エピローグ
本日投稿5話目です。読む順番にお気を付けください。
※ クレア視点に戻ってます
「さて。ようやく部屋がすっきりしたところで。ねえ、あなた? わたくし達、咽喉が乾いてしまったの。紅茶でも出して戴けないかしら?」
先ほどまでとは別人のように麗しい笑顔で、アーマニ様が傍に残っていたリーディアル侯爵家の侍女に申し付けた。
すぐに席は整えられて温かな紅茶とチョコレートやボンボン菓子が前に配された。
「まぁ。あなた、なかなか紅茶を淹れるのが上手ね。美味しいわ、ありがとう」
褒められた侍女は一瞬固まった後、ぎこちなく頭を下げ礼をいって下がっていった。
「あら。礼儀はいま一つね。きちんと教育しなければだめよ、ユニス・リーディアル侯爵さま?」
その言葉に、お兄様は苦笑いで頷く。ついでに私も一緒になって頷いてみた。
「うふふ。クレアちゃんって呼んでもいいかしら? ずっとそう呼んでみたかったの。わたくし、妹はいなかったから。可愛くない弟はいるのだけれど」
ちらり、と視線を私の横に座ってボンボン菓子を口に放り込んでいるアベルに向けていた。
やはり…そうなのだろうか。でも。んん?
ちらちらと視線を送ると、それに気が付いたフィールド先輩が、ばちりとウインクをしてきた。
「うわー…。弟のウインクとか、見たくなかったわ。嫌ね、端ない。そういうことは二人きりの時になさい」
アーマニ様の無双っぷりに思わず笑ってしまった。どうしよう。本当は真面目に話し合わなければならないのに。
それでも、くすくす笑いを止められなくて。ついには、アーマニ様やお兄様まで一緒になって笑い出した。そうしてとうとうフィールド先輩までが笑いだした。
おかあさまが儚くなられてお兄様が寄宿舎へと送り出されてしまったあの日から、初めて、私は心の底からの笑顔になった。
「お兄様が助かった経緯は判りましたけれど、何故フィールド先輩はそんな外れにある村の近くを通りがかったのですか?」
うん。まずはここから始めよう。いきなり本題から切り出すとか、無理だし。
「それは、勿論、クレアに会いに来る道中だったからだよ。愛しいクレア」
?! いきなり本題を掘り当ててしまった。
「大恩ある先代リーディアル侯爵にそっくりな髪色をした優しく聡明そうな婚約者の姿絵が『年齢と共に瞳の色と髪色が変わってきた』と金髪碧眼の派手派手しい女の物になった時に、フォルト王国側では何かあったんじゃないかと話題にもなったんだ」
私は、真面目な顔をして話し出したフィールド先輩に向けて、姿勢を正してその話に集中した。
「でも、リーディアル侯爵家へ問い合わせをしている間に、今度はリィン様の訃報が届いてね」
労わるような優しげな瞳が私に注がれる。
お祖父様を亡くし、精神的支柱を失ったばかりの私達に襲い掛かった不幸の連続の記憶は、まだ心に新しい。あの頃を思い出すと今でも胸が痛む。
「それで喪が明けるまで待とうと時間を置くことにしたのだけれど、リーディアル侯爵を継いだ男の話が一向に要領を得なくてね。その割には『王族に嫁ぐに値するだけのものを』と宝飾品など金品の要求だけはやたらとしてくる。これはおかしい、確認をするべきだ、いや他国の貴族の事にそれほどまでに関わるのは内政干渉と言われても仕方がない、等々こちらの王宮でも紛糾してしまってね」
フィールド先輩が両手を上げてお手上げのポーズをする。
それにしても。お祖父様が亡くなられて彼の国との交流はすっかり廃れてしまったと思っていたのに。実の父がしでかした厚顔無恥の行いに兄と私は赤くなったり蒼くなったり忙しかった。
「ち、父が大変失礼を…」
お兄様とふたり大慌てで頭を下げるも、寛大なる婚約者とその姉上は優しく笑って「二人は知らなかったのですから」と却って宥めてくれた。
「それで、仕方がなく取り決め通りにクレア嬢を大手を振って迎えに行ける日まで待つことに決定したのだけれど、侯爵からの手紙にキミの情報が全く無くなってしまったことに、私が…その」
これまで躊躇することなくなんでも口にしてきた先輩が口篭る。
どうしたのだろう、と首を傾げながら続きを待っていると
「我慢できなくなって、勝手に学園の理事長と陰で連絡を取っていたのよ、この子。その挙句フライングで学園に編入しちゃったの。フォルト王国の王宮に黙ったまま。歳まで誤魔化して」
馬鹿でしょう? とアーマニ様がぶっちゃけた。
そうだった。私の婚約者様ならば私より1つ下、御年17歳の筈だ。
思わず隣に座っているフィールド先輩を見遣ると、にっこりと笑い掛けられた。
でも、余裕そうなお顔をしていたけれどそのお耳の端のところが紅く染まっている事に気が付く。可愛い。
「年齢詐称してまで年上の振りをするとか。頑張り過ぎでしょう、殿下」
お兄様が呆れた様子で呟いた。
「……殿下」
思わず洩らした私の呟きに、一番最初に反応したのはアーマニ様だった。
「…アベル、あなたまさかまだ正式に名乗っていないのですか? いい加減にしなさい。いつまでも偽名で愛を請うのは間違っています」
そのお言葉にはっと顔を上げた。すぐ横で、フィールド先輩も同じようにハッとした顔をしている。
そうして大きく息を吐いて姿勢を正してから、私の手を取った。
「フォルト王国王太子アルベール・フィル・フォルトです。リーディアル侯爵家ご息女クレア様の婚約者としてその身をお守りするべく参じました」
そういって私の指先にそっと唇を寄せる。
「でも、クレアにはアベルって呼んで欲しいな」
にこっと笑って付け加えられた。勝手に呼び捨てにされているし。偽名の件も含めてここは怒るところだろうか。
「フィールドは乳兄弟の氏名なんだ。勝手に借りたんだけど」
「勝手に借りた、んですね」
なにやらこの王太子様は自由すぎる気質のようだ。呆れてしまって怒る気が失せる。
横でお姉さまであるアーマニ様とお兄様が頭を振って業とらしくため息を吐いていた。
「だって、王族としてはこちらにこれなかったし、フォルトの下級貴族を名乗ってもフォルトというだけで目立ちすぎるだろう?」
そして変に頭が廻り過ぎる。周りはきっと毎日振り回されているに違いないだろう。
「それで平民の振りをした。だがそれだと今度は侯爵令嬢であるクレアに連絡が取れなくなる。年下の後輩が侯爵家に押し掛けても話すら聞いて貰えなさそうではないか? だから優秀者しか進学できない高等科に入ることにした。学園の高等科に所属なら、それだけで一目置かれるからな」
開き直ってふんぞり返って見せるアベル…先輩もとい後輩…どちらが正しいのか判らないけど不思議なこの人が、なんだかとても可愛らしく見えた。
「いいんだ。私は正式な試験に合格して高等科への編入を認められているのだから」
すごい。私だって入学試験に受かるかと問われたら自信がないと言ってしまう程、学園の高等科への道は狭き門なのだ。私は尊敬の念で目の前にいる人を見つめた。
「あぁそうだ。私はクレア嬢より年下だ。でも、絶対にクレア嬢を守っていくと約束する。もう寂しい思いはさせない。だから、ねぇお願いだ。私の手を取ってくれないだろうか、クレア嬢。クレア・リーディアル侯爵令嬢。愛してます」
私の前で、もう何度目になるのだろうか、アベル・フィールド様、ううんフォルト王国王太子アルベール・フィル・フォルト殿下が跪いて、私からの愛を請うた。
「…わたしで、いいのでしょうか」
異母姉ブリスからも義母トニアからも、実の父からさえ不細工不器量だと罵られるような女なのに。
「私は、クレア・リーディアルがいい。見たこともない土地のことを懸命に調べて、そこに住む民の事を一緒に考えてくれるクレアがいい。私とは違う視点を持ち、それを信念を持って論ずることができるクレアがいいんだ。真面目で、でもどこか不器用で、一所懸命な所があって愛らしいと思うクレアがいい」
懸命な告白が胸に響く。
「でも、どうしてそこまで会ったこともない私を望んで下さるのでしょうか?」
私の当然の疑問に、アベル様は顔を真っ赤にして更なる告白をした。
「クレア嬢の情報が途絶えた後、名前だけの婚約者ではあったけれど幼い頃からお嫁さんになると聞いて育った私は悩んだんだ。それで、クレア嬢が通っていると聞いていた学園に連絡を取った。そこで理事長のファーマ様と知り合って、婚約者としてクレア嬢の事が知りたいと伝えるとクレア嬢が書いた論文や日常の様子を報告をしてくれるようになったんだ。そうして、クレア嬢がとても優秀で、我が国への嫁入りをきちんと考えて勉学に努めてくれていることが判った」
あぁ。だから、あの日、馬車の中で討論をしたがったのか。
「ファーマ様が送って下さるクレア嬢の様子に私は一緒になって笑ったり怒ったり悩んだりした。それまであまり熱心ではなかった王太子としての勉強や公務にもきちんと取り組むようにもなった」
ふふ、とアーマニ様から揶揄いの声が入る。
「そうね、それまでは頭がいいだけのやんちゃな子供だったわね」
そんな茶々にも動じずに、「そう。その通りだったんだ」とアベル様は悪びれなかった。
「そうして。ようやくあと1年で迎えに行けると思った矢先に、ユニスの事件がこちらにも届いたんだ。だから」
あぁ、ではこの方は、本当に私の為に来て下さったのだ。
この方は単なる親の約束で迎え入れることになった婚約者としてだけでなく、私個人をきちんと知る努力をしてくれて、その上で大切にしようとして下さっているのだ。
「だからつい、クレアにも、私という個人を好きになって欲しいと欲が出た。困惑させたと思う。すまない」
がばっと頭を下げられる。
それに大きく手を顔を振った。
「いいんです。あの…困惑しなかったといえば嘘になりますけど。でも、とても、嬉しかった、です」
真っ赤になってそう告げる。
すると、アベル様はとても嬉しそうに「ありがとう」と言ってくれた。
「それと、もう気が付いていると思うけど、”お金持ちの好事家”って私の事だからね? こちらで私が世話になった商家の会長にお願いして名前を借りたけど申し出は私からだから」
他の男になんて求婚させること自体あり得ないから安心してと手を取られた。
?! そうだ。教養のあるお妾をって言われてた好事家の商人の存在。すっかり忘れてた。って、え?
「アベル様が、好事家の商人の、方?」
呆けたような顔をした私を、三人が笑う。酷い。
「なんだお前、全然気が付いていなかったのか。学園で卒業証書取ってからなんてお前に都合のいい申し出がそうある訳ないだろ?」
わしゃしゃわと髪を混ぜるようにお兄様が私の頭を撫でる。
…お兄様、後で覚えていてくださいましね?
兄妹で睨みあっていると、アベル様が愉しそうに笑って、
「それから、クレア嬢はちっとも認めてくれないけれど知っていて欲しい事がある。私にとってクレア・リーディアル嬢は十分過ぎるほど愛らしい女性だ。可愛いよ、クレア」
急にすべてが嘘くさいと思ってしまった私は捻くれ過ぎだろうか。
胡乱な目をした私にアベル様が焦る。
そんな私達を見て、お兄様とアーマニ様は笑い声を上げた。
「お前は気が付いていないかもしれないけれどね、クレア? 年頃になったせいもあるのだろうけれど、お前かなり痩せただろう? 僕が覚えているお前よりずっとお前の目が大きくなって、鼻筋も通って見えるよ」
…それは。
「…ブリス達にいびられた事で確かに体重は落ちていると思うけれど。ついでに顔のむくみが取れたという事かしら」
お兄様の評価は、嬉しいような悲しいような。
「ぽっちゃりしていた頃も可愛かったよ」
「…知らない癖に」
ふんだ、とそっぽを向いた私に
「知ってるよ? 姿絵が入れ替えさせられる前は、ちゃんとクレア自身のものだったんだから」
きゃーーーーっ。
「忘れて下さい、棄てて下さい、今すぐに!!」
私は必死になってお願いしたけれど、アベル様もアーマニ様も笑ったまま頷いてくれようとはしなかった。
「愛してる。ぽっちゃりしていた愛らしいクレアの事も、今のすらりとした綺麗なクレアも。全部だ」
沢山の言葉をくれたアベル様だったけれど、これは覚えていたいと思わない。記憶から消したい。むしろ消して欲しい。
それでも。きっと私は忘れない。この方から貰った言葉を、私はずっと覚え続ける。
一番つらい時期を支えてくれた言葉たちは、きっと、これからの私にとっても立ち上がる為の力になる。
知らない土地で王妃になる、それは簡単なことではないだろう。
でも、どんな困難にぶち当たっても大丈夫。この人と、この人がくれた言葉が、いつだって私を温めてくれるから。
お付き合いありがとうございましたv
もしかしたら後日番外編としてアーマニ様をヒロインとした番外編を書くかもしれません。
その時は宜しくお願いします。