16日 一緒にいた時間が学びとなるように
離婚届けにサインを。
ルフレ公爵家トレフル夫人は、この書類にサインをしたら、正式にルフレ公爵家の人間では、なくなる。
息子の、視覚障がいがあるプレイヤードと、そして娘、聴覚障がいのあるフィーユとも、実母とはいえ、なかなか会えなくなるだろう。
会いたい、という気持ちはーーー、離れてみれば、今、トレフルにはそれほどないのだが。
まだ夫のアルタイルが、自ら整えた書類と、見届け人の教会の助祭ーーー今日がおぼんの魂送りの日だった為、司祭は忙しくて来てくれなかったーーーを連れて、トレフルの実家へとやって来ている。勿論、この日に行っても良いか、と伺いを立てて、正式に。
こんなに忙しく、そして、何もおぼんの最終日でなくても良いだろう。少し時間を置いて、離婚についても落ち着いて、もう一度考えてみては?とトレフルの実家の両親や兄が、アルタイルを取りなしたのだが。
夫だったアルタイル、そしてアルタイルの両親も、そしてプレイヤードとフィーユも。ルフレ公爵家の総意として、トレフルと離れたい、それもなるべく早く、と申し出があり。トレフルの実家の面々は、ふーっとため息を吐くばかり。
トレフル自身も、早く別れたい、そして私をちゃんと見てくれる、まともな人と再婚したい。両者の願いが噛み合ったので、今日の離婚とあいなった。
よっぽど何か、トレフルは、やらかしたに違いない。夫婦どちらも不倫した訳でもないし、穏やかなアルタイルに問題があるとは、考えられない。
兄と両親は、離婚は仕方ないにせよ、何故なのですか?と問わずにはいられなかった。先程、最終確認の際に。
アルタイルは、まっすぐにトレフル達を見て。一つも濁らせる事なく、率直に。
「トレフル様にとって、プレイヤード、フィーユは、隠し、恥ずべき者達であるようです。そして私は、彼女にとって、子供達の恥を理解してくれない、大事にしてくれない、そして血も近く障がいのない子供をもたらす事が出来なかった、ダメな夫であったようです。確かに、プレイヤードもフィーユも、そして私も、障がいや性格の欠陥はあります。血の近さについては、同意の上で婚姻したのですから、お互い様と言えますが、彼女にとっては私のせいなのかも、しれないですね。」
トレフルの兄と両親は、驚いて何も言う事ができない。
「何よ!別れる事になって、やっと自分達が恥ずべき者だって、私をちゃんと大事にできなかったって、分かったのね!でも、もう戻らないわ!」
「トレフル!やめなさい!」
「黙ってろ、トレフル!」
何よ何よ!憤慨するトレフルを制止して、兄と両親は、アルタイルを促す。
出されたお茶を一口も飲む事なく、口を湿らせる間もおかず。
アルタイルは語る。
「私が思うに、何らかの欠陥が全くない、完璧な人間が、どれほどいましょうか?それぞれの欠陥を受け止めて、助け合い、その上で個々を大事にありのまま、素直にのびのびと生きていく、という事は、彼女にとって許されざるもののようです。みっともない、大人しくしていろ、表に出るな、何もするなーーー私達は、もうそれが窮屈で、彼女に貶められている、と感じています。」
ふーっ、とアルタイルは長く息を吐き、また吸って。
「ギフトの竜樹様がおっしゃるように、障がいを明らかにして、できる事出来ない事を見定めて、補助の道具や盲導ウルフなどを使って、堂々と生き生きと、生きていくーーー、私達は、これからは、そうしたい。だから、彼女とは、どうしても、一緒にいられないのです。」
障がいがあっても、親として頼りない所があっても、出来うる事をして、胸を張って生きていきたい。
アルタイルが、そう言うと。
「胸を張って生きていくだなんて!皆が指をさして笑っているわよ!私はもう、貴方達の家族と思われるのは、ごめんだわ!私は、私だけは、まともなんですからね!」
「トレフル様は完璧なのですね。私共は、違いますから。欠けている者同士、助け合って、楽しく生きていきます。それでも、ご縁があって、子供が生まれたのですから、その事には、感謝致します。」
可愛いプレイヤードとフィーユを産んでくれて、ありがとうございました。
丁寧な言葉が。
兄と両親には、スーッと遠く、遠く距離を置かれたのだな、と感じた。
ああ、もう、何一つトレフルに心が残ってはいないんだな。
分かってしまった。
よほど本日中に離婚をしてしまいたかったのだろうなあ。
私達も親戚だけれど、もう近しく会う事も、なかなかないのだろう。
両親にとっては、プレイヤードもフィーユも、孫ではあるがーーー。
この、我慢強く、穏やかなアルタイルを、怒らせるどころか、見放されてしまっているのだ。
もう何も言うまい、と、トレフルの兄と両親は、黙って、うん、と頷き合った。
「今更、感謝されても。とにかく、これからはプレイヤードとフィーユを、私の子供だなんて、近くに寄って来させないで下さいね。」
トレフルは、アルタイルに刺々しい言葉を吐いた。だが、覚悟ができているのは、どちらかと言えば、アルタイルの方だろう。
「ええ。そうしましょう。私達は、別れて2度と一緒にはなりません。これから先の人生、トレフル様のご幸運をお祈りします。」
では、サインを。
トレフルは、これで自由になれる!と喜びをもって、サラサラとサインをした。
アルタイルは、これで私たちは自由になれる、と感慨深く、またトレフルにごねられる事なく別れられて、明らかにホッとした顔。
漏れなくサインした離婚届を助祭に渡すと、それを読み上げる。
「確かに不備なく、私、王都教会助祭のブランシュが確認致しました。これにて離婚が成立致します。この離婚では、お互い金銭は、やり取りしませんから、これにて夫婦、一切の繋がりが絶たれます。運命の導きにより結ばれて、運命の導きにより分たれる。一緒にいた時間が、お二人の良き人生の学びになれるよう、お祈りしてこの場を散じたいと思います。」
「ありがとうございました。」
「「ありがとうございました。」」
トレフルは黙って、ツン、と顎を上げたまま、助祭に感謝の礼はしなかった。
「やばいわね叔母さま。」
「うん、やばい。」
トレフルの兄の娘と息子、つまりトレフルの姪と甥が。
離婚を進めている、当事者達のいる部屋とは別の、小さな団欒室でお茶を飲みながら、ひそひそと話す。
「離婚の原因、叔母さまにあるらしいじゃない。何か私たちにまで、刺々しく細かい事を言うじゃない?自分は正しいんだ!って、あの調子で再婚、できると思う?」
「あ〜、再婚相手には、さすがにちゃんと良い顔でチヤホヤするんじゃないの?」
「バカね。叔母さまは、自分がチヤホヤするんじゃなくて、相手にして欲しいのよ!お祖父様とお祖母様が、末っ子で甘やかしすぎたか、なんて言っていたけど、末っ子だからって全員あんなになるなんて限らないから、あれはもう、本人の性格よね。アルタイル様、とても温和で上品で、女性を尊重してくれる素敵な方だって言われてるのに、それでもダメだったんだものね。きっと再婚もダメよ。」
姪は、トントン、とお茶の乗るテーブルを指で叩く。
「えー?!そうしたら、ずっと叔母さま、この家にいる訳?うざいなー。」
「私もそう、うざいって思う。お父様もため息ついてるし、細かい文句を言われて、お母様もちょっと怒っているわね。それに、自分の子供の事を、蔑ろにしてるのが、お母様は許せないみたいよ。大変かもしれないけれど、あんな風に恥扱いはないでしょう!って。まあ、再婚があまりにも上手くいかなければ、きっと領地の離れにでも、行かされるわよ。それまでの辛抱だから、我慢しときましょ。全く、可愛がってもくれないくせに、文句ばっかり言って、歩み寄ってはくれないのだもの、そんなので私たちだって仲良くなんてできないわよね。」
「うんうん、そういうこと。」
トレフルの実家での位置は、かなり今、下の方に認識されている。
離婚の手続きが終わって、団欒室に一家が揃うと、魂送りに行こうか、と家長のトレフル兄が、ちょっと疲れた目で皆に、優しく言った。
「ええ、行きましょう、お父様!」
行こう行こう、ランタン持ってこなきゃと皆が笑って、気持ちを盛り上げていると。
「私の分もランタンあるかしら?」
トレフルが言い、しん、と。
誰もが口を閉じ、沈黙した。
「プレイヤード、フィーユ。お父様、お母様、全て、離婚の手続きが終わりました。これからは、私たちで、楽しく助け合って暮らして行こうね。やれる事、何でもやってみよう!」
自宅に帰ったアルタイルは、緊張の解けた、ゆるっとした笑顔で、家族に報告をする。
「はい!お父様!」
プレイヤードも、ホッとして嬉しかったし。
「あい、とーたま!」
フィーユも、ニコニコと手を上げて、アルタイルに抱っこをせがんだ。
アルタイルの父と母は、穏やかに微笑んで、それを見守る。
アルタイルは、フィーユを抱っこして、プレイヤードの頭をさらさら撫でて、ふわふわ笑う。
「さあ、サクッと用事が済んだから、皆で魂送りに行けるね。ランタン持って、出かけよう!」
「はーい!」
「あーい!」
「来年も来て下さいね。」
「私たちを見守って下さいね。」
キラキラくるり、魂たちは家族の周りを巡る。
記念すべき300話でございます。
ここまで読んで下さり、ありがとうございます。
別れはリスタート、プレイヤード達はこれからもっと幸せに。




