2ー2
回想回です。非常に残虐なシーンがあります。
血が苦手な方は2ー2、2ー3を飛ばして2ー4にお進みください。
読み飛ばしても判るようにしてあります。
一時間ごとに次話が更新されます。
第二章全7話予約投稿済。本日18時に完結予定です。
読む順番にご注意ください。
「ひめさま、その表情は未来の王妃として相応しくないと思われませんか?」
ガタガタと揺れる馬車の中、目の前に座る乳母兼教育係であるサリーから窘めるような声が掛けられたアーマニは、「はいはい」と投げやりな返事をして更にサリーから不評を買った。
それでも、心が沈んでしまうのは仕方がない事だとアーマニは思うのだ。
先日、正式な婚約を交わす前にせめて一度だけでも顔合わせをと望んだ父王により、アーマニの婚約者候補(というかほぼ本決まり状態だけれど)である隣国ジャオユ国王太子レオハルトがフォルト王国までやってきたのだが…これが酷かったのだ。
正直、酷すぎた。
王子様という言葉に憧れを持つほど幼くない、そう思っていた筈だったのにまだ自分は甘かったのだと思い知らされた。
第一王女たる姉姫と第二王女たる自分、そして生まれたばかりの弟第一王子。王妃たる母君は美しく聡明で、国王たる父君は誰よりも強く賢く、そしてなにより『国中の乙女が憧れたものです』と言われたほど凛々しく美丈夫という言葉が誰よりも似合う。
そんな一家に生まれたアーマニの普通が普通ではないことまでは判らなかったのだから。
『当事者同士、ふたりきりでしたい話もあるだろう』
そんな言葉で王家しか入れない花園へ送り出されたアーマニと婚約者候補だったけれど、本当に二人だけになった途端、あんな野蛮な行為と言動をされるとは思わなかったのだ。
緊張しながらもアーマニの大好きな薔薇の蔦が絡まる美しいガゼボへと案内しようと張り切っていた時だった。
不意に、ぐいっと後ろに引かれる感触があって、その痛みに振り向いた。
そこにいたのは、先ほどまでの王太子然とした毅然とした態度ではなく、醜悪な表情をした傲慢な男だった。
「ふん。この豪奢な髪は悪くないな。顔もまあ合格にしてやろう。しかし、俺の前を歩くな。後ろからついてくるのが当たり前だろう? 王女だからといって許されると思うな」
呆然とするアーマニを追い抜くと、勝手に奥まで進んでいく。
それを後から小走りで追いかけるアーマニに、講釈を垂れるように婚約者候補から次々と『ジャオユ国の未来の王妃としてあるべき姿』が述べられていく。
曰く、誰より賢く美しくあれ。黙って俺に従うのがイイ女。
曰く、男の甲斐性は何人の女にモテるかだ。浮気は本気ではない。文句は言うな。
曰く、子供は男が2人。それと女は何人いてもいなくてもいいが男2人は最低でも産め。
馬鹿か阿呆かと罵声を浴びせ掛ける事すら馬鹿馬鹿しいと思わされるジャオユ国王太子の言葉たちに、アーマニの心は沈むばかりだった。
(絶対に、この婚約は断って貰おう)
そう思っていたのだけれど。狭くない王家の庭を一回りして言いたいことは言いきったとばかりに大人たちの待つサロンへと戻ると、先ほどまでとは打って変わって非の打ち所がない完璧な王太子の仮面を被って「素晴らしい庭園でした。しかしなにより私の婚約者の美しさと愛らしさが素晴らしい」と照れた様子でアーマニを絶賛し始め、そのあまりの落差にアーマニは父王へ婚約者候補の言行動について訴えるタイミングを逃してしまったのだった。
あの時の事を思い出すだけで、アーマニの表情は憂鬱のひとことで済む状態になる。
勿論、その夜サリーには訴えた。あまりの衝撃に順番が滅茶苦茶になって要領を得なかったかもしれないけれど、それでもどれだけ酷い扱いを受けたのか未来予想がどれほど真っ黒なものとなったかを言葉を尽くして伝えきったつもりだった。
しかし、サリーからそれを伝えられたであろう父君からの回答は「天使のごとき美しいアーマニを前に、少し格好つけたくなったのではないか。年上として偉ぶってみたかったのかもしれない」という、アーマニが期待したものとはかけ離れたものだった。
母君は、つい先月、待望であった第一王子の出産を終えたばかりだ。アーマニとは13、姉姫とは16も離れている。ようやく長年の心労がなくなってホッとしている所だ。アーマニとしてもあまり心配を掛けたくはない。
鬱々として心を抱えたアーマニは、広い自然に囲まれて過ごしたくなり父王へ遠い避暑地で過ごすことを強請ったけれど、出産を終えたばかりの母からあまり離れるのも良くないと、王都と隣り合わせた王領地内にある湖の畔に建つ離宮で少しゆっくりしてくるがいいとだけ許しが得られたところだった。
そうしていま、アーマニは不機嫌な表情で馬車に揺られている。
「ひめさま。そのように心配されなくとも、賢王として名高い父王様が、判断を違える事などあり得ません。きっとひめさまにとって最良の選択をして下さいますよ」
そう宥める乳母の言葉に、アーマニは少しだけ心を持ち直して姿勢を正して座り直した。
その時だった。
馬車の速度がいきなり上がる。脇を固めていた近衛がその編隊を変えたのか聞こえてくる蹄の音の位置が変わったのが判った。そうしてコンコンココン、と御者席から合図が伝えられた。
「襲撃?! ひめさま。ご準備を」
その言葉に、座席の下から軽い防具を引っ張り出し身に着ける。
外套としか見えない薄手のマントは、しかし特殊な金属が織り込まれており刃は通らない。内側には小さなナイフや、ロープや包帯代わりにもなる細長い布や水を通さない袋などといった装備が表からは判らないように縫い付けられている。
靴も華奢なそれから走りやすいブーツに履き替えた。
「いいですか。今から貴女様の使命は悪漢の手に落ちないことです。必ず逃げ延びてください。誰が犠牲になろうとも、ひめさま自身の手で、ひめさまのお命を守り切る、それだけを一番にお考え下さい」
何度も聞かされてきたサリーの言葉にアーマニは黙って頷いた。
「でも、大丈夫ですよ。我が近衛が野盗ごときに遅れを取ることなどあり得ません。この装備も、訓練のひとつだとお考え下さい」
そう言って、アーマニを安心させようと微笑んだ時、ついに馬車の周りで激しい剣戟が始まった。
ガン、ゴンと激しく何かがぶつかり合う音と誰かの悲鳴。
そうして、ガン、という衝撃が馬車に伝わり、箱馬車本体が斜めになる。
「ぐわぁぁ」
御者をしていた従者が倒れ込む悲鳴が聞こえてきた時、馬車自体が倒れ込むように停まった。
天井についた扉からサリーが飛び出していった後、10数えてから床下にある扉を静かに開けてアーマニは走り出した。
「はあはあはあはあ。サリー、サリー。貴女を囮にしなくてはいけないなんて、聞いてないわ」
涙で曇る視界で、ただひたすらに、樹々の生い茂る繁みへと走り込む。
後方でサリーの悲鳴が聞こえた瞬間、アーマニの足が止まって振り返った。
その時、視線の先に、野盗の男の昏い瞳と目が合った。
「ひぃっ」
足が縺れて滑って転ぶ。手や膝は土に塗れ、頬は涙で濡れ髪も乱れてぼろぼろだ。
それでも、サリーに言われた言葉を胸に、一歩でも離れようとアーマニは努力した、つもりだった。手も足も震えてまったく動けない。
がっ。身に着けた外套ごと、アーマニは吊り上げられるようにして捕まってしまった。
「見つけた」
そのまま引き摺られるようにして馬車のところまで連れてこられた。
「いやっ。放して。手を離しなさい。わたくしを誰だと思っているのです」
懸命に身体をくねらせて男の手から逃げ延びようとしたけれど、その手はがっちりとアーマニの外套と髪を一緒に掴み上げていて痛くて苦しくて何もできなかった。
「知ってるよ。アーマニ・イル・フォルト第二王女様だろう? ははは」
ぐいっと歯をむき出して威嚇される。
その異様にぎらついた顔に、アーマニは息を呑んだ。
「大人しくしていろ。今すぐお前の命を取ろうとは思っていない。だが、騒いだら、その限りではないぞ」
脅しつけられた言葉の意味を、アーマニは懸命に考えた。
その時、
「ひめさまー!!」
サリーの小さな身体が、アーマニと男の間に割り込もうと走り込んできた。
「サリー!!」
助けがきた、と思った瞬間に、その小さな身体が後ろにいた男によって斬りつけられた。
ばしゅっという音と共に、アーマニの視界が、サリーの身体から噴き出した血飛沫で一杯になった。
「ひめ、さま…」
そのまま、サリーの身体が崩れ落ちる。そのサリーを男が苛立ち紛れに蹴り飛ばした。
「サリー!! サリー!!! いやーー!! サリーー!!」
ごん、と太い樹の根本あたりに当たったサリーの身体がぐったりとして動かなくなった。
「五月蠅い、黙れ!」
ばしっと頬を張られた。初めて受けた暴力の衝撃に、アーマニは黙った。口の中に血の錆味が広がる。
猿轡を噛まされ縄で拘束された上に袋を掛けられた。狭い布の空間で無理な姿勢で持ち上げられる。痛みに抗議の声を上げたけれど、猿轡の嵌まった口からはくぐもった呻き声にしかならなかった。
「何も残すな。奴らの命もだ。いくぞ」
粗い布越しに聞こえてくるその声は、絶望の色にアーマニの心を染め上げた。
アーマニが入れられた袋は、どさりと馬の背に乗せられて運び去られていく。
硬い鞍が脇腹に当たって痛い。しかし、残してきたサリーや近衛、御者たちのことを思うとそれどころではなかった。
(悔しい)
もっと何かできた筈なのに、実際には何もできなかった自分が悔しかった。これでも真面目に訓練を受けていたのかとこれまでの自分を振り返った。
(泣くな)
『ひめさまのお命を守り切る、それだけを一番にお考え下さい』
アーマニは、サリーの言葉を思い出して自分を叱咤した。そうだ。まだそれに失敗した訳じゃない。
何もできない小娘と侮ったのか、腕は身体ごと縛られたけれど、手首や足首までは縛られていない。身体の位置を変えればこの自由を奪う縄も解ける筈だ。
馬の背にうつ伏せに乗せられたまま、身体を捻り縄が緩む場所を探す。みぞおちに縄が当たり余計に苦しくなったり何度も挫けそうになったものの、肘の位置がようやく身体の前まで来たところで、その腕が自由になった。
(やったわ!)
慎重に、外套の内側から小さなナイフを取り外し、掌の中へ握り込んだ。
──馬から下ろされたら、その場で男のことを袋ごと刺す?
しかしそれでは袋の上からまた捕まえられるだけかもしれない。
──袋から出された時を狙う?
しかしすでに牢などに入れられているかもしれない。
手に入れた武器をどう使うのが効果的か、考える度に頭の中で反論が浮かぶ。
それでも、どこか遠くに連れ出されたり建物の中に閉じ込められる前になにか行動に移すべきだと結論づけた。
まずは、自分を包み込んでいるズタ袋にナイフを斬りつけてみる。しかし意外に頑丈なのか穴を開ける事は出来ても、切り開くことがどうしてもできない。
そうこうしている内に、口を縛っている紐に気が付いた。
その紐に何度もナイフを突き刺して、ついに切ることに成功する。これならなんとか内側から開ける事も出来そうだ。
その時、袋の上から背中の辺りを殴られた。
「なに動いてやがる。大人しくしてろ」
衝撃に息が詰まる。それでも、その痛みは却ってアーマニの闘争本能に火をつけた。
(やるわ!)
そう心に決めたアーマニは決心が鈍る前に、その小さなナイフを馬上の男の太腿辺りに向けて突き刺した。
「痛てぇぇっ」
ぎゃあっと馬上で男が叫ぶ。その声に怯むことなく、アーマニは目を閉じて何度もナイフを突き刺した。
ついに馬の脚が止まり、アーマニを支えていた男がそこから転げ落ちる。
そうして一緒にアーマニの入った袋も、その男の上へと落ちた。
「ぐえっ」
(早く、早く)
袋の口を、内側から引っ張り開こうとするも何かが引っ掛かっているのかなかなか開かなくて、アーマニは涙が出そうだった。
仲間が戻ってくる前に、せめて袋から出たいのにと焦れば焦るほどアーマニの指は縺れて上手く動かなかった。
「くそっ。ふざけやがって」
怒鳴りつけられたと思うと、袋に入ったままのアーマニが高く持ち上げられた。
(捕まった! 逃げられなかった)
慌てて藻掻くも、すでに男はその腕にがっちりとアーマニの入った袋を抱え込んでおり逃れられそうになかった。
「おい、いい加減にしないとぶっ殺すぞ?!」
先ほど指示を出していたリーダー格らしき男の怒った声がする。
悔しさにぎゅっと目を瞑る。アーマニは、自身の失敗に目が眩んだ。
そんなアーマニに、「ふん。じゃじゃ馬め。こんな小娘を王妃と仰いで堪るものか。お前を国母とするなどお飾りですら不愉快だ」となじられた。
その言葉が、アーマニの頭の中で意味を成すと、勝手知らずにアーマニの身体を恐怖が怒りで押しのけられ突き動かした。
「っっ!!! !!!!!」
ズタ袋の中で、先ほどより一層激しく暴れまわる。
(ふざけるな。ふざけるな、ジャオスめ!!)
「っ!? 大人しくしろと言っただろうが!」
部下に抱えさせたままリーダーの男が苛立ちまぎれに、ついに暴力を揮おうとその腕を上へと掲げた。その時。
とすん。
アーマニの見えない場所で、振り上げられたその手首に、矢が刺さった。
「ぐわぁぁぁっ!! だ、誰だ?! 後ろから奇襲をかけるなど卑怯なっ!」
利き腕に刺さった矢を強引に引き抜き、リーダー格の男が振り返りざまに叫んだ。
「元々、旅の馬車をいきなり襲った卑劣漢が何をいうか。か弱き女性に暴力を揮っておきながら騎士を気取る。滑稽すぎるわっ!」
一足飛びに近づいた誰かが無造作に剣を揮った。
ガン、と鈍い音が響いて馬上にいたリーダー格の男はその衝撃に落馬した。
「っくあっ!」
もんどりうって転げまわろうとする胴を踏みつけにし、腰に佩いた剣を吊るしたベルトを切って剣を森の茂みに向かって蹴り飛ばした。
そのまま首のすぐ横に剣を当て、助けに入った男は眼光鋭く凍ったように動けなくなっていた悪漢たちに向かって言った。
「ほう。ジャオユの紋章、それも紋章を囲む剣と盾…貴様、騎士団の者か」
「どうしてそれを?!」
今、男たちが着ているのは獣の皮で出来た上着とズボンだ。そうして細く切った革を脛や腕、頭に巻いて防具の様にしている。その様は確かに野盗らしくみえる。
しかし、助けに入った男の足の下で苦し気に顔面を蒼白にしているリーダー格の男の上着の下からは、どうみても安物ではない軽鎧の鈍い輝きが覗いていた。
「鎧に刻印された花と蛇が絡まったその紋章がどこの国のものかくらい、誰でも知っているさ」
ジャオユ国とは、ここフォルトの東隣に存在する海運国家だ。
アーマニの婚約者である王太子が住まう国。つまりはこの男たちは未来の王妃を襲ったという事だ。それも、それを判っていて、狙ったのだ。
「お前達が脱走兵か正規軍に所属したままなのかは知らないが、どちらにしろ正規ルートで抗議する必要があるようだな」
その言葉に、未だ踏みつけられ動きを封じられていたリーダーの男が叫んだ。
「俺の事は構うな! 行け!! その宝、かならずあの御方の下へ! 届けよ!」
そうしてぐっと首元に翳されていた剣を両手で掴むと、己の首をそこへ差し出した。
間一髪、ぎりぎりのところでその首に剣が突き刺さる寸でのところで剣とは反対の方向に男の足がその首を蹴り飛ばす。
「…ぐぉ…」
気を失っただけで息があることを確認した男は慌てて自分の馬に飛び乗った。
そうして、逃げたズタ袋を持った男を急いで追いかけようと馬の首を回した先で目にしたものは、
「うわぁあぁぁぁ!」
「どう! どう!!」
ヒヒィーン、ヒヒィーンという馬の哀れな嘶きと、激しく転んで喚き叫ぶ、怒声飛び交う阿鼻叫喚の様相だった。
先回りしていた男の部下が、樹と樹の間にロープを張り馬の進行を妨げたのだった。
「『ひめさま』は、ご無事か?!」
慌てて乗ったばかりの馬から呆れ顔の男が飛び降り駆け寄ると、
「任せて下さい、ちゃんと確保しておきましたよ」
そう自慢げに言う部下らしき男の腕には、先ほどの藻掻き暴れるズタ袋が抱えられていた。
「先頭の馬が転んで慌てて停まった時にちょいっと奪っときました」
自慢げに戦利品を掲げてみせる部下に向かって男は小さく息を吐くと、
「よくやったといいたいところだが、一緒に落馬されたらどうするんだ。しかしまずは取り返せたようでなによりだ。捕り物が終わるまで端でお守りしてくれ」
そう指示を出して、いまだ暴れる馬でいっぱいのロープで区切られたそこに剣を握って走り寄っていった。
結局、落馬して戦闘不能に陥った者は4名ほどで残り5名の男達との戦闘になった。残念ながら生け捕りにはできなかった。
正式な国軍騎士らしくその腕前は確かなものであり覚悟もあったのか降伏しようとしなかったのだった。
また、戦闘不能に陥った筈の者の中でもある程度の身体の自由が残っていた3名は捕虜になることを善とせず、自死を選んだようだった。戦闘が終わった時にはすでに手遅れになっていた。
長いので分けました。次話も回想となります。
残虐なシーンが入っております。
完全に飛ばして戴いても大丈夫なようにしてあります。
苦手な方は2ー2、2ー3を飛ばして2ー4までお進みください。