◆18話 日下くんの家にお邪魔させていただく
バス通学の私と異なり、日下くんの家は高校から徒歩圏内にある。その家に来ていいと言う。びしょ濡れ状態のクラスメイトに対する、なんとも思いやり深い提案である。
だが日下くん。
なんて無防備な提案をしてくるんだ日下くん。
私を家に招くことの危険性を分かっているのだろうか。
日下くんのお布団が収納された押し入れに頭を突っ込み、お布団じゃなくてベッド派だったならマットレスに大の字でダイブし、日下くんが日々踏み締めている床を転げ回り、日下くんが普段開け閉めしている冷蔵庫を開け閉めし、日下くんに毎日見つめられているテレビを撫で回す等の奇行に私が走る可能性を、日下くんは全く考えていないに違いない。
うん、普通考えない。うん、落ち着こう。
「僕の家で制服を乾かすといいよ。洗濯機で乾燥させれば早いし」
「あのいやそのいきなり実家にご挨拶は展開が早、じゃなかった、いやいや日下くんにそこまで迷惑はかけられないよ! この状態でお宅訪問したら玄関びしゃびしゃになっちゃうから!」
必死に辞去するも、日下くんは気遣わし気な瞳で真摯に訴える。
「もし小宮さんをこのまま放置して風邪を引かせたりしたら僕は何もしなかった自分を生涯通して呪うと思う」
「責任感の強さ!」
日下くんの部長に対する多大な思いは計り知れない。
「だから遠慮しなくていいよ。お風呂と着替えを貸すから、制服が乾くまで温かい焙じ茶でも飲んでゆっくりと安静第一に過ごして欲しい」
「えっうそ日下くん家のお風呂はいっていいの……っ!?」
「え、うん」
驚愕の私に、日下くんは「なぜ当然のことを改めて確認するのだろう」というような、きょとんとした顔で頷いた。
日下くん家のお風呂! 日下くん家の着替え!
こら喜ぶな興奮するんじゃない落ち着け自分。
言い聞かせても到底興奮せずにはいられない神展開に、鏡を見なくても顔が真っ赤になったことが分かったので、慌てて俯いた。ぷるぷると身体が震えている。武者震いである。
しかし日下くんは、顔を赤くして震え出した私の様子に、早くも風邪を引いて悪寒が始まったんじゃないかと勘違いしたようで、「小宮さん、絶対に大丈夫じゃないよね……?」と、ものすごく心配の滲んだ声で言った。
「本当に遠慮しなくていいからね。ほら、早く行こう」
これ以上、日下くんの心労を増やすわけにはいかない。断じて下心ではなく、断じて日下くんの家にお邪魔できるやったー最高などという邪な気持ちではなく、日下くんの厚意を無下にしてはならないという人道的な観点で以て、申し出を有り難く受け取ることにした。
「お……おねがいしゃす……!」
こうして、私は日下家にお邪魔させていただくことになった。
「ここが僕の家だよ」
日下家の玄関に来てしまった。
テレビドラマよりドラマティックなことが起きるのが人生だぞ小明、と弟が語っていた言葉は本当だったらしい。
「落ち着けー……落ち着け自分……」
押入れは開けない、ベッドはそっとしておく、床に転がらない、冷蔵庫も開けない、テレビを撫でない。よし。
日下家にお邪魔してもめいっぱい深呼吸するに留めるんだ。我慢だ。
強靭な自制心を保て、自分!
「……小宮さん? 中空を見つめて動かなくなったけど、どうしたの?」
「えっ!? え、うん、ちょっと不退転の覚悟を決めていただけだから気にしないで日下くん。ぜひお邪魔させていただきます! 大丈夫、自制するから!」
「じせい……? ふふ、小宮さん、思ったよりも元気そうで良かった」
不安げな表情が一転、安心したような微笑みを見せる日下くん。日下家に上がれる喜びを感じている今この瞬間、今月で最も生命力がほとばしっている自覚はあるけれど、日下くんにもそれが伝わったようだ。安心してくれてよかった。
「濡れた服は洗濯機に。これ洗濯ネット。うん、乾燥モードで。タオルはこの棚にあるものを好きに使って。あとで着替えをここに置いておくから。ドライヤーはここ。終わったら居間に来てね」
「はい。はい。ありがとござます。はい。お借りします。あざます」
日下家に踏み入れて深呼吸をする間もなく、日下くんのてきぱきとした指示のもと、私は速やかに浴室に案内され、べしょべしょの衣類から脱し、日下家の洗濯機が自宅のものと同じ機種であることに運命を感じ、あったかいシャワーを浴びてほっこりし、日下家のタオルのふわふわ具合に感動し、柔軟剤のメーカーを把握しておき、いつも日下くんの髪を乾かしているドライヤーを手にした感動で胸を震わせながら髪を整えた。
こんな展開になったのも、全ては水遣りの手元を狂わせて私にバルブ全開のホースによる集中放水を浴びせてくれた小金井くんのおかげである。いや、小金井くんの手元を狂わせるきっかけになった聖ちゃんのおかげでもある。ありがとう、ふたりとも。この感謝を今世で伝えきれるかどうか分からないけれど、せめて後で菓子折りを贈ろう。
念入りにオン眉ぱっつん前髪を整えてから、日下くんが用意してくれた油揚げ柄のスエット上下に着替え、居間に向かう。日下くんはいかにも「来客用の座布団」といった感じの、真新しい座布団を抱えて運んでいるところだった。
「日下くん。洗濯機とお風呂とドライヤーと着替え、ありがとう!」
「どういたしまして。そこに座ってて。飲みもの持ってくるね。あったかい焙じ茶でいいかな」
「是非に……!」
日下くんの高クオリティおもてなしが止まらない。ふかふかの座布団に座り、日下家の居間を舐めるような視線で舐め回すように眺め回しているうちに、お盆に急須と湯呑みと鈴カステラを載せた日下くんがやって来た。
タイトルは短く転生ものでもなく流行の要素をことごとく取りこぼしてしまった、そんな本作をなろうの海から釣り上げてくださった奇特な皆さまこんにちはよくぞ発見してくださいました!
更新ペースが月単位という驚異の遅さにも関わらず、連載を追いかけてくださる皆さまに感謝を。
さて、本作もそろそろ終わりが近づいてまいりました。残り数話で完結です。
12月中に最終話までアップする所存ですので、引き続きお付き合いいただけましたら幸いです。
次話は12月初旬に投稿予定です!




