賭け
アルフとルドは酒場のカウンターで食事をとっていた。
ずぶ濡れだった衣服は川岸から街まで歩いている間にすっかり乾き、日もとっぷりと暮れていた。
「あのー、申し訳ありません、アルフ様の従者ともあろうものがあまりにも信じられないことを聞いた気がして・・・・・・、耳の穴をよーーーーくかっぽじり、心して聞きますのでもう一度言っていただけますか?」
「だから、全財産落とした」
アルフは店内でいつものようにフードを目深にかぶり、ダスク国名物のダスク花茶を飲みながらそう言った。
アルフは崖から落ちた時、路銀や生活用品が入った荷物を落としていた。
出来ることなら川に落ちたであろう荷物を探しに行きたいくらいだった。
だが、あの激しい川の流れで荷物を探すなど魚人族でもない限り不可能に近い。
自分が持つ魔力を全開放させ、川を干上がらせればあるいは……などとアルフは考えたが下流のどこに行ったかも分からない上に見つかる保証もない為諦めた。
「じゃあ、目の前にある物はなんでしょう?」
「ベルベド肉の炙り焼きと豆入りのスープと、香草パン・・・・・・、お、こっちのディプタフの白身揚げはなかなか旨いぞ」
「そうじゃなくて! 一文無しなのになぜ酒場で料理を食べてるんですか!」
そう言った瞬間、酒場の店主がアルフよりも目を鋭くさせ、ギラリと目が光った気がして、ルドは気が気ではなかった。
「はあ? 誰が一文無しだって?」
「誰って我々が」
ルドがそう言うと、アルフは手にしていたフォークから肉が落ちた。
肉はコロコロとカウンターテーブルを転がり、床へと転げ落ち、無残にも店員や冒険者達に踏まれていった。
「おい! なんでお前まで文無しになってんだよ! 普通に酒場に付いてくるから金くらいあると思っただろうが!」
「あああ、アルフ様、声を落として!」
酒場の店主が再びアルフ達を凶悪な顔で睨みつけた。
ルドはこのままだとあの店主の手に持つ、大きく、とても切れ味の良さそうな包丁の錆にされる、そう確信した。
「それを言うなら私だってまさか金銭を持たずに酒場に入ろうだなんてすると思わないじゃないですか。ま、まずいですよ、無銭飲食だなんて絶対あの店主に殺されますって」
「お前、所持品は? 俺は身につけていた衣類と武器しか残ってない」
ルドは知識が多い分普段から薬の精製を得意としていた。
運が良ければ酒場に居る旅人や商人などに売れそうな物が残っているかもしれない。
ルドは懐をまさぐるとため息をついた。
「うーーん・・・・・・、残念ながら作りおきの薬は全部流されましたね。あとは召喚用の札が三枚ですが・・・・・・これは売れそうにないし・・・・・・・・・・・・あ! アルフ様! やりました! とっておきのやつが残ってましたよ! 大切に奥の方にしまっていて良かったです」
得意気な顔でルドが懐から出したのは透明な小瓶に青く透き通った液体が入れられたものだった。
その青は、空の青とも海の青とも形容し難い、この世のものとは思えぬ美しい青色をしていた。
「じゃーーん、エリクシル~、これさえあればどんな怪我もたちどころに治りますよ。まさに医者も真っ青! 一般人には百年かかっても作れないような代物ですが、この私にかかればたったの三ヶ月で製作可能! ただ、費用はバカ高いですが・・・・・・」
エリクシルはいざという時に一つだけ用意していた切り札のような物だった。
切り札と言っても、金欠で使うことになるとはアルフは想像もしていなかった。
「・・・・・・それ、売るのはいいとしていくらの価値があるんだ?」
「そうですねぇ、安く見積もっても五億ダルクですかね」
五億ダルク、それは立派な豪邸が五つは買える金額だった。
「ほう、五億、それで? この酒場にその額で買ってくれる奴が居るのか?」
はたと、ルドは辺りを見回した。
軽快で愉快な音楽が奏でられるこの酒場に居るのはむさ苦しい兵士達に、冒険譚を語る旅人達に、店員の女の子にちょっかいをだしている農夫にと、彼らの身なりをどう見てもボロボロな衣服は絹には見えないし、ボコボコと凹んだ鎧も伝説の鎧には見えず、とても五億ダルクを持っているとは思えなかった。
「・・・・・・あ! 五万ダルクまで値引きしちゃいますか? ここの支払いと当面の宿代くらいにはなりますよ」
「アホか! またその薬作る時に大赤字じゃねぇか」
「だって、仕方がないじゃないですか、このままだとあの厳つい店主にミンチにされて、定食にされてしまいます!」
ルドは声を潜めて言った。
店主はこちらを見ながら包丁を念入りに研いでいた。
「だから、こんなところで買い主を探すのがそもそも間違い・・・・・・・・・・・・いや、一人だけ居るかもな」
なにか面白いものでも見つけたかのようにアルフはニヤリと口元を緩めた。
「ええっ、どこに? 一体どこに居ると言うのですか!」
ルドはキョロキョロと見回すもそれらしき人物は見当たらない。
アルフはルドの左横に座る老人を見やった。
そしてその視線にルドも気が付き隣を見た。
その老人はずっとアルフ達の隣でカツカツとグラスになにかがぶつかる音を立てながら、店で一番安い酒をちびりちびりと飲んでいた。
ボサボサの白髪を肩まで伸ばし、無精髭を生やし、穴だらけになった布の帽子、つぎはぎだらけの外套、見た目の年齢の割には鍛えられていると思われるしっかりとした身躯、どう見ても五億ダルクも持っている大富豪には見えなかった。
良くて旅人、悪くて浮浪者のような出で立ちだった。
そして、その老人はこちらの視線に気が付き、酒を飲む手を止めた。
「そこの若いお二人さん、私になにか用かね?」
老人はアルフ達に視線を向けることなくそう言った。
「ずっと隣に居て聞いていただろ? 聞いての通り、少々金欠でね」
「少々? はははははっ! 素寒貧のくせに少々とは見栄をはったものだ。私だって見ての通りこの格好だ。老い先短い老人から余生を楽しむ金をたかろうと言うのかね?」
「ふん、よく言うぜ。あんたがうなるほど金を持っている証拠ならある」
アルフは挑発的に言った。
これは作戦だった。
うまく相手が乗ってくればこっちのものだった。
「面白い、賭けをしようではないか。私が勝ったら……そうだなあ、下僕にでもなってもらおうか。君が勝ったならここの食事代は私が支払おうではないか」
相手がまんまと罠にかかり、アルフは目深にかぶったフードの下でほくそ笑んだ。
「チッ、安いな。まあいい、その賭け乗らせてもらおうか。丁度退屈をしていたところでな。わざとらしいくらい上から下までボロを着ているのは変装だってバレバレだぜ? 『白き鷹の長』さんよう」
アルフがそう言った瞬間、老人の顔が一瞬強張り、余裕の表情は消えていた。
ルドはどういうことなのかすぐには分からなかったが、己の辞典を開くとその意味が次第に分かってきた。
『白き鷹の長』と言えば俗に知っている者は数少ないが、『ウィンドベルグの国王』を指していた。
ウィンドベルグ、それは西の大国であり、数多くの天啓使いも従えている。
その国を敵に回すのは死を意味していた。
ルドは真っ青な顔で立ち上がった。
「どうか今までの非礼をお許しっ、もごがご・・・・・・」
ルドの口はアルフの手で塞がれ、そのまま椅子に座らせられた。
「よいよい、忍んでここに来ている身としてはこんな場所で敬られても逆に私が困ってしまうよ。それで? なぜ分かった?」
「簡単なことだ。さっきから気になっていた。あんたが酒を飲むたびにグラスになにかが当たる音がな」
アルフは自分のグラスを指で弾いてみせた。
「それは右手の人差指にある指輪・・・・・・いや、印章が当たる音だろう?」
ルドはアルフの言う指輪を見た。
それは一点のシミもない、純白の指輪だった。
「ぱっと見は刻印が彫られた面を内側に回してはめているからただの白い指輪にしか見えない、だが、それがグラスにぶつかりやすくなり音を出していた。そんな面倒くさいことをするのはなぜか? 刻印で身分がバレることを恐れて印を内側にしているとして、だったら邪魔な指輪は外せばいいだけだ。だが、この世には四つだけ、指を切り落とすか、死ぬまで外せない指輪が存在する。その内の一つがあんたの持つ印章だと考えれば指輪の色からして、その印には白い鷹が刻まれているだろうよ。西の大国、ウィンドベルグの象徴がな」
そうアルフが言うと老人は豪快に笑い出した。
「はっはっはっはっ、見事だ少年」
白き鷹の長はアルフの出した答えに満足そうな顔をした。