◆5話 (回想:幼稚園)
幼い頃は、とにかく臆病で引っ込み思案で人見知りだった。
いつも隅っこの方でひとり、絵本や図鑑を眺めているような子供だった。
本当はみんなと遊んでみたかったのだけれど、他の園児たちの輪に自ら加わる勇気はなく、もの静かに過ごしているのが常だった。
幼稚園の先生たちからは、ひとり遊びが好きな園児である認識をされたために、強いて友達を作るようにと言われることも、他の園児と遊ぶように促されることもなかった。
どうやら大人たちにとって、背筋を伸ばして鉱物図鑑なんかを眺めている僕の姿は、「深幸くんは賢い子である」という印象を与えるもので、単なる低コミュ力の為せる業でぼっちだとは思われていなかったらしい。
寂しく過ごしていた僕に話しかけてくれたのが、あかりちゃんだった。
幼稚園には「お散歩タイム」なるものがあった。園児たちが2列になっておててを繋いで先生に引率されながら近所を散歩するというものだ。
僕の隣、手を繋いで一緒に歩く相手が、あかりちゃんだった。
「みさきちゃん、きいて、だいじけん。あかりね、きのうね……」
あかりちゃんは僕とは正反対の、とても社交的で、よく喋る子だった。単語か相槌くらいしか返せない僕とでも、始終楽しくお話をしてくれた。
「にそみこみうどん、たべた」
深刻な顔で、昨日の夕食に味噌煮込みうどんが出たという話を熱心に語るあかりちゃん。可愛い。僕は真摯に耳を傾ける。味噌煮込みうどんを上手く発音できていないあかりちゃん。可愛い。
「あれはもう、かくめいだった」
繋いでいない方の拳を握るあかりちゃん。園児に革命とまで言わしめたのだから、味噌煮込みうどんを発明した人間も冥利に尽きると言うものだろう。
「みさきちゃんは、にそみこにうどん、すき?」
「うん」
「うえへへ、いっしょー」
あかりちゃんは繋いだ手をぶんぶんと振って、喜びを表現した。僕は小さい声で「うん」と言っただけなのに、彼女はこんなにも大きい反応を返してくれる。
あかりちゃんと過ごせるお散歩タイムは、幼い僕にとって一番大切な時間だった。
あかりちゃんは元気を絵に描いたような園児だったから、自由時間になるとすぐ、弾丸の如くグラウンドに飛び出して、他の園児たちと元気に駆けまわっていた。遊びに混ざるのが苦手な僕には手の届かない場所にいる。
だからお散歩タイムだけが、あかりちゃんとお話ができる唯一の時間だった。
保育士さんたちからお散歩タイムの招集が掛かり、2列に並んで手を繋いだら、あかりちゃんはいつも「みさきちゃんといっしょー」と天使のように微笑む。間違えた。天使のようにというか天使そのものだから天使が微笑むと言った方が正しい。
「くりごはーん。くりごはーん」
あかりちゃんはよく唐突に歌う。今回は栗ご飯の歌が始まった。おそらく、道端に落ちているドングリを見て栗を連想したためだと思われる。なお、これは彼女の「おりじなるそんぐ」らしく、3番まである。
しっかりと3番まで傾聴して、「うたじょうずだね」と感想を述べたら、あかりちゃんは「へへ」と、はにかんだ。可愛いがとどまるところを知らない。
「みさきちゃんてば、ほめごろしなさるんだから!」
あかりちゃんは、男子は「くん」、女子は「ちゃん」で呼ぶ。
そのことから思うに、「みさきちゃん」と呼ばれる僕は、どうやら女の子と認識されているらしかった。
胸元のワッペンにひらがなで書かれた名前は「みさき」という女の子に付けられる割合が高いものだったせいか、他の人からも女の子に間違われることが多かった。あかりちゃんが僕を女の子と思ったのも仕方がない。
彼女は男女分け隔てなく仲良くしている子だけれど、もし僕が女の子ではないと知って万が一嫌われてしまったら生きていけないので、特に訂正はしなかった。
「みさきちゃん。らんどせらのいろ、きめた? ぴんく?」
卒園を控えたある日。あかりちゃんの関心は、まだ見ぬランドセルに向けられている。
「ううん。まだ。あかりちゃんは?」
「まだ。なやましい」
「うん。そうだね」
「あ、そうだ。みさきちゃん、しょいがくせいになるまで、ないしょにしとこ。にゅうがくしきで、みせあいっこしよ」
「うん」
あかりちゃんは繋いだ手をぶんぶんと振りながら、「ゆびきーり。したーよー」と、やはり唐突に、指切りのオリジナルソングを歌い始めた。
なお、歌詞に反し、手を繋いでいるだけで特に指切りはしていないのだが、これを約束にしようという彼女の意図はちゃんと分かる。4番までを傾聴した。
お散歩タイムがないであろう小学校へ行くことに何ら楽しみを見出していなかったけれど、あかりちゃんとランドセルを見せ合うという約束ができた途端、入学が楽しみになった。彼女の力はすごい。
あかりちゃんは僕の人生を照らしてくれる。
この先も、ずっと、あかりちゃんがいてくれたら嬉しい。
結局、僕があかりちゃんのランドセルの色を知ることは無かった。
僕と彼女の小学校が別だと知ったのは、卒園した後だった。
どうやらこの世には、神も仏もいないらしい。




