◆20話 日下くんに告白する
――と決意したものの、告白をしないまま数か月が経った。
チキン小宮との誹りも甘んじて受け入れよう。
日下くんと平和に部活動をしているうちに夏は終わり、もはや秋である。
日下くんと平和に過ごす毎日。毎日楽しい。楽しいのだけれど、帰宅してから今日も告白ができなかった焦燥感に悶える日々を繰り返していた。こんがりチキン小宮である。
そんなある日、ふと、鞄に付けたタスマニアデビル柄のパスケースに目が留まった。中学一年生のとき、日下くんが拾ってくれたパスケース。
あのときは秋だった。今も秋だ。
「……」
私はこのまま、日下くんに何も言わずに、秋を過ごして冬をまたいで年を越すのか。それは嫌だ。もう片思いでは駄目なのだ。
日下くんのことが好きだという、人生を捧げても捧げ尽せないこの気持ちを、伝えたくて仕方がない。伝えた結果がどうあっても、伝えるという行動がしたい。
日下くんが私をどう思っているのかは、よく分からない。日下部の部長として至宝のように大切に思われていることは知っているけれど、役職抜きにどう思われているのかは、よく分からない。
けれど、日下くんは優しい。私にいつも優しい。それが万物に対する優しさであったとしても、私が万物の内の一つだったとしても、私が優しくしてもらったことに、人生で何度も救われたことに、家宝を増やしてもらったことに、生きていてよかったと思う程の喜びを与えてもらったことに、変わりはない。
告白に対する返答がどのようなものでも、構わないじゃないか。
日下くんのことが大好きだという事実は、何があっても揺るがないのだ。
「よし……!」
この秋が終わるまでに、絶対に、日下くんに告白する。日下くんに初めて救われた季節だから、きっと、ご利益がある。うん。そうしよう!
さて。告白すると決めたら、一番大切なのは場所である。
告白という一大イベントは、それにふさわしいロマンチックな場所で行わなければならない。南極でオーロラを見ながらというのが一番いいと思うのだけれど、たぶん南極に行く手続きをしている間に秋が終わる。駄目だ。うん。でも他に候補が浮かばない。
散々悩んだ末、日下部の頼れる幽霊部員である二人に相談してみることにした。沼姫ちゃんは「波止場だな」、神谷くんは「浜辺だろ」と即答だった。満場一致で海である。これなら間違いない。海で日下くんに告白しよう!
なんだかすごく上手くいきそうな予感にわくわくしながら、さっそく日下部の部室での恒例のミーティングにて、日下くんに海へ行く提案をすることにした。
「日下くん。今度の土曜日……その、日下部の活動として、海に行くのはどうでしょうか」
緊張気味に切り出した私に、日下くんは不思議そうに首を傾げた。
「海? 秋だけど……泳ぐの?」
当然の疑問だ。慌ててはいけない。持てる限りの部長の権限を全て使いあくまで部活の一環としてさりげなく休日のおでかけに誘うのだぞ自分、と言い聞かせながら、ごく自然な感じで答える。
「ううん、海水浴が目的じゃないから大丈夫!」
「じゃあ何をするの?」
「日下くんに告白しようかなって!」
「……。……。今、なんて?」
「あっ」
なんという。
なんということだ。
巧みな誘導尋問に引っ掛かって、うっかり目的をばらしてしまった。
「あ、う、いや、えーと」
「……」
いつも微笑んでいる日下くんが、ものすごく真顔になった。そしてものすごく見つめてくる。食い入るように見つめてくる。「言い間違いでした」で逃れられる雰囲気ではない。狭くて最高な部室がその狭さを如何なく発揮して、距離の近さから来る威圧感が半端じゃない。
駄目だ。もはや正直に答えるしかない。
膝の上の拳を握りしめながら、己が痛恨のミスに断腸の思いで口を開いた。
「はい、あの、すみません、海で日下くんに告白しようと、思っておりました……っ!」
苦渋に満ちた顔で白状した私に、日下くんは時が止まったように黙って、やがて、ゆっくりと口を開いた。
「……罪の?」
告白と言ったらまず罪の告白をしかねない奴だと思われているのがちょっと悲しいけれど、もはや悲しんでいる場合ではなかった。もう言っちゃったから、行けるとこまで行くしかない。
「あ……愛の。懺悔的なそれではなく、愛を告げる方の」
「愛の告白……?」
「はい……っ! じ、実は中学の頃からずっと日下くんのことが好きです、ということをお伝えしようと思っておりまして、恋人になりたいと、お付き合いしてくださいということを、打診しようと思っていまして、日下くんの優しさに付け込めば即決で断られることはないだろうから長めの説得も可能なんじゃないかなという計算もありまして、なのでロマンチックに告白すべく海に行こうという魂胆でして、というわけで、はい、海に行きませんか!?」
あっ大変だ、あわよくば日下くんの慈悲深さに付け込めるのではないかという打算もいれた上で海辺の告白を目論んでいたことまでばらしてしまった。なぜこうも人の口を割らすのが上手いんだ日下くん。
己の迂闊さに愕然とする私と対象に、日下くんはとても静かな目で、静かな声で言った。
「……。小宮さん、それ、海に行くの待たないと駄目?」
「うん?」
「今、全部言ってくれたから」
「……」
あ、本当だ……。
口を滑らせるというアホみたいな所業で、日下くんへの告白を完遂してしまった……。
両手で顔を覆って俯いた。もう駄目だ。こんなにロマンスのない告白もあるまい。いかに心優しい日下くんといえども、これは呆れるだろう。
「……今の、全部、本当?」
やはり感情の読めない静かな声での日下くんの問いに、悩んだけれど、頷いた。リテイク可能ならもっと上手くやり直したい告白だったけれど、なかったことにしたいわけではなかったから。
ああ、もうすぐ日下くんに振られる。
決定的な言葉を聞いてしまう。
そう思って、手の平をべしょべしょと涙で濡らしていると、「小宮さん」と、優しく声を掛けられた。びっくりするくらい優しい声だったのでびっくりして顔を上げると、日下くんは本当に、本当に心からの優しさが溢れるような、そんな表情をしていた。
「僕も、小宮さんが好きだよ」
……。……。……。
「えっ!?」
思わずパイプ椅子から勢いよく立ち上がった。人間は驚き過ぎると仰け反るけれど、さらに驚き過ぎると一周回って仰け反らないということを今日知った私は直立不動だった。
日下くんが、私を好き。私が好きな人である日下くんが。
「なん、えっ、うえっ、すっ、すき? 日下くんが? 私を?」
「うん」
あれ、なんだろう。これは一般的な概念で言うところの「両思い」ではないだろうか。え、両思い? 振られたショックから精神を保護するために脳が見せてる幻覚かな?
「日下く……え、実在? え、両思い?」
「うん」
思わず存在から疑う私の問いに、日下くんはしっかりと頷いた。
幻覚じゃなくて現実だった。
だって日下くんの眼差しは、私の脳では到底幻覚を作りだせそうにもない、私の想像力を遥かに超えた、心を全て溶かされるような、そんな愛情に満ちたものだったから。
「……!」
日下くんと、両思い。世界一のパワーワードである。
「あわわわわ……う、嘘じゃない?」
「嘘じゃないよ」
「夢?」
「夢でもないよ」
「す、好き?」
「うん。大好き」
「はぐぅ……っ!」
大好きな人から大好きと言われるという高威力の攻撃を食らってよろめいたところを、日下くんが抱き留めた。そのまま抱き締められた。待って。連続攻撃しないで。コンボ決めないで。死んじゃうから。死因:日下深幸。ここまで本望な死因もない。
「好きだよ小宮さん」
さらに追い打ち。私の心肺機能の停止を狙っているとしか思えない。密着状態で。真剣な声で。耳元で。三コンボ決められて硬直状態の私からそっと身を離した日下くんは、それでも離れがたいように私の手を握った。
「好き。ずっと好き。ずっと前から好き」
心拍数が跳ね上がり過ぎてそろそろお迎えの時が近いのだけれど、力を振り絞って日下くんに訊ねる。
「っ、ず、ずっと前って、わ、私が日下くんを好きになる、前から?」
「うん。……きっと小宮さんが思ってるより、ずっと前だよ」
ひどく嬉しそうに、そう言って。
日下くんは再び私を抱き締め、瀕死の心臓にとどめを刺してきたのだった。
次話、最終回です。12/23に投稿予定です。




