◆4話 日下くんのタイプ
突然だが、私は日下くんの好みに該当する女子である。
日下くんを好きな人間がこんなことを言うと、妄想か願望か虚言かのいずれかを疑われそうだが、これは事実である。
その証明のために、中学校でのとある出来事を振り返りたい。
中学3年生の夏、園芸部の活動に勤しんでいた時のことだ。
セミの鳴き声が響く放課後、鍔の広い麦わら帽子と軍手という園芸部員デフォルト装備姿で、部長の的確な指示のもとトマトの苗をせっせと植えていたら、校舎裏から「好きです!」という、ドストレートな愛の告白が聞こえて来て、園芸部員みんなが手を止めた。
園芸部の持ち場である学園菜園は、校舎裏のすぐ近くにある。
なので、部活動中にたびたび、放課後の校舎裏にて繰り広げられる愛の告白が聞こえて来てしまうのは、園芸部員たちにとっては不可抗力だった。
断じて盗み聞きしたいわけではなく、聞こえてしまうのだ。
そして、聞こえたからには気になってしまうのが人のさがである。
というわけで、部員みんなは無言で頷き合うと、トマト植え作業をそっと中断して、そっと校舎裏を覗いた。
私も恋する身として他の生徒の恋に興味津々なので、ドキドキしながら偵察に加わった。
愛の告白を受けているのは日下くんだった。
「はぐっ」
私が声を上げそうになったことを野生の勘で察知した部長が口を塞いでくれたおかげで(ちゃんと土まみれの軍手を外してから塞ぎにかかる優しさ)、どうにか声は響かずに済んだけれど、ショックが止まらない。
先を越されてしまった!
いや日下くんに愛の告白をするなんて大それたことをする気は毛頭なかったのだけれど、それでも先を越されてしまったという衝撃と後悔が激しい。
「付き合ってください!」
しかも、日下くんに告白をしているのは同じクラスの前島くん、成績トップでサッカー部のエースで爽やかイケメンと名高い前島くんである。
対するこちらは、成績普通で園芸部の平部員で特に爽やかでもない一般女子生徒の小宮である。
前島くんに対抗できる要素が微塵もない。
詰んだ。
日下くんを取られてしまう……。
と、絶望したのも束の間、「ごめんタイプじゃない」という日下くんのバッサリした一言で、前島くんはあっさり振られてしまった。
もしも私があんなにバッサリ断られたら物理的にも両断されたに等しいダメージでその場で死ぬと思うけれど、前島くんは噂に違わぬ爽やかさで、「はっきり断ってくれてすっきりしたよ! ありがとう!」と笑って、感謝まで口にしていた。人間ができている。
そのあとふたりが和やかに会話をして、和やかに解散するところまでを見守ってから、園芸部員たちはそろそろと園芸活動に戻った。部長もようやく私を解放してくれた。
いつものことだが、園芸部員たちはもはやトマトの苗そっちのけで、さきほどの告白現場の話に夢中だった。
和やか会話の中で前島くんの語ったところによると、体育の授業中に足を挫いた彼を、保健委員の日下くんがお姫様抱っこで保健室に運んでくれた時に恋に落ちたとのことで、部員一同、「それは惚れる」と深く頷いたものである。
「お姫様抱っこで保健室に運ばれたらそりゃ惚れる」
「きゅんする」
「ときめく」
「王子様かよ……」
「てめえらトマトを早よ植えろ」
「惚れるわあ……」
なんてことをしてくれたんだ前島くん!
日下くんの良さがみんなに広まってしまったではないか!
俄かに園芸部のみんなが恋のライバルになってしまった可能性に震えていたら、「そういえば」と、部長がさらに衝撃のことを告げた。
「日下って去年も告白されてたよな。須藤さんに」
「えっ」
須藤さんは平たく言うと学校のアイドル的存在の、ものすごく可愛い女子生徒である。
「そういやそうだったなあ」
「あの時は人参の苗を植えてたねー」
去年の人参の時期は風邪を引いて部活を休んでいたので、その告白のことは知らなかった。
相手がバレー部の主将で足が速くて慈母のように懐が深くて学校のアイドルである須藤さんでは、園芸部の平部員で足が遅くて慈母感ゼロで学校のそのた大勢である私に対抗できる要素は微塵もない。
「えっ、ぶ、部長、それで日下くんはなんて答えたのっ!?」
「今日みたいにあっさり、ごめん他に好きな女の子がいるからって断ってた」
ほっとした。
いやできない。
「え、く、日下くん、好きな女の子いるの……?」
「いいや。俺も気になって、あとでさりげなく日下に訊いてみたんだが、特に好きな子はいないって言ってた。告白を断るための方便だろうな」
今度こそほっとした。
したけれど、日下くんが二年連続で愛の告白を受けていたとは。
日下くんの魅力はすでにダダ漏れだったと言うことか……!
土中のミミズを避難させている心優しき聖ちゃんに、努めて冷静にさりげなく「あのえっとその日下くんってなんかその人気者だったりするのでしょうか」と訊ねてみたら、「え、うん」と肯定されてしまった。
「日下さんは物静かで目立たないだけで地味に人気があるよー」
「にんき……!」
「日下さんいいよねーって言ってる女子、けっこういるよー」
「うわあ……」
なんてことだ……!
日下くんに恋をしているのは、私だけじゃなかったのか……!
ライバルの多さに震え上がった。
でもよく考えれば分かることだ。あんな後光の射しているような人間の魅力に、誰も気づかないわけがない。
前述の通り日下くんに告白するような勇気は全くないのだけれど、それでも今に誰かに先を越されて日下くんに恋人ができてしまうのではないかという不安に苛まれ、土に突っ伏して嘆いている間にも、部員たちの会話が聞こえてくる。
「しかし、あの須藤さんを振るとは……」
「俺が須藤さんに告白されたら食い気味でOKする」
「私は前島くんから校舎裏に呼び出された時点でOKしちゃう」
「どっちも即答で振るってすごいよね」
「てめえらトマトを早よ植えろ」
「もったいないよなあ」
「好みのタイプじゃないなら仕方ないねー」
好みのタイプ……。
須藤さんも前島くんも即答で断った日下くんは、どういう人が好きなんだろう。
「おい小宮てめえ。いつまで土に埋まってやがる。泣くな。無駄に土壌の塩分濃度を上げるな」
「部長……」
「なんだ」
「日下くんの好みのタイプを聞き出してきて……」
「なぜそうなる……」
「部長、日下くんと同じクラスだから聞きやすいでしょ……」
「いや小宮も同じクラスだろ……」
「私は美術室の掃除当番だけど部長は日下くんと同じ化学室の掃除当番だから聞きやすいでしょ……」
「掃除当番が同じだからなんだと言うんだ……」
「部長が聖ちゃんのこと好きだって聖ちゃんに暴露する……」
「なん、好っ、そん、明日聞きだしてやるからそんな妄想は忘れろ小宮いいか断じて彼女のことが好きとかそういう訳じゃないから毎回毎秒ときめいているだけだから」
部長はなんだかんだで面倒見のいい人なので、日下くんの好きなタイプを聞き出す作戦を了承してくれた。
翌日。
休み時間、部長は作戦を実行に移すべく、日下くんと雑談を始めた。
「聞いてくれよ日下、今日の朝食が素麺でさー」
「夏満喫だね」
ふたりの会話が聞こえる、かつ、こちらの表情を気取られないベストポジションとして、自分の席じゃないけど間違えたふりをして日下くんの斜め前の席に座った。
技術の教科書のはんだごてのページに夢中である風を装いつつ、聞き耳を立てる。
「というわけで参考に訊きたいんだが、日下はどういうタイプの人が好きなのか教えてくれ」
素麺の話題からこの話題に着地した過程は省くが、ともかく自然な流れの訊き方だったので、日下くんは特に違和感を抱いた風もなく、少し考えてから口を開いた。
「髪長くて、ふわふわしてて」
「!」
思わず自分の髪を触った。
私の髪は長くて、ふわふわしている。
梅雨の時期なんてもう、ふわふわでは済まない。
もしも日下くんに告白をするなら6月しかない。
「古典が得意で」
えっ。
私の得意科目は古典だ。
数学の成績の悪さを古典の成績で補って平均の学力になっていると言ってもいい。
「回転焼きが好きで」
好きです。
特にカスタードが好きです。
「足が遅くて」
足、遅いです!
リレーではごぼう抜きされる側でした!
「身長が154.7cmくらいで」
身長154.7cmです……!
「はわあ……」
なんという奇跡的な合致。
動悸が激しい。
私って実は、日下くんの好みの女子生徒、そのものなのでは……?
私と日下くんはクラスが一緒なだけで、ほぼ接点はないから、私の古典の成績がいいことや、学校帰りによく回転焼きを買っていることなど、日下くんは知る由もない。
私のことを知ってもらえさえすれば、日下くんに好かれるかもしれないのでは……?
甘い期待に胸を高鳴らせながら、続く言葉を待った。
そこで、ここまでよどみなく話していた日下くんが、初めて少し間を置き。
「……前髪ぱっつんで、大きい胸の女の子」
と、付け加えた。
はんだごてのページに顔を埋めて泣いた。
私は前髪なしのセンター分けで、胸は端的に言うと、貧乳だった。
すぐに切ると怪しまれるから、4日後にオン眉ぱっつんの前髪に切り揃えた。
胸の方は、うん、まだ成長期だから、まあ、うん、これからEカップになると思う。
というわけで、私は日下くんに好かれる要素満載の女子生徒となった。
……だからと言って、日下くんにぐいぐいとアプローチをする勇気は、結局なかった。
けれど、少しだけ、自信を持てた。
いつか、私が日下くんを好きなのと同じくらいに、日下くんから好きになってもらえるかもしれないという希望ができた。
そうして、小さな自信と希望を胸に、月に一度のセルフカットでオン眉ぱっつん前髪を維持しつつ、毎朝牛乳を飲んで胸の発育に配慮しつつ、静かに陰で見守ることに徹してきた中学生時代だったけれど。
「今日の降水確率は0だって。嬉しいね」
「そっ、そうだね。絶好の日下部日和に部長として腕が鳴るよ」
同じ部活に入った今、もう、隠れることはできない。
大丈夫。
私は髪が長くてふわふわで古典が得意で回転焼きが好きで足が遅くて身長154.7cmで前髪ぱっつんで大きい胸(になる予定)の女の子なのだから。
自信を持て!
「えっと、それでは、本日の部活動を始めます!」