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すべて、あなたがくれた  作者: 喜楽直人
第一章 クレア・リィーディアル
2/12

本日投稿2話目です。読む順番にお気を付けください。

 


「ちゃんと掃除できてないじゃない。本当に何をやらせても駄目な娘ね」

 ついーっと窓枠に残る埃を指で削って私に突き付けた義母トニアの顔は愉しげに歪んでいた。その後ろに控えている異母姉ブリスの顔も似たり寄ったりでさすが親子だと思う。

「…申し訳ありません。帰ったらまた続きを致します」

 もう家を出ないと授業に遅刻してしまう。

 それなのに私は未だに紺色の使用人用のお仕着せを着せられたままだった。

 それもあちこち擦り切れた誰かが捨てようとしていた古着だ。実際どこもかしこもぶかぶかでサイズすら合っていなかった。

「いいのよ。お前はもう、あの学校を辞めるのだから」

「!!」

 その義母の言葉に、思わず目を見開いてあからさまにショックを受けてしまった。

 学問を奪われたら、私にはもう、本当に何も残らない。

「オーホッホッホ。判ったら這いつくばって掃除なさい。あなたの人生はもうそこにしかないのだから」

 遠ざかるふたりの姿が涙に滲んだ。

「お祖父様、お母様、お兄様。なんで…」

 なんで誰もかれもが私を置いて行ってしまわれるのだろう。

 こんな修羅の家に。

 唯一、血の繋がっている父ですら私の事を憎々し気に睨む。

『お前の母親が侯爵家の跡取り娘だったから仕方がなく結婚してやったのだ。それなのに、あの爺は俺を差し置いてユニスを実際の後継とする遺言なんか遺した。息子が成人するまでの間だけとは、なんという屈辱か。お前の母のせいで俺がどれだけ苦しんだか判るか!!』

 あの新聞記事が載った夜、父の書斎に呼び出されて言われた言葉が忘れられない。

 そうして私はこのお仕着せを投げつけられ、これまで使っていた自分の部屋から追い出され、使用人が使っている屋敷の3階にある小さな部屋に押し込められたのだった。

 黴臭い、小さな部屋で硬くて冷たいベッドの上で呆然と朝まで過ごした。

 父こそ、母の存命時から浮気をして異母姉を儲けるような不埒な真似をしていた癖に。

 憎い。そうは思っても今の私には何の力もない。

 学問への道すら絶たれてしまった。

 私は、ぱたぱたと音を立てて床を汚す自分の涙を、何度も雑巾で拭いた。



「クレア嬢に会わせてください! クレア! クレア・リーディアル侯爵令嬢! いらっしゃるなら返事を。お声をお聞かせください!」

 その声は、あの運命の日から三か月ほどが経った頃、屋敷内で響き渡った。

「帰ってください。クレア様は、兄上の不幸な事故が新聞記事になった時からずっと床に就かれています」

 大嘘を声を張り上げて主張しているのは、この屋敷の家令だ。

 とはいっても三月みつき前のあの日にリーディアル侯爵家に勤める全ての使用人の首は切られてしまった。新しく入ってきた新参者の使用人たちの名前を私は碌に知らなかった。使用人に使用人扱いされて命令されるばかりだったからだ。


「何事ですか?」

 私が使用人用の階段を降りてきたことに、私以外の誰も気が付いていなかったらしい。

 侯爵家にあるまじき騒ぎに思わず眉を顰める。

「私の名前を軽々しく呼んでいたようですね。貴方がどなたか存じ上げませんが、私は貴方に私の名前を呼ぶことを許した覚えはありません」

 そう。例え使用人用のお仕着せを強要されようとも、自室を取り上げられようとも。私はこのリーディアル侯爵家の正統なる血筋を汲む子女なのだ。お兄様があんなことに巻き込まれてしまった今となっては唯一となるかもしれない。

 悔しくて思わず下唇を噛んだ。鉄錆の味が口内に広がっていく。

 私がここで背中を丸めて泣くことは、お祖父様の為にも、お母様の為にも、そうしてお兄様の為にもできない。

 だから、できるだけまっすぐ背筋を伸ばして頭を上げた。

「貴女が…本当の、クレア。クレア・リーディアル侯爵令嬢」

 侵入者は、どこか惚けたように私を見上げてなにやら呟いた。

 戒めたばかりだというのにこの侵入者は再び私の名前を勝手に呼んだ。

 目を眇め、できるだけ威厳を込めて切り捨てようとしたその時、すっとその男が私に向けて膝を突いた。

「初めまして。私は、クレア嬢と同じヒアレイン学園高等科に通うアベル・フィールドと申します。この度は勝手に押し掛けてしまい失礼いたしました」

 正式な紳士の礼を取られて慌てる。どうやら不審者ではなく学園の先輩に当たる方のようだ。

 紳士の礼を取られたということは、平民とはいえ上流階級ハイクラスに属するのだろう。そうして高等科ということは、たとえ今は平民であろうとも、卒業した暁にはこの国を背負って立つ一員になる方である。

「失礼いたしました。改めまして、わたくしがリーディアル侯爵家一女、クレアでございます。フィールド先輩におかれましては、本日はどのようなご用件でしょう」

 先触れもなく、と厭味のひとつも言いたいところだけれど、もし来ても追い返されてお終いだったろう。だからどうしても私と連絡を取る必要があるなら、こうして強行突破するしかなかったのだろうとも思う。

「クレア嬢が三か月も学園に来られていないとお聞きして、居ても立ってもいられなかったのです」

 ? どういう意味だろうか。というか、この初対面である筈の学園の先輩とやらは一体何を伝えに来たのか。

 改めて見れば、着ている服は確かに上流階級の子息が着る服である。仕立ての良さも生地の良さも一目でわかる品だ。しかし、貴族の子息が着るには大人しいデザインで、貴族の使用人たちがお仕着せとして支給されるそれに似ている。しかし、お仕着せよりは華がある。それは美しい生地の光沢だったり、使用人には許されていないアスコット・タイの着用だったりする。

 裕福な商人の息子、というところかしら。

 貴族年鑑を網羅している私の記憶の中にもフィールド家という家名に記憶はない。とすればやはり新興の商家かなにかだろう。

「昨年、クレア嬢の書かれた経済論の論文を読みました。素晴らしかった! 是非、私はあなたと論じ合い、お互いの知識を高め合いたいのです」

 なるほど、判らない。

 いや、度胸があるのは認めよう。どれだけの財を持つ家に生まれたか知らないけれど、侯爵家にいきなり押し掛け、その家の令嬢と一緒に勉強がしたいと訴えることなどそうできるものではない。普通は周りが止める。

「フィールド先輩、お話は分かりましたし、とても光栄なことだとも思います。しかし大変申し訳ありませんが「そうですか! 嬉しいです。早速理事長にも許可を戴いたと伝えてきますね!」…え? あの…」

 断りの言葉を強引に遮られ、あっけに取られている私に、

「理事長もクレア嬢がお休みされていることを危惧されていました。『力になれることがあったら何でも言ってくれ』だそうですよ。きっと復学されると聞いたら喜びます」

 まるで作り物の様に見えるほどの弾けるような笑顔で、大きな声を張り上げた。

 どうやら廊下の影から顛末を盗み聞きしている存在に聞かせたいようだ。

 どなたの指図を受けてここにいるのかしら。もしかして本当に理事長?

 そうして言いたい事を一人で捲し立てたその人は、急に真面目な顔になったと思うと、

「お兄様の件、お聞きしております。早く見つかってお帰りになられるといいですね」

 そう丁寧に頭を下げて、屋敷を後にした。


「なんなのよあれ。あなた、婚約者がいる身でありながら平民あんなのと付き合ってたの? 不潔ねぇ」

 にたりと意地の悪い笑顔でブリスが絡んできた。

「初対面です。そうあちらも挨拶していたでしょう? 耳も悪いんですね」

 頭だけじゃなかったんですねと言外に伝える。

「まぁ確かに、見てくれは悪くなかったけど。それと、懐具合も悪くなさそうね」

 下品な顔だ。いや、下衆という方が合っているだろうか。

「ふん。何をどういわれようとも、あんたはこれからずっとここで使用人として暮らすのよ! お父様がそうお決めになったんだから! 散々偉ぶってきたツケが廻ってきたのよ。いい気味」

 ホホホ、と高らかに笑う姿は義母そっくりだった。でも少しだけぎこちないかしら。もっとこう馬鹿っぽいほどの思い切りの良さが必要なのだろう。私には無理だ。

「早く仕事に戻りなさいよね!」

 がっといきなり背中を蹴られた。吃驚した。ドレスって、あんなに足が上がるものなのね。これも私には無理だ。

 吃驚しすぎて床に膝を突いたままブリスの顔を見上げてしまった。

 その様子が哀れっぽく目に映ったのだろう。ブリスは自分の行動に満足した様子で意気揚々と階段を上っていった。

「ちゃんと掃除しないと夕飯は抜きだからね!」そんな捨て台詞を残して。


 その夜、あの日以来になる父の書斎へ呼び出された。

 昼間の事を詰られるのかとため息を吐く。食事抜きだろうか、それとももっと薄暗い屋根裏部屋へでも移されるのだろうかと、部屋へ入る前に覚悟を決めておいた。

 それなのに。

「…明日から、学園に通え。ただし、掃除は朝と学園から帰ってきてから必ずやるんだぞ。甘えるなよ」

 どうやら父の右手で握っているのはフォーマ公爵家からの書状のようだ。机に置いてある封書に押された封蝋が公爵家の物だからだ。それも多分、前当主であり現理事長であるゼスト・ファーマ様の個人封緘用のものだと思う。

 それともう1通。こちらは見覚えのない家紋入りの封書。どなたからのものだろうか。まぁ父の机の上にある封書がすべて私に関係がある訳ではないだろう。

 それよりもファーマ様からの封書、それが意味するところだ。

 つまりは昼間の侵入者の言葉は真実だったということだ。

 アベル・フィールド。高等科の生徒だと言っていた。でも、その顔に見覚えが全くない。

 高等科へ進む生徒は少ないし、図書室など共有の施設も多いのですれ違えば顔程度は覚えるのだけれど。

「っ。判ったなら返事くらいしろ! 感謝を込めてな」

 私は黙って頭を下げて、父の書斎を後にした。

 締めた後の扉に向かって、どん、と大きな音がして身を竦める。どうやら癇癪を起こした父が扉に向かってなにか重いものを投げたらしい。

 私は後からなにかに追い立てられるように暗い部屋へと急いだ。


 翌朝。「馬車は使わせないわ」という義母からの優しい言葉で送り出された私は、家の角を曲がったところで声を掛けられた。

「おはよう、クレア嬢。さぁ、乗って?」

「…アベル・フィールド先輩、おはようございます?」

 二頭立ての立派な箱馬車は金彩の施された黒塗りで、商家にしては立派な造りのものだった。

「大丈夫だよ。ちゃんと付添人シャペロンも用意してあるからクレア嬢の名誉は守られる」

 用意周到とはこういうことをいうのか。私はやさしい微笑みを浮かべる老女に誘われるまま、その箱馬車に乗ってしまった。

 馬車の中ではずっと気拙い思いを、したりしなかった。

 延々と、先輩が読んだという論文についての討論を交わした。

「発展の功罪について貴女は中庸を説いていた。しかし、発展無くして人々の生活を守ることは難しいのではないか」

「足りる事を知る、それはとても重要で大切なことだと思うのです。繁栄のためだけを考えた発展は自然を、引いては人の暮らしを蔑ろにします。発展の行き着く先を見据え、欲を張らず、必要な発展を必要なだけすること。そしてなにより足りるを知るべきなのは私達貴族だと思います」

「その真意は? 」

「中庸とは、足りるを知る心です。富める者こそ、それを知るべきなのです。足りる事を知らない者はより大きな富を求めます。そうして無計画な経済の拡大はその正当性を見失い、より安易に手にできる富を求めるようになる。富める者はより富むでしょうが貧しいものは更に貧しくなるでしょう。必要な発展を必要なだけ。それこそが正しい判断を行う為に重要なのです」

 喧々囂々。時には脱線して会話が進む。

 経済、技術開発、応用として文化の発露。私達の間で話題は続く。

 結局議論は往きの馬車の中だけでは終わらず、気が付けば帰りも同じ馬車で送って貰う約束をさせられていた。

「つまりはキミ、このフルーツパルフェだよ」

 そうして今、三人で向かい合わせになって、王都で流行しているというフルーツパルフェを前にしていた。

 本当に、意味が判らない。

 そう、口の中で蕩けるクリームとフルーツの酸味が絶妙なコントラストを生み出して幾らでも食べられそうなほど美味しい、という事以外は。

「このパルフェと一緒に飲む珈琲も素晴らしいよね」

 単体だと苦くて飲めないこの黒い液体が、甘いパルフェの後に口に含むと…ふう。至高の味わいだ。

 私はほうっ、と息を吐いた。

 硬くなったパンと具のないスープ以外を口にするのは本当に久しぶりだったから。

 昼に持たされたお弁当まで、ご丁寧に硬くなったパンが1つだけで、私は思わず笑ってしまったのだ。それを水道の水を汲んで浸して食べた。きっと明日も同じ昼食だろう。

「フィールド先輩、ご馳走様でした。ありがとうございました」

 きちんと姿勢を正してお礼を伝える。

「でも、これきりにして下さい」

 例え付添人がいようとも、私は婚約者のいる身だ。名ばかりで実際に婚約しているのかどうかすら不確かな相手ではあるけれど、相手は他国の王族である。

 不用意なことはしたくない。なにより私自身がこういう浮気紛いの真似をしたくない。

 理由も含めてきっちりと説明すると、フィールド先輩はしょぼんと眉を下げて私を上目遣いで見上げてきた。

 う。そんな顔をしても駄目です。無理なものは無理なのです。

 横でにこにこしていた付添人の老女が「ほほほ。坊ちゃまの負けですわね」と愉しそうに言った。坊ちゃま、なんだ。ふふっ。思わず笑みが零れる。

 いい歳して、背も高くてがっしりとした体躯のこの先輩が坊ちゃまと呼ばれて焦っている様子が面白くて、私は涙が出るほど笑ってしまった。

 礼を言って、朝乗せて貰った角より更に手前で馬車から降ろして貰った。

「家の誰かに見つかったら困ります」

 そういうと、少し思案しながらもフィールド先輩はおとなしく受け入れてくれたのでホッとした。頑迷に家まで送ると言われたらどうしようかと思った。

「ではまた明日」

「はい、また学園でお会いしましょう」

 そう頭を下げると、私はもう振り返らなかった。

 けれど。アベル・フィールド先輩の視線が、ずっと私の後ろ姿を見つめているのを感じていた。


 屋敷に入ると、待ちかねたように異母姉ブリス義母トニアが立ち塞がるように玄関前で立っていた。

「ここは侯爵家の人間しか使えない玄関だから。使用人は使用人らしく裏口から入りなさい」

 ブリスの言葉を無視して玄関に入ろうとした私は背中にどん、という衝撃を受けて大理石でできた床に転がった。「かはっ」痛みで声が出ない。蹲っていると、背中にギリギリと痛みが走った。

「返事は?」

 どうやら義母が私の背中に乗せたヒールに体重を掛けているらしい。

 痛くて苦しくて、私は何も考える事が出来なくなっていた。

「早く! 返事!」

 もういっそ、頷いてしまおうか、そんな弱気になった私に助けが入った。

「やめろ! やめなさい」

 なんと父が助けに入ってきたのだ。

 助けると言っても声だけだ。手を貸してくれたりはしない。

「アナタ!? だって、この子が悪いんですよ、自慢げに学園の制服なんて着て」

 学園に制服以外で通う訳にはいかないのだけれど。この人は何を言っているのだろうか。頭がどうにかしてしまったのではなかろうかと不安になる。

「馬鹿。ドレスを着た時に見える様な部分に傷をつけるんじゃない。こいつにはまだ使い道が残っているんだ」

 あぁ、そういうことか。

「平民だが金だけは持っているらしい好事家から、学園を卒業したら妾に迎えたいと申し入れがあった。高位貴族の血を引く令嬢に後継ぎを産んで欲しいのだそうだ。よかったな、クレア? 教養をお望みだそうだ。学園の卒業資格を取ってから来て欲しいとは、なんとも物好きなことだと思わないか? お前にとってはなによりの僥倖だろう」

 父のその言葉に、私は、自分の瞳から力が抜けていくのが判った。

 父は私を助けたんじゃない。商品を、より高く売りたかっただけだ。

 一瞬でも希望を持ってしまった事が悪かったのだろう。

 私の中で何かが切れた。切れてしまった。

「でも父さま、こいつ、一応は小国でも他所の国の王族と婚約中なんでしょう?」

「勝手に売っぱらってしまったら拙いんじゃない?」

 売っぱらう、その言葉が私を打ちのめした。

 私は父にとって血は繋がっていようとも娘ではなく商品なのだ。

「いいんだよ、ブリス。その為に、あの爺が死んでから、ずーっと、婚約者の姿絵としてお前の肖像画を贈ってきたんだから」

 ぶふっ、と耐え切れなくなったように父が笑いだした。

「王族の婚約者を持っているのは、お前だ。ブリス、お前が王妃になるんだ」

 きゃあ、と華やいだ義母の歓声が上がる。

「えぇ? でもぉ、すっごく遠い北にある小さい国なんでしょう? 王妃って言ってもねぇ? 野蛮な国だったらどうしたらいいのかしら。相手だって、ほら、ねぇ?」

 上位貴族としてその贅沢を甘受することを許されるのは、義務を背負っているからだ。令嬢たる私達の義務は婚姻による縁を結ぶこと。お相手を野蛮だといったり顔の心配をするなどありえない。許される事ではない。そんなことも判らない異母姉が許せない。情けなかった。

 それでも、一度糸の切れてしまった私にはもう、対抗するだけの気力が失せてしまった。

 覚悟だってしていたつもりだったけれど。

 ごめんなさい、お祖父様。

 お祖父様が築いたフォルト王国との友好を壊してしまうことになりそうです。

 お兄様が生きていて下されば、いろいろと違っていたのかもしれない。

 けれど。私一人では、何もできない。

 私は、勝手なことばかり言っては盛り上がる三人をあとに残し、背中と心に負った傷を抱えて自室へと下がった。


「いたっ。うぅっ」

 背中に滲んだ血が固まって服に張り付いていたのに気が付かず服を脱いでしまったので、せっかくできた瘡蓋が剥がれてしまったようだ。

 周りの健康だった皮が一緒に捲られて、より大きな傷となったそこから血がじくじくと滲んでいく感触がする。

 できるだけ背中を擦らない角度を探して横になるけどゴワゴワの寝間着やシーツに軽く傷が擦れるだけでぴりぴりとした痛みが容赦なく走る。

 ひりつく傷が背中で疼いて今夜は眠れそうにない。

「…嘘よ。傷なんてなくたって、眠れなかったわ」

 ブリスより愛されていない事は判っていた。

「ブリスより、というよりまったく愛されていなかったのだわ」

 まさか、実の父の手によって金持ちの好事家へ売り払われるなんて。

 自分はそこまで顧みられない存在だった。

 その事に、初めて気が付いたのだった。

「お兄様にお会いしたい…」

 お母様とお祖父様にも。

「会いたい。みんなのところに、もう行ってしまいたい…」

 涙が乾いて頬に筋が残る頃になって、クレアはようやく眠りの癒しの中へおちることができた。



1時間ごとに続きが投下されます。

予約投稿完結済です。読む順番にお気を付けください。

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