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いつも読みに来て下さってありがとうございますです。
ようやく再開します。
番外編というより本編の続きになってしもうたですよ。
少しでも気に入って戴けますように。
「クレアちゃん、恋バナしましょう♡」
「え?」
私がこれから嫁いでいく先の王国は、自由で強引な人だらけのようだった。
実父に対して、王宮から爵位詐取の実行犯として連行するために、軍が派遣されてきたのはその日の陽が暮れる前だった。
義母と異母姉も亡母の個人遺産を勝手に使い込んでいたとして取り調べられるそうで、3人揃って縄に繋がれてそのまま連れて行かれてしまった。
この異例ともいえる早急な対応は、今回のこの逮捕劇が、友好国の王族より事件の全容を纏め上げた文書と確たる証拠を持ち込まれるという前代未聞の醜聞であることや、事件の舞台がその王国の王太子と婚約を結んでいる令嬢の実家であることも配慮されたのは間違いないが、勿論それだけではない。
王宮文書課の文官の立ち合いの下、正式に交わされた契約書が残されているにも拘らず、それを無視した形で侯爵位が詐取されている。
まさに王国の貴族法に仇なす行為であり、すべての貴族にとって忌々しき事態なのだ。
それを端緒に王宮文書課の腐敗が露になり大鉈が必要だと陛下が直々に判断されたそうだ。
『友好国である他国の前で恥を掻かせおって』と、かなりの大激怒をされているらしいと、クレア達の実父が連れ去られた後、王宮からアーマニ達を迎えに来たという外務大臣トレビス侯爵が説明してくれた。
簡素な説明で終わりそうになる度に、アーマニの入れる「まぁ、それでどうなりますの?」という詳しい説明を強請る言葉や「怖いですわ。すぐ出てきてまた悪さを考えるような事があったら…どうすればいいのでしょう」と不安がる仕草を示す度に、情報がどんどん詳しくなっていく。
そうして散々情報を搾り取った挙句、アーマニは「実父が犯した罪が明らかになったばかりの可愛い未来の義理の妹の傍に、今夜はいてやりたいのです」と慈愛の涙を浮かべた憂い顔で告げると甚く感銘を受けた様子で「判りました。使者様のお優しい御心、必ず陛下にお伝え致しましょう」とトレビス侯爵はすんなりと引き下がって帰っていった。
クレアは、美女の瞳に浮かぶ涙の破壊力は凄いと感心するばかりだ。
しかし
「判った? クレアちゃん、女の媚と涙はこう使うのよ」
うふふと笑って振り返ったアーマニの瞳には涙など浮かんではいなかった。そう見せただけだった。
という訳で訂正しよう。
クレアは、美女が瞳に浮かべて見せる涙の有用性は凄いと感心するばかりだった。
そんな訳で、この人手不足の侯爵邸へ他国より賓客を迎え入れることになったリーディアル侯爵家の面々は大慌てで準備に奔走した。注釈を入れておけば、クレアとユニスはここに入らない。使用人達が、である。
それも、実父により突然紹介状も無しに放逐されてしまった昔からリーディアル侯爵家へ勤めてくれていた懐かしい顔ぶれが奮闘してくれたのだった。
『ユニス・リーディアルが無事に戻ってきた』という朗報は、あっという間に広まったようだ。
紹介状もなく解雇され次の職場を見つける事の出来なかったかつての使用人達はユニスの帰還を喜んでお祝いに駆けつけてくれたのだった。
「ユニスお坊ちゃまもご立派になられて…。奥様も大旦那様も草葉の陰でお喜びでしょう」
そういって涙を浮かべた元家令のセスと再会したユニスも長年の不在を詫びた。
「ただいま、セス。お祖父様もお母様もいない今、僕が強くあらねばならなかったのに。あの男の横暴を阻止できなくてごめん。幼いということを言い訳にするつもりはないよ。これからの僕…いや、私を見ていて欲しい。ここに来てくれた、皆にも」
そう駆けつけてくれた懐かしい顔ぶれに向かってユニスが声を掛けると、その場は喜びの声が上がった。
こうして、元使用人達はリーディアル侯爵家に戻って貰うこととなったのだが、感極まったのか気力が尽きたのか、クレアと共に使用人達に囲まれたユニスがその場に崩れ落ちて気を失ってしまい今度は違う悲鳴がリーディアル侯爵邸に響くことになったのだった。
「お医者様はもう帰られたの?」
黄色の間と呼ばれている応接室で待っていたアーマニとアベルは、疲れた顔で部屋へと入ってきたクレアに優しく声を掛けた。
「はい。張っていた気が抜けたこともあるのでしょうが、久しぶりに長時間立っていたせいか足首の関節が腫れて熱が出たようです。今はお注射をして頂いて寝ていますわ」
「そう。そうよね、あれほどの怪我からようやく動けるまで回復したところだったのだもの。ここまでの旅でも何度も宿で寝込んでいたのよ」
アーマニは目を伏せ、ユニスと対面した時の事を思い出していた。
アベルの配慮で入院していたユニスは目覚めて自分の名前を名乗るとすぐに帰国したいと申し出た。しかし、その名前を聞いた世話役は、彼をまずはフォルト王国へ連れて行ったのだった。
そこで初めて、王宮はアベルの家出先がトリントン王国にいる婚約者の下だと知ったのだ。
そうして、慌ただしくユニスを帰国させ婚約者を迎えにいくべくフォルト王国からの使者団が組まれたのだった。
勿論その使者には予てより立候補していたアーマニが選定され、こうして長い旅に出ることになった。
「アベルったら、家出中に彼を発見したっていったでしょう? だから治療を手配するのも内密ということになっていてユニス様の意識が戻るまで、フォルトの王室には情報が入ってこなかったのよ。まったく。やる事が中途半端なのよね」
13も上の姉から厭味半分で怒られたアベルは視線を逸らして聞こえなかった振りをしたが、勿論、その程度でアーマニの追及から逃れられる筈はない。
「王宮医師ならもっといい薬が使えたかもしれないのに」
その言葉に、さすがのアベルもムッとして言い返した。
「ユニスが見つかった港町からフォルト王国までどれだけ距離があると思うんですか。あの状態の彼を国を跨いで転院させるなんてそれこそ殺人行為です。だから連れて行けそうな範囲で一番評判のいい病院へ連れて行くよう手配しました。王宮へは連絡しませんでしたけど、生徒らしき怪我人がいると寄宿学校へも連絡は入れたんです」
ただし、事件があってからかなりの時間が経っていた事や、見つかった場所が遭難場所からあまりに遠かったこともあって、学校では関係があるとは思えないと判断されたのか、手紙での返事すら来なかったという。
川の激流に揉みくちゃにされたせいなのか、ユニスは一切の着衣がなかったことも関係しているのだろう。着ていた筈の制服や靴などは未だに見つかっていないらしい。
「まったく。あの寄宿学校は諸外国から生徒を集めている癖に。大事な貴族子息を預かる施設として自覚が足りないんじゃないかしら」
腹立ちまぎれにアーマニはパシンと扇を手に打ち据えた。
その様子に、クレアは眉を下げる。
「兄が、…私もですけど、いろいろとご心配とご迷惑をお掛けしてすみませんでした」
しょぼん、と頭を下げる。
その萎れた様子に、姉と弟は慌てて声を上げた。
「クレアちゃんが悪いんじゃないわ。全然悪くないのだから頭を下げる必要なんてないのよ。悪い奴は、偽リーディアル侯爵とその妻子と、きちんと情報を集めようとしない学園と、このアベルなんだから!」
「なんでそこで私まで悪い奴と同列になるんですか?! クレア、心配はする。でも迷惑なんかじゃない。婚約者とその兄を心配するのは当然だろう? 未来の家族なんだから」
「未来の、家族」
その言葉が、ふわりと温かくクレアの胸に響いた。
それは、大好きな祖父に先立たれて以来、幼き日に母を亡くし、実の兄とも引き裂かれて自分を守ってくれる家族といえるものと縁薄く暮らしてきた少女が、何よりも渇望していたものだった。
「本当は一刻も早くフォルトに連れて帰って式を挙げたいところだけれど、さすがにあの状態のユニスを置いて帰ることはできない。それにお義兄様になる方だ。式には是非参列して戴かねば」
クレアが諦めかけた未来を嬉しそうに語るアベルに、クレアは目を瞬く。
「…式?」
「そう。私達の挙式だよ。クレアはその身一つでお嫁入りして来てくれればいいけれど、でも、クレア自身が着たいドレスもあるよね? 一緒に準備してからフォルトに帰ろうね」
うっとりした様子で未来図を語るアベルに、クレアはようやくそれが夢ではなく、実現する未来なのだと実感する。
「私…、父から婚約者は、ぶ、ブリスになったって言われてて…」
その言葉に、アベルとアーマニの目が一気に剣呑なものへと変わる。
「あいつ、クレアに対してそんな妄言言ってたの?」
絶対に許さない、と姉と弟が視線を交わす。
「だから…諦めてて…。でも、それでも私は、お祖父様がフォルト王国と交わした約束の相手は、私だって。それに恥じない人間でいなくちゃって思って…でも、頑張っても、わたしじゃ…」
「もういいんだ。そんな嘘に私は騙されたりしなかっただろう?」
そっと震える肩をアベルは抱き寄せた。
その二人を、アーマニがやさしく両手で包み込むように抱き締めた。
「大丈夫。私はいつだってクレアちゃんとユニス様の味方よ。だって、クレアちゃんは私にとって孫娘同然なのですもの!」
クレアの涙が、一瞬止まる。なにか不思議な単語が聞こえたような気がする。
見上げたそこにあるアベルの瞳は何故か遠い目をしており、その横で輝くアーマニの瞳はどこまでも優しく強く輝いている。
(聞き間違い、かしら?)
問いかけるようにアベルの顔を見上げていると、一瞬だけ、不思議な諦めにも似た表情が通り過ぎていく。しかし、それも一瞬だけですぐに元の甘さで一杯の表情になる。
「クレア。君の心が落ち着くまで幾らでも私は傍にいるし、ここでユニスの看病をしていいんだ」
その言葉に、アーマニが苦言を呈する。
「駄目よ。貴方は明日にでもフォルトに帰りなさい。陛下と王妃にあんなに心配させて。きちんと帰って叱られてきなさい。クレアちゃんの事は、わたくしがしっかり面倒見ますから大丈夫よ」
ほほほ、と口では笑ってみせたアーマニだったが、その瞳はまったく笑っていなかった。
アベルが『探さないでください アルベール』とだけ記した書置きを残して家出をしたことでフォルト王国は大変な騒動となった。
直筆の書置きが残されていたといっても、唯一人の王族直系男子であるアルベールの身に何かがあったら大変なことになるからだ。
第一王女はすでに他国へ嫁いでおりその国の王太子妃だ。そうして妹姫であるアーマニの産んだ二人の子供は王家の血筋としては濃いがまだ幼く、現国王の妹君の息子は年齢的には丁度良くとも父である侯爵は王家の血筋からは遠くなる。
アベルにもしもの事があった場合、後継問題が紛糾するのは間違いない。
「クレアの傍に行きたかったんだ。そうして今の私はその選択を後悔していない」
──あの時。アベル様がその選択をしてくれていなかったら、自分達兄妹はどうなっていただろう。
クレアは、アベルの腕の中で、それを想像していた。
ユニスの発見はもっと遅れただろう。
そしてもし見つかっても、十分な治療は施されなかっただろう。
お医者様が言っていた。『これだけの怪我をして自分で立って歩けるのは奇跡』だと。
そうして私は。
学校を辞めさせられて。下女として扱われて。婚約者を奪われて。
金持ちの妾として売り払われていく。
しかも、それを誰も咎めない。誰も気付かない。
それを想像した途端、クレアはぎゅうっと強く目を瞑った。
全身に震えが走り、膝から力が抜けて立っているのが難しくなる。
その時。ぎゅっと暖かい腕がクレアを強く抱き締め直した。
「クレア? 大丈夫? 私がいるよ? 傍に、ずっといる」
そう、瞳を覗き込む愛しい人の心配そうな顔に、クレアは大粒の涙を流しながら何度も頷いて、アベルの選択に感謝した。
「アベル様。ありがとうございます。貴方の選択が、どれほど私を救ってくれたか。きっと貴方には想像もつかない程です。言葉で表しきれないほどの感謝を」
そっと愛しい人の胸に手を添え、そこに頭を垂れる。
そうして、だからこそ、その選択がアベルの国と家族へと与えた衝撃を思い胸を痛めた。
「私も、フォルト王国へ行ったら、まずは国王陛下と王妃陛下、そうしてフォルト王国の国民へ謝罪します。もしアベル様が下した選択により罰を受けるなら私こそがそれを受けるべきです」
「クレア…」
「クレアちゃん」
最初に上がったアベルの声は感無量といった様子でとても甘く嬉しそうで。
次に上がったアーマニの声は少しだけ呆れるように苦笑しながら「弟を甘やかしそうなお嫁さんになりそうね」と続けられたのだった。
「他国の王族の方にお出しするにはあまりにも簡素で申し訳ないのですが…」
クレアのそんな言葉で始まった晩餐は、アベルもアーマニも「十分過ぎるほどだよ」と声を上げるほど豪勢なものだった。
実際に、その食卓はこの突然の会食に用意されたには豪華すぎるほどの内容だった。
華やかな泡を立てるシャンパンをオレンジジュースで割ったミモザから始まり、スコティッシュサーモンとホースラディッシュ、スウィートキャロットとほうれん草のゼリー寄せ、ハモン・デ・テルセとプロシュート・ディ・パルマ2種類の生ハム盛り合わせ、花豆のポタージュ、オマール海老のムース、鴨肉のクランベリーソース、苺のクリーム添え、そして今、この国ではあまり馴染みのない珈琲が小さなカップで饗されていた。
クレアの口にまったく入らなかっただけでリーディアル侯爵家自体は裕福なのだ。お陰で、その食料庫は充実という言葉では足りない位の贅沢な物で溢れていた。
この晩餐は、その贅沢な食材をフルで生かした、新旧使用人達による心尽くしの物だった。
新しい使用人も、クレアの待遇を可笑しいと思わない者ばかりではなかった。
当然だ。リーディアル侯爵家にいる二人の姉妹の内、その正統な血を受けた嫡子は妹のみ。そうしてその妹は遠い国の王族との婚約が成り立っているということ位、貴族に仕える立場にあれば知っている者も多かったのだから。
しかし、どんなにきな臭いと思っても職にありつきたいと思うのはある意味仕方がない事なのだろう。雇い主は侯爵家当主である。それが詐取されたものだと誰も知らなかった時点では、その意向に背くことは単なる使用人にはできなかっただろうことはクレアには痛いほど判った。
なにより自身が実父の仕打ちに逆らうことができなかったのだから。
だから、おずおずと謝罪に訪れた使用人達には、その謝罪を受け入れ希望者には『ユニスと相談してからでなくては断言できないのだけれど』と断りを入れつつも、今はそのまま残って貰うことにしたのだった。
勿論、貴族令嬢であるクレアを、日頃溜まった鬱憤晴らしの対象として直接辛く当たった記憶があるものは隠れるようにその姿を消していた。実質残った者はほぼ半数ほどで、その全てが大人しく、長く侯爵家へ勤めていた元の使用人達の下に入ったのだった。
そうして、その信頼できる使用人達と一緒に、リーディアル侯爵家の女主人役としての初めての仕事が”この晩餐のメニューを決める”ということだった。
「お口に合ったなら何よりです」
喜びも一入だと嬉しそうにクレアが微笑んで言うと、アベルはそれだけで幸せで蕩けそうな気持になった。
この半年以上もの間、どれだけこの自然な笑顔が見たいと願い努めただろう。
勿論、姉に怒られたように勝手に家出をするなど王太子としてあるまじき行為に走ったり、名前を偽ったままクレアに愛を求めてしまうなど、迷走してしまった部分があることは否めない。
しかし、アベルは自分なりに真剣に考え行動してきたのだ。
その苦労がいま報われた気がした。
「クレア。幸せにするね。幸せになろうね」
「…アルベールさま」
その唐突過ぎる婚約者の言葉に、クレアは真っ赤になった。言葉が見つからず、ただ震えながら見返すことしかできない。
「アベルって呼んでっていったでしょ?」
にっこり笑って言われて、クレアは頷くことしかできなかった。
これではどちらが年上か判らない、そんな言葉がクレアの頭の中で渦巻いた。
そこへ、ぐいっとクレアの身体が反対方向へと引き寄せられた。
「ハイ、そこまで。わたくしがいる限り、婚姻が済むまでクレアちゃんに不埒な真似をすることは許しませんわ」
「アーマニ様!? ふ、不埒だなんて。アベル様はそんなことしません」
いいえ、するつもり満々でしたと顔に書いた状態のアベルは思わず視線を逸らした。
その弟の姿をアーマニは目を眇めて警告を発した。
「アベル、今夜はもう遅いわ。自分で借りている部屋に戻りなさい。それがいいわ」
「な?! わ、私もここでクレアの傍にいたいです。いえ、いますっ!」
「もう遅い時間ですし、これからお帰りになるのは大変でございましょう。お部屋の準備もできておりますし、無理はしないでお泊りになられた方がよろしいのではないでしょうか。久しぶりにお会いできたのですよね。姉弟積もる話もあるのでは?」
すでに客間は全て使えるように準備している。アーマニとアベルと同行していた護衛や使用人達の分まで迎え入れることはできるとクレアはアーマニに進言した。
「いや、私が傍にいたいのはクレアで、姉上の傍ではないよ?」
さらっと本心を明かしてしまったアベルは、アーマニにきつく睨みつけられた。
「未婚の令嬢の傍に、こんな自分の欲望に塗れそれを抑えることすらできない、お預けを喰らいまくった馬鹿な弟など近付ける訳にはいきませんわ。わたくしが優しく諭している間に、帰りなさい?」
「な?! 誰が欲望塗れなんですか」
お預けを喰らっているという部分は否定しないアベルだったが、抵抗はそこまでだった。結局、アーマニによってリーディアル侯爵家の玄関から放り出されてしまった。
「明日、朝一番でリーディアル侯爵領に向かうわ。貴方も一緒に行きたいなら日が昇る前にここに来なさい」
「登城するのではないのですか?! 日の出前とかいうならここに泊まる許可を下さいよ! 大体なにしにそんな遠く」
「一緒に行かないのなら昼過ぎまで寝ているといいわ。もしくは一刻も早くフォルトへお帰りなさい。わたくしは一人でもユニス様とクレアちゃんのお母様とお祖父様、リィン様とガイル様にご挨拶に伺いますから」
その言葉に、アベルはハッと視線を上げた。
「判りました。明日、日の出前にこちらに参ります」
姿勢を正して頭を下げ、アーマニの後ろに立っていたクレアに向かって優しく笑みを向けると、アベルは自分が間借りしている商家へと帰っていった。
アベルの後ろ姿を見送ると、アーマニがくるりとクレアを振り返り満面の笑顔で思いもよらなかったその言葉を口にした。
「クレアちゃん、恋バナしましょう♡」
「え?」
私がこれから嫁いでいく先の王国は、自由で強引な人だらけのようだった。
「では、準備ができたらわたくしの部屋までいらしてね? お待ちしているわ」
そう私の後ろに立っていた侍女に向かってアーマニが頷いてみせると、「畏まりました」と侍女が深々と頭を下げそれを了承する。
いつの間に打ち合わせを済ませたのか、侍女は「アーマニ様とのお約束があるのよ?」と疑問を口にするクレアに向かって「ですから、お急ぎ下さい」と碌に説明もせずただ急き立てるように就寝前の準備を済まさせると、見覚えのない寝間着とガウンを着せ掛けた。
そうして、「アーマニ様がお待ちです」と廊下へと案内に出る。
寝間着で客人と会うなどと躊躇うクレアだったが侍女は全く意に介さず「アーマニ様がお待ちです」と繰り返し、ついにはアーマニが止まっている客室へと押し込まれたのだった。
そうして。恐る恐る踏み入れた客間にはお茶の用意がされており、クレアは狐につままれたような気持ちになりながら、アーマニがお茶を淹れてくれるのを見ていた。
「ふふふ。そう、あの子、そんな道化の振りまでしたの。ほほほ。未来の王太子ともあろう男が。面白いわ。いいネタをありがとう、クレアちゃん♡」
(…全部喋らされてしまったわ。アベル様にどう説明しよう)
俯き両手で隠したつもりのクレアの顔は、耳の先まで真っ赤だ。
湯気まで出そうなほどテレる未来の義妹の姿に、アーマニの顔は綻んだ。
新しい紅茶を淹れ直すと、クレアが立ち直るまでゆっくりとそれを味わう。
クレアの前に置いた紅茶のカップから立ち昇っていた湯気が薄くなるころ、ようやくクレアも少しだけ持ち直したようだった。
そうして、ゆっくりと、アーマニはそれを話し出した。
「クレアちゃんのお祖父様が、我が国の国宝を無法者の手から奪い返して下さったという話は知ってる?」
こくり、と頷く。お祖父様とお母様から聞かされる子供向けの物語めいた冒険譚はいつだって具体的な描写に欠けていて、だからこそそれに基づいた婚約ですら現実感が薄かった。
「では、その国宝が何かは? 聞いたことあるかしら」
「いいえ」首を横に振って否定した。
幼い頃、お祖父様に聞いたことがあるけれど『とても綺麗で貴重な物だったんだよ』としか答えてくれなかった。他国の国宝について軽々しく口にはできないのよ、とお母様が教えてくれたので、それほど貴重な品を取り戻せたお祖父様をより尊敬したものだ。
そう、少ない記憶を辿り答えると、目の前でふんわりとした笑顔を浮かべていた美しい人が、それはそれは輝くような笑みに表情を変えて目を眇めてクレアを見ていた。
いや、その瞳はクレアの方を見つめてはいたけれど、その視線の先にいるのはクレアではなかった。クレアの姿を通してみる、誰か、だった。
「その、お祖父様が取り戻して下さった我が国の国宝が…わたくしです」
その言葉に、クレアはものすごい衝撃を受けた。
盗まれた国宝、取り戻す、そのキーワードが表すもの。
それは王女誘拐以外のなにものでもない。
歳の頃から考えて、十を過ぎた歳の未婚の姫君が盗賊に誘拐されるという恐怖。
それはそのこと自体の恐怖だけでなく、その身が長じてからこそ大きなものとなるだろう。
「その頃のわたくしは、隣国の王太子との婚約が調おうとしていました。それに反感を抱いた彼の国の、国内王妃擁立派とでもいうのかしら。自分の派閥に都合の良い后を充てがいたい一派による不法行為だったの。だから、実際には盗賊ではなかったわ。王太子の后として嫁する予定の国の騎士たちに、わたくしは離宮へと向かう所を狙われたのです」
襲ったのが、よりにもよって騎士だと教えられ、その事実に眩暈がした。
国の盾であり鉾でもある騎士による不法行為。それはどこまで国としての意思を反映していたのだろうか。
なにより…痛ましい事件の影響は、やはり大きかったのだ。
今のアーマニ様は隣国王妃でも王太子妃でもなく、自国トフラン公爵夫人を名乗っていた。
──実際の被害はなくとも醜聞にはなる。
自国の騎士がしでかしておきながら、その事実を隠して噂を流す。なんと卑怯なのだろうとクレアは指が白くなるほどカップを握りしめた。
そうして、その目論見は成り、アーマニ様の隣国への嫁入りはならなかったということだろう。
「その狼藉者どもの思惑通りになってしまったなんて。なんとおいたわしい」
どんなに悔しかっただろう。こうして聞かされているだけでクレアも涙が出るほど悔しく思うのだから。
「ふふっ。クレアちゃんたら、早とちりしないで」
滲んでいた目元の涙を絹のハンカチで吸い取られる。
「隣国王太子との婚約のお話をお断りしたのは、わたくしからなの」
確かに。婚約前ですら命を狙われるのに一人で嫁入りしたらと思うと生きた心地はしないだろう。
「だってね、わたくし、恋を知ってしまったのですもの」
……は?
美しい人が頬を染めて語る物語に、クレアは幼い頃に思った「子供の冒険物語じみた英雄譚」の言葉がもう一度頭に浮かんだ。
次話から2話ほど回想となります。非常に残虐なシーンが入っております。
飛ばして戴いても大丈夫なようにしてあります。
苦手な方は2ー2、2ー3を飛ばして2ー4までお進みください。
一時間ごとに次話が更新されます。
第二章全7話予約投稿済。本日18時に完結予定です。
読む順番にご注意ください。