茶の木とルテじい
ピティエが、ネクターくらいの歳だった頃の話だ。
王都と領地を、今よりも一家で頻繁に行ったりきたりしていた、ピティエの家、アシュランス公爵家。その土地に置いた代官に挨拶して報告を受け、懸案事項を解決するため、話し合っては指示を出しての繰り返し。
代官に任せきりの貴族もいるが、まだ祖父が当主で、祖母と父と母、そして兄が、それぞれ分担した分野で補助して。一家で力を合わせて、生き生きと。
そう、生き生きと。
ピティエは家族について行き、王都と領地のどちらもを楽しんでいた。王都では社交もあったが、ピティエはお留守番だし、屋敷でお茶会などがあっても、まだ参加はしていなかったから、自由にできた。ピティエは、いつ見ても木陰など日差しを遮る場所にいて、ご機嫌に歌を歌ったり、草や土、影のひんやりとした感触を楽しんでいた。領地ではもう少し外に、庭だけでなく、畑や森の入り口に居る事も。
場所が違えば、空気も匂いも違うのだ。
ピティエは物静かにいるだけに見えて、この世界を充分に楽しんでいた。
この頃のピティエは、生まれながらの視力の弱さを、必要以上には不足に思っていなかった。
自分には見えない事が当たり前だったし、家族は優しかった。
未来は輝きに満ちて、いつかこの家族の一員として、何かの役に立つ仕事をする。仲の良い祖父母や、父と母みたいに、素敵な優しい女の子と結婚して、家族をもつ。兄ジェネルーだって、婚約者がいるんだもの。
ちょこちょこ兄の上着の裾を握って、後を追いかけるピティエを、兄ジェネルーも祖父母も父母も、ニコニコ笑って見守った。
その日も、ピティエは兄ジェネルーを追い、そして、農地を巡って、目が眩しく光に疲れて、ヘタっていた。
ジェネルーの側で、農作物の育ち具合の説明をしていたオジジ、ルテじいが、ピティエがパチパチ目を瞬き、頭が痛いと項垂れると、「おお、おお、疲れましたかの?」と、ごつごつした、あったかい手で、優しく額を覆って、ついでに瞼も覆われて、塞いでくれた。
ピティエはホッとした。そして思った。
何故自分は、兄に付いて行くと、いつも途中で頭が痛くなり、疲れてしまうのだろう?どうして皆は、ピカピカの日向が大丈夫なんだろう?大人になったら、治るかしら?
その頃は、ピティエがそんなに光を眩しく思っているだなんて、自分も家族もその周りも、分かっていなかったのだ。
「静かな畑に行きましょうかな。ピティエ様を、このルテじいが、お預かりしても?」
「うむ。畑の様子や細かい報告は、ルテじいの息子から聞こう。大事にゆっくり休んでな、ピティエ。ルテじい任せたぞ。」
ピティエが手を引いて連れられてきたのは、お茶の木の畑だった。
何故か、お茶の木の上の空には、黒い薄い布がかかっている。
ピティエは布がある、とは見えなかったが、すっ、と影に入り、目に優しくなったから、先ほどのルテじいの手に覆われたかのように、安心した。
茶の木が列を作って植えられている。
その列の間に、ルテじいが手拭きの布を広げて、ピティエをそこに座らせた。ルテじいは、隣の土の上に座る。
「ピティエ様、ルテじいは、歳をとって、目が悪くなってきたのですなぁ。ピティエ様と、似ていますかな。」
「似てるの、ルテじい?」
首を傾げるピティエは、まだ何も傷つく事がなかった。家族がそう、大事に大事に育ててきた事もある。この頃のアシュランス公爵家で働いている者達も素性が良く、純真なピティエを可愛く思っていた。
「似てますなぁ。じいはこの頃、お日様の光が、どうもピカピカ眩しくて、そういう場所にいると、目が痛くなったり、頭がうっすら痛くなったり、身体が疲れたり、するのですなぁ。」
ピティエ様も、もしかしたら、そうなのではないですかな?
「うん。お日様、まぶしいの。だから頭いたくなったり、疲れたりするんだ?皆は大丈夫なの?ルテじいだけ?」
ピティエの仲間は。
「他にも居るかもしれませんなぁ。ルテじいは、だから、ほら、こんな大きな、麦わら帽子を被っているのですなぁ。少しはマシになります。ピティエ様も、お帽子があると、いいですかな?」
帽子をピティエに触らせて。
「そうかも!いいお帽子だね、私も買ってもらえるかな?」
ふ、ふ、ふ。
「買って貰えましょう。まあ、今日は、間に合わせに、じいの帽子をお貸ししましょう。」
ぽす、と大きな麦わら帽子を、ルテじいは脱いで、ピティエの頭に被せた。パチ、パチと瞬き。
ゆらゆらの麦わら帽子は、ルテじいの体温を移して生ぬるく、しかし、ルテじいと同じく、優しかった。
「私が帽子、かりちゃったら、ルテじいこまらない?」
「今日は、もう帰るだけですからの。家には替えの帽子がありますから、ピティエ様にお貸ししても、大丈夫、大丈夫。」
ピティエが、ルテじいの帽子をかぶっているから。
そこにいるのは、ルテじいと、孫の、もう1人の農民の子供のように、傍目には映った。
曇りの日は、良いですなぁ、そうか、そうかも、などと、静かに話をしながら2人が休んでいると、高く響く声が、遠くから近づく。
「ちょっと、ジェネルー様は一体どこにいるのかしら。せっかく私が来たのに、仕事ばかりでは、つまらないじゃない?」
「申し訳ありません、アビュ様。」
あ、ジェネルーお兄様の婚約者の、アビュお姉様だ。あと執事のラーブル。
ピティエは、ご挨拶した方がいいかな?と、モゾモゾしながら、2人が近づくのを待った。
「それにしても、弟のピティエも来ているのよね。ちょうど良いわ。この領地に置いていければ良いのだけど。」
「ピティエ様は、ご家族が本当に可愛がっておられます。置いて行く事は、なさらないでしょう。」
ラーブル執事は、丁寧に、だが淡々と返すが。
「目が見えないなんて、何の役にも立たないわ。将来的には、遊ばせて閉じ込めておくしかできないのだから、私達が結婚するまでには、キチンと言い聞かせて欲しいわ。」
ジェネルー様は、そこの所、どうお考えなのかしら。
ラーブル執事は、黙して応えなかった。
「•••ピティエ様。」
ルテじいが、青ざめたピティエに、その小さな肩に手をやり、ごつい温かい手で、ぎゅうぎゅうと撫でた。
「ピティエ様。もし、お辛い事があって、どこかに逃げたくなったら、私の茶の木の畑を、手伝ってもらえませんかな?」
「わ、私が、やくにたた、たたないから?」
いえいえ。
「この茶の木で作るお茶、美味しいんですな。ルテじいが、今度ピティエ様に飲ませてあげましょう。美味しいものをつくるのは、幸せだし、この畑の世話を、ルテじいの秘密の畑のコツを、ピティエ様に教えて、守って欲しいんですな!」
ここは、ルテじいの、お気に入りの畑だから、滅多な人には、継がせたくありませんでな。
ピティエは、突然の事に、じわりと涙を浮かべ。
「あ、頭いた、いたくて、まだかんがえ、られないっ!」
考え、られない。
私は置いていかれちゃうの?
ルテじいの畑をやる?
皆とお別れするの、いやだな。
どうしたらいいの?
「うんうん、すぐの話では、ありませんな。ルテじいは長生きしますから、ゆっくり考えて、ですな。ただ、誰がピティエ様を閉じ込めておこうとしても、このルテじいだけは、ここでピティエ様をお待ちしております。」
それだけ、覚えておいてください。
「うん。•••うん。」
ポロポロと溢れる涙は、茶の木に隠れて、ルテじいだけにしか見せられない涙となった。
夕飯の時、アビュ嬢が機嫌良く、ジェネルーやピティエに話しかけてきたが。
ジェネルーは元々アビュ嬢とは、あまり話を饒舌にはしていないし。
いつもなら、朗らか天真爛漫に皆を笑わせるピティエは、「はい。」「そうですね。」「はい。」「はい。」と。
明らかに悄然として、おざなりに返事をするので。
アビュ嬢もしまいには腹立ちながら黙ってしまい、暗い夕飯となった。




