2ー4
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第二章全7話予約投稿済。本日18時に完結予定です。
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「異変を感じて駆けつけて下さったお祖父様は、壊れた馬車とわたくしを守ろうとして命を失った近衛たちの変わり果てた姿と、殺されかけその場に捨てるように放置されていたわたくしの乳母サリーを見つけたのです」
「そうして、乳母に乞われるまま、無法者たちを装った隣国の騎士たちを追いかけて、わたくしを取り返して下さったのです」
アーマニがきらきらとした瞳で語る、この国では誰も知らない祖父の武勇伝を、クレアは息を詰めて聞いていた。
クレアの記憶に残る祖父は、いつも目尻を下げて笑っている優しい顔の好々爺だ。
たしかに外交官という仕事の割に武骨な容姿をしていた。
しかし剣の腕が立つという話は聞いたことが無かったし、隣国騎士と戦って人質を解放したなどとは思いもよらなかった。
「そうしてわたくしを救い出すと、急いで取って返して乳母の事も救って下さり、そのまま王宮へと一緒に連れて行ってくれたのです」
一人でも多くの命を救えたことにクレアはホッとした。
それを為したのが自分の祖父だという事に不思議な昂る気持ちさえ生まれてくる。
「更に。わたくしが婚約前の身であることを最大限考慮して下さったのでしょう。トリントン王国の外交官として陛下への謁見を申し入れると、王家に不敬だと嫌われるのも覚悟した上で人払いを願い出てから、『往路偶然手に入れることができた貴国の国宝です』と。木の枠に掛けた大きな布で覆い隠したわたくしと乳母を、献上品と共に父王の手元へと返して下さったのです」
その言葉の意味に思い至ったクレアは目を大きく開けて「まぁ」と声を上げた。
盗まれたのは国宝、そうしてそれはすぐに取り戻された。
つまりは王女には誘拐事件など起こらなかったことにしたのだ。祖父の計らいで。
「えぇ。素晴らしいでしょう? 貴女のお祖父様は」
そう言ったアーマニの顔はなぜか孫のクレアのそれより更に誇らしげだった。
「その細やかなご配慮と機転に、父王は多大なる感謝を捧げました。それ以上に感動をしたと。隣国兵士を蹴散らす武勇と、わたくしへの気遣い、献上品だと隠し運び入れるその機転、その度胸。すべてを兼ね備えた類稀なる存在だと惚れ込んで、是非、近しい親族に歳の頃が近い令嬢がいるなら生まれたばかりの我が息子の后として迎え入れたいと申し入れたのです」
「それが、私?」
「そうです」
にっこりと笑って頷かれた。
「でも、ごめんなさいね。わたくしは、その場で、その婚約に異議を申し立てたの」
?! 辛そうに告白されたその言葉に、クレアは衝撃を受けた。
「あ、誤解しないで。貴女を王妃に迎えるのが嫌だったということではないの。あなた方リーディアル家の血をフォルトに迎えるというなら、わたくしこそがその器になりたかったのです」
自分を誘拐してまで婚約阻止を企むような国へ嫁ぐのは確かに嫌だろう。
リーディアル家にはユニスがいる。兄はクレアより3歳上だ。王族との婚姻としては10歳前後の歳の差は許容範囲ではある。
「確かに、歳の差はあるわ。でも、どうしても、わたくしが、リーディアル侯爵のお嫁になりたかったの」
しかし歳の差よりもなによりも、ユニスはリーディアル侯爵家の嫡男であり後継ぎだ。フォルトに迎えるのは難しい筈だ。王家の姫を遠いトリントン王国の侯爵家程度が嫁に取るということも、王家からすれば受け入れがたいことだっただろう、とクレアは思った。
「だからね、わたくし、その場で申し上げましたのよ。『わたくしを妻にして下さい、ガイル様』って」
……。
「え?」
聞き捨てならない台詞に、クレアは目が点になる。
「ガイル様が奥様を亡くされた後、後添えを迎え入れられていないことは既に把握済でしたし、確かに歳は離れているけれど、それを補って上回る武勇と機転と知恵と度胸、そしてなによりお優しき心。それらすべてが父王も認めるほど優れた御方と添い遂げられたなら、女としてこれ以上の幸せはないと思いましたのよ」
その時の事を思い出しているのだろうか。アーマニの声は昂ぶりを示すように力強く大きくなっていく。
その様を、クレアは呆然と見守り、紡がれる祖父への賛歌を聞いている。
「わたくしの為に負った名誉の負傷もひた隠し、ただわたくしの未来を守ろうと努めて下さるそのお姿に、わたくしの心はあっという間に掴まれてしまったのです」
そう告げるアーマニの蕩ける様な笑顔は、今でもその気持ちを完全に消せてはいないのだろう。
祖父はもう、いないのに。
恋を知ったばかりのクレアには、それが子供の恋だと笑う気持ちは到底浮かんでこなかった。
恋は堕ちるものだ。
するものではないし、消そうと思って消せるものでもない。
「でも…受け入れては戴けませんでした。父王だけでなく、ガイル様ご本人から丁重にお断りされてしまって…」
それはそうだろう。祖父の亡き祖母への惚気は幼かったクレアですら覚えているほどだ。
外交官として国と国を渡り歩くような生活をしている祖父だったが、トリントンへ滞在している間は毎日毎朝、祖母の墓へ、祖母の好きだった花達を持って会いに行くほどだった。雨が降ろうが雪が降ろうが毎朝墓地のある丘へと足を運ぶ祖父を母や兄と一緒に送りだしたり迎え入れたりする。それがあの頃のリーディアル家の家族の日課だったのだ。
「でも、諦められなかった」
涙を溜めて顔をくしゃっと歪ませたアーマニ様の手に、そっとクレアは手を重ねた。
「だから…手紙を書いたの。リィン様に『わたくしを貴女の母にして下さい』って」
?! 今日、心臓がひっくり返りそうになるほどクレアが驚いたのは何度目だろう。
もしかしなくても、自分がこれから嫁ぐ予定の王家の方々は皆、丁寧なのにどこまでも強引で自由な気風の方ばかりなのだろうかとクレアは頭がくらくらした。
「返事は…クレアちゃんには言うまでもないわね。勿論、お父様、ガイル様がどれだけ亡き妻を愛していたか、今でも愛しているかを書き連ねてあったわ。そうして『今でも続く父の恋心と愛情を、娘である私が無視して婚姻を推し進めることはできません』って。当然よね」
ゆっくりと、目を伏せながら告げるその言葉を、とても辛そうに口にするアーマニをどう慰めたらいいのかクレアにはさっぱり判らなかった。
ただ、目の前にあるカップの中身をくるくると意味もなくティースプーンでかき混ぜる。
そうしてひと口、すっかり冷めてしまったそれを口に含む。たっぷりのミルクと蜂蜜の入ったそれは口に甘く、しかし心に生まれた苦さを拭い去ってはくれなかった。
「でもね。リィン様はこう書いて下さってもいたの。『私の母と呼ぶことはできませんが、私の命である娘クレアを、傍に居られない私に代わって、母とも実の姉とも思って導き守ってやって戴けないでしょうか』ってね」
ハッとして目を上げれば、そこにあったのは優しく見つめる綺麗な瞳だった。
「だから、クレアちゃん、貴女は私の孫娘なの。リィン様からは母に代わってって言われたけれど、いいわよね?」
うふっと可愛らしく笑われて。クレアは何か温かいものが胸から溢れ出そうな気分だった。
(この事を教えてくれるために、アーマニ様は私に幼い恋の話をして下さったのだ)
自身の不名誉な記憶を教えても下さったのだと思うと、その誠意に胸が熱くなった。
「その後も、リィン様とは何度か手紙をやり取りして…ある日、同封されていたのが、先ほど見せたこれなの。原抄本はトリントン王宮に提出してしまったからこちらは写しになるのだけれどね」
すっと差し出された封書には、これも写しなのだろうか。母そっくりの書体で兄ユニスとクレアの名前が記されてあった。
「『念のために預かっていて欲しい』そう書かれた手紙と共にそれが届いたのは、わたくしが政略で結婚が決まる少し前のことでした」
政略、の言葉に一瞬、受け取る手が止まる。
それでも促されるまま中を確認して、そこに入っていたものに、どくんと心臓が跳ねた。
あの婚姻契約書だった。
実父が偽造する前の正しいそれを手にして、クレアは指が震えた。
「宛名がクレアちゃん達お二人で、差出人がリィン様ご自身。そうして個人封緘が施された形式は、世界共通の親書だわ。だから、これはお二人宛のもので、わたくしが直接手渡せる日までお預かりしていたのだと理解したわ」
その言葉に、後悔が滲む。
「…開けてしまえば良かった。15の子供らしく勝手に開けて、父でも母でも、誰か信頼のできる大人に手渡せば良かったのに…。賢らしく、『お二人以外には絶対に見せない』などと考えなければ…ごめんなさい」
ごめんなさい、と呟き続けるアーマニ様に、今度こそ駆け寄りその肩を抱き寄せた。
「いいえ。いいえ、アーマニ様。謝らないでくださいませ。この手紙を失くさず、ここまでお持ちいただいただけで、母も祖父も、勿論私達兄妹二人共、みんな貴女様に感謝しております」
大粒の涙を流して懺悔する、美しい人に向かって何度も感謝の言葉を伝える。
「アベル様とおふたり、私達兄妹を助けに来て下さってありがとうございます。ありがとうございます、アーマニ様」
そのまま二人で肩を寄せ合い泣き続けて、泣き疲れて寝てしまったようだった。
心配した侍女が巻き付けてくれたのだろう。
朝になって目覚めると、私達は毛布でグルグル巻きにされていた。
「おはようございます。日の出の前にお出掛けとお聞きしております。そろそろご準備を」
そう少しだけ呆れた顔をした侍女に起こされたクレアは、一瞬、自分がどこにいるのか判らなくなった。
しかし、すぐ傍に先に目覚めていたらしいアーマニの笑顔を見つけると、昨日の事は夢ではなかったのだとほっとして、何故か泣きたくなった。
「あらあら。私の孫娘は泣き虫さんなのね? 早く顔を洗ってらっしゃいな。今日は一緒にお出掛けするわよ」
そういうアーマニの髪はクシャクシャで涙の痕が残る頬に笑顔が浮かんでいた。
クレアは笑顔になって頷くと、明るい気持ちになって自分の部屋へと戻っていった。