュイに、シャトゥは安心しきって身体を預け、続ける。
「あの新聞売りの子供が、心の底から安心した様子で、乱暴者につけつけと意見をしたのも分かります。あのお方の下にいれば、ちゃんと守られると、何があっても助けてくれると、あの子達は分かっているのです。大きな腕の元、自由に遊ぶ気持ちが、シャトゥには、良く分かります。」
「仕方ないねえ。シャトゥには参った。」
ハハハ、とまた笑って、す、と語調を変える。
「では我が息子。ギフトの御方様に誘われた会議へ、私達も出席するとしよう。連絡は任せるよ。護衛はお前がいればいいだろう。神に誓ったならば、万が一にも会議の後につけられる事などもあるまいが、人は少ない方が身を紛れさせやすいからね。認識阻害の魔法はお前頼みだ。最大出力で頼むよ。日時は向こう予定で結構、要望も話を聞いてからにしよう。準備を頼む。」
途端に、すたっ、と立って、再び胸に手を当てて承る。
「お任せください。」
「ああ、それとね。今日の宿屋の、『夫婦のちょっと特別な夜〜たまには恋人同士の気分で〜』の準備も頼むよ。本業はそちら、表の仕事あっての私たちだからね。」
「はい!面白い企画でございますよね。旦那様が一番楽しくやっている、宿屋業こそ栄えますよう、私も力を尽くして参ります。」
パチン、と指を鳴らして、シャトゥは一瞬で。ホテル・レヴェのオーナー兼、王都宿屋組合の組合長、クレプスキュールの側に付いていた、燻んだ金髪の秘書君に。
瞳もありがちな焦茶色、細いおとなしやかな目に、服まで上品な白いシャツにリボン、ベージュに金茶の縁取り上着の、いかにも秘書らしい姿になった。
ミニュイことクレプスキュール組合長は、ラベンダーの前髪をつ、と掻き上げて、うむ、と頷いて。
「頼んだよ。私の信頼する右腕、シフォン。面白くなってきたねぇ、楽しみだねえ。」
「はい、左様でございますねえ。シフォンも楽しゅうございます。」
ニコニコリ、と笑い合う主従は、表の顔になり、フッ、と魔道具ランプの光を明るくさせて、ひと時、表の仕事を堪能するべく、諸々の手配を始めた。
「裏社会のボス、ミニュイさんていうんだね。」
翌日、ボスと連絡を取るために新聞売りに付いていった竜樹に、そこら辺にいるような着古したシャツの男の子が、とことこ近寄ってカードを渡してきた。
ちょっと読むから待っててね、と言えば、ウン、と素直に待つ。
丁寧に書かれた美しい、けれど身元が分からないようにか、何処かで見た事あるような汎用のカードが、水色の封筒に入って。
開ければ、ミニュイより、と書かれていて。
『高貴な方もご出席の会議に、光栄にもギフトの御方様直々に、ご招待いただき、こちらも面白く思っております。楽しみに参加させていただきますので、日時のご指定をお願いします。
こちらからの要望は、こちらを会議の前も後も害さない、詮索しない事。
護衛を1人会議に連れて行かせてもらう事。
認識阻害の魔法をかけさせて貰いますので、決して私と護衛の顔を晒さない事。
また、会議に出席する方々の名簿を事前にご連絡願います。
勿論、神に誓って、こちらからご出席の方々に、会議前に接触は致しません。
他の要望は直接お会いして、お話し合いで都合をすり合わせつつ、追々申しましょう。
連絡は、今日のようにギフトの竜樹様が新聞販売所に来て、カードをお持ち下されば、こちらの者が取りに伺います。
末端の者をお調べにはならないとは思いますが、連絡が円滑に進みにくくなるので、カードを渡した者、取りにきた者を調べるためにお引き留めにならぬよう。もしそうされても、彼らは何も知りません。
私がお望みの者かどうかに関しての調査は、ご存分に。
ギフトの御方様のお目に敵う者であると、僭越ながら自負すると共に、ご納得頂けるよう願っております。
ではまた後日、ご連絡お待ちしております。
ご予定が立ち次第、新聞販売所にいらして下されば、こちらから接触致します。
では、より良きご縁を。』
「ミニュイとは、私でも噂で知っている、裏社会の真のボスですね。」
タカラが、キュ、と顔を引き締めて言う。マルサが後を引き取って、カードを覗き込みながら。
「だな。表の裏社会のボス、て何か変だな、えー、表向きの裏社会のボスは別に居るんだが、真に牛耳ってるのはミニュイだと言われてる。名前しか出て来ないがな。何をしているのか不明なんだが、裏社会の連中が抗争とか起こしそうになると、ひとしきり荒れた後、ミニュイの者に整えられて、ガラリと顔ぶれが変わったりする、って。裏社会がはみ出し過ぎると、表からの締め付けもキツくなるから、ミニュイにほど良いようにバランスを取られているそうな。その顔を知る者はいない、ってさ。」
「へぇ〜。あの3人の乱暴者、末端ぽかったけど、無事に裏社会のボスに辿り着いて連絡取れたんだねえ。」
竜樹が感心すると、マルサが、待たせていた男の子に、大丈夫、ちゃんと受け取ったから行っていいよ、と手を振って。
「そこかよ。というか、危ぶんでたのか。俺もだけど。まぁ、あの3人が繋ぎを取れたというより、ミニュイの耳が良かったんだろう。あの騒ぎは皆が見ていたしな。流石だよな、裏社会のボス。」
うんうん、とタカラも他の護衛も頷いて。
「絶対奴らじゃ、ミニュイまで話を持っていけなかったと思うぜ。竜樹もあんな話をして大丈夫かよ、と思ってたんだが、無事、ってのも変か、ちゃんとボスを引っ張って来れたんだから、やっぱりギフトってすげぇぜ。」
トコトコ歩いて去る子を見送りつつ、マルサは知らず真実をちょっと察していた。
「別に俺は、すごくはないよ。すごいのは、裏社会の情報網だよ。」
いやいやいや、いやいや、とお互い言い、にひゃ、と笑い合って。
「それにしても、裏社会に公に下す仕事って何だ?まだ俺にも言えないか?」
「うん。会議まで王様以外には内緒だよ。まあ、カンの良い人は分かるかも知れない。う〜ん、あんまり良い事って訳でもないけど、人が生きていれば必然的にあっちゃう事っていうか。まぁ、マルサも会議に出てよ。」
「ああ、出るよ。」
「竜樹とーさ、裏社会のボスとはなしすんの?」
ジェムが新聞売りつつ、ちょっと心配そうに眉を下げる。
「マルサ殿下もいるから、大丈夫って思うけど、きをつけるんだぜ。俺たち、なんのはなしするのか分かんないけど、会議がうまくいくように、応援するから。」
「応援、する〜!」「する〜!」
アミューズも、サージュも、声を揃えて応援してくれる。
「会議のテレビ放送も、みるよ!」
「みまもる〜!」
「何かやることある?おれたち。」
健気なジェム達に、竜樹は、タハッと笑って応えた。
「皆が応援しててくれたら、百人力だよ。テレビ、見ててね。それで、後で、会議の話について、思った意見を聞かせてね。」
どんな厳しい意見でも、聞くからね。
そうして、竜樹が会議に出席を願った人員は、以下の通りである。王様にも見せて、何故この人たちかを説明し、了解を得て、ミニュイにはこんな返事を出した。
『ミニュイ様
初めまして。ギフトの畠中竜樹と申します。
この度は、こちらからの申し出による会議に、ご出席下さるとのこと、嬉しく思っています。ご要望、了解致しました。
テレビでの放送でも認識阻害が無理なく効果があるか、こちらでも事前に確認致しますが、念の為いらしたら実際に確認させて下さい。別モニターで確認出来た後に、一般に放送致します。
隠されているお顔を晒せば、きっとお命にも関わる事かと思いますので。そうなりますと、害さないという誓いに反します。
どうぞ、ご協力くださいね。
会議の予定日時は以下になります。
風嵐の月 25日 午後2時より
王宮内中会議室
王宮まで来て頂ければご案内致します。その際、このカードに同封した招待状を門番にお見せ下されば、足をお止めする事なくご案内できるかと思います。
会議への参加者は次の通りです。
ハルサ・ソレイユ王様。
マルグリット・ソレイユ王妃様。
マルサ・リュンヌ王弟殿下。
護衛の任務も込みで参加されます。
エクレ・フードゥル元王女
シエル・フードゥル元王女
女性の立場からの意見を求めて参加願っています。
チリ魔法院長官
魔法院所属バーニー君
技術的な事や実務的な意見、男性の意見を求めて参加願っています。
ファヴール教皇
教会の見解や男性の意見を求めて参加願っています。
セードゥル侯爵家コリエ嬢
パンセ伯爵家リオン夫人
撮影隊と新聞寮のラフィネ母さん
女性の意見を求めて参加願っています。貴族と平民、両方の意見が聞けるかと思います。
エルフのロテュス王子殿下
男性であり女性である方の意見を求めて参加願っています。また、今回の案が、人々の平和を害さないかどうかも注目して貰います。
ホロウ宰相
円滑な進行のための役を主にお願いする予定です。
酒屋のビッシュ親父さん
平民の男性の意見を求めて参加願っています。
ギフトの畠中竜樹
主たる商品案を提供致します。
その際、細かく条件を述べさせて頂きますが、皆様に意見を聞きつつ、この国、この世界により合った案を、話し合って決めていければと思っています。
他に意見を発しないが、その場に居る者として、護衛の方達や、お茶などを出してくれる侍従さんなどがおります。テレビ放送をする為の、ニュース隊や、テレビクルーもおります。
どの方も、ミニュイ様を害さない、お顔を拝しない旨、了解した者ばかりですので、安心してご参加下さい。
今回は、こちらから、表と裏に利益がある案を話し合う為に御足労願っております。
こちらこそ、良きご縁となりますよう、願いご連絡する次第です。
それでは、当日、どうぞよろしくお願い致します。
ギフトの畠中竜樹より』
会議は招待状を渡して2日後。
ビッシュ親父さんに、物凄く恐縮されながらも、平民側の意見も滑り込ませられたぞ、と、ホッと一息の竜樹なのであった。
さあ、さあ。準備は万端。
会議当日。
王宮の中会議室、落ち着いた装飾の、机と椅子がぐるりと真ん中を向いて並べられたそこに、着々と集まりつつある参加者達。
「やっぱりね!やっぱり、私の意見が、重要で必要って事なのよ!」
コクリコの件で、何だかモヤモヤと悩んでいた元王女、シエルと、それをやっぱりモヤモヤ見ていた姉元王女、エクレも。一方は鼻をツンと上に向けて得意気に、一方は、自分で意見が言えるのかと不安いっぱいに。
後は裏社会のボス、ミニュイを迎えるばかりになった。
「た、竜樹様!ほ、ほんとに、酒屋の親父の、平民の俺なんかが、こんな偉い人らの会議になんて、こんな、すげぇ、王宮に!い、良いんですかね!??!?」
緊張しまくっているビッシュ親父さんの背中を叩いて落ち着かせるのも、竜樹の大事な仕事である。
「大丈夫。普通の、平民の、男性の、世慣れた親父さんの意見が必要なんです。よろしくお願いしますよ、ビッシュ親父さん。」
冷や汗を拭うハンカチを、渡してやって。
「ミニュイ様がみえました。」
侍従さんが一言告げて。
裏社会のボス、ミニュイが。
記念すべき、今までではあり得ない、ざっくばらんなこの会議に、現れる。
今日も読んで下さり、ありがとうございます(╹◡╹)♡




