第十五話 夜風を浴びて
「「おおぉ!」」
男二人、旅館の温泉を見ながら感動していた。二人がこんなところに来るのは初めてだからであった。
早速頭と身体を洗い、露天風呂にて「うぃぃぃ」とおっさん臭いこと言いながら湯に浸かる。
「いい湯だな」
「こういうのもいいな」
足の先から首の付け根まで湯に浸かるとそんなオヤジくさいことを言う。
空を見上げると綺麗な星空が広がっていた。二人はそれに見とれながらいつもの馬鹿話とは違って落ち着いた口調で話をする。
「それで、最近どうなのよ?」
連太郎が千早に調子を聞く。
「どうって、何が?」
「そりゃ如月とだよ」
「椎名と?別に普通・・・」
「それで俺の事情聴取が終わるとでも?」
「変に言うことでもねーよ。別にいいだろ?俺と椎名は友達、友達。それ以上でもそれ以下でもない」
「はぁ、そんなこと言ってたら如月他の男に取られるんじゃねーの」
その言葉に千早は背中を更に岩に預け、楽な姿勢になる。
「あのなぁ、椎名は俺のことなんて異性として見てねーよ。あれ、友達以上恋人未満ってやつ。そう思わないとやってられんよ。俺は」
「それはどうだろうな」
「そんなこと言うなよ。期待するだけ無駄。大きく希望して落とされるのも、もう嫌だからな」
千早にはこっ酷くフラれた中学三年の夏がある。その頃は千早は椎名のことなんてただの友達としか見ていなかっただろう。
その苦い記憶のせいなのか高校に入って意識し始めても次の段階へと移行することは出来なかった。
「まー、そりゃ誰だってあるよな」
連太郎の言う通り。誰だってトラウマや、心の中に蓋をしたい気持ちはある。それを超えた時にきっと人は成長出来るのだろう。
しかし、今乗り越えられるほどのきっかけはなかった。
千早自身、椎名のことが好きだという気持ちには薄々気づいている。だが、そこから先に一歩踏み出す力はない。
彼女が欲しいと口では言うものの、行動はしないし、積極性もない。冒頭で説明した通り、やはり矛盾の多い人間だ。
彼もそれは自覚している。
だから、それは茶番だ。千早がバカの一つ覚えのように「彼女が欲しい」「リア充滅びろ」と言うのはネタだ。率直な意見かもしれないが、「どうでもいい」というのが本音である。そんなものはただのキャラ作りだ。
「だからさ、もう俺はいいんだよ。前に進むことに対する不安と、現状維持にある安らぎを求めたかった」
「って、言うけどさ。リスクもなしに前に進めると思っているのか?」
「・・・手厳しいな。そんな正論を連太郎から言われるなんてな」
「真面目な話、お前が如月に告白してフラれたら今のグループはきっと終わるし、気まずいまま卒業するだろ」
「なら、それでいいだろ。現状維持で」
千早がそう言うと連太郎は今一度空を見た後に言う。
「だけどさ、俺はそれでもいいと思う。結構、千早とはこの一年半で色々あったけどそこそこ親友だと思ってるんだぜ?その親友に好きな人がいるんなら、なんとかしてやろーと思うのが俺だよ」
「お前言ってて恥ずかしくないのかよ。正直、余計なお節介だ。俺は自分に自信がない」
「自尊心の欠片もないな」
「そういう人間だっている。代表例がこの俺。勘違いのお調子者だけにはなりたくないだけ」
そのまま肩まで千早は湯に浸かると今一度肺に溜まった息を吐く。
「恋愛ってめんどくさい、難しいな千早」
「不器用なんだよ、連太郎」
二人はそう言い合うとまた一緒にため息を吐いた。
それから少し眠たくなって来たのか欠伸をしながら湯から出る二人。用意されていた青色の浴衣を着ると荷物を持って部屋に戻る。既に女性陣の方はあがっていたようで料理の運ばれている席へと座っていた。
「二人共、お料理運ばれているよ」
「おう」
遅れながら千早と連太郎は席に着く。
テーブルの上には豪華魚介類コースが広げられていた。魚の刺身や天ぷら。お寿司、塩焼き。などなど、あまりにも豪華すぎるその光景に四人は思わず喉を鳴らす。
晩御飯を食べ終えるとちょっとしてから従業員が布団を敷に来て、四人は真ん中二つの布団に集まってカードゲームやら馬鹿話で盛り上がる。
そうしてぐうぐうと夜は超える。
「ん・・・」
パチッと夜中に目が覚めた千早。その腹には隣でボケーと寝ている連太郎の足が突き刺さっている。取り敢えず、持ってきた筆記具から油性マジックで彼の頭にバカと書くと、部屋から出る。一応、部屋は二人部屋で二つとっていたので男女別である。十二時を超えた辺りで明日もあるということで別れた訳である。
だからといってここで千早が女子の部屋に行くかと言われればそんな根性、非常識さは持ち合わせていない。
そこで彼が向かった先は風呂だった。
この温泉旅館のお風呂は珍しく二十四時間営業している。時間にして三時過ぎ。千早は一人涼しげな露天風呂に入る。
サッパリして戻るその途中、流れる川のせせらぎを聴きながら一人携帯をいじる椎名の姿が見えた。
浴衣姿の彼女は肩まである髪の毛を束ねてポニーテールにしている。お風呂上がりはいつもこのスタイルである。先ほど見ていたはずなのに妙な新鮮さを千早は感じていた。
「よ」
「千早・・・どうしたの、こんな時間に?」
「それはこっちのセリフ。まぁ、俺は目が覚めたからお風呂入ってきた」
「そうなんだ。ああ、だから湯上りみたいに見えるのか。私も目が覚めちゃって。携帯に来てたメールチェックしてた」
「ん、そか・・・なぁ、ちょっと歩かないか?」
その言葉に椎名は『うん』と言って歩く千早の隣に移る。
温泉旅館のもう一つの目玉としてこの旅館の間を通っている川がある。その川を見ながら横を歩くというなんとも風情なものだ。
月明かりに混じる灯火の下を二人で歩く。
「風呂上りの夜風は気持ちがいいな」
「確かにそうだね。なんか、色んなことが遠くに感じるというか」
「それは間違いない。結構こういうのも悪くないな。まぁ、なんだ。来て良かった」
「ふっふーん、でしょ?」
「何故ドヤ顔?当てたの俺だからね」
「はいはい、そーですよ。屁理屈男さん」
「おいおい」
そんな二人のいつもと変わらない会話。異性だけどそれを超えた友達。だけど、意識してて、変わりたくないって思ってて、それでも伝えたい気持ちがあって。
矛盾した気持ちを軸にしたまま千早は言葉を紡ぐ。
分岐点。
それが、今なんかじゃないかって彼は思った。
連太郎と風呂で椎名との話をしたせいなのか、余計にそういったことに対して意識してしまう。
「どうしたの?暗くてよく見えないけど、顔が赤く見えるんだけど?風邪?」
気づけば千早の顔近くに椎名の顔がいきなり飛び出てくる。千早は一瞬驚きつつも言い返した。
「っ・・・ばっか、そんな訳ねーよ。あれだ、湯上りだからだよ」
「ふーん、そっか。千早寝相悪いから、風邪ひいたのかと思った」
「大丈夫」
カランと下駄と地面が擦れる音を耳にしたと思うと、ゆっくりと椎名の体が揺れる。そして、そのまま地面に向かって転ぶ。
あっ、と思った時には既に遅く『っ!』と椎名は地面に手を着いた。
「何やってんだよ。ほら、起きろ」
椎名の正面に移動した千早は倒れている椎名に手を差し出す。ちょっと変なところを見られてしまった椎名は恥ずかしそうにその手を握り、立ち上がった。
それと同時に千早が手を離そうとした時、逆に椎名は握り返してきた。何事かと思った千早なのだが、俯いて何かを伝えようとしている椎名を見て黙る。そして、そのまま千早からその手を握り返した。
そんなことを思ってもいなかったのか、椎名は一瞬驚くが千早は強引に手を繋いだまま歩き出したので、それに合わせて彼女も歩く。
「「・・・・・・」」
そんなこともあった為、二人の沈黙は少し気まずそうになる。打ち明けてしまえば互いに直ぐそこまで近づける。だが、その中にあるちょっとした不安が二人を思い止ませる。
そして、千早が口を開いた。
「そ、それじゃぁそろそろ戻るか」
一瞬千早の脳裏に告白の二文字が浮かんだ気がしたが、直ぐにそれを取り払う。
「え・・・あ・・・うん」
その提案に椎名は乗っかり、一緒になって来た道を戻り始める。緊張のせいなのか、二人の掌は汗ばんでいる。
「あー、連太郎の奴俺の布団奪ってないかなー」
「え、連太郎君ってそんな寝相悪いの?」
「あいつ、俺の腹蹴ってきたからな。ったく・・・まぁ、今に始まったことじゃないけど」
「へ、へぇ・・・そうなんだ。恋奈は普通の方なのかな?割と寝付きは良い方だと思うよ」
「お前は寝相悪そうだけどな」
「そのセリフは千早だけには言われたくなかった」
「まぁまぁ、そんじゃぁ寝ますか」
部屋の前まで着いた二人。少し名残惜しいも千早が軽く椎名に手を振ると、彼女は少しだけ寂しそうな表情をしてから部屋に戻った。
変わってしまうというのは非常に寂しいことである。今が落ち着いて、安定して、心地が良いと思っていれば思っているほどその気持ちは強いものになる。
彼の視線には先ほどまで彼女のいた扉の前である。何故、もっと前に出ないのか。そう自分自身に問い詰めるように千早も部屋の中に戻った。
「ねぇ、連太郎君」
「どうした、四ノ宮?」
「この二人ってさ、やっぱり仲いいよね」
「・・・はは、その通りだな。割って中入るのも、無粋みたいだな。こいつらには」
そうニヤニヤと笑う二人の視線の先には、お互いに肩を寄せ合って寝ている千早と椎名の姿がある。
そんな旅行帰りの電車の中であった。




