◆1話 プロローグ
私は人生で三度、日下くんに救われたことがある。
一度目は、中学一年生の秋。バスの定期券を拾ってもらった。
万が一、定期券を失くしてしまった時のダメージが少ないように、いつもは一か月定期を買うのだが、そのときは「今まで一度も落としたことないし、しょっちゅう買うの面倒だし」と思って、三か月定期を買った。
そんな時に限って購入翌日に落としてしまったから、人生に神も仏もいないのかと絶望した。
「今朝拾ったんだけど、小宮さんのだよね?」
神も仏もいなかったけれど、日下くんはいた。
同級生の日下くん。
あんまり喋ったことはない。
定期券に印刷された名前を見て、私の席に来てくれたらしい。
泣いて感謝してパスケースを受け取った。
そのときは日下くんを「人生における大恩人」として胸に刻んだけれど、まだ、恋心は抱いていなかった。
二度目は、中学二年生の夏。自転車を修理してもらった。
自宅からそこそこ遠い地点で、自転車のチェーンが外れてしまった。
自力では直し方が分からないし、漕がずに押して帰る道のりの長さを思うと辛い。涙が出てきた。人生に神も仏もいないのかと絶望した。
「小宮さん。自転車がどうかしたの?」
神も仏もいなかったけれど日下くんはいたシーズン2。
たまたま通りがかった日下くんが、手が汚れるのも構わずに、てきぱきとチェーンを付け直してくれた。
これはもう私から有り金を巻き上げてもいいくらいの働きにもかかわらず、日下くんは泣いて感謝する私に「直ってよかった」と笑いかけただけで、颯爽と去ってしまった。
なんて魂が尊いんだ日下くん。
そのときは日下くんに後光が差して見えて、あまりの神々しさに目がくらみ、まだ、恋だとは気が付かなかった。
三度目は、中学三年生の春。ゴミ捨てのお手伝いをしてもらった。
放課後、その日のゴミ捨て当番だった私は、まるまる膨らんだゴミ袋を両手で持って、ゴミ捨て場を目指してのたのたと校舎裏を歩いていた。
突如、ゴミ袋が破れた。
ゴミに混ざっていた三角定規が、見事にポリ袋を破いてしまったらしい。
誰だ美術室のゴミ箱に三角定規を捨てたのは。せめて分度器にして欲しかった。
ぶちまけられたゴミを見下ろす。周囲に生徒はいない。ひとりでこのゴミ収集不可の状態を収拾するしかない。ちょっと泣きそうだ。私には人類に試練を与える系の神様しかいないのだろうか。
「小宮さん、大丈夫? なんかすごいことになってるけど……」
そして始まるシーズン3。
もとい、日下くんのご降臨である。
彼も本日のゴミ捨て当番だったらしい。
この惨状を目の当たりにした日下くんは、己のゴミ捨て当番の任を中断して校舎に走り、ちりとりと箒とゴミ袋の替えを手に戻って来て、事態の収拾を手伝ってくれた。泣いて感謝してゴミ袋を受け取った。
「ありがどお……」
「どういたしまして」
日下くんは「なんか年に一度、小宮さんの泣き顔を見てる気がするよ」と言って微笑んだ。
その微笑みを見た瞬間、彼を「人生の大恩人」として刻むのも三度目の胸が、どういうわけか高鳴って止まらなくなった。
ふたりでゴミを回収した後は、何か会話をしながら一緒にゴミ捨て場に向かって、つつがなく掃除の任を終えた気がするけれど、記憶がふわふわとしておぼつかない。
日下くんに救われて三度目。
恋に落ちたと気が付いた。