◆17話 (招待)
日下部。
小明ちゃんが発足した、この世で最も素晴らしい部活である。
それは高校に入学してまもなくのこと、小明ちゃんがクラスメイトに「くさかぶ」と言ったのを耳にしたことに始まる。
くさかぶ。日下部?
えっ、僕のための部活……?
いやそんなわけがあるか。そんな全世界で僕だけが得をする部活があるものか。小明ちゃんが僕の名字を口にした嬉しさでうっかり都合のいい妄想をしてしまったことを反省する。
僕が「小宮小明に関する活動をする小宮部」に入るのならば理解できるが、僕を見守る理由のない彼女が「日下深幸に関する活動をする日下部」に入るわけがない。というかそんなピンポイントな部活はそもそも存在しない。
一体「くさかぶ」って何なんだ。
もしや、全国の「日下さん」しか入れない部活動なのだろうか。世の中には鈴木神社なる、鈴木さんにのみご利益のある神社が存在するらしい。ならば、鈴木ほど数は多くないとはいえ、日下もレア中のレアという訳でもない名字だから、日下姓のための部活動があってもおかしくはない。うん。「日下深幸に関する活動をする日下部」はあり得ないにしても、「日下姓の人間が活動する部活動」なら、あり得る気がする。
それに小明ちゃんは入部しようとしているのか。これはチャンスではあるまいか。何故なら僕は日下。日下部に入っても何ら不自然ではない。つまり、しれっと自然に流れるようにナチュラルに、小明ちゃんと同じ部活に入れる……!
というわけで、冷静ではない頭(そもそも小宮姓の小明ちゃんが日下姓のための日下部に入る訳がないということがすっぽ抜けていた)で小明ちゃんの後を追った結果、それは「ひのした部」という「太陽の下で活動する」ことが主題の、なんだかすごく平和で健康的な部活であることが分かり、しかも小明ちゃんが創設者になろうとしていることが分かり(入学早々に独創的な部活を設立する小明ちゃんのエネルギッシュさに惚れ惚れしたのは言うまでもない)、僕はごく自然な流れで入部させてもらった。
遠く後方から見守るだけだった中学生の頃とは違う。
高校生活では、より近くで小明ちゃんを見守るのだ。
こうして僕は日下部の一員となった。
放課後、部活の時間。
立派な部長たらんとする尊い志を持った小明ちゃんは、いつだって僕よりも先に第四資材室――狭くて最高な日下部の部室にいる。
が、今日は僕が一番乗りだ。小明ちゃんは友人である高野さんの様子を伺いに、園芸部に寄ってから来ると言っていた。高野さんに何があったかは知らないけれど、そういえば異様な瞬発力で駆けだした高野さんをクラウチングスタートから始まる異常な速度で小金井が追いかけていたような気がするけれど、まあそんなことはどうでもいい、小明ちゃんは友人思いのいい子だという話だ。
普段は狭くて最高な部室も、小明ちゃんがいなければただの狭い部室である。
することもないので、何となく窓の外を見て、目を疑った。
すぶ濡れ状態の小明ちゃんが、中庭をうろうろしていた。
廊下を全力疾走して階段を三段飛ばしで駆け下りて中庭に向かった。
「あ、日下くん」
この雲一つない晴天下で何があったらそこまで濡れるのかという尋常じゃないレベルで水を滴らせている小明ちゃんは、尋常じゃない状態の当人の割に、けろっとした顔をしていた。
「どうしたの小宮さん、今ここで妖怪濡れ女子なりきりコンテストを開いたらダントツで優勝できそうな状態になって……」
「雨の日にずぶ濡れの姿で道端に現れ通行人に微笑みを見せて笑い返した者に取り憑くというそこそこマイナー妖怪であるところの濡れ女子を知っているんだね日下くん……!」
当然だ、小明ちゃんが中学一年生の頃の愛読書だった『わくわく妖怪大辞典』は、僕も熟読済みである。
「日下くんが妖怪に詳しいとは知らなかったな……えへへ。実はね、私も妖怪、好きなんだ」
ぽりぽりと頭を掻く小明ちゃん。可愛い。いや通常時ならこのまま小明ちゃんと「ぬらりひょんって漢字で書くと画数がすごいよね」みたいな妖怪トークに花を咲かせたいところだけれど(というかそのためにわくわく妖怪大辞典を熟読したのだけれど)、今はそれどころではない。
「大丈夫? 何があったの? 遠慮しなくていいよ今すぐ君にバケツで水を掛けた犯人の名前を言うんだ」
僕の天使である小明ちゃんがその類まれな天使っぷりから陰湿ないじめに遇ったのではないかと不安になって尋ねたら、彼女は「ああ、これはねー」と、普段の明るい調子で言った。
「バケツじゃなくてホースの水だよ。さっき小金井くんに」
「分かったちょっと小金井を殲滅してくる」
「ままま待って日下くんストップ部長愛!」
威嚇時のアリクイと同じポーズで僕の進路を阻む小明ちゃん。可愛いが過ぎる光景に思わず足が止まった。
「氷点下く……日下くん。小金井くんに故意に掛けられた訳じゃないから。事故だから。聖ちゃんの来訪にテンパった水遣り中の小金井くんが事故を起こしただけだから。ゆえに私が何かしらの謀反を起こされて部長の地位を脅かされた訳じゃないから安心して!」
「小宮さん……」
故意だろうが過失だろうが小明ちゃんを害した罪は罪なのだけれど、彼女が望まない報復に意味はない。小明ちゃんが争いを好まないことなど分かり切っているというのに、つい小金井にコークスクリューブローをかましにいくところだった。反省しよう。
「濡れたままで寒くない? 大丈夫?」
「うん、夏だし!」
胸を張る小明ちゃん。たくましい。
「ただ、このまま部活もあれだから、本日の日下部は中止でもいいかな……?」
「それはもちろん構わないけど……。え、小宮さん、そのまま家に帰るの?」
「ううん、この水分保持量でバスに乗るのは気が引けるから、乾くまでは中庭に居ようかなって。今日はお天気だし、このまま日当たりの良い場所でうろうろしておけば、バスに乗れるレベルには乾くと思う」
「そんな無謀な」
小明ちゃんは木漏れ日で熱中症を起こし、こむらがえりの痛みで気絶するほどの繊細な女の子なのだ。夏とはいえ濡れた衣服で長々と過ごすなんて、確実に風邪を引くに決まっている。早く何とかしなければ。
「小宮さん」
「うん?」
「僕の家に来ない?」
「えっ」
次話は11月に更新予定です。




