◆2話 日下部の立ち上げ
日下くんの進路調査の用紙をこっそりと確認した時、人生で初めて神と仏の存在を信じた。
私の進学希望の高校と同じだったからだ。
私の成績では合格がちょっと厳しめの高校だったから、場合によっては変更しようかなと逃げ腰になりつつ第一希望の進路に書いた高校だったけれど、日下くんも行くつもりだと知って、我が道にこの高校に行く選択肢の他は無しと思った。
日下くんに拾ってもらったパスケースを勉強机に安置して、その存在に励まされながら、人生でここまで勉強に打ち込んだ日々は無いと思える日々を過ごして、この春、ついに希望の高校に入学を果たした。
入学式当日、胸の中は幸福でいっぱいだった。
日下くんと同じ高校。
生きててよかった!
クラスが違うのが残念だけれど、同じ高校なだけでも十分に幸せだ。
何と言ったって、ブレザー姿の日下くんを週5で拝めるのだから。
入学式の最中、隣のクラスの列から、ようやく日下くんの姿を見つけ出した。
もちろん中学生時代の学ラン日下くんも素敵だったけれど、大人っぽさの増したブレザー日下くんも味わい深い。凛とした姿に惚れ惚れする。いつか折を見てこっそり写真を撮りたい。
なお、日下くんと同じ高校であることは掛値なく人生最大級に嬉しいのだけれど、彼がこの高校を希望していると知った時は、ちょっと意外だった。
中学3年生の春以降、熱心に日下くんを観察し「日下くんノート」に日々書き込みを増やして過ごした身なので、日下くんの学業成績がとても優秀なことを知っている。彼の学業レベルならもっと偏差値の高い進学校にも行けたはずだ。
でも、高校の良さは偏差値だけではない。家の近さとか学食の美味しさとか色々ある。
きっとこの学校のどこかの要素が日下くんの琴線に触れたのだろう。
日下くんの心に響く高校にして下さってありがとうございます校長先生、という万感の思いを込めて、校長先生の入学式辞の後は全力で拍手を送った。
式典後、教室で入学案内を受け、その時に初めて、高校では部活動への加入が必須だと知った。
部活には参加しないつもりだったので、困ってしまった。
放課後は日下くんを見守って時間を過ごすつもりだったのに、部活に入ったらその時間がなくなってしまう。
よし。
日下部を作ろう。
入学して3日目、部活動の新設用の申請書をもらうため、職員室に行って担任の先生のもとを訪ねてみた。
「日下部を作ろうと思っています!」
「くさかぶ……。久坂部……? 小宮さんは久坂玄瑞にご興味が?」
「いえ、久しい坂ではなく、日の下の方のくさかです!」
「ほう、日下誠の方でしたか……。小宮さんは数学が好きなのですね?」
「いえ、数学は苦手科目です!」
「苦手なものに敢えて取り組む姿勢……先生、感動しました。どうぞ、これが申請用紙です」
「ありがとうございます!」
「部として申請を通すためには最低3名の部員が必要です。頑張って部員を勧誘してくださいね。応援していますよ」
「はい!」
翌日、部員集めに走った。
部員はすぐに集まった。
ひとりは、沼姫ちゃん。
彼女は高校生活における余暇はオンラインゲームに注ぐと決めているらしく、部活に入りたくないけれど入らざるを得ない状況に困っていたらしい。
「名前を書いてもらうだけでいいです、部活動は私一人でするので!」とお願いしたら、快く入部してくれた。
ちなみに沼姫ちゃんはオンラインゲーム界では「魔王降臨」と呼ばれる腕前らしい。すごい。
「えーと、くさかべ?」
「くさかぶ、です!」
もうひとりは、神谷くん。
彼は高校生活における余暇はオンラインゲームに注ぐと決めているらしく、部活に入りたくないけれど入らざるを得ない状況に困っていたらしい。
「名前を書いてもらうだけでいいです、部活動は私一人でするので!」とお願いしたら、快く入部してくれた。
ちなみに神谷くんはオンラインゲーム界に「ぬー」というハンドルネームの生涯のライバルがいるらしい。頑張れ。
「えーと、くさかべ?」
「くさかぶ、です!」
これで、私を含めて総勢3名の部員が無事に集まった。
あとは申請用紙の各欄を埋めるだけだ。
放課後、教室に残って申請書を机に広げ、沼姫ちゃんと神谷くんに見守られながら、せっせと記入を進める。
一番大切な「部活動の概要」の欄には、「日下深幸くんを見守る活動を主軸に、他者を思いやる思考と適切な運動を通し、健全な心身を育むことを目的とする」と書いた。
この文章は沼姫ちゃんと神谷くんが考えてくれた。
最初に私が書いていた「日下くんを見守る部です」よりも遥かに立派な仕上がりに、感嘆してしまう。この申請が通らないわけがない。
「ふたりともありがとう! 完璧だよ……! 提出してくるね!」
教室を飛び出し手を振ると、ふたりは「グッドラック」と親指を立てて見送ってくれた。
幽霊部員確定のふたりなんだけど、なんて心強いんだろう……。
さて、これで放課後は公然と日下くんを見守ることができる。
これからの高校生活が楽しみでしかない。
にやけながら廊下を歩いていたら、開け放たれた窓から風が吹いてきた。
めくるめく高校生活の想像に夢中で握力がおろそかになっていたから、風に乗って申請書が飛んで行ってしまった。
廊下を走ってはいけないのだけれど火急の事態だから許して下さいと廊下の神様に謝りながら全力で駆けて、床に落ちた申請書を捕まえた。危なかった。
片手で申請書を床に押さえ、もう片手で久々の全力疾走に傷んだ脇腹を押さえ、へたり込んで息を整えていると、こちらを見下ろす影がある。
「くさかぶ?」
「くさかべ、です! 間違えた。うん、くさか……」
日下くんが目の前に立っていて、申請書を見下ろしていた。