陽炎の月12日 プレイヤード2
王都ルフレ公爵家の厨房では、父アルタイル、プレイヤード、料理人達、執事、護衛が、ピリッとして、入り口にカーテンを閉めた中から、そこをじっと見つめた。
「なに? 今まで厨房に、こんな布なんてーーー。」
パサリ。
多分そうだろう、と思い、カーテンを捲った人物の姿を見れば。小さなフィーユを連れた、プレイヤードの母トレフルだった。
じい、と固く見つめるプレイヤードとアルタイルに気づき、はっとした風なトレフルだったが。ふー、と息を吐き。
「やっぱり、貴方達が変な事をしていたのね。ひょっとして、料理でもしているの?男性が料理するなんて、普通じゃないわ。」
険しい顔をしてトレフルが言う。
プレイヤードは黙っている。言葉を返すと、いつまでもトレフルが、プレイヤードを普通じゃない、と言ってくるのだ。
そんなの、当たり前なのにな。別に普通じゃなくても良いし。
プレイヤードは、冷めた気持ちでいる。
アルタイルは、今までのように、トレフルを宥めるような言葉を。
言わなかった。言えなかった。
「ーーー用事は、なんだい?私たちを咎めるためだけに来たのなら、離れに帰ってくれないか?」
その言葉に、ギョッとして。
「えーーー、な?」
プレイヤードも、ちょっとびっくりした。父アルタイルは、いつでもルフレ公爵家の良心だった。冷たい言葉を吐く事がなかったのだ。それは、プレイヤードにも、妻トレフルにも。
だが、アルタイルもプレイヤードも、もうトレフルが居ない、自由にできる穏やかな時間を、味わってしまったのだ。離れた方がいい事もある、と知ってしまった。
トレフルは、ぐむ、と唇を噛んで。
「わた、私はこの家の女主人よ!広間に変な机が出ているわ!片付けて!」
「片付けなくていい、フィラント。」
トレフルの発言に被せて、アルタイルがフィラント執事にピシッと言う。
「その机は、私とプレイヤードが、おぼんの準備として出したものだ。新聞を離れにも渡しているのに、読んでいないのか?ご先祖様の魂を迎える行事をすると、神からお言葉をギフトの御方様が受けたんだ。」
「そんなの、嘘よ!何かまた変な事をーー。」
「神絡みで嘘はつけないと、君も知っているだろう。」
アルタイルは、改めてトレフルと会って、ああ、厄介だな、と、嫌な気持ちしかしないのを感じた。
これは、多分、もうダメなのだ。
話をしていたくない、顔を合わせたくないのだもの。
「そ、そうかもしれないけれど、それなら私が女主人なのだからーーー!」
「何故?君、穏やかな生活がしたい、疲れた、離縁してもいい、と言っていたじゃないか?」
ひたり。冷たい刃の言葉。
穏やかで優しい夫だったアルタイル。
トレフルが何度文句を言おうと、柔らかく応え、プレイヤードとの妥協点を提示し、思い通りにはならなかったけれど、大事にされている事は感じられた、夫婦としての毎日。
トレフルは、焦った。
自分からはどんなに文句を言おうとも、逆に自分が言われるのは、予想していなかったのだ。
「あ、貴方は、私と、離縁しようと!!」
「君が先に言った事だけどね。子供の前だけれど、君、会えばプレイヤードを咎める事しかしなくて、私にも文句ばかり言って、別れたい離れたいと言ったのに。ーーーそれで、何で、こちらがずっと君を好きでいるだなんて思うの?何で、こちらから離れようとすると、腹が立つのだい?」
会えば文句しか出ないし、離れたいのだから、お互い、遠く関わり合いにならなければいいだろう?
「えーーーー。」
私の息子は、目が見えないなんて、欠けたものでいてはならない。もちろん、娘も、言う事を聞く良い子でなくては。
私の生活は、大事に慈しまれたものでなければならない。
だって、それが、結婚生活というものでしょうーー。めでたしめでたし、で結婚した恋人達は、幸せに暮らすと決まっているものーーーーー。
ふるふる、と震え、フィーユの手をギュッと握りしめたトレフルは。
「わ、私が、女主人よーー。」
「いや、もう無理してくれなくて良いから。」
唇は蒼ざめて噛み締められる。
「女主人がいない公爵家なんてーーー!」
「この家の事は、私とプレイヤードと、執事やメイド長達でやっていけるから。他にも伴侶のいない貴族なんて、いくらでもいるだろう。女主人としては、母を頼ってもいいし。だから、もう、君もこちらに口出しせずに、穏やかに暮らせる、離れに帰ってくれないか。君が言うように、離れてみて、何て気持ちが楽なんだろう、と私は思ったし、プレイヤードも、その方が落ち着いている。私は君に、もう気持ちをかける事が出来ないし、君、新しい伴侶が欲しいと言っていただろう。」
トレフルは、ぶるぶる震えて、応える事が、できなかった。
「今度、近い血の事で新しい伴侶を探したい、という者達での、公式お見合いっていうのを、竜樹様が考えているようだから、お互いそれに出てみても良いしね。仲の良くない夫婦で一緒に暮らしていても、子供達にも、嫌な思いをさせるだろうし。子供達は、最初から、私にプレイヤード、君にフィーユと、関わり合いが偏っていたんだし、今までと変わらないよね。」
穏やかで、いつも優しく扱ってくれるからといって、言われ続ける文句を、良しとしている訳ではない。
そして、溜め込んだ嫌な気持ちを、もうダメだ、と許容量を超えたら、一切取り合ってはくれないのだ。
トレフルが、もう少し歩み寄りを見せたならーーー結果は違っていたのだろうに。
穏やかな人の、限界点というものを、トレフルは今まで、知らなかった。全く気にしていなかった。そして今、痛く、初めて知った。
「わ、私、私はーーー。」
「フィーユが再婚の時に問題になるなら、こちらで大事に育てるから、任せてくれても良いからね。」
トレフルは、カッとなった。
「フィーユまで取り上げるというの!?貴方達は、私を追いやって、そこまで!」
「ああ、もう、そういうの、被害者の顔なんて、しなくて良いから。夫婦の事は共同責任だよね。わたしも、君もだ。子供の事は、親として、ちゃんとしなければ。フィーユを離したくないなら、囲い込んで言う事を聞かせるだけじゃなく、ちゃんと大事にして、教育もさせる、と念書を書いてくれ。フィーユはーーー神が言うに、難聴だそうだから。」
フィーユは喋るのが遅いと、君も気付いているだろう?
トレフルは、聞きたくない言葉を聞いて、黙り込んだ。神経が興奮しきって、何も言えなくなったのだ。フィーユが、握られた手を痛がって、ふんふん腕を振ったが、全く気にかけず。
アルタイルが、フィーユ、痛がっているよ、と言えば、ぐい、と握ったまま煩わしそうに振って、睨み、フィーユを黙らせた。くすん、くすん、と、フィーユが泣き出し。
アルタイルは、痛がってるから!と何度も言うが、トレフルは聞かない。だからといって、実力行使すれば、トレフルが興奮して、何をするか分からない。
アルタイルは、眉を寄せ、ふーっ、と鋭く息を吐いた。
料理人達と、執事と護衛は、一言も喋らず、壊れかけた家族を見守る。
「ねえ、トレフル。」
「君にしてみたら、私も、プレイヤードも、普通じゃない、貴族らしからぬ人物なのだろう。」
アルタイルは、プレイヤードの肩に両手を置き、その後、片手で、くしゃくしゃの金髪を撫でた。その仕草は優しく、愛情がこもっている。
アルタイルだって、こんな言い争いは、嫌だ。だから、自然とプレイヤードを撫でて、癒しを求めた。
「そして、フィーユも普通じゃない。君の周りの皆が、普通じゃないなら。」
「君1人が普通だったとして。この家族の中では、普通が逆転するのじゃないの?」
プレイヤードの髪を、ゆっくりとアルタイルは撫でる。ぐすぐすしているフィーユを、痛ましげに見ながら。
「私たちの中で、君だけがーーー普通じゃない。」
異端は、君だ。




