告白
「白百合さん!」
放課後。ショートホームルームが終わり、担任が捌けたばかりの賑やかな教室に、勇気のやや上ずった声が響き渡った。
一瞬の静寂があって、徐々にざわめきが広がる。
え?
なに今のって真田?
つか、なんで真田くんが白百合さんを?
なになに?
どしたん?
まさか告白とか?
うはっ、そりゃ熱いけどいくらなんでもまさかっしょ。
などなど。
一部を除きまだ大半が残っていたクラスメイトは、さまざまな疑問、憶測を口にしながら多分に好奇を孕んだ視線を勇気と白百合絢音との間で行き来させている。誰も帰ろうとはしない。このまま野次馬を決め込むつもりらしい。
「……何かしら。真田くん」
そんな中、白百合が帰り支度の手を止め、周囲のざわめきを断つように、抑揚のない声で勇気の呼び掛けに応えた。
室内を再び静寂が支配する。
「うっ……その……」
勇気は緊張のあまり言葉に詰まった。
「その?」
「いや、あの……」
「あの?」
勇気がどもるたびに白百合は詰問するかのように淡々と、的確にその間を埋めてくる。
勇気の緊張を知ってか知らずか、それともそんなことは重々承知の上で一切こちらをおもんばかってくれるつもりなどないのか。おそらくは後者だろう、と勇気は思う。
何しろ相手は容姿端麗、頭脳明晰、運動神経抜群、文武両道と名高い学校一の美少女で、いわば学園のマドンナだ。おまけに生まれは名家で途方もないレベルのセレブ。正しく現代のプリンセス──人呼んで「白百合姫」。自分と彼女とでは生き物としての格も、住まうべき階級も何もかもが違う。
あまりにも高嶺の花が過ぎて、本来であれば勇気のようなモブ野郎にとっては話しかけるのも躊躇われるような、いと高貴なる存在である。彼女にしてみればまずもって勇気なんかにかかずらう理由がない。
そんな白百合が感情の籠らない、黒曜石のような瞳でじっと勇気を見つめてくる。おそらく一部の特殊な性癖を持つ者には堪らない、ピンポイントで刺さる視線に違いない。
(きっと「うざい」とか「めんどくさい」とかそんな風に思われてるんだろうな)
いや。
(違うか。せいぜい「なんなの、こいつ?」ってところだよな……)
以前、好きの反対は嫌いではなく無関心、と何かで聞いたことがある。
勇気は自分が嫌われるほど白百合から関心を寄せられていると思うほど自惚れていない。まあ、現在進行形で困らせてはいるだろうが。
(はぁ……)
勇気は自分がまるで道端に落ちているごみにでもなったような、酷く惨めな気分になった。いや、むしろ歩道に吐き捨てられたガムだ。あれはウザい。
と。
そんな風に考えれば考えるほど居たたまれなくなる。
いっそのこと「ごめんなさい」して今すぐこの場から走り去りたかった。
しかし残念ながらそれはできない。
やつらから課された「ミッション」。それを果たすまで勇気には逃亡など許されない。よしんばこの場から逃げ仰せたとしても、その後に勇気を待つのは社会的な死だ。
これは大袈裟な話でもなければ比喩でもないし冗談でもない。
万が一やつらに、アレをばらまかれるようなことにでもなれば……真田勇気というひとりの人間の人生はその時点で本当に終わってしまう。
(それだけは……っ)
勇気はきつく拳を握った。勇気を出すんだ……僕の名前は「勇気」じゃないか。
「あの……っ」
「はぁ……。真田くん、さっきから一体どうしたというの? あのそのばかりじゃわからないわ。用があるならはっきりと言いなさいよ」
「うぐっ」
ぷふっ、めっちゃ震えてるし。
なあおい、ひょっとしてあいつ……マジで白百合さんに告る気なんじゃねえか?
うっそ、あいつ勇者かよ。
キャー!
くすくす。
もたもたしているうちにまたしても野次馬たちが活気づく。
(……くそっ、みんな好き放題言ってくれるよなあ……)
内心で毒づいていると、
「……」
白百合がじろりと睨んで、彼らを黙らせてしまった。
そしてその視線が今度は勇気を捉え、
「………………」
じっと動かなくなる。
「………………」
今のうちにさっさと言いなさい。
なんとなくそう促されている気がする。
(ああっ、くそ……っ、もう自棄だ! 言ってやる!!)
勇気は意を決し、
「し……っ、白百合さん! す、好きです。僕と付き合ってください!」
あいつマジで言いやがったああああああ!!
野次馬たちのボルテージが最高潮に達する。
勇気の心臓は稼働率が三百パーセントを超えオーバーヒート寸前である。
そして、
「………………」
勇気が。
………………。
ついでにクラスメイトたちが。
固唾を飲んで白百合絢音の答えを待つ。
そんななか、
「……まったく。悪趣味ね」
悪趣味?
白百合の口から飛び出したのは予想外の言葉だった。
しかし彼女は返す刀で、
「ごめんなさい。私、いまいち男の人とかそういうことに興味が持てないの。だから真田くん……あなたとは付き合えない」
きっちり、ばっさり、ずんばらりん。
とりつく島もなく完ぺきに、勇気の告白を見事袖にしたのであった。
(ですよねー)
うん、知ってた。
それは百パーセント予想できた答えではあったものの、勇気はがっくりとうなだれた。脈などない、そんなことは初めからわかっていた。
とはいえ相手は誰もが認める校内一の美少女である。勇気にだって白百合に対する憧れや淡い恋心ぐらいはあったのだ。たとえ無謀な相手がでも、想うだけなら自由だ。
その淡い想いすらもたった今、衆目のもと木っ端微塵に打ち砕かれたわけだが。
(もういいや、帰ろう……)
ともあれ押し付けられた「ミッション」自体は果たされたのだからもういいだろう。
むしろやつらにとってはこうして勇気が玉砕するところまでがワンセットなのだろうし。
きっとさぞかし満足してくれたことだろう。
案の定。
「ギャハハ、ウケるぅううう! 真田ぁ? お前、白百合さんに告るとか無謀すぎィ! まともに鏡見たことあんのかよ、おい」
「ぶふっ、ちょ、ひど! 佐伯、おまっ、笑いすぎだって!」
「いや、お前も笑ってるけどな? まあ、笑えるけど」
「ったく、白百合さんもいい迷惑だよな。あ、白百合さん! うちの真田がごめんね?」
「グハッ、うちのって千田ぁ、お前は真田の何なんだよ?」
「んあー、ダチ……いや、飼い主?とか??」
「なら、ちゃんと躾ろよ」
「ぶはっ、ちょ……っ、もうやめてえ!」
佐伯、清水、須釜、千田。この茶番劇の仕掛人たちだ。
一応でも進学校に通っているだけあって明らかな不良とまではいかないものの、各々が体育会系でガタイがよく、声も無駄に大きくやんちゃな彼らは、勇気も所属するこの二年七組でクラスの顔役を自任している連中であり、周囲もなんとなくそれを認めている。
こいつらが自分たちの顔役だなんて勇気は絶対にごめんだが。
四月、二年生に上がって間もなくの頃から勇気は佐伯たちによる陰湿ないじめを受けていた。いじめが始まったきっかけはもう覚えていないし、もしかしたらきっかけなんて何もなかったのかもしれない。
最近やけに絡まれる。そう気づいたときには既に手遅れで、勇気は佐伯たちの玩具だった。
もちろん抵抗はした。しかし無駄だった。全員が運動部に所属し体も大きく力も強い佐伯たちに対し、背も低く撫で肩で典型的もやしっ子の勇気が抗いきれる道理などなかった。今回の強制公開告白しかり、である。
「………………」
勇気は佐伯のにやけ面を上目遣いでじとりと見た。暗にやることはやったぞ、これでいいんだろ。そんな気持ちを込めて。
「おいおい、睨むなよ真田ぁ。俺たちは名前ばっか勇ましくってヘタレなお前のためにちいとばかし背中を押してやっただけだぜ? ありがてえだろ? なあ、勇気くん」
「ははっ、よかったじゃんか真田。憧れの白百合さんに、みんなの前で告白できてさ。まさに晴れ舞台ってやつだ」
「うははっ」
「いやいや、お前らほんとひでえなあ」
「お前が言うなし」
一体何がそんなに面白いのか……。
佐伯たちは適当なことを言い合いながらげらげらと笑い続けている。
野次馬たち、つまり他のクラスメイトたちはといえば、一部佐伯たちに同調する者や、呆れたように笑う者、気まずそうに目をそらす者や勇気に対し同情や憐れみの籠った視線を向ける者などその様子はさまざまだ。
(白百合さんは……)
ふと。
勇気は謂わば自分に対するいじめの巻き添えでくだらない迷惑を掛けてしまった彼女の反応が気になり、そっとその様子を窺い──
「!?」
思わず息を飲んだ。
咄嗟に悲鳴を漏らさなかった自分を誉めてやりたい。
そこにあったのは無。
完全なる無表情。
勇気の目に映る彼女は今、白磁のように色白で、人形のように整った顔に、能面のような無表情を張り付けていた。
(こ、怖い……っ)
ぞわっと鳥肌が立った。
その佇まいはぞっとするほど美しい。
ただ、あまりにも綺麗でいっそ無機質にすら感じる今の彼女を到底、自分たちと同じ人間とは思えない。
(美人がキレると怖いって聞いたことあるけど……こういうことなのか)
などと、ある意味実地で学べたわけだが、問題はその怒りの矛先である。
白百合絢音は頭が良い。
ことの経緯などとっくのとうに理解しているだろう。
もしかしたら最初からわかっていた可能性もある。
だったら助けてよ、と少しは思わないでもないがそれはさすがに理不尽というものだろう。
当然だがいじめは実際にいじめるやつが一番悪い。次にそれを助長するような連中だ。その他の傍観者について勇気は加害者とまでは思わない。誰だって進んで面倒事に関わろうとは思わない。立場が逆なら勇気だってそうだ。
その点、白百合は傍観者に含まれる。
十中八九、勇気が佐伯たちからいじめを受けていることは知っているだろうが、彼女はこれまで一貫して無関心を貫いてきた。
勇気の判断基準でいえば、絢音は味方とは言えないが敵でもない、ということになる。もっと言えば、単に同じクラスというだけで、関わり自体がほとんどないのだが。
(……てか、これまでまともに話したこともないし……)
そんな相手に衆目のさなか告白するなど、いかに佐伯らに強制されたとはいえ、勇気は白百合に対してかなり失礼なことをしてしまっている。ある意味嫌がらせみたいなものだ。
心配しすぎかもしれないが、勇気はこれまで自身に無関心、無関係だった絢音に対し、わざわざ自分から非友好的な形で関わりを持ったに等しい。これはもうキレられても仕方ない。
とはいえ、
(うぅ……主犯は佐伯たちなんです。僕はこんなことしたくなったんだ。本当に仕方なかったんです……)
勇気は心中で言い訳をしつつ、床に視線を落とした。
とてもじゃないがこれ以上は白百合の方を見ていられない。
その時だった。
「くだらない……」
季節は初夏だというのに、底冷えしそうなほど冷淡な声が響いた。
白百合だった。
続けざま、佐伯たちに対しまるで汚物でも見るような目を向けながら、
「佐伯くん。これが高校生にもなってやることかしら? 恥ずかしいとは思わないの? 正直、同じ人間として品性を疑うわね」
と、彼女は吐き捨てる。
それに対し、
「はあ? いやいや、俺が一体何したってんだよ」
と佐伯はへらへらとした態度で躱そうとしたのだが、
「はぁ……。そういうの、いらないから。あなたたちが普段から真田くんに何をしているかなんて周知の事実でしょうに。それともあれかしら? 自分の品行すらも省みれないほど馬鹿なのかしら? だとしたら品性だけでなく知性の有無についても疑わないといけなくなるわね」
白百合が容赦ない追い打ちをかけたことで、
「んな……っ!?」
と、目を剥いた。
「……おいおい、ちょっと待ってくれよ白百合さん。その言いぶりだと、あんたもわかってて知らんぷり決め込んでたわけだろ? それって要するにあんたも同罪ってことじゃないのかよ」
佐伯は眉をひそめつつ反論を口にする。
白百合に対し、同じ穴の狢だろう、と言いたいらしい。
しかしそれでも白百合はどこ吹く風だ。
「あら。一応罪は罪として認識できているのね? びっくりよ。意外だけど少しだけ見直したわ。それなら私も認めましょうか。ええ、たしかに私は真田くんがあなたたちからいじめを受けているのを知った上で、それをこれまで放置してきたわ。もちろんかわいそうだとは思っていたけれど……でも、わざわざ止めようとは思わなかった。なぜなら私は物語に出てくる正義の味方なんかじゃないからよ。普通、人は自身に直接害が及ばない限り、大抵のことは見て見ぬふりをするでしょう? まあ、人道的見地から言えばあまり誉められたことではないかもしれないわね。──けど、それが何? 自身の平穏を守るためにする『見て見ぬふり』は決して罪なんかではないわ。むしろ人として──いいえ生物としての本能、謂わば当然の権利ね。私はただ、それを行使しただけ。何が問題なの? もしもそれが罪になるというのなら、日々世界のどこかしらで起きているテロや紛争をただテレビのニュースで流し見ているだけで特に何もしない私たち日本人は全員が咎人ということになるじゃない。──と、まあ私はそう思うのだけれど……どうかしら? ねえ、佐伯くん? 私、何か間違ってる?」
白百合の言い分はかなりの極論……いや、もはや暴論だった。しかしある種の正論でもある。少なくとも勇気は彼女に同意する。
それに──
(白百合さんてこんな風にしゃべることもあるんだな)
白百合は特に寡黙な性格というわけではない。人気者故、よく友人知人から話しかけられるし、その際には気さくに受け答えをしている。
ただ、おしゃべりかというとそれもまた違う。優等生、が一番イメージに近いだろう。
そのためこれほど舌鋒鋭く多弁を振るい相手をやり込める姿は、これまで勇気が白百合絢音という人物に対し抱いていたイメージを大きく覆すものであり、場違いにも感動を覚えた。
「ぐ……っ」
そしてその舌鋒をまとに食らうことになった佐伯が、果たしてそれをどのように感じたのか。その辺りは勇気の想像の及ぶべくもない。
ただ、一度呻いたきり悔しげな表情を浮かべるだけで何も言い返さない様子を見るに……かなり参っているようだ。少なくとも今のところ反論すら浮かばないらしい。
そんな怨敵を見て、
(ざまあ)
勇気は思いきり溜飲を下げた。
佐伯以外の三人──清水、須釜、千田ら──もリーダー格がやり込められてどこか所在なさげにしている。
(ああ白百合さん……もっと徹底的に言ってやって!)
と、そんな風に邪なことを思ったのがいけなかったのかもしれない。
「──真田くん」
白百合絢音の舌鋒。
怨敵佐伯を刺し貫いた、その鋭く尖った矛先が、
「その顔を見ればあなたが今どんなことを考えているのかなんて大体わかるけど……あなたもあなたよ?」
「え」
どういうわけか、今度は勇気に向けられた。
「どういう──」
「まず大前提として──。いじめというものはそれを行う者が一番悪いわ。なかには『いじめられる側にも問題がある』なんて言う人も居るけど……少なくとも私はそうは思わない。いじめは卑劣な犯罪よ」
そこで白百合はゆっくりと周囲を見回し。
最後に、
「そうでしょう?」
と言って、佐伯たちに対し、再び例の汚物でも見るような目を向けた。
「っう……いや、だからあ、それはそいつがさあ──」
佐伯は勇気のことを指しながら何か言い返そうとしたが、
「──あなたの言い分なんて聞いてないの。今話しているのは私よ。佐伯くん? 少し黙っててくれるかしら」
白百合がそれをぴしゃりと遮った。
「なっ!? ~~~っ」
佐伯はそれでも何か言いたげに口を何度かぱくぱくと開け閉めしていたが、
「………………」
白百合が相手ではさすがに分が悪いと思ったのか……結局、むっつりと黙り込んだ。
(うわあ……。めっちゃ睨まれてるし……)
そのヘイトは思いきり勇気に向けられているわけだが。
「ごめんなさい、邪魔が入ったわね」
「あ、いえ」
「~~~っ」
邪魔者扱いされた佐伯が、視界の隅で茹で蛸のようになっている。
(白百合さん……そうやってナチュラルに煽るのやめてもらえませんか)
今はいいが後が怖い。勇気は内心げんなりとした。
「──話を戻すわね。大前提として、いじめは百パーセント加害者が悪い。これはいい?」
「うん」
「……っ」
いちいち佐伯が睨んでくるが、白百合の持論については勇気も常々そう思っていたので素直に頷いた。
(そうだ、僕は何も悪くない……悪いのは全部あいつらだ)
「その上で、あえて言わせてもらうわ。真田くん──あなたはなぜ彼らに為されるがままになっているの?」
「へ?」
「どうして抗おうとしないの?」
「は?」
「私はそれが心底不思議だわ」
「しら、ゆり、さん……?」
白百合はその言葉どおり、本当に不思議そうな表情で勇気を見つめる。
──ナニヲイッテイルンダキミハ──
勇気が佐伯たちの為されるがまま? ああ、それはそうだろう。
ただでさえ弱い勇気が、一対四であいつらに敵うはずがない。
(だからって……僕がやつらに抗おうともしない?)
──ソンナワケナイダロウ──
何度も抗った。この三ヶ月弱、勇気はひとりぼっちで戦ってきた。だけどどうにもできなかった。その結果、今の状況がある。
(僕は抗った……)
──ソレヲナニモシラナイデ──
急激に、心が冷えていく。
「………………。白百合さん……いくらきみでも言って良いことと悪いことがあるよ。僕だってね──」
(抗ったさ。抗ったんだ……っ)
「真田くん」
「!?」
不意に。勇気の頬にひんやりとした何かが触れた。
「勘違いしないで」
いつの間にか白百合が両手の平で勇気の顔を挟んでいた。勇気よりも背の高い彼女が少しだけ腰を折り、上目遣いに勇気の顔を覗き込んでいる。
「~~~!? なあっ、はいっ? ちょ、白百合さん!?」
白百合の顔が近い──。──否、近すぎる。
「最初に言ったでしょう? 私はあなたが悪いなんて微塵も思っちゃいないわ」
「~~~っ」
うおおおおおお!?
ちょ、白百合さん何を!?
キャーッ、大胆!
なあ、あれってどういう状況?
ぐぬぬ……羨ましい!
(ひぃっ、近い近い近い──! てか、目ぇでっか! 睫毛なっが! 肌も綺麗すぎて毛穴なんてひとつも見当たらないんですけど!?)
白百合の突然の奇行?に何やら周囲がざわついているような気もするが、今の勇気にはそれを気にする余裕などない。自分のことでいっぱいいっぱいだ。
「私が言いたいのはね──真田くん、どうしてあなたは誰にも助けを求めないのか、ってことよ。人が困難に立ち向かうとき、必ずしも独力である必要はない。そうでしょう?」
「……え」
「先生には話したの?」
「………………」
「まあ、少なくともうちの担任には言っても無駄そうよね」
勇気たちのクラス担任はかなりのことなかれ主義だ。
白百合は仕方なさそうに苦笑いを浮かべた。
「なら、ご両親には?」
「っ……」
勇気は下唇を噛んだ。
すると白百合は、
「……そう。あなたは真田……勇気くん、だものね。言えないか」
「!?」
「どうして、って顔ね。私の身近にも居たのよ。名前で苦労したひとが、ね。基本的に、名前というのは親や家族が子供に託す願いよ? でも、時にそれは呪いにもなり得るものよね」
「………………」
「じゃあ」
友達には──、そう言いかけて、
「! ……っと、ごめんなさい」
白百合はバツが悪そうに謝った。
「別にいいよ」
そんなことはいまさらだ。
勇気には友達なんていない。以前はいたような気もするが、あれは幻か何かだったのかもしれない。佐伯たちからいじめられるようになって、友人たちは勇気から徐々に離れていった。
その辺りは白百合も知っていたのだろう。珍しく「失敗した」という顔をしている。
「その、あんまり気にしないでよ。されても正直……困るし」
「……ありがとう、でいいのかしら?」
白百合は困ったように苦笑いを浮かべた。
「とりあえず、お言葉に甘えさせてもらうわね。それでだけど……ねえ、真田くん。いじめは加害者と被害者、あくまでも当人同士の問題。そう言ったわよね? 少なくとも私はそのように考えるわ。だから私はあなたと佐伯くんたちとの間に起こっているそれにわざわざ自分から進んで関わるつもりはない。だって私はお節介な正義の味方なんかじゃないもの」
「………………」
「──けどね。こちらから関わるつもりがなくても、巻き込まれたのなら話は別なのよ? ねえ真田くん。今回の茶番を佐伯くんたちから持ちかけられた時点で私に相談することはできなかったの? 私、もしも事前に聞かされていれば決して無下には扱わなかったわよ?」
「それは……」
そもそもそんなことは思いつきもしなかったのだが……しかし、たとえ思いついていたとしても、佐伯たちに「例のもの」を握られている以上、勇気にはやつらの命令に従う以外の選択肢はなかっただろう。まして、それを込みで白百合に相談するなんてもってのほかだ。
勇気が何も言えず黙っていると、それをどう受け取ったものか白百合が、
「………………私って、もしかして怖い?」
などと突然妙なことを言い出した。
「──へ? ちっ、違うよ!?」
「あー……うん、いいのよ。自分でもまあ結構刺々してるなあって思うし」
「いや、そんなことないから! 白百合さんは正直、美人すぎて近づきがたい雰囲気はあるけど……けど、怖いとか、そんな風には全然思ってないから!」
「……それ、本当?」
「もちろん!」
「ふうん………………そっか。ふふっ、そうなんだ」
なあ、これ俺たち何見せられてんの?
サーナンダロナー。
やだっ、なんか白百合さんがすっごくかわいく見える! いつも以上に!
白百合さんと真田が良い雰囲気、だと……?
ついさっきあんなにはっきり振られたのに?
砂吐きそう。
ちっ。
「──こほん。ちょっと脱線したわね」
「! えっ、あ……うん……」
「とにかく、私が言いたかったのはね、あなたが気づいていない、もしくは最初から選択肢から消してしまっているだけで、あなたの周りには私を含め、いざとなれば味方になってくれるひとは案外たくさん居るのよ──ってことなの」
「………………」
「信じられない? なら、今から聞いてみましょうか。ねえ、みんな? 真田くんがもし本気で助けて欲しいって言ったら、もちろん助けてくれるわよね?」
(──え、ちょっとこの子何言っちゃってんの!?)
勇気は白百合絢音という少女のことがわからなくなった。宇宙人的な意味で。
一見してクールな美少女。その発言も──少なくともこれまでは──一貫してクール。
というか、ついさっきまでめちゃくちゃクールでドライなことを口にしていたはず。
その子が、なぜか急に頭がお花畑みたいなことを言い出したのだから困惑もひとしおである。キャラ、ブレすぎじゃない? きみ、頭大丈夫? 本気で意味がわからない。
「あのう……白百合さん?」
おずおずと名前を呼ぶ。
(もう勘弁してください……居たたまれないしあとで佐伯たちに何されるかわかりませんから)
しかしそんな勇気の思いなどよそに、
「いいよ。あたし、真田の味方んなっても」
さっそく一人、そう言ってくれる者が現れた。現れてしまった、というべきか。
しかも、
(……嘘でしょ?)
その人物というがあまりにも意外で、勇気は目を見開いた。
天城遥。ちょっとボーイッシュな雰囲気のあるスレンダーなギャルだ。ボブカットの髪には赤紫のインナーカラーを入れている。
ちなみにだが天城は勇気にとってこれまで一度も話したことがない相手だ。そんな彼女がどうして、と困惑する。
「天城さん!」
白百合が華やいだ声を上げる。
「白百合さんは真田に付く、ってことだよね? なら、あたしも一緒する。なんつーかさ、ぶっちゃけ佐伯たちのことあんま好きじゃないしね」
(いやいやいや)
そんなことを言ってしまって大丈夫なのだろうか?
心配になり、勇気はそっと佐伯たちの様子を窺うが、
(……あれ? いない?)
四人はいつの間にか姿を消していた。
「真田。今まで見て見ぬふりしててごめんな?」
天城がはにかみながらそう言った。
「……っ、えっと……」
「ぷっ、なんだよお前……顔、真っ赤じゃんか。あ! もしかしてあたしに惚れちゃった?」
にしし、と笑われ、
「へっ? ちっ、違うから!」
勇気は慌てて否定した。
「なんだよぉ、そんなに力一杯否定しなくてもいいだろお……あたしだって傷つくんだかんなあ?」
「あっ、ごめん」
「──あー……ははぁん? なるほど、こりゃ確かにかわいいわ」
「はい?」
「んー、なんでもなーい。たーだ、白百合さんの気持ちにちょっちわかりみを覚えたかも的なやつ」
「はあ……」
「天城さん……?」
「!? あーっと、ごめんごめん! 大丈夫だから! 盗ったりしないから睨むのマジやめて?」
「まったく……」
(ナニコレドウイウジョウキョウ?)
「あのう……わたしもいいですか?」
(えっ。櫻井さんまで……?)
胸の辺りで小さく挙手をしつつ名乗りを上げたのは櫻井笙子。長い黒髪を編み込みのおさげにした太縁眼鏡が似合う文学少女だ。ちなみに小柄な彼女だが一部分だけとても大きい。
「もちろんよ、櫻井さん。ねえ、真田くん?」
「へっ? あ……ああ、うん。その……よろしく?」
またしても、なんだかよくわからないうちに白百合に押しきられた。
「わたし、やっぱりいじめはよくないって思うんです。目指すはいじめ撲滅です! 頑張りましょう!」
櫻井はそう言って、身長の割に立派な胸の前で両手をふんすと握った。
(ええ……いじめ撲滅って)
そして……、
「んじゃ、俺も」
「私も」
「俺も。天城の話じゃねーけど、俺も佐伯たちって、好きになれねーんだよな」
「あたしもあたしも」
と。
天城遥に櫻井笙子。
その性質は両極端といっていいふたりが名乗りを上げると、あとは芋づる式にクラスメイトの三分の一ほどが次々と「勇気の味方をする」を表明したのだった。
(なにこれ……本当に何がどうなってんの?)
「ほら、ね? 言ったでしょう、たくさん居るって。みんな、あなたが求めてくれるのを待ってたのよ?」
(……そう言われてもな。別に求めたつもりもないし……)
「なら、私たちは不要かしら?」
「!?」
「そんなに驚かなくてもいいでしょ。顔にそう書いてあったわよ」
「………………」
「ねえ、真田くん。案外、世の中にはたくさんの天の邪鬼がいるの。大抵の人間はね、口では『面倒事は嫌だ』『関わりたくない』なんて言っていても、いざ困っている人を見たら助けてあげたくなるものなのよ。でもね、そういのってやっぱりちょっと照れ臭いし、助けた結果、相手や周りから偽善やエゴだって思われるのを恐れてしまったりで、なかなか行動には移せないのね。だからまあ、助けたくてそわそわしながらも相手の方から『助けて』って言ってくれるのを待っているってわけ。滑稽でしょう? 今ここに残っているのは、みんなそんな人たちばかりよ。もちろん、私を含めてね」
白百合はそう言って優しく笑う。
だからって、
「こんなに……?」
その人数にも驚きだが、クラスメイトとはいえほとんど話したこともないような顔ぶれだ。
「そうよ、真田くん。たった今から私が──いいえ、私たちがあなたを守るわ」
「────」
なんで?
どうして?
こんなことってあるの?
本当に信じてもいいの?
「~~~~~~っ」
困惑、疑問、歓喜、感動、さまざまなもので胸がいっぱいで、頭の中がぐちゃぐちゃで、勇気はたった一言、「ありがとう」と、それだけ言うのが精一杯だった。