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喜一のはなし  作者: 喜一
1/1

人の親切が胸に痛かったはなし

それは昨日のはなしでございます。

雨が降っていました。昼から八時間ほどをマンガ喫茶で過ごした拙は傘など持ち合わせてはおりません。しかし、そこは仕えるべき主もいなければ養うべき家来もいない気楽な浪人生活(つまりは無職)。雨に濡れるも一興と、歩き出しました。

実は拙、その日は久方振りの里帰りでございました。場所は東武東上線志木駅南口。南口、というのは、志木駅は線路を挟んで南口は新座市になるのです。蛇足でありました。

さて、この志木駅。少し歩けば慶應志木、立教大学、立教高校があり、少し離れれば、女子大が二つほどあります。つまり、この辺りは学生街だったのです。

しかし、その影はほとんどありません。以前は数軒あった古本屋が姿を消していたのです。

新座志木中央病院の前を過ぎ、サンケン通りに入る手前で拙は足を止めました。

そこは、今は昔、中学生の頃、春画を買い求める時にお世話になっていた古本屋です。拙は低く重い空を見上げました。世の儚さを憐れんだのではありません。無限に降り落ちる雨水を舐めていたのです(マジ話。なぜそんなことをやったのかは本人にもわからない)。彼女が拙に声かけて下さったのは、その時です。「あの、大丈夫ですか?」

拙は顎を突き出したまま、眼球だけを動かして声の主を見ました。年若い女の人でした。ハスキーな声、少し地味な服装ピンク色の傘のコントラストは拙には眩しいほどです。舌を突き出したずぶ濡れ男と目が合っても、身を引かず、わずかに差し出したピンク色の傘を引いただけだったのはたいしたものです。

拙は舌を引っ込めて、彼女を見上げました。拙は背が低いため(153センチです。)精神的な面だけでなく、実際にもそうなったのです。彼女のドン引いた顔を見ずに済んだのは、水滴で、メガネが曇っていたからです。

彼女は一歩だけ拙に近づくと、控えめながらピンク色の傘の中に拙を入れてくれました。

「えっと、どちらまで行かれますか?」

彼女の言に拙は押し黙りました。その時に考えた邪な想像は、とても話せません。

そして、拙は言いました。

「あの…、お気になさらず!」

拙は彼女を背に駆け出しました。冷たい雨の中、ひたすら走りました(BGMはお任せします)。

拙は走るのを止めると、低く重い空を見上げました。頬を伝う水滴は決して涙ではありません。なぜなら、その日は雨が降っていたから。

そんな27歳、春のお話です。

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