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すべて、あなたがくれた  作者: 喜楽直人
第二章 アーマニ・トフランもしくはアーマニ・イル・フォルト
10/12

2ー5



「日の出前を指定したのは姉上でしょう?」

 玄関先で待っていたアベルはそう苦言を呈した。

「あらあら。女の支度は時間が掛かるものなのよ? そんな狭量では折角射止めた相手から嫌われてしまいましてよ」

 ホホホと余裕でそれを躱すアーマニは、やはりアベルより何枚も上手のようだ。

「お待たせしてしまって申し訳ありません。つい、昨日は夜更かしが過ぎました」

 申し訳なさそうな声でクレアが混ざると、アベルはしまったという顔をした。

「いえ、昨日はいろいろとありましたからね。寝付けなくても当然ですよ。こちらこそ配慮が足りない発言をしました。失礼しました」

 何故だか妙に堅苦しい挨拶が交される。

 そうしてなにより二人の顔は共に真っ赤だった。

「ふふ。昨日の事を思い出して赤くなるなんて。いやらしい」

「んな?! 姉上、なんてことをいうんですかっ!」

 アベルが昨日腕の中に封じ込めた時のクレアの柔らかさや、初めて見た本当の笑顔を思い浮かべて一睡もしていないことなど姉であるアーマニにはお見通しなのであった。

「いつも自信満々で厭味なくらいの弟が焦る姿。これは愉快ね」

 いい土産話ができたわと、アーマニは高らかに笑いながら馬車へと乗り込んだ。


 そこにはもう一人、すでに乗り込んで皆が来るのを待っていた。

「あなたは、付添人シャペロンの…」

 結局最後まで名前を教えて貰うことが出来なかった優しい老女がそこにニコニコと笑って座っていた。

 後から乗り込んできたアーマニが、ついにその名を教えてくれる。

「彼女はフォルト王国サリーナ・ブロス子爵令夫人。わたくしの乳母で、今はわたくしの子供たちの乳母でもあったのだけれど…去年、腰を悪くしたといって『孫と余生を過ごします』といって自分の領地へと引っ込んでいった筈なのよ。なのに、なんでアベルの傍で、トリントン王国で付添人シャペロンの仕事なんかしているのかしらねぇ?」

 ほほほ、と笑うアーマニの顔はまったく笑っていなかった。

 しかし、それを受けても老女はまったく引かなかった。「サリーと呼んで下さいね」と自己紹介をすると、「ガイル様のお孫様ですもの。私にとっても孫のようなものですわ」とふんわりと笑って言い抜ける。

 アーマニの「クレアちゃんは私の孫よ!」という主張にも「私にとっても孫、それでいいじゃありませんか」とまったく引かない。

 その二人の様子に、クレアは困惑してそっとアベルに向かって「…あの、サリー様も、まさかお祖父さまに懸想を?」と確認して、三人から「それはありません」と言い切られた。

「私は、ガイル様に『ひめさま』をお助け下さるようお願いしました。その願いをガイル様は命を賭して叶えて下さった。更に私の命までお救い下さったのです。その方のお孫様の為に出来る事があるならば、大切なひめさまに嘘を吐いてでも国を出ることに、何のためらいを持つ必要があるというのでしょう」

 そう、愛おしそうにクレアの手を取りサリーは告白した。

「サリー様。ありがとうございます」

 クレアの感謝に、サリーは首をふるふると「大したことはできませんでしたけれどね。ご卒業、おめでとうございます」

 祖父が残してくれた遺産が、こんなにも温かく自分を守ってくれていたことを改めて知ったクレアは、その喜びに溢れる涙を止める事はできなかった。


 泣き疲れたのか馬車の中でうとうとと船を漕ぐクレアに、アーマニは優しく声を掛けた。

「昨日は遅くまでお喋り楽しかったわね。でも寝るのが遅くなってしまったのだからそのまま寝てしまうといいわ。着いたら起こして差し上げますわ」

 余っていたクッションを差し出し、身体を楽にするように告げると、クレアは少しだけ逡巡してみせたもののやはり眠気には勝てなかったのだろう。そのままそっと目を閉じた。

「…言いたいことがあるなら男らしくはっきり言いなさい。ただし、クレアちゃんを起こしたらタダでは済まさなくてよ?」

 目を閉じて寝ているのかと思った姉からそう小声で窘められて、アベルは視線を外にやりながらその不満を小声で口にした。

 窓の外はようやく薄闇が赤くその色を変えようとしている頃だった。

 日が昇るにはまだ少しある。王都といえども、まだ人影はまばらで家の中でちらほらと灯りが点っているだけだった。

「…クレアの寝不足の原因になった人が何を偉そうに」

 その言葉に、アーマニの口角が持ち上がる。

「本当にわたくしの弟はお馬鹿で仕方がないわね。あんないろいろなことがあった一日の終わりを、クレア一人で過ごさせる訳にはいかないでしょう?」

 抑圧からの解放、しかし、それを一緒に喜ぶ筈の兄は倒れてしまった。

 使用人のことも、実父達に下される沙汰についても、クレア一人で背負うにはその肩は小さすぎる。

 一緒に笑って泣いて、その温かさを近しく感じることのできる相手と過ごす必要があったのだとアーマニが諭して聞かせる。

「それに…わたくしにはこれから向かう先にある場所に立つ前に、クレアに懺悔しなくてはいけないこともありましたからね」

 寂しそうに目を伏せる姉の顔を、アベルはそれ以上見ていられなかった。



 リーディアル侯爵家領地を見下ろせる丘の上。

 春という季節に相応しい色とりどりの野の花に囲まれた場所に、その墓所はあった。

「初めまして。フォルト王国王太子アルベール・フィル・フォルトと申します。今日は、ご息女クレア・リーディアル嬢との結婚のご挨拶にお伺い致しました。こんな美しく聡明で頑張り屋のクレア嬢との結婚を許して戴いて光栄です。必ず幸せに致します」

 婚約が成り立ったのは、アベルが生まれてすぐの事だった。だからもう17年も前の事になる。

 しかし、こうしてアベルがトリントン王国リーディアル侯爵領に足を踏み入れたのは今日が初めての事だ。

 王太子であるアベルが、次にいつここへ来られるか判らない。

 だから花束だけでなく、リィンの好きだったというレースフラワーの種も一緒に用意した。帰る前に、クレアと一緒に墓所の周りに撒いていくつもりだった。

 そうして、その隣にある墓所にも手を合わせた。

 クレアとの婚約を許してくれたことに対する感謝だけでなく、その偉大なる功績と、多大なる配慮に向けての感謝と共に。

「ガイル様、ガイル・リーディアル前侯爵様。あなたのお陰で姉はその人生を無為なものとせず明るいそれを選び取る機会を得ることが出来ました。今でも父や母、もちろん私もあなた様への感謝を忘れずに暮らしております。そうして、まだ赤ん坊でしなかった私にクレアとの結婚を許して下さったことに何よりの感謝を。ありがとうございます。そのお心に背くことのないよう努めて参ります。必ず、クレアを守ります」

 そうして、すぐ横に立っていてくれた婚約者の手をぎゅっと力強く握りしめた。

「アベル様。ありがとうございます」

 信頼の光が灯る瞳に頷いてみせる。

 そうして、どうしても自分がしなければと思っていた挨拶を済ませたアベルは晴れ晴れとした気持ちでその丘からの眺めを見下ろした。

 その横に立つ、愛しい人と一緒に。

「少しだけでいい。領地を案内してくれないだろうか」

 アベルがそういうと、クレアが後ろにいるアーマニを振りむこうとした。それをそっと腰に手を当て振り返らないように遮る。

「ごめんね。少しでいいんだ。姉上とサリーの二人に、時間を上げて欲しい」

 アベルは、何の為の時間かは口に出さなかったが、クレアにはそれで十分だった。

「はい。では、幼い頃のユニスお兄様と私が転げるように走り回った小径や、日曜の礼拝を受けた教会などがすぐ傍です。そちらを廻ってみませんか」

 そう言って、クレアは静かにアベルを先導してくれた。


「お久しぶりですね、クレア様。お元気そうでなによりです」

 そういってクレア達へと声を掛けてくれたのは、教会の牧師だった。

「ご無沙汰しております、マリド牧師様。お陰様で、先日ようやく学園を卒業致しました」

 そうして、牧師の視線がクレアの横に立つアベルに向いているのに気が付いて頬を染める。

「アベル様、こちらリーディアル侯爵領の教会を取り仕切って戴いているマリド牧師でございます。マリド牧師様、こちらが、その…わたくしの…」

 身内以外の人に向かって、自分の婚約者だとアベルを紹介するのは初めてだと思った瞬間、クレアは真っ赤になって言葉が口から出なくなっていた。

 その様子に、ふたりの男たちはくすりと微笑ましく笑い、アベルは自ら紹介することにする。

「初めまして。私はクレア・リーディアル侯爵令嬢の婚約者アルベール・フィル・フォルトです」

 フォルト王国王太子であることは敢えて言わなかった。

 婚約者だと告げた時、牧師の瞳がきらりと煌めき、それを知っていることは判っていたからだ。

「貴方様がクレア様の御婚約者様でしたか。ようこそいらっしゃいました。よろしければお茶でも如何ですかな」

 その誘いには「残念ながら他にも連れがおりますので」と断りを入れつつも、教会への見学だけはお願いした。

 その古くて小さな教会は、手入れの行き届いた美しい教会でもあった。

 正直、領地の経営について実父バスコ・リーディアルは熱心とは言い難く、興味があるのは一切を任せた家宰から送られてくる資金のみ。

 お陰で、領地運営に関する資金の使い方は前公爵であるガイルの仕切りを踏襲したものとなっていたのだった。

「ここは、代々のリーディアル家の者が洗礼を受ける場所でもあるのです」

 ステンドグラスの柔らかな色彩を通した色彩豊かな光が、そういって祭壇に向けて静かな視線を送るクレアの小さな顔を照らしていた。

 組み合わされていた白い手が、そっとその光を受け止めるがごとく静かに前へと差し伸べられた。

「ホラ。あそこのガラスが一枚だけ色がズレているのが判りますか? あれはユニスの悪戯のせいなのです。幼い頃、教会の天辺に上ろうとして、あそこのガラスを割ってしまって」

 その時の事を思い出しているのだろう。くすくすとクレアは笑った。

「お祖父さまにものすごく怒られて。『あのガラスを作った職人が、どれだけの努力を重ねてあの色と形を作り出したのかも判らん子供め』って。ガラス職人のところに連れて行かれて、自分であの色ガラスを作らされたんです。だから他より分厚いし、色もまだらなんです」

 そこまで言うとクレアは笑い止んで。

「『あれだけのものを作り上げる根気と努力に対して、敬意を持つのが当然だろう』って。神の御座す教会に土足で上ろうとしたことより、職人への尊敬が上に来る、そんなお祖父様でした」

 そう、クレアが懐かしそうに語る姿を、アベルは静かに見守っていた。


 牧師と教会に別れを告げ、新緑の眩しい静かな小径をふたりだけで来た道とは違う遠回りしながらゆっくりと戻る。

「そういえば、ユニスの具合はどう?」 

 誰かが綺麗に整備しているのだろう。登った先にあるのは領主である侯爵家代々の墓地だけの坂道は、雑草も綺麗に取り払われ平らに均されていた。

 ぱきりと小さな小枝を踏み抜いた音がする。

「朝、様子を見た限りではまだお薬が効いているのか寝たままでした。表情は落ち着いているようでしたし、お医者様の言う通り、それほど心配はないと思います」

「そうか。良かった」

 無理がたたって寝たきりにでもなったら大変だ。

 これからはユニスがリーディアル侯爵だ。その血を引き継ぐ者として、領地を率いる事も為さねばならない。

 アーマニからの口添えとして、王宮へは『ユニスとクレアの兄妹はあくまで被害者』『王宮の文書官までが幼い兄妹の未来を食い潰そうとするなんて恥を知るべきだと思いませんか』というように罪を背負うべきはあくまでバスコ・リーディアルと文書官であるという方向へと誘導してある。

 王宮側としてもその管理責任を追及されずに済むならその話に乗ると思われるが結果が出るまではどうなるか判らない。

 ただ、もしリーディアル侯爵家が無くなろうと、アベルはクレアと結婚するし、アーマニはユニスを自分の子とも孫ともして庇護するつもりである筈だ。この二つは絶対だ。

 けれど、前者はともかく後者については、祖父と母の墓所のある地から切れるということだし、できればその選択はしたくないと思っている。

 だから今はそれを口にすべきではないけれど、少しでもクレアの不安を取り除きたい、安心させたいとアベルは考えていた。

 そんなことを考えていたからだろう。アベルの表情は、自分では気が付かないまま、ともすれば怒っているのかと思われるような怖い顔になっていた。

 その頬に、つん、とクレアの白い指が突き当てられた。

 びっくりして、アベルは思いのほかすぐ近くにあった笑顔のクレアを見つめた。

「私のこれからについて、おひとりで悩んでいらしたのですね? アベル様はお優しいですね。でも、私に寂しい思いをさせないと約束して下さったからには、悩む時も一緒に、ね?」

 おひとりでむっつりと思案に暮れている横にいるのは寂しいです、と懸命に言葉を探しながら伝えてくるクレアに、アベルの愛しさが募る。

 ──あぁ。自分の追い求めた女性は、本当にすばらしい人だった。

「ごめん。そうだったね。ちゃんと話そう。一緒に考えよう」

 アベルの言葉に、クレアは嬉しそうに頷くと、そっとその手を取り繋いだ。

「でも、悩むよりも今しかできないことを一緒に体験して下さい。私が生まれ育った場所です。全部見て、覚えて行ってくださいね」

 そうして二人は、無邪気な笑顔になって手を繋いだまま小走りに小径を進んだ。

 仲の良い幼子が、幸せに遊ぶ姿そのままに。





一時間ごとに次話が更新されます。

第二章全7話予約投稿済。本日18時に完結予定です。

読む順番にご注意ください。



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