第0章♢異能始業
連投その3です。
元気にやっていきまっせ。
誰もが一度は夢見たことのある、「超人的能力」。
それは少年マンガの定番であり、SFハリウッド映画の代名詞だ。
しかし、何を境に、何をもってそれを「超能」だと示し表すのか曖昧である。
故にそういう異次元空間の中で、また、人々の妄想的空間の中で描かれることが多いのではないだろうか。
今作もそんな創作物の一つだ。
超能な少年少女の物語。
現実逃避のバイブルである。
*
今日は入学式だというのに生憎の曇り空。
申し訳程度に花瓶に入れられた桜の木の枝が、手洗い場の上に飾られているが、花は、2、3輪が開きかけたくらいだった。
その手洗い場を右に曲がって、長い廊下をひたすら歩く。
規則的に並んだどの窓からも、ほの白い光がほんの少しだけ差し込んでいた。
この地域では有名な、私立中学のグラウンドの裏には、廃れた旧校舎がひっそりと残されている。
現在の校舎の人間______つまり、普通学級の中で生活する生徒たち、職員たちにとっては、この旧校舎はもう完全に使われない、いわば廃屋でしかない。
その廃屋の廊下は、やはり薄暗く、些か気味が悪い。隙間風のような音さえ聞こえる。床板はだいぶ軋む。
朝早い時間、そう、今みたいな時であれば一層に空虚に刻が過ぎる。
床板の音と足音だけ、寂しく高く反響を繰り返していた。
しかしそんな「廃屋」の中に、ひとつだけ「世界」が存在する。
2階の廊下の一番奥、ところどころ、白い塗装が剥げ落ちた扉。
頭上の棒に掛けられたプレートは、教室の名を示すはずだが、
もはやなんと書いてあるのかは分からない。
だがそのすぐ真下に、1枚の紙が貼り付けられている。
殴り書きで書かれたそれは、朽ちたプレートの代わりなのだろうか。
“超能学級”
1人の背の高い少年が、その扉を静かに開けた。
「おはよう。」
よく通る声で淡々と告げる。
その目線の先には、数人の人間、あとはごちゃごちゃと、何のためかわからないようなものばかりが置かれていた。
「あら、おはよう、透馬」
とても中学生には見えない大人びた体つきの少女が、甘い香水の香りを漂わせながら振り返った。
赤みがかった長い髪を揺らして、微笑む。
少年は名を透馬、というらしい。
「今日は珍しく早いんじゃない?衣寿」
透馬は朗らかに問い掛けた。
「そうね、入学式って聞いたら、楽しみで。」
そう言って衣寿、と呼ばれた少女は上品に口角を上げた。
休みなど関係なく、ここを溜まり場として使って毎日来ている彼らも、やはり新学年の節目というものを感じるのだ。
「おはよう〜っ!」
続いて透馬に飛びついたのは、明るい茶色のツインテールの少女。
「おはよう、最波。朝から元気だなぁ。」
「あったりまえじゃん!“正義”は、いつも元気でいなきゃ!」
華奢な体からは、朝一番に聞くには少し怯むほどに高らかで溌剌とした声が響いた。
はち切れんばかりの笑顔を向ける、最波、という少女に、透馬は優しく笑い返す。
すると、一番窓際に座っていた少女が、つけていたヘッドフォンを外して、向かっていたパソコンの画面から目線をこちらにやった。
曇り空のような色味のショートカットは、前髪が少し長く、大きな瞳は半分以上隠れてしまっていた。
男とも女ともとれない声色で彼女は告げる。
「透馬か。…おはよう。」
そう言うと彼女は乾いた笑いを浮かべて、またパソコンに向き直り、ヘッドフォンをつける。
そして凄まじい速さでタイピングを始めた。
「紗南子は忙しそうだね、朝から。」
透馬は呆れたように笑ってつぶやいたが、紗南子、という少女には聞こえていない。
透馬は特に何かするということもなく、自席についた。
いつもは、机は乱雑に並べられ、まるで狂った方向を向いているのだが、今朝は入学式ということもあってか、黒板の方をきっちりと向いて整頓されている。
「ねぇあのさー?」
透馬の席に、最波が駆け寄ってくる。
「私、普通校舎の入学式見てみたいんだけどさっ」
そう、「旧校舎に出入りするような人種」の人間は、殆ど普通校舎とは関わりを持たない。
国家機密の学び舎であるゆえに、「超能学級」の生徒たちは、ほぼ隔離されたような状態だ。
実に明快なその声とは裏腹に、少し悲しげに微笑んだ最波に目をやって、透馬は答えた。
「僕は興味ないかな。
小学校の頃の入学式と、さほど変わりはないよ。」
最波は、一瞬驚いたような顔をして、髪の毛先をくるくると巻いていた指先を止めた。
そしてすぐに、ふにゃり、と笑う。
「まぁそりゃそうかぁっ」
「…うん」
感じ取れたのは、超能である自分たちが、いつも何処かに共通して抱えている、それ。
「平凡」を望むことなんて、ただの贅沢な悩みだと、言い聞かせられ、そして自分にも言い聞かせてきた透馬は、最波のそんな思いを、すぐに刈り取るようにした。
支え合うことしかできない。
透馬が優しく頷くと、ガラリと扉が開いた。
「あーだりぃ…入学式だから早く来いって、うちのなんて入学式とも
言えねーじゃねーかよ」
文句を言いながら入ってきたのは、目つきの鋭いいわゆる「強面」の少年。
なんとなくシリアスに沈んでいた透馬の思いは、彼の登場で幾分か霞んだ。
「…仕方ないだろ。」
その後ろには、そう言ってあくびをする黒髪のもう一人の少年がいた。
「あっ、瞬ちゃん!弾!おはようっ!」
最波が立ち上がって声を上げる。
「それやめろっつってんだろ!俺にはちゃんと瞬太郎って名前がな…っ」
瞬太郎、という強面の方が、身を乗り出して反発した。
彼は「瞬ちゃん」という確かにその風貌では腑抜けしてしまいそうな呼び名が気にくわないようだ。
「…おはよう」
弾、と呼ばれた方は、聞こえるか聞こえないかくらいの声でぼそりと答える。
透馬と衣寿も、挨拶を返した。
「あれ?今日、電波女、忙しそうだな?」
思い出したように、瞬太郎が紗南子に目をやる。
紗南子はその視線に気づいてヘッドフォンを外し、そちらを見た。
「そうなんだよ、忙しいんだよ“瞬ちゃん”」
「はっ、おまっ、聞こえてたのかっ!」
涼しい顔をして笑う紗南子に、瞬太郎が険しい顔で詰め寄る。
「それより、さっきお前なんて言った?」
「はいはい、ストップよ瞬太郎。新学年の初日から物騒なことはやめ
て」
瞬太郎の怒りなどどこ吹く風で、紗南子はすぐにパソコンに向かい出した。衣寿が間に入り瞬太郎はため息をつく。
2人は何処か気が合わないのか、いつも言い合いばかりしている。
と言っても、頭の切れる紗南子の巧妙な挑発に、短気な瞬太郎が翻弄されているだけなのだが。
すると不意にそんな教室の喧騒を裂くようにして、ポツリと弾が声を出した。
「来たや。」
目線の先は開け放たれた扉。
そこへ、数人のスーツ姿の男と、1人の幼い少年が現れる。
栗色の癖毛のある髪に、制服の上からいかにも高級そうなジャケットを羽織った少年は男たちの方を振り向くと、
「もういい。ありがとう。」
と一言言い放った。
「とんでもございません。お気をつけて行ってらっしゃいませ。」
男のうちの一人がそう言うと、全員の護衛らしき人物たちが頭を下げた。
「ああ、わかってる」
彼はそう言い捨て、透馬達の輪の中へ入ってきた。
「おはよ〜」
先ほどとは打って変わって、柔らかくあどけない雰囲気。
「おはよう、梅丸」
最波がにこり、と笑いかけた。
梅丸、というその少年も、笑顔を返す。
「梅、今日は遅かったな?」
瞬太郎が首をかしげると、梅丸は、
「みんなが早かったんでしょ。僕はいつも通りの時間だよ。」
と言い、黒板の上の端の方にかかった時計を示した。
「入学式だもの、やっぱりワクワクしてるんだわ、みんな」
衣寿が、瞬太郎に向かって柔らかい笑みを浮かべると、彼は目を逸らした。
「そうは言ったってうちのなんか、入学式ってほどでもねえじゃんって」
瞬太郎が鼻で笑うと、
「まぁそうだろうな」
終始パソコンでなにやら作業していた紗南子が立ち上がった。
ひと段落したようだ。
「お疲れ様、紗南子。」
透馬はその声に気づき紗南子の方を振り向く。
「ずっと何やってたのさー?」
最波が頬を膨らませて紗南子に顔を近づけた。
彼女はパタン、とパソコンを閉じ、軽くその最波の顔をかわす。
「今回の新入生くんは面白い。」
「えっ!どんな子かわかったの?!」
最波が驚嘆の声を上げた。
「それをずっと調べてたの…」
衣寿もぽかんとした顔でつぶやく。
「で?どの辺が面白いんだよ?」
ドスを効かせた声で、瞬太郎が煽る。
「顔?」
梅丸の身も蓋もない回答に紗南子の頬がふと緩む。
「芸人目指してるとかなわけ」
弾も思考回路は梅丸と酷似しているようで、紗南子の言葉そのままに返す。彼には悩みが無さそうだ。
しかし先ほどから一人薄い笑みを浮かべている透馬。
彼に紗南子は、制服の上に羽織ったパーカのポケットへ手を突っ込み、聞く。
「黙ってたほうがいいか?」
「………」
透馬が何かを知っていると感じ取ったのだろう。
一斉に、視線がそちらへ集まる。
透馬は少し間を置いて、その後はっきりと告げた。
「お楽しみって方が、もっと、面白いんじゃないかな?」
「………そうだな。ならそうしよう。」
紗南子は歯軋りするように笑った。
「なんだよー、教えろよー紗南子ー」
梅丸が口を尖らせて迫る。
「まったくわかんねぇな、今回ばかりは話が見えねぇ」
ため息をついて腕を組む瞬太郎が、こちらも同じく考えている様子の
弾に目をやる。
しかし弾も、肩をすぼめるだけだった。
「……まぁ私はなんとなぁく分かったかも」
衣寿が人差し指に手をやり、微笑む。
そんな彼女の制服を最波が引っ張って、
「えー!?教えて教えてー!」
と喚いた。
すると紗南子は、ひらりと右手を上げて、さっきの梅丸の護衛たちが丁寧に閉めていったドアの方を指差した。
「…まあまあ、ほら、答え合わせの時間だ。」
彼女がそう呟き、不敵な笑みを浮かべた瞬間。
そのドアがガラリと開き、細身の、三十代後半ほどの男が、何やら口ずさみながら入ってきた。
「キーンコーンカーンコーン…キーンコーンカーンコーン…」
学校のチャイムのメロディを、ひどく掠れた、か細い声で歌いながら、男は、教壇まで進み、そこに立った。
「キーンコーンカーンコーン…キーンコーンカーンコーン…」
最後のワンフレーズが歌い終わる時、生徒たちはいつも律儀に席についている。
常時は適当な位置に座って、その都度快適な場所へ机を移動させている彼らは、こんな風に整頓されている机では、どこに座るかも全くもって決まっていなかった。
それぞれは、まるで規則性もなく方々へ散る。
ガタリガタリと、机が揺れる音がした。
「起立。」
上品な声で、男が号令をかける。
もともと立ってるし、と梅丸が小さく呟いた。
「気をつけ」
最波を除けば、少年たちは、別段姿勢を正そうとすることもなく男を見つめていた。
「おはようございます。」
まるで顔に特徴のない男は、直角に体を折り、言う。
その丁寧すぎる物腰は、少し気味悪くも感じる。
バラバラに、生徒たちも挨拶を返す。
「今日から新学年ですね。みなさん揃ってますか。遅刻欠席無し、
と…これは素晴らしい。」
男はパチパチと手を叩き、にこり、と笑った。
「着席。」
中途半端に開けられた窓から、生暖かい風が吹き込む。
とある中学のグラウンド裏。
ただ廃屋と化した旧校舎。
ここが、彼らの「学び舎」である。
普通の世界、を生きる、普通じゃない人間、の話。
超能に生まれた、彼らの部屋が、今日もまた、始業する。