償いという戦う力
エグランティエは、目を見張るより他なかった。
ナル父公爵の罪に、どんな厳しい罰が、と思っていたのに。それは甘くはない。甘くはないが、だが、ちゃんとこれから、しっかりとサパン公爵家の家族皆で、希望を持って生きていく、そんな道筋を、竜樹やハルサ王が、つけてくれたのだ。
言われてみればそうである。一家離散させるより、どれだけ利が、各方面にある事か。温情であり、それだけでもなかった。
執事のレーヴも、彼には珍しい事だが、仕事中なのに涙ぐみ、鼻を啜っている。
「竜樹様は、本当に頭の良いお方ですね。これで、ヴァーチュ様は、償いから逃げられなくなりました。だって、奥様や坊っちゃまを、手放さなくても良いのですもの。何でも出来ましょう。そうでしょう?ヴァーチュ様?」
ふふふ、と笑うレーヴである。彼の瞳にも、お助けする、希望が燃えている。
「•••ああ。そうだ。私はお父さんなのだから、竜樹様が言うように、いなくならない。冷たくて、温かい。それは確かにそうだろう。だが、私には、私に、確かに救いの言葉をかけて下さった!」
洗われたような表情で、妻エグランティエを、再び抱きしめる。エグランティエは、まあ、まあ、まあ!と次第に声を大きくした。頬が赤くなり、すっかりと憂いは晴れた。後に残るは、現実に対処する為の、武者震い。
「ああ!竜樹様に、お礼を申し上げたいわ!何かお礼ができる事はないかしら!?」
「竜樹様は、誰からも、高価なものなどは受け取らないようだよ。そういうお方だから、こんな事を私に言って下さるのだ。それに償い中の私たちが、物を贈るのは、あまり道理ではない感じがする。」
ヴァーチュとエグランティエは、話し合う。やる事が沢山あるのだ。
「何かお困りの事があった時、私たちは、ハルサ王様と竜樹様を、きっとお支えしましょう。」
「ああ!そうだな!それもこれから、やるべき事に加えて、胸に刻もう!」
頼もしい夫の顔になったヴァーチュが、ふと思いついた。
「竜樹様は、お花なら受け取って下さるだろう。控えめに花束を、そして私たちの決意をメッセージにつけて、お渡ししてはどうかな。ハルサ王様とマルグリット妃様にも、同様に。心配して下さったのだから、それくらいなら、良いだろう。私も頷きはするものの、呆然と退出してきてしまったし。」
「ええ、それは良いわ!早速手配しましょう!」
「その事ですが、ヴァーチュ様。」
レーヴ執事のちょっとの待てに、ヴァーチュはいつも、耳を傾ける。
「なんだい、レーヴ。」
「坊っちゃま、レアリーゼ坊っちゃまに、概略で宜しいですから、今回の事を話してあげてはくれませんか。ナル前公爵様、お祖父様に捕まって、時折坊っちゃまは、あの恐ろしい罪の告白の滝を、浴びてらっしゃった。私も気づいた時はお庇いしましたが、ナル様は誰かに自慢したくてたまらなく、部屋を抜け出してはレアリーゼ様を良い生贄と選んでいました。今はお部屋から出ないように厳重に計らっていますが。」
ナル公爵は暴れる事はないが、暴れるより始末の悪い事をした。監禁されても仕方あるまい。
「レアリーゼ坊っちゃまは、幼心に、とても不安に、傷んでらっしゃいます。大人の秘密の事は内緒にしても、安心させて、そして一家で一丸となって、償いを、そして圧倒的な幸せでそれを、成し遂げると、是非、お父様のヴァーチュ様の口から。」
「ああ!そうしよう!レアリーゼにも可哀想な事をさせてしまった。けれど、私が出来きらなかったら、あの子が償いを継ぐのだ。必要な事でもある。レーヴ、いつもありがとう。」
穏やかな、いつもの調子の当主に戻ったヴァーチュに、レーヴは微笑むばかりである。
レアリーゼは、レーヴに連れられて、大人しか入っちゃいけない会談部屋へとやってきた。レーヴと手を繋いで、とてとて、歩く。まだ7歳、お祖父様の事ですっかり怯えて、自分のお部屋でお勉強する以外は元気をなくし、大人しく本ばかり読んでいた。必ず主人公が悪を倒す、冒険譚を、苦し気に眉を顰めて。
部屋に入ると、最近は塞ぎ込んでいたヴァーチュお父様と、優しいけれど悲しい瞳でお父様を見ていたエグランティエお母様が、2人、憑き物が落ちたような顔で、ニコニコとしている。
あ、とレアリーゼは思った。
何だか胸が、ほわっとする。
これは、良い事のよかん。
「レアリーゼ。お祖父様の事では、お前にも随分、心配かけたね。」
「私たち、もっとレアリーゼに、気をつけてあげれば良かったわね。ごめんなさいね。」
「ううん、いいの。お父様もお母様も、大丈夫?ごめんなさい、って、沢山おっしゃってくださったもの。レアリーゼは、だいじょうぶです。」
本当は、レアリーゼは、お祖父様のあの、鬼気迫る、罪深い事を嬉しそうに喋る様子が、今でも恐ろしい。夢に見るから、あまり良く眠れなくて、昼間ふらふらしている。
でも、お父様もお母様も、お祖父様のやった事でとても悩んで、困っているから、レアリーゼは良い子に、息を殺して生活してきたのだ。
「今日、王様や王妃様、そして竜樹様に、ナルお祖父様が迷惑をかけ罪を被せた、被害者の方と会ってきた。」
ひゅ、とレアリーゼの息が止まる。
このおうち、りこん、つぶれるこうしゃくけ、つぐないのためにりょうちへんじょう、そうするしか。
使用人達にも口がある。レアリーゼの周りの者は何も言わないけれど、レアリーゼがいない所で。末端の者は、憶測で、自分の身にも関わるから話をせずにはいられない。それでも誰一人離れずに公爵家を盛り立ててくれているのは、ヴァーチュの人柄ゆえなのだが、幼いレアリーゼの耳に、ふとした時に、心ない噂話が入るのは、切ない事である。
「おじいさまの、つみ、わたしたち、ばつをうけるの?」
悪者はたいじされる。それが皆のためだから。そして、ぼくは、わるものの孫。一緒にたいじされるかも、しれない。
「罰じゃない。そんな簡単なものじゃない。お金で、気持ちで、賠償する事は、沢山あるけれどもね。それしかないから。私はね、レアリーゼ。償いを本当にしたいなら、幸せになりなさい。それを、続けなさい。って、竜樹様に言われたよ。」
「え。」
悪者は、倒されるんじゃないの?
「幸せでないと、力が続かない。それでは、償いをし続けられない。ーーーお祖父様が、沢山の罪を犯した事を、レアリーゼ、知っているだろう?サパン公爵家は、それを全て明らかにはできない。領民が、悪者の味方だと思われて、困ってしまうから。それは、本当はいけない事かもしれない。被害者には、腹の立つ事かも。でもね、レアリーゼ。」
「王様と竜樹様は、私たちに不幸になれ、とはおっしゃらなかった。竜樹様は、圧倒的な幸せの力で、事業も大いに栄えて、責任もって、償いを細く長く、続けなさいと。不幸を不幸で贖うなと。不幸の連鎖は嫌いだとおっしゃった。王様はそれを支持して、一緒にやろう、と。手を貸して下さると。おっしゃったんだ。」
目の覚めるような言葉だった。
そんなほうほうが、あるの•••!
「もちろん、被害者の人たちは、知れば面白くないと私たちを非難するかもしれない。でも、偽善者にもなろう。償いを、沢山の人にするには、私たちは潰れてはダメなんだ。それには自分たちが、ささやかに、幸せである事が、おうちが安心できる所である事が、必要なんだ!そして、領民達も、守ってやらなくては、ならないよ。分かるかい、レアリーゼ。」
「は、はい•••はい!ぼく、ぼく、悪者の孫は、殺されてもしかたない、っておもってた。退治されるもの、ご本の中では、ぜったいに。でも、でも、そんな方法が、あるの•••!退治されなくても、良いんだね!!」
うるうると、瞳から溢れそうな涙。レアリーゼは我慢してきた。ずっと、お祖父様がおかしくなってから。誰も救ってはくれない、と思ったのに。
みすてられなかった•••!
「良いのよ。レアリーゼ。大丈夫よ。おうちは変わらないわ。いいえ、もっと頑張っていかなくちゃ。良い風に変わるのよ。皆で協力して、ね。」
エグランティエがそう、控えめな微笑みで言い添えれば、我慢出来なくなったレアリーゼは。
ぐすっ、ふええ、ふぇええ〜ん!
ひっく、ひっくと、泣きじゃくる息子を、父と母は、ギュッと抱きしめた。
「レアリーゼ。もし私が償い終えなかったら、お前が償いを引き継いでいかなくちゃいけない。だから、お前も、幸せでいなきゃ、いけないんだ。正直、スッキリしない気持ちもあるけれど、私たちがスッキリしたいが為に、全ての事を壊すより、力を溜めて、代々私たちは償いをして行こう。地道に、驕ることなく。そこに力強く、生きる道はある。今日、竜樹様に教えていただいた。良いね、レアリーゼ。分かるね?」
ぐしゅん、ひっく。
「あい!おとうさま!おかあさま!良かった!私、つぐないを継ぎます!ひっく。しっかりやってみせる!わ、悪者退治するだけじゃない、つぐないのみち、きっと、やってみせる!」
輝く瞳は、力に満ちて、先ほどまでと違った表情。
レアリーゼの悪夢は、時々あるかもしれないけれど、もう、恐れる事はない。彼には、償いという力を持って、戦う術があるからだ。
レーヴ執事が、うんうん、と好々爺の視線で家族を見守る。
さあ、まずは、竜樹様達に、お花とメッセージを送らなくては!
所信表明だ。
「レアリーゼもメッセージを書くかい?」
ヴァーチュは、柔らかな微笑みで息子の頭を撫でる。
「書きます!お父様!たつきさまは、子供のみかた。わたしにも、みかたして下さった。お礼と、がんばる、って言いたいです!」
ふん!と鼻息も荒い。
そうか、そうか。
いつもの、一家の団欒が、ここに返ってきた。
レアリーゼの微笑ましい決意を受け取った竜樹は、そのカードを大事に読んで。重荷を子供に追わせた事に、モヤっとした気持ちを抱えながらも、これで大丈夫、と安堵の息を吐いた。ヴァーチュが自殺でもしかねないかと、竜樹も心配していたのだ。
誰もがスッキリする結末ではない。
けれど、それでも時間は流れてゆく。
ならば、僅かずつでも抗おう。
それは、幸せの為にだ。




