12日夕刻、ピティエ2
「ピティエは子供の頃から大人しかったから、お店をやるだなんて、全く想像してなかったよ。大人になってくると、やっぱり人って変わるんだね。何やら珍しい、お茶が飲める店だそうじゃないか。私たちにも、ご馳走しておくれよ、ピティエ。」
従兄弟のアトモスが、ほんのり微笑みつつ、ピティエに言った。その顔、声は、何も悪気ないようで。
ピティエは、固まって、返事をしなかった。
いやだ、と言うことは簡単だ。
しかし、それは何故か、と聞かれるだろう。
子供の頃の、たった一度の罵りで。心が狭い、などと、笑われて蹴散らされたら、今日の幸せな気持ちが、どこかに消えてしまう。いや。
今、もう、幸せな気持ちは硬くひび割れて、息も苦しいじゃないか。
「ピティエ?」
アトモスは、不思議そうに、ピティエを促す。
今までのピティエは、ただ静かに、蹲って嵐がおさまるのを、待っていたけれど。
『話してみればいいじゃない、って思うんだ。話すと、軽くなるから。我慢してると、重くなる。どんどん、怖くなる。だから。』
見えない仲間の、アミューズの言葉。
ふと、固まったピティエの頭の中を、走り抜ける。
アミューズが、竜樹様に、目が見えないの、って言えなかったのは、こんな気持ちかな。とても怖い。
でも、このままじゃ、ルテじいの畑で泣いていた、あの頃のままじゃないか。
諦めるな、捨てるな、自分の気持ちを伝えて、分かってもらおうとする事を。
ラジオやるんだろ。喫茶室だって、どんなお客様がくるか、分からない。嫌だって、自分を守ってるだけじゃ、次のところへは行けないから。
そして、今は父も母もいるし、コンコルドもいるから。全員になんて、無理だけど、その中の、誰か1人でも、分かってくれたら。
ピティエの中で、ふえ、ええんと泣く、小さなピティエがいる事を。あの時ルテじいがいてくれたように、分かってくれたら。
きっとこれからも、頑張れる。
訝しがるアトモスに、ピティエは。
「い、いやだよ。」
「えっ?」
「アトモス。私は君を、喫茶室に招びたくない。」
目を見張って、アトモスと、弟のマタンが、じい、とピティエを見る。焦った声で。
「な、なんで?私、ピティエに何かしたっけ?確かに、子供の頃から、そんなに仲良くしてきた訳じゃないけど、普通に親戚付き合いしてきただろ?」
ああ、ああ。
本当に、ピティエが傷ついた事を、全く何とも思っていないのだ。何を言ったかでさえ、覚えていないのかも。
軽く絶望感がする。分かってもらおうとする事を、諦めてしまいたい。やっぱりね、って。
でも。
伝えるのを、諦めたくない。
「アトモスは、私に、お前みたいな、目も見えないやつのせいで、私の父は、お祖父様に謝罪しなければならなかったんだぞ!お前なんか、どっかいっちゃえばいいんだ!ーーーって、言ったよ。」
「え。」
「子供の頃。私のせいで、ジェネルー兄様と、アビュ様との婚約がダメになって、お仕事の関わりもダメになった頃の事だよ。忘れちゃった?」
「え、ええ•••と。そ、そんな事、言ったかな。」
「言ったよ。」
あー、うー。
アトモスは、唸りつつ、顔に手をやり、記憶を探る。
「そ、そんな事、言った、かも、しれない?ごめん、良く覚えてないんだ。確かにその頃、ピティエのせいで、って怒ってたかもしれないな。父上が、お祖父様に、いつもよりもっと、めちゃくちゃ怒られていたのを見ていたから。」
はふ、と息を吐いて。
「気、気にしてたりーーーした?」
ピティエは、そこでようやっと息を吐きつつ、白杖で探って、応接室のソファに座った。コンコルドが誘導してくれて、皆の足に、白杖を当てなくて済んだ。
「あ、アトモスが、言う気持ちも、今になってみれば、分からなくもないよ。でも、あの時、私も子供だった。そして、そういう事を言ってきたの、アトモスだけじゃなかった。アトモスは言ったの1人のつもりでも、私は親戚中に、目の見えない、面倒をかける子だって、いなければ良かったのに、って、寄ってたかって言われたんだ。」
気にしない、なんて、出来ないよ。
わん、わああん。ピティエの中の、小さなピティエが泣いている。このまま、アトモスを許してしまえば、その涙は心の中で、いつまでも枯れず、じくじくと沁みて痛むだろう。
「ご、ごめん。ーーーあ〜、ごめん。」
アトモスが、頭を伏せて、しょんぼりとしたのが分かる。
じく、と痛む心は、どうしたら晴れるのだろう。
「小さい頃だって、私は親戚の皆と同じ遊びが出来なかったから、あんまり話しかけてもこなかったでしょ。なのに、何で、今、喫茶室に招んで欲しがるの?」
むぐぐ、とアトモスが口籠る。
いつも無口だったはずの、弟のマタンが。
「お祖父様が、仲良くなっとけ、って言ったんだ。」
「マタン!」
ぺち、とアトモスがマタンの腕を叩くが。その後、じっと、瞳をアトモスに向けるピティエに、はふ、と息を吐いて。
「ああ〜、いや。うん。誤魔化しても仕方ないよな。うん。お祖父様が、ギフトの御方様と仲良くしてるピティエと、縁を繋いでおけ、ってね。あわよくば、ギフトの御方様に、紹介してもらえ、と。そういう事で。」
あの人、当主じゃなくなっても、野心バリバリだから。
「いまだに、父上は、お祖父様に頭が上がらないんだ。実質の当主は、お祖父様って言ってもいい。限定的にしか、父上に仕事を任せていないし。私たちも、逆らう訳にいかなくて。」
よその家も、色々あるのだなあ、とピティエは遠く、思う。でも、そんな気持ちで、竜樹様に近づいて欲しくもない。
黙っていると、アトモスは、ガックリ肩まで下げて。
「うん。ーーーごめん。私たちは、帰るよ。ピティエのお店に招んでくれ、なんて、ずうずうしかったね。」
「•••うん。」
ピティエは、頷くしかない。
立ち上がり、アトモスとマタンは、しょんぼり帰り支度。
「ピティエは、すごいな。そんな風に、皆に言われてても、お店を自分でもって、立派にやっていけてる。私なんて、嫡男と言ったって、魔法も地味な分離しか使えないし、婚約者はお祖父様の言うがままで、全く好きにもなれなければ好かれてもいないし。何が楽しくて、何のためにこれから生きて、やっていったら良いかもーーー。ちょっと、あの家から離れて、ピティエのお店に行って、なんて逃げたくてーー。」
アトモスの中の、小さなアトモスも。いじけて涙目なのかも。そんな事を思って、ハッと。
え。
分離???
「ちょっと待って。」
バッ と立ち上がったピティエは、アトモスの肩を掴んだ。
「? な、何、えっと、また何かやった?私?」
「分離って、何かから、何かの成分を、分けられるやつ?」
戸惑い、中腰のまま、アトモスは応える。
「あ、ああ、そうだね。薬でも作る薬師なら、分離も便利だったんだろうけどね、薬師になるなど許さない、ってお祖父様がーーー。」
「アトモス、私に手伝ってくれたら、許してあげる。」
え。
アトモスは、今日、ピティエに驚かされてばかりだ。大人しいとばかり思っていた従兄弟が、アトモスの子供の頃の軽い、酷い言動を咎め立て、そして意思を堅く持ち、なのに、今、許すと。
「許すには、条件があるよ。まず。」
「まず?」
中腰は辛いが、ピティエはそんな事、全く構ってあげなかった。
「今日と明日の一日、アイマスクをして、目が見えない人の気持ちを、体験して欲しい。簡単に、いなくなれ、なんて、言いたくならないように、私の見えている世界を、分かって。」
「う、うん。い、良いけど。」
「それ、俺も?」
マタンは、何故か少し、嬉しそう。
「2人とも!」
ピシッと。コンコルドの気配を隣に感じながら、腰に手を当てて、ピティエは言い切る。
中腰から解放されて、とと、と、足を踏み、アトモスは、やっぱり目を見張る。
「あと、分離の魔法で。私のお茶、玉露から、かふぇいん、っていう、眠くならない目を覚まさせる成分を、抜き出すの、手伝って!」
「え、目が覚めるなら、それ、都合が良いんじゃないの?」
「人による。私は、王子殿下達に、玉露を飲ませてしまって。その夜、なかなか殿下達は眠れなかったみたい。竜樹様に調べてもらったら、玉露って美味しいけど、かふぇいん、っていうのが普通のお茶より沢山入ってて、子供には強くて効きすぎる、飲ませないか、薄めて少しだけ飲ませるくらいじゃないとダメだった、って。」
強いお茶ばかりが良いとは限らない。
やさしい、弱いものが、良い事もある。
「沢山眠って大きくなる赤ちゃんなんかには、あげちゃいけないし、って事は、妊婦さんなんかにも、あげちゃいけないし。良く眠りたい人には、あげちゃいけないんだ。」
体育館で、領地で、竜樹と3王子達に飲ませた玉露は、夜に覿面、眠れないゴロゴロの3王子にさせて、竜樹がよいよい、と子守歌を歌ったり、お話をしたりで。
「分離で、かふぇいん、だけ分けられたら。子供にも飲める、安心で安全な玉露になる。そうしたら、ジェム達にも、薄めないで飲んでもらえる!」
それだって、沢山は飲ませないけれど。元々、玉露は、沢山ガブガブ飲むお茶じゃないのだ。
「ジェム? ええと、私の分離が、役に立つ、って事?」
「うん。アトモスのお祖父様のことは、どうでも良いの。竜樹様には、紹介してあげられないと思うし。だって、紹介するって、責任があるのでしょ。下心がある、って分かってるのに、紹介は出来ないよ。でも、私に、悪かった、って思うなら。」
泣いてる、私の中の小さなピティエに、役に立って慰めを与えて!
そうしたら、アトモスの中の、小さなアトモスも、いじけが治る、かも。
「竜樹様がね、人と喧嘩して、仲直りする時には、ユーモアが必要だよ、って。」
「ゆーもあ?」
すぅ、とピティエは、息を吸った。
「私に許して欲しい人、この指と〜まれ!」
父も母も、ニコニコと、そしてコンコルドも、そっと。
ピティエの人差し指に、がば!と取り付いて、はーい!と言った。
え、え、え?
と分からないでいる、アトモスと、驚いたマタンとに、執事のブリーズが手をちょちょいと取り、人差し指タワーの一番上に、にぎっとさせた。
ピティエの中の小さなピティエは、涙を拭いてニコッと笑った。
気がした。
お茶、何歳になれば子供が飲んで良いか、とか、現実世界では、良くお調べになって、飲んだり飲まなかったりしてみてくだされ。
お茶所の子供さんなどは、どんな感じなのですかしらね?




