第十三話 深夜のマーライオン
「へ?いや・・・え?待って!」
「いいじゃん、エッチしようよ」
床に背中を預けている千早は若干の身の動かしづらさを感じつつ抵抗を試みるが、彼女は強引千早の両腕を押さえつける。
「いやいや、だからダメですってペンドラゴンさん!」
「違うよ、私は叶多明子。ねぇ、エッチしようよ」
そう言いながら明子はゆっくり唇を近づけて来るが、ほんの数センチになった時にいきなり明子の様子がおかしくなる。
まるで何かを堪えているかのような表情で、徐々に顔色が青くなっていく。
「え・・・いやいや、待って。冗談でしょ、嘘でしょ」
その様子から推測されるであろう今後を確信した千早は強引にも暴れるのだが、何気に強い腕力を寝起きで振りほどくことは出来ない。
「ごめ・・・・無理」
ランラ♪ラランラ♪ラララララン♪ラララン♪
なんということでしょうか。数時間前までお淑やかに微笑んでいた美少女が、とんでもない顔をして胃の中にあるものを吐き出しているではありませんか。まさにその姿はマーライン。
(拝啓、母上父上。私、十村千早は今日も元気に過ごしております)
十五分後。
騒ぎによって夜中の二時に全員が何事かと思って目を覚まし、現在部屋の中央にて正座している明子。そして、それを睨む千早がいた。
「いや、ホントマジで止めてくださいよ」
「あの・・・その、すみませんでした。私、お酒を大量に飲んじゃうと寝起きゲロをしちゃう癖があって」
「言い訳は聞いてません」
「ひぃ、すみません、すみません。馬乗りにしてゲロ吐くのなしですよね」
明らかに怒りを見せる千早に怯える明子。若干涙目になる明子を見て萌えと思ったのは千早は心の中に留めておくことにした。
説教が終わると「まぁまぁ」と言いながら猫男が中に割って入る。
「うーん、けどなんか目が覚めちゃったな。どうする?」
オタクがそう言うと猫男がゴソゴソとテレビの下を漁ってDVDのパッケージを一つ取り出してきた。
そこには『アンロック』というタイトルがあった。
「それって、去年流行ったホラー映画ですか?」
OLがそう尋ねると猫男が頷く。
ホラー映画、アンロック。去年上映されたホラー映画の一つで、そこそこ有名な映画である。
千早も見ようと思っていたのだが怖いという噂から結局見ることが出来なかった。
「まー、丁度いい機会だし。俺は別に見てみようと思いますけど」
「私も見てみたいな」
千早がそう言うと明子もそれに賛同する。オタクもOLも同じ意見だということでDVDをセットする。なんの躊躇もなく猫男はテレビを点ける。
内容はやはり有名なだけあって雰囲気がある。古いアパートに引っ越してきた一人の男が呪われた部屋や恐ろしい住民たちによって恐怖を味わう話である。
特にこの映画で重要となるのはアンロック。つまり鍵が開く。毎日毎日深夜に自分の部屋の鍵が開く。だが、その扉は開かない。
奇妙な呻き声がする隣の部屋や、燃えるゴミの日には大量の髪の毛が捨てられたり、そんな不安と恐怖に苛まれる日々。男の精神も徐々に削がれる。
そして、そんな日々に嫌気がさした男はとうとう深夜に扉の鍵が開いた時、勢いよく扉を開けた。
「いい加減にしろ!」
だが、そこには誰もいない。
男が「なんだ」とホッとして再び扉を閉める。そして、ベットに戻ろうとした時再び鍵が開く。そこにいたのは・・・。
「「「「・・・・・・・・」」」」
言葉で申し訳ないが、演出、俳優の演技や独特のシナリオがもたらす恐怖の連鎖は十分にビビる要素であった。
映画が終わり時刻にして三時半過ぎ。まだ夜が明けることはなく、少し広い部屋に妙な緊張感を持つ。
「いやいや、普通に怖かった・・・うん」
「「「「・・・・・・」」」」
シーンというホラー映画見た後のその妙な緊張感は更に続き、彼ら五人の空気を完全に飲み込んでいた。
千早が言葉にするが誰もそれに答えようとしない。
「あの、誰か喋りませんか?」
「えっと、あの予想以上に怖くて・・・」
「うん・・・なんか」
そう言っていると、猫男が一度しまっておいた酒をグラスに注いで恐怖をかき消すように一気に喉の奥に流し込んだ。
それで気分が紛れたのか、猫男はホッとする。それを見た他のメンバーも気分を紛らわすためにそれぞれ酒を手に取る。
しかしながら未成年である千早は酒を飲むことが出来ず、なんだかもどかしい気分を味わっていた。
(ちょっとぐらい飲んでみたいな)
そんな気持ちを汲み取ったのか、比較的濃度が薄い酒を千早に出すのはOLである。
「こんくらいのならいけるでしょ?まぁ、大人への第一歩ってことで」
「いいんですか?」
「無理に飲ませることは出来ないけど、一杯ぐらい大丈夫でしょ」
グラスを受け取り炭酸の泡を少しだけ眺めた後に千早は意を決して口にする。果実酒なので仄かに香る甘い匂いと子供にしてみては少しだけ苦いように感じるアルコールを
味わう。
「うーん、こんなもんなのか」
「まーまー、大人になった分かるものもあるし」
「ですね・・・けど、ちょっと癖になりそうな感じも」
そうごくごくと千早はグラス一杯の酒を飲み干した。もう一杯いける気がするも、これ以上は彼の自制心と周りに迷惑がかかるかもというものから止めて、ジュースへとシフトした。
ただ千早が懸念しているのは、ただいま隣でグビグビとウィスキーを飲んでいる彼女、明子のことである。
「あの、ペンドラゴンさん。ほどほどにしてくださいね」
「ろーけー、ろーけー・・・お姉さんに任せなさいお!」
「おい、誰かこいつをなんとかしてくれ。流石に二回目のゲロをぶちまけられるのは勘弁だ」
そう千早が訴えるもほろ酔い状態になってきた他のメンバーは聞く耳を持たず、各々ゲラゲラと笑いながら話をしている。
頼みの綱の猫男は先ほどからソファーにていびきをかいている。
そうこうしていると明子の様子がだんだんとおかしくなっていく。
「いやいやいやいやいやいやいやいや!!!」
「いやいやって、何が嫌なの?」
酔いながらキョトンとする明子は可愛いのだが、直ぐに頬を膨らまして吐きアピールをしてくる。
青ざめるのは千早だ。
「・・・・もう、あんたとは飲まない。てか、飲ませない」
虚ろな表情をしている千早のズボンに明子のゲロが吐かれたのは容易に想像できる未来であった。
こうして千早は一日に二回も同じ人物からゲロを吐かれるのであった。




