大人になりたい
竜樹の腰ほどの高さの木に、ルージュの実は鈴なりに生っている。
色と大きさは違うが、竜樹は、前の家に生えていた、ユスラウメを思い出す。あれは味が薄くて、でも庭に食べられる実が生っているのが嬉しくて、子供の頃良く食べたものだ。
ルージュの木は、大きな公園程もある大きさの庭の、いたるところに植っていて。子供達がそれに、わぁわぁとりついて実を採っている。手に持ったザルが重そうだ。
ザルがいっぱいになると、大人が担げる位の布袋にざっと纏めて入れて、もうそれが2袋目になっている。
むしり。むしり。プチッ。
「ピティエは熟したのを見つけるの、上手いね!」
竜樹が言えば、ふふ、と照れ臭そうに薄い水色サングラスのピティエは笑い返して。
「毎日、竜樹様にやってご覧て言われて身支度していたら、色の区別は、結構つくんだな、って分かって。実の形はボヤ〜っとしてるけど、ちょっと黒っぽいくらいに熟したのが、良いのかな、って、この辺かなって摘んでみてます。」
「おれも、色は分かる!」
「私も!」
アミューズとプレイヤードも、全盲ではない事が、熟した実の区別に役立っているらしい。
「それに、熟したやつは、ちょっと柔らかいよ。」
「ね。熟れてる!って感じ。」
「うんうん。」
ヘェ〜どれどれ。言われてみれば、なるほど。ふにふに、実を触ってみて、竜樹は感心する。
「上手に収穫するものですね。視力の弱い子達も。」
「ね。私たち晴眼者からすれば、何て器用なんだろう、って事、沢山ありますよ。いっぱい可能性を秘めてる子達です。」
ハハ、と笑顔で収穫しつつアルジャンとも話す。会話しながら実った実を、次々ともぐ、って、何て楽しいんだろう。
お助け侍従のタカラも、竜樹の側で、楽しそうに実をもいでいる。
「うちの出版社でも、下働きだった視力の弱い青年が、竜樹様の発案で売り出した本読みトーカと、音声を文字にして紙に印刷する魔道具で、本にしたいと持ち込まれた原稿の下読みや、簡単な内容の齟齬の校正、粗くまとめなんかを手伝えるようになりましてね。側から皆が喋ってる事を覚えてて、原稿の内容について鋭い事を言ってきたりする、頭の良い子だったから、使ってみたら、イケる、って。重宝されて活躍してます。•••嬉しそうでね。周りも助かってます。」
「素敵な事ですね。才能のある人に環境を準備する考えのある、アルジャンさんも、良き社長さんです。」
いえいえ。
和やかに会話が進む。
「竜樹とーさ!おれいっぱいとった!」
「おれだって、とったもんね!こーんなに!」
プランと、小ちゃい子組のセリューが、競ってザルいっぱいのルージュの実を差し出す。
「わぁ〜、すごいねえ!これは、持って帰って皆で分けっこしても、余るかも。そしたらジャムにしようか。甘くて美味しいんじゃないかなぁ?」
さくらんぼの種ぬき機みたいなやつ、多分すぐ出来るから、ニリヤの爺ちゃんに頼んで。それとも、もうあるかな?
わーい!ジャム〜!
プランとセリューは喜び、もっと採る〜!と駆け出して行った。
ニリヤが「まってぇ、ぼくも、もっととる!」とトットコト。
「転ぶなよ〜!」
コケ。
言った側から躓いて、おととと、と危うくぶちまけそうだったニリヤを、ジェムがあわやと受け止めた。
「大丈夫か?ニリヤ様。」
「うー。ありがと。だいじょぶ。」
「ほら、おちついて。こっちにいっぱい熟したの、生ってるぜ。」
ぎっしり枝に実、ふわぁ、とニリヤの顔が輝く。ジェムは世話焼きお兄ちゃんである。
それを追ったミランが、足首をコケ!と捻って変な体勢、カメラが踊った。•••足首は大丈夫だったみたいだ。
「種ぬき機なんてあるんですね?」
「はい、窪んだ所に実を入れて、挟んで真ん中の種の所に突き出た棒を貫通させるやつです。窪みには、種が出るように穴が開いててね。それはそうと。」
「はい、何でしょう。」
ぶちっ。むしり。むしり。ぷちっ。
竜樹もアルジャンも、夢中になっている。
「ルージュの実、生だとうんちが赤くなる、ってシャンテさんーーウチの子、ツバメのお世話をしてくれてる侍女さんが、言っていたんですよね。加熱すると、どうなんですか?」
「ああ、それはね。」
よっ。ぶちっ。プチチッ。
「赤い色が、少し透き通った茶色の、美味しそうな色になるんですよ。地方なんかだと気にしないで自生のを生で食べてるらしいんだけど、煮るとなると少し硬くなるから、種ぬきが大変で•••種ぬき機が普及したら、煮たりして王都でも食べますかねえ。味も美味しいし。」
便秘にも良いんですよね。私、これ食べている間は、毎日快便です。
ん!?んんんん!?
「それ本当ですか!?だからちょっと、甘酸っぱい感じに、プルーンみたいなねっとりした味が混じるのかな?食べでがありますよね?」
「プルーンって何ですか?」
説明しつつ。煮ると硬くなるのか。じゃあ、ジャムっていうより、コンポートや、煮た後でドライフルーツにしたら良いかな。これ、栄養も豊富だったりしないかなあ。
クラージュ商会で、葉っぱの鑑定をするお兄さん、リールを呼んで詳しく見てもらおうか、と考えつつ。
もしかして、美味しく栄養も良ければ。転移魔法陣のために道に植える果実の中に、ルージュの実、どうだろうか。
「何で普及しなかったんですかね?美味しいものは、自然と広がるでしょう?」
「やっぱり便が赤くなるのがねえ。ちょっと果肉も赤黒いし、嫌がられたのかも。昔の方が、身体の不調は、生命に直結していた訳だから。」
なるほどねえ。
「美味しく煮て、食べてみよう!」
「みよー!」
「によー!」
ネクターがルージュの実を摘んだ片手を上げて、サンが真似っこ。パクッモグモグッとオランネージュが実を食べて、ぺっと種を小さな紙袋に吐き出した。
「おいし〜い!」
「煮て美味しく食べられるなら、もしお菓子にできたら、私の喫茶店でも扱っても良いかも。」
ピティエが、普及したら、良いかもだから•••と、恥ずかしそうに。
「ありがとうありがとう。もし、鑑定して安全で、試して良さそうなら、分けてあげるね、ピティエ。」
「はい!」
ピティエの運営する、たった5席の、緑茶のお休み所。喫茶店にも、そのうち、ルージュの実がお目見えする、かもしれない。
「あらあらあら。まあまあ。それじゃあ、コクリコ様は、騙されて妊娠してしまったのね?」
「ええ、そうなんです。今から考えれば、凄く乱暴な方法だったけど•••それでも、最初は私も、カッコいいかな、なんて思っていたんだから、笑ってしまいますよね。」
まあまあ。
若い娘さんが、そこまで最初からは、分からなかったわよ。それに自分を傷つけなくても、良いのよ?
「分かるわ〜。何であの時、あんな事考えちゃったのかな!とかあるわ!」
シエルが、分かったような顔で、ウンウンしている。シエルなりに、子供達を脅した事など、あれはない、と反省しているのだった。
女性達は、お喋りしながら、のんびり収穫している。男性陣と一緒である。
「グラースおばちゃん、むぎちゃください!」
小ちゃい子組のロンが、お利口にグラースに聞けた。うっすらと汗をかいて、喉が渇いたのである。
「はいはい、水差しがそこにあるけど、重いかしらね。今、注いであげるわ。」
「ありがとう、おばちゃん。」
などと中断しながらも。コクリコは話を続ける。
「何だか、父と兄がせっかく寮まで会いに来てくれるんですけど、私、イライラしちゃって。」
「あら、またそれは何故?」
ロンの濡れたお口を、ハンカチで拭ってやりながら、グラースは促す。元王女のシエルとエクレ、ラフィネも辛子色のスモックを揺らしながら、手は休めず聞いている。
「私の事を、可哀想な娘だ、って哀れんで•••お腹の子の事を、騙した、自称アリコ・ヴェール子爵の、落とし屋の、忌々しい子供だって、そういう目で•••。割り切れない気持ちは分かるけれど、会う度こっちも悲しくなっちゃうし、どうしようもない事だし•••。」
元気か? そうか。
身体は大丈夫か? そうか。
その位しか話しかけて来ないのも、また、イライラするのである。
「兄嫁だったらそんな事ないんです。私の時は、腰が痛くなったものだけど、それは大丈夫?とか、足元がお腹で見えなくて、怖い時あるわよねー、もう動くかしら!女の子かしら、男の子かしら?なんて、沢山話しかけてくれて、憐れんでる感じもなくて、惨めな気持ちがしないの。心細かったわね、とは言うんだけど、そう、妊娠している事について、良くない妊娠だ、っていう言い方、絶対、しないから。」
「男の人に、妊娠した娘の気持ちを分かれ、って言っても難しいかもしれないわねえ。事情もある事だし、身内ほど割り切れないだろうから。•••でも、まあ、コクリコ様にしてみたら、何度も嫌な方の現実を見せつけられる訳よね、お父様達に。」
ああ、だから嫌だったのだ。
話をしていると、解けてくる。コクリコは、寮で自分を蔑む人がいない事もあって、自分の事を話すのに、抵抗がなかった。
「はい•••はい。そうです。父と兄は、生まれた子供は家で育てて、女の子ならメイドか、男の子なら下働きにしろ、って言うんです。親子だけど、私生児だから、貴族としては認められない、でも手放してどこかで外聞に悪い事に使われても困る、と。そうして子供を置いて、私は早くどこかに嫁に行かないと、って。事情を知っても貰ってくれる家を探しているから、とか、はぁ!?って。」
あー。
あー。
男達が考えそうな解決策である。
自分達が、後々までコクリコと子供の面倒を見る!と言い切る程、娘の、普通ならあり得た結婚を諦められはしなくて。子供を邪魔だと思っていて、はみ出たコクリコを、無理矢理普通の枠に入れようとしている。
「私は•••私の子供が、落とし屋の子供だ、なんて蔑まれながら、お父様とお兄様に冷たい目で見られて、私のいない所で、寂しく育つなんて、嫌なんです!お母様がいなくて、私、寂しかった。同じ思いを、させたくないです。寮で、竜樹お父さんとラフィネ母さんに愛されて、幸せそうな子供達を見ていたら、私の子供も、こんな風に、って。」
悲しい子供を産みたい訳じゃない。
ニリヤ王子が、妊娠を喜んでくれて。
竜樹もラフィネも兄嫁も、ニコニコと、無事に赤ちゃんを産んでね、育てるの手伝うからね、と。
それが、嬉しい気がする。今の自分に、しっくりくる。
「シエル様が、自分って可哀想、って悲劇の主人公と思って乗り切れば、と言って下さったけれど、私それじゃあ、嫌みたい。だって、自分を可哀想がってたら、今まで自分が子供で、何もできないで流されて騙された事、反省出来ないもの。私、大人になりたい。可愛がれるか、産まれてみないと分からないんだけど、今は子供を育てたい。ラフィネさんや、コリエさんみたいに、人に望まれる仕事がしたい。夫の言いなりになる結婚なんて、したくない!」
大体、男の事で騙されて傷ついている娘に、嫁に行けって無理がある。
「でも•••本当にそれが出来るか、どうやってやったら、良いか、全然分からないです。」
ショボン。
コクリコに、シエルは驚いて何も言えなかった。同じ年頃の娘が、大人になろうともがいている。何だか、お気楽な自分に、ハッと胸をつかれる思いがする。
「コクリコ様。赤ちゃんを愛したいのね。」
「•••はい。可愛がりたいです。竜樹様が、ニリヤ殿下や子供達を見るような目で、育ててあげたい。でも、自分一人じゃ無理だって、分かっています。」
偉いわ。
グラースは、ふーっ、と息を吐いて、コクリコの背中を撫でた。
「普通とは違う妊娠に、それが思えるなら立派よ。•••子供は、竜樹様にお願いして、寮で出産して育ててもらいながら、出産の疲れが癒えた頃に仕事の事を考えるので良いのじゃない?もし一緒に住めなくても、ちょくちょく会いに来て、半分一緒に住む位ではどう?仕事は何をするか分からないけれど、そのままお父様とお兄様のお家にいたんじゃあ、無理そうだし。竜樹様なら、それを許してくれそう?」
•••半分、一緒。
そんな事、そんな解決策、思いもしなかった!
うんうん。
「聞いてみます。」
「多分良いって言うわよ。竜樹様は。」
ラフィネがニコニコと笑っている。
「仕事って言ってもね•••。」
グラースは、今日竜樹がくれたカードを出して、コクリコに渡した。
「それを読んで、どう思う?」
ざっと読んで、コクリコは。
何故そういう風に書いたのかは、細かくは良く分からないけど、とても気を遣っているな、という事だけは分かった。
「こういうのも、大人の仕事のうちよ。相手に悪くなく、それでいて力も借りて、気遣いしながらも、心地よく円満に。私の夫のアルジャンは、おもてなしの事が良く分からないけど、仕事になれば研究者の先生に、気持ちよく面白い原稿を書いてもらえるよう、熱意をもって気を配ってお手紙書いたり、訪問したりするわ。コクリコ様、お家でも、こういうお家の事、なさったりした?」
「いいえ•••いいえ。全く。お世話をされるばかりで•••。」
首を竦める。
子供である事は、悪ではない。けれど、もう、限界なのだ。親になる。羽ばたきたいのだ。
あらまあ。
「では本当に、子供でいらしたのね。家にいても、大人になる事はできる。私だって、主婦をしているけれど、アルジャンの仕事のお客様を重要な時にお迎えしたりして、それは仕事だと思っているわ。でも、コクリコ様がお家にいても、お父様やお兄様のお考えで、無理そうね。その、コリエさんて方は、何をしてらっしゃるの?」
「結婚プランナー、っていう、結婚式の相談に乗って、手配したり、一緒に考えたりして、素敵なお式を作るためのお仕事を始められたくて、頑張っているんです。」
それが、それが。コリエは、自分の結婚式も勉強と、メモをとり体験して、優雅にかつ必死に、そして幸せそうに溌剌と、頑張っている所なのである。それがコクリコには、眩しい!
「憧れます!自分の結婚に夢はないけど、誰かの結婚式を夢のように作り上げる、そのお手伝い。私もやってみたい!とっても素敵!コリエさんは、私に気を遣って、なるべく寮ではご自分の結婚式やプランナーの事を言ってなかったのですけど、私が見ていたくて、お話が楽しくて、気にせずやってください!ってお願いしたんです!」
あら、良い笑顔。
「素敵なお仕事ね。じゃあ、出産してしばらくして落ち着いたら、そこで下働きでも良いから、って使ってもらったらどうかしら。大人の、仕事の世界を覚えるのにも、良いんじゃない?」
はた。
コクリコは、止まって考える。
本当に、そんな事が?
私にも、そんな事が?
ふわぁ、と微笑むコクリコを見て、グラースも、ホッと一息ついた。
少女は、いつまでもそのまま、少女のままでは、いられない。降りかかる苦難を乗り越えて、大人の女性になっていくのだ。
そしてそれは、話を聞いて難しい顔をしているシエルもまた、そうなのだ。
それを感じて、ラフィネはほんのり、笑っている。




