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すべて、あなたがくれた  作者: 喜楽直人
第二章 アーマニ・トフランもしくはアーマニ・イル・フォルト
11/12

2ー6

…お食事前、お食事中の方は閲覧を中止して下さい。

ざまぁ的汚物注意。

ただし、直接表現はしておりません。が、かなりきついかも。



 


 陽がすっかり天空に昇りきり正午を過ぎた頃。

「お腹が空いた」と愚痴るアベルを伴って、歩いてきた小径をクレアはゆっくりと登り戻った。

 丘にあるリーディアル侯爵家の墓地では、ちいさな背中が寄り添い合い、そこからの景色を見下ろしていた。

「姉上! 私はお腹が空きました」

 アベルがしんみりした空気を払うように大きな声でそう叫ぶと、すこしだけ目元をハンカチで隠した後、アーマニが殊更呆れた声で「もう少し、王太子らしく品のある言葉で主張しなさい」と窘めた。


 停めてあった馬車に乗り込み、丘を後にした。

 領主館マナーハウスに立ち寄り領地の経営を任せていた家宰にアベルとアーマニそしてサリーナを紹介した。

「お嬢様とその婚約者であるアベル様、さらにそのお姉さまであるアーマニ様をこの屋敷へとお迎えできるのはこれが最後になるかもしれませんので」

 前もって立ち寄ることは伝えておいたからだろうか。歓待されて昼食にはいささか豪勢過ぎる昼食をとった。

 領地を任せるには少ない人数の使用人で用意したにしてはかなり頑張ってくれたのだろう。屋敷にはどこも花が溢れていた。

「リィン様がお亡くなりになってからは、侯爵家の方がこちらに足をお運びくださるのは初めてですから」

 そう言われて、実父が利益だけを要求しながらもその領地の経営について何もしてこなかったという事実を知ったクレアが恥じ入る。

「ごめんなさいね。そして、誠意ある運営をしていてくれたことに感謝します。ユニスお兄様はお戻りになられた今、元気になった暁にはきちんとここの経営にも携わっていくことでしょう」

 それを手伝えないことにクレアは心を痛めたが、それを口にすることはなかった。


 帰りの馬車は侯爵邸から1台出して貰って、2台に別れた。

 1台はアーマニとサリーナの2人が乗り合わせトリントン王宮へ。もう1台にはクレアとアベルが乗り合わせて王都にあるリーディアル侯爵邸へと向かうことになった。

 その筈であったが、王都に入ったクレア達の乗った馬車は、直接リーディアル侯爵邸に向かうのではなく、途中で、ある邸宅前に寄ることになった。

 ファーマ公爵邸の離れだ。前公爵であるヒアレイン学園の理事長フレイ・ファーマ様のお邸にクレア達は招き入れられていた。 

 入学式や始業式など、行事の際に遠目でお見かけしたことはあっても、実際にこうしてご挨拶をしたのは初めてだったクレアは、いきなり目の前で親し気に話し掛けられて目を白黒させていた。

 その様子に、アベルは表情を優しく蕩けさせ、厳格なる理事長は心を通わせる婚約者同士であり成績優秀者同士でもある二人に優しい目を向けた。

「この度は大変だったね。私も、アルベール様からお声を掛けて戴いて君の事を調べた時には、まさかこんな非道がまかり通っているとは気が付かなかった」

 申し訳ない、と頭を下げられた。

「い、いえ。ファーマ理事長ともあろうお方が一介の生徒の私生活にまで踏み込むなど。有り得ないことです。どうかお気になさらず」

 実際に、いきなり生徒の家まで押し掛けて調査に入るなどできる筈もなく、契約書を管理していた王宮文書課で行われた詐取事件について学園の理事長に出来る事などある筈もないのだから。

「うむ。だが、何かできたのではないかという思いが消えないのだ。だからのう、クレア嬢。ユニス新リーディアル侯爵の後盾として私が立候補してもいいだろうか」

 願ってもない申し入れに、クレアの瞳は輝いた。

 ファーマ理事長を後盾に持つことが出来たなら、ひとりこの国へと残していくことになるユニスへの心配も、無くなりはしなくとも半分くらいには減りそうだった。

「前侯爵であったガイル殿と直接親しい交流があったという程ではなかったが、気概のある素晴らしい御仁であったと聞いている。その遺児であるユニス殿のお力になりたいのだ」

 そう言って笑う理事長に向かって、クレアは「ありがとうございます」と深く頭を下げた。

 引き留められたが倒れたままのユニスが気に掛かるのでというと、理事長も無理にとは言わなかった。

 そうして、「明日にでも信頼できる者をそちらへ送る」という約束と共に、後ろ盾になる証としてフレイ・ファーマ個人の印章が刻印されたピンボタンがユニス宛に贈られた。

「あなた方はお二人共、我が学園の誉れです。どうか、お健やかに」

 そう言って送り出してくれた。



「アベル様、ありがとうございました」

 馬車の中で落ち着くと、すぐにクレアは横に座る婚約者に向かって礼を告げた。

 笑みを浮かべながらも「なんのことだろう」と嘯くその手を取り、クレアはぎゅっと握った。

「ユニスお兄様を一人残していく私の不安を取り除いてくれようと、誰よりも信頼できる御方に相談して下さったのでしょう? 私では無理でした。多分、ずっとこの国を離れていたお兄様にもできなかった。ありがとうございます」

 本当はそれだけではない。クレアは気が付いていなかったが、今回の詐取事件について新当主となるユニスに対して、リーディアル侯爵家として責任を負わされることが無いよう取り計らう為にも、ユニスには、中枢に近い存在の後盾が必要だったのだ。

 そうして、遠い異国の王族ではなく、すぐ傍で守れる存在としてアベル達が白羽の矢を立てたのが前公爵でもある学園の理事長だった。

 教育に身を捧げたいといって公爵の位を若くして息子に託しただけあって、後進の育成に心を砕いてきた高潔なる心根も、クレアの件でアベルとは長く付き合いがあったことからも、最良の人選といえるだろう。

「二人で補い合うんでしょう?」 

 アベルはそれだけ言って、感謝するクレアの瞳を受けた。

 そうして二人は、今度こそ本当にリーディアル侯爵邸へと向かう、と思っていたのはまたしてもクレアだけだった。

「姉上が一緒だと、クレアの着たいドレスではなくなってしまうからね」

 そういって連れてきてくれたのは、アベルがずっとお世話になっていたのだという商会のドレス部だった。

「初めまして、クレア様。私が、当ノイス商会会長のロンでございます。以後お見知りおきを」

「初めまして、ロン様。たくさんの御助力を戴いた事と存じます。ありがとうございました」

 ノイス商会という名前にクレアは見覚えがあった。きちんと教えられた訳ではなかったが、あの『学費を負担するので学園の卒業資格を取ってから妾に』という奇特な申し入れをしてくれたお金持ちの男性、その中の人はアベルだと聞かされていたけれど、あの日、封筒にあった見覚えのない名前が『ロン・ノイス』だった。

 高位貴族に向かって妾を望むと申し入れをするなど、不敬だと処罰を与えられる危険だってあるのだ。それに名前をお貸し戴いたという英断にクレアは感謝した。

「いえいえ。私は名前を貸しただけです。あぁ、それとアベル様の部屋と、馬車と、家出の手伝いと…」

「すまん。その辺りまでで勘弁してくれないだろうか」

 だけ、といいつつ指折り数え上げていく姿にアベルが白旗を上げる。

 その仲の良い様子に、クレアは微笑んだ。

「この御恩は決して忘れません。ありがとうございました」

 そうして綺麗なカーテシーを以って頭を下げた。


 どっしりとした絹のタフタ、しぼが面白いデシン、ふんわりと柔らかなシフォンにシャンタンにジョーゼットクレープ、綺麗な文様のふくら織。

 たくさん並べられた白い絹地にクレアは途方に暮れていた。どれがいいか聞かれても出るのはため息ばかりだ。

 そこに、ごとん、とアベルが更に巻かれた布を持ち込んできた。

「濃いミルクティーのようなクレアの髪色には少し青みがかったラベンダーピンクなんかいいと思うんだよね。だから、白いドレスに差し色で入れないか?」

 綺麗なそのレース地は、角度によっては薄い紫にも見えるピンク色をしていた。

 それをクレアの目の前にある白い絹地と合わせてクレアの肩に差し掛け眺める。

「いいですね。しかし、アベル様が女性のドレスについて造詣が深いとは思いませんでしたよ」

 わはは、と腹を揺らして会長が笑った。

 その横で、デザイン担当の女性がさらさらとクレアを見つめながらデザイン画を描いてはこちらへ見せてくる。

「如何でしょう。優しげなクレア嬢の雰囲気には、クラシカルなベルラインのドレスがやはり一番だと思うのです」

 自信作だと言われたそれは、トリントン王国では伝統的な結婚衣装。

 フォルト王国から来たというデザイナーだったが、トリントンで活動するためにその服飾史についてきちんと勉強をしてきたのだろう。襟の高さも肩を隠す小さな袖の形も、トリントンの様式を採用してあった。

 勿論、ただ模倣しただけではない。華やかなレースの重ね具合や胸元のラインの出し方など、随所に新しさを盛り込んである。更に、先ほどのアベルの言葉を巧みに取り入れ、何枚も重ねられたシフォンの更に下にラベンダーピンクのレースがあしらわれている。動きに合わせてちらちらと見えるようになっているという。

「裾だけでなく、袖の内側にも同じようにラベンダーピンクのレースをあしらいましょう。この柔らかな色合いの差し色はさりげなく使い、これみよがしにしないのが一番でしょう」

 ヘッドドレスやベールにも同色をあしらってもいいかもしれません、とデザインについて議論が白熱していく。

 クレアは、その議論の渦にようやく立ち向かう覚悟を決める。

「あのっ」


「あの、アベル様。怒ってませんか?」

 馬車に乗り込んですぐ、クレアが心配そうに声を掛けた。

「ん? どうして?」

 アベルが驚いて聞き返した。

「だって。あれだけいろいろと見せて戴いて、デザイン画まで沢山描いていただいたのに…」

 ドレスのデザインについて皆がわいわいと騒ぐ中、意を決したクレアが願い出たそれは、「母が遺したウエディングドレスを着たいのです」という言葉だった。

「クレアが着たいものを着るのが一番だよ。大体、あそこに今日、二人で行ったのは姉上の意見に押されてクレアの好きなデザインが主張できなくならないように、っていうだけだから」

 あの人は派手好きだけどクレアは違うでしょ、と軽く言われてクレアはホッとした。

「…ありがとうございます。アベル様は、本当に私に甘いですね」

 そう自分で言って、クレアは頬を真っ赤に染めた。

 ”アベル様は自分に甘い” この言葉以上に、アベルを表すものはないと思ったのだった。

「もっと甘くするよ。ここは私の国ではないし、色々と自由が効かないからね。フォルトに帰ったら、覚悟しておいてね?」

「?! もっとですか?!」

 もっとだよ、とでもいうように、アベルは笑みを深めて頷いた。



「遅かったわね」

 着いた先では、アーマニとサリーナが既に戻っていた。

「クレアちゃんに何もしてないでしょうね」とじろりと自分の弟を問い詰める姉に、

「何もって、…いろいろしたさ。ねぇ、愛しいクレア」としらばっくれて弟は答えた。

 バンバンと扇で叩かれても笑っているアベルに、顔を赤くしているクレアは傍でおろおろとするばかりだ。

「放っておいて大丈夫ですよ、クレア様。このお二人にとっては単なる嬉戯です」

 そうサリーナに諭されて納得する。

 どうやら年の離れたこの姉弟は特別仲がいいようだった。

「クレア様、お帰りなさいませ。ユニス様はもうお目覚めになられておりますよ。まだ床には就いておられますがお会いしますか?」

 玄関先でじゃれ合う姉弟を眺めているとことに家令のセスがやってきてそう声を掛けた。

 目が覚めているなら、報告することも沢山あるし会いたいとクレアはすぐにユニスの部屋へと足を運ぶことにした。

「わたくし達も一緒に行っていいかしら。王宮から、今回の件についての沙汰がどうなるか先に教えて貰ってきたのよ」

 まだ調査が完全ではないとのことで公式には後日発表となるらしいが、その方針としては概ね変更はなさそうだという。

 アーマニの外交手腕にクレアは目を見張る。驚くのも当然だ。別れてからまだ半日と経っていなかった。

 ここから王宮までよりファーマ邸までの方が離れているとはいえ、自分たちがファーマ理事長へと挨拶に向かって戻ってくる他は寄り道もしなかったというのに、それだけの情報を手に戻ってきたのだから。




「良かった。今回の件で、誰も命を落とすような処罰は出ないのですね」

 そう心の底からホッとした様子のクレアを見て、そこにいた誰もがその表情に安心した。

 心優しいクレアには、自分に対する罪の結果として、実父だけでなく半分でも血の繋がった異母姉が処刑されるような刑が与えられるような事には耐えられないだろうという考えの下、その処罰に対して「婚礼という寿ぐべき儀の前に親族の血を流すことはクレア自身が喜ばない」と上申したのだが、その判断に間違いはなかったようだ。

「彼らは皆、貴族位を剥奪された上で、不当に得た金品を自らの手で稼ぎ出した賃金により返却していくことになりました。もしかしたら死ぬまで必死に働いても返しきれないかもしれない。しかし、その中で反省し心を正していくことこそ国王陛下の思し召しだと思うわ」

 そうアーマニが語る処罰の理由に、クレアは深く頷き、実父と義母と、異母姉の心が一日も早くその行いを悔い改めることができるようにと祈った。

「それと。異母姉からは、クレア宛に手紙も預かってきたのよ」

 読んでみて? と差し出されたのは真っ白の封筒だった。

 恐る恐る中を開ければ、中には簡素な白いだけの便箋一杯を使って、自分がしでかしたことについての考察や反省が真摯な筆致で書き連ねてあった。

 最後まで目を通し、それを胸に押し当てクレアは涙した。

 いつも強気だった義母姉も辛いことがあったのだと知り、自分からその手を差し伸べればよかったと後悔する。

 それでも、こうして手紙だけでも貰えたという事実に、クレアは安堵した。

 その様子に、ユニスが手を差し出した。

「自分も、読んでもいいだろうか」

 その言葉に、クレアは頷いた。

「そうね。ブリスも、ユニスお兄様にも読んで頂きたいって思いながら書いたのかも」

 クレアは、素直に手紙をユニスへと差し出した。

『…同じ侯爵家の血を引く1歳違いの姉妹なのに、なぜこんなにも扱いが違うのか。そう恨んだこともありました。平民として育った私には貴族令嬢達の会話もうまく熟せない。そんな口惜しさを、すべて貴女にぶつけてしまいました。本当は同じ侯爵家の血なんか引いていないのに。私の身体に流れているのは父であるバスコのものだけ。侯爵家の血はリィン様のものであり、私には一滴たりとも流れていないのに。勝手な逆恨みに身を焦がしました。本当に身の程知らずで申し訳なかったと思います。これからは心を入れ替え、勝手に使い込んだ金銭を返すべく、身を粉にして働こうと思います。いつになったら返済が終わるのか判りませんが、いつか必ず全額をお返ししてみせます。その時は会いに行ってもいいですか? きっと立派な人間になって直接謝罪ができるようになります…』

 ユニスが読み上げるその手紙を、クレアは目を閉じて聞き入った。

 そこで、家令から「今夜の晩餐について、料理長からご相談があるそうです」と声を掛けられたクレアは、皆に退席を詫びながら部屋から出て行った。



「それで、この手紙はどこまでが本当の嘘吐き女の手によるものなんですか?」

 胡乱な目をしたアベルがそれを指で摘まみ上げていった。

 それを見て、アーマニが苦笑しながら答える。

「そうね。手で書いたのは彼女だと思うわ」

 アーマニがどうしてもと要求したのは、ブリスのクレアに対する直接の謝罪だった。

 しかし、あの娘が素直に頭を下げる訳がないのだ。下げたとしても誰かに押さえつけられてが関の山だろう。

 王宮の担当者が誰か知らないが、知恵を絞って考えだした答えがこの、”誰かが考えた謝罪文をあの娘が丁寧に書き写した謝罪文を提出する”という苦肉の策だろう。

 内容的にも、ただクレアへの謝罪ではなくて自分の立場を書き移している者へ判らせようと諭すようなものなのはきっとそのせいだろう。

「それにしても、クレアちゃんがお金の稼ぎ方を訊かないでくれてホッとしたわ」

 アーマニがそういうと、残されたアベルとユニスも苦く笑って同意した。

 国王陛下が定めた不当取得金の返済方法自体が、今回の大罪に対する処罰そのものだったからだ。


 リーディアル侯爵を詐称していたと認定を受けたバスコ・リーディアルはその籍を実家である元のシール子爵家へと戻された上でシール家より除籍され平民に落とされることになった。更に鉱山での永久労働が科せられる。そこでは常に一番危険な最下層での採掘を行わされることになる。たった一つの小さな蝋燭の灯りだけを頼りに、真っ暗な坑道を、真っ白だった手にツルハシを握りしめて掘り進むのだ。毎日毎日。死ぬまでの間、ずっとだ。崩落や、酸欠や、有毒ガスや、地下水脈に押し流されるなどのあらゆる危険に身を晒しながらもそこから逃げる事は許されない。自死を許さぬよう舌は噛み切れないよう短く焼かれた。これにより食事を飲み込むのも不便になったがなにより言葉を上手く発することが出来なくなる為、何かを訴えることすらできなくなる。バスコに出来る抗議の手段といえば言葉にならない大きな声を上げる事だけとなるだろう。ただしそれにはすぐに横にいる誰かによる報復が返ってくる。狭い坑道は不安定でその大きな声によって崩落が起こる可能性があるからだ。なにより反響して五月蠅い。だから周りで同じような罪で掘り進める罪人仲間から無言で殴り蹴られる羽目になる。ただただ、無言で、死ぬまでそこでツルハシを揮う。気が狂いそうになるほどの数の恐怖と戦いながら。ずっと。


 義母トニアと異母姉ブリスは、舌を焼き切られて自死を阻止されたバスコとはある意味反対に、噛み切る為の歯をすべて抜かれることになる。

「息をするように嘘を吐く性悪母娘だ。名を剥奪された大罪人でもある。くれぐれも騙されて絆されたりしないように」との申し送り付きで連れて行かれるのは王都にある地下施設だ。

 そこで汚水まみれになってのどぶ攫い、それが二人には科せられる。

 王都内を通る地下水路。それは、各家庭に設置された水洗というにはあまりにも原始的ながら流れの強い水路に汚物を垂れ流した成れの果て。行き着く場所である。

 その溜め池から固形物を取り除き自然へと返す作業の中で、一番きつくて汚く誰もが嫌がる作業に従事じる人員として勤めることになるのだ。

 腰まで汚水に浸かり、ひたすら網で固形物を掬い取る。

 キツイ臭いや反吐がでそうなそれに塗れることへの悪態も、抜かれた歯のせいでその言葉は音にならずふがふがと意味不明の喚ぎ声にしかならない。

 また歯を抜かれることで口元は落ち窪み、作業の邪魔になると自慢の髪の毛は丸刈りされる予定だ。自慢の美貌は台無しとなるだろう。

 不衛生極まりないこの職場はあらゆる病原菌の巣窟でもあり、永く勤め上げることはできない職場でもある。ただし給料は高い。それだけは他に比べようもなかった。


「クレア嬢の婚礼を前にして血の繋がった実父や異母姉を処刑する訳にもいかぬ。が、手温すぎて腹立たしい」

 この処罰を決定された時の国王陛下の言葉だと宰相は弱り切った声で伝えた。

 また「一切の恩赦を許さぬ」と付け加えたことがその怒りの深さを示しているといえよう。

「返済といっても奴等が直接リーディアル侯爵家にするのではございません。王国が、爵位の詐取を許していた期間に生じたマイナスを算出し、その額を弁済することになりました。その上で、国に対する借金を返す形に致しましたので、リーディアル侯爵家へ接触してくることはございません。もし接触してきた際は、今度こそ極刑が申し渡される事でしょう」

 宰相が神妙な顔をしてそう伝えていたけれど、実際にはすでに借金の穴埋めは済んでいるのだろうとアーマニは睨んでいた。

 不正を行った文官や執行官どもの家は取り潰され資産は既に没収済だという。

 勿論、この不正に関わったすべての犯罪者共は同じ目にあうという。違いがあるとすれば配属先が少しだけマシかもしれない、というだけだ。『これなら死んだ方がマシだ』と思う度合いが少しだけ少ない、その程度の差しかない。

「フォルト王国へ嫁するクレア様の後顧の憂いを無くしたい、という寛大なお申し出に最大限配慮致しました」

 アーマニはそれに深く頷くと「ありがとうございます」とそう感謝の言葉を残して王宮を辞したのだった。 


「ユニス様。他に、なにかわたくしに願うことはありませんか?」

 ベッド横に座り、やさしげな視線をユニスに送るアーマニが、そう訊ねる。

「心はどんなにお傍にあるといえども、わたくしはフォルト王国に家族を持つ身。こうしてお傍に居れるのもあと僅かな時間でしかありません。ガイル様に代わって孫とも思う貴方のお力になれるのも僅かなことでしょう」

 9つしか違わない母より年下の妙齢の美しい女性から孫扱いされたことにユニスは苦笑いしかでない。

 それでも、アーマニの心に嘘はない。それだけは間違いない。

「もう十分過ぎるほど戴きました。正直、戴いた恩をどう返していけばいいのかすら判らない程です。ありがとうございました」

 そう頭を下げたユニスに、アーマニはかぶりを振った。

「いいえ。わたくしは、ガイル様に戴いた恩の半分すら返せていないと思っております。ユニス様から返して戴く必要などないのです」

 その言葉にユニスはじっと聞き入り、そうしてゆっくりと時間を掛けて考えてからこう答えることにした。

「では。これからのリーディアル侯爵家を、祖父ガイルに恥じぬものへとしていくことを誓いましょう。アーマニ様のお心に掛けて」

 その答えに、「楽しみしております」と、アーマニはとても嬉しそうに答えた。






一時間ごとに次話が更新されます。

第二章全7話予約投稿済。本日18時に完結予定です。

読む順番にご注意ください。



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