第一話「行ってくる」
2024年6月20日、異世界転移規制法が施行された。
異世界転送技術の供給が安定・一般化し、2022年に異世界転移ビジネスが横行した結果、大手異世界転送会社が良質な異世界転送サービスの提供を開始する裏で、安価で粗雑な異世界転送を行う悪徳業者による、生命にかかわる重大な転送被害が蔓延していたことが、今回の法律制定の切っ掛けだった。
施行前は、大手転送会社に比べ五分の一の価格という破格な値段設定のもと、世紀末状態の異世界や、雪山の山頂への強制転移などの粗悪な転送サービスが社会問題となっていたが、施行後その問題は一気に沈静化し、通信事業のように大手企業による転送ビジネスの独占が行われ、事態は収束した。……表向きは。
「……お客さん、本日の営業は終了しましたが」
「……鬼丸さんの紹介なんですけど」
「ああ……。現金前払い、五・七・〇ね」
繁華街の一角にある製本屋。論文や同人誌の製本を生業にしている店だが、夜になり通常営業が終了すると、昼間の業務とは打って変わって、裏転送サービスを提供する店へと変貌する。
製本屋一本で生活できるほど今の日本は優しくない。タブレット端末の普及によるIT化が更に進み、論文や同人誌などはデジタルファイルで共有されるようになった。つまり、この製本屋には誰一人として客は来ない。最初から店のシャッターは降りているのだ。
夜になってはじめて店のシャッターは上がる。そして、今では本業となった裏転送サービスを、このオッサンは法律の目をかいくぐって提供しているのだ。
「四・七・〇じゃ、ダメですかね……? 今あんまお金なくて……」
「うちはずっと五・七・〇でやってるんだ。君だけ下げるわけにはいかないよ」
五・七・〇という数字の並びは、前から五万・七日・支払い後の返金無し、という意味を示している。警察対策で暗号化するようになったらしいが、実際この暗号はインターネットで調べれば誰でも分かるため、無意味と化している。ただ、このちょっとアングラな雰囲気が俺は好きだ。
「……分かりました。でも、できるだけいいとこ転送してください! ……前回は酷かったんですよ、着いたら女の子のお風呂場で! 『のび太さんのエッチ!』なんて叫びながらビンタされちゃって、警察連れてかれて……。そもそものび太って誰だよ、って感じで……はは」
「まあ、大手さんじゃないから、転送位置が多少ズレるのは仕方ないことやから、そこは勘弁して欲しいね。んん……ああ、最近一つ観測した異世界があったんだ」
俺のクレームは軽く流れていった。まあ、大手のように設備が整っているわけでもなく、人員も少ないわけで、安全かつ良質な異世界を観測するのも難しいというのは理解している。
しかし大手ほどのサービスを期待しているわけではないが、やはり少しはまともなところに行きたいところだ。
「ええと、異世界ウィル・エルム。これが今月の新プランだね。まだ誰も行ってないから、異世界没入感は高いよ」
差し出されたパンフレットを確認する。
[世界観:中世ヨーロッパ風]
[危険レベル:地球程度]
[異世界没入感:良]
[タイプ:人間]
[備考:やや臭う。]
と書かれていた。
中世ヨーロッパ風か……。このワードが入っているプランの地雷率は高いというのは裏転送界では有名で、殺されても自殺しても死ぬ前の時間に戻され、最後には精神がズタボロになった奴がいるという噂は、俺達転送趣味界隈に衝撃を与えた。
その後は利用者が中世ヨーロッパ風プランを避けるようになり、今では中世ヨーロッパ風プランはかなり安くなってしまった。
ただ、危険レベルが地球程度というのは安心できる。交通事故はあっても、モンスターは出ないということだろう。
しかし、この備考にある、やや臭う、ってのは……。
「ああ、どんなだったかな。あんまり覚えちゃいないけど、戻ってきたら忘れてるくらいのもんだ。地球内の海外旅行でも、そういうことはよくあるだろう。気にすることもないさ」
「……一応、他のも見せてもらっていいすか」
申し訳ないが、このプランはリスクが高い。裏転送業者には良くあるんだ、この「やや臭う」がとんでもなく臭うってパターンが。それでいて臭いの感じ方は人それぞれって感じで、クレームも通らない。
ちなみに、前回は[備考:ロボットと子供に注意]だった。結局、七日間ずっと留置場にいたから、ロボットについては何のことか分からなかったけど、急に風呂場に現れた男を迎撃できる子供がいるわけだから、注意どころでは済まない治安の悪さだったに違いない。
「今はもう、戦国時代風とか、原始時代風とかの危険なところしか残ってないねえ……。いいところは大体、ほかの業者に売っちゃったから」
「目に見える地雷しか残ってないじゃないですか……」
「そろそろ潮時かなってね。……どうだい、今回は新プランに限り、五・十四・〇で。破格だろう? それに、これを逃したら、もう二度と行けないかもしれないよ」
十四だと!? 二週間で五万は、確かに破格も破格。平安時代風の同プランだと二十五万はくだらない。
「決まりだな。準備するから、装置の中で待っててね」
……結局、日数に目がつられ、俺は中世ヨーロッパ風の異世界に転送されることとなった。オッサンは転送装置にプログラムを組み込み、行き先を確定させる。
何か重要なことを忘れているような気がする。
しかし、そこに気付く前に、俺は異世界へ転送された。
「良い旅を。……ま、死にはしないよ」
転送装置を起動させた製本屋のオッサンの不敵な笑みが、俺が地球で見た最後の景色だった。