はじまりの町(7)
ギルドの前には人だかりができていた。
プレイヤーたちは恐怖に歪んだ表情で、人垣の中心に立つふたりの人間を眺めている。
みなから注目を集めているふたりのうち、カイは片方に見覚えがあった。
スーツによく似た服装に、黒髪。全てを諦めたような無表情。
「――フェノールさん!」
ギルドの実直な受付、フェノールだ。
カイはなによりもまず、彼女の命を救わなければならないと判断した。
「スキル――『ダッシュ』!」
ダッシュの継続使用。さらなる加速。
またたく間にカイはフェノールの懐に入り込み、
「失礼します!」
彼女の細い腰を両手で掴みあげた。
「ぬおおおおおおおお!」
スペースシャトルの発射台よろしく、カイは己の脚力を信じて、スクワットの要領で上昇運動、勢いをつけてフェノールを天高く投げ飛ばす。
「!?!? キャアアアアアアアアアア……アアアアアアアアア…………!」
フェノールの悲鳴は次第に遠ざかっていった。
落下時はちゃんと受け止めてあげなくてはいけないが、とりあえずこれで当面の間、フェノールは無事だ。なぜなら彼女は今しがた、30歳男の容姿をしたプレイヤーによって、槍で突き殺されかけていたから。空中にいれば、少なくとも槍は届かない。
「さて」
カイは槍を構えた男に向き直る。
「あんたがトネガワか?」
「!? なんという俊敏。一瞬のうちに、ここまで接近してくるのみならず、あの受付女をぶん投げるとはな。そしてワシの名前を知っているとは妙だ。そうともワシがトネガワだ」
中肉中背、灰色の髪、威圧的なサングラスで目を被い、分厚いプレートメイルで全身を包み込んだソルジャー。現実世界ならとても常人には持ち上げることのできなさそうな、ぶっとい槍を軽々と片手持ちし、じっとカイをにらみつける。
この男こそトネガワゲザル。
「娯楽」としての「殺戮」のために、はじまりの町へと来訪したプレイヤー。
トネガワは憎々しげに言い放つ。
「同業者か? 見たところ相当のやり手のようだが、若造、お前も下人どもを殺すためにこの町へやってきたのか? まったく、邪魔な奴だ」
「勘違いするな」
カイも負けじと返答する。
「俺ははじまりの町の独裁者カイ。お前を不法入国の罪で死刑に処す」
「独裁者だ? バカなことを言う。逆にワシがお前を死刑にしてやる。はじまりの町はワシがいただく。ワシがこの町を死と流血の町に変革するのだ!」
容赦もためらいもなく、トネガワは槍のひと突きをカイの頭めがけて放った。
カイは紙一重のところで回避し、ナイフの届く距離まで接近する。
だがナイフではなく、素手をトネガワの額に当てた。
「スキル――『強制』!!」
ビクンとトネガワは痙攣し、呆けたような顔をした。
カイは胸の内でガッツポーズを決めた。
強制が発動したのだ。カイの想像が正しければ、この状態に陥ったトネガワは、カイの命令に実直に従うはず――。
「装備、アイテムを全て寄越せ!」
威厳たっぷりに下された命を耳にして、はたしてトネガワは緩慢な動きでアイテムボックスを開いた。ウィンドウ内のアイテム・アイコンを操作し、カイに譲渡しようとする。「スワップ・ダガー(ステータス・タイプ)」。レアリティは最上級のSS。カイはアイテムを受け取るべく、手を差し出す――。
刹那。
「お前の強制、まだレベルが低いな? 簡単に克服できるぞ」
トネガワは笑った。
流れるような動作で「スワップ・ダガー(ステータス・タイプ)」を装備し、それをカイの胸に突き立てた。今度は回避できなかった。
「――?」
痛みはほとんどない。途方もない防御力のおかげだろう。「貴族の服」を貫通したものの、スワップ・ダガーの刃は皮膚の表面をかすっただけだ。
しかしダガーは赤く輝き、ドクドクと脈打った。
カイは身体の力が抜けていくのを感じた。
トネガワはダガーを握ったままカイから離れ、余裕の表情で、
「ククク……ステータスを見ろ」
と告げた。
ただならぬ予感にせき立てられて、敵の前であるにもかかわらず、カイはステータス・ウィンドウを開いた。
――驚愕した。
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魔力:7
攻撃:420
防御:560
俊敏:5500
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攻撃値と防御値が大幅に低下しているのだ。
(魔力の消耗は、強制を使ったせいだろう。)
「このスワップ・ダガーはなあ」
トネガワが満足げに解説する。
「一時的に互いのステータスを交換するという効果をもつ武器だ。交換されるステータスはランダムで決定するんだがな。今回は攻撃と防御、というわけだ。それにしても――」
満足げな表情の上に、脂汗がにじみ出した。
「――なんだこの桁違いの数値は。お前、相当な廃人だな? 4桁のパラメータに達するには、相当課金ドーピングアイテムを接種しなきゃならないはずだ。俺が知ってる限りじゃ、攻撃値が7000というのが最高だが――お前は攻撃6000を超えてるな。お前、何者だ? 石油王かなにかか? どんだけ課金した?」
カイは質問に答えず、問い返す。
「待て。攻撃値7000? そんなプレイヤーがいるのか? てっきり俺は、《ケルゲテューナ大陸》のなかでは自分が最強なのだと確信してたんだが」
「ああ。たしかに最強クラスには違いないだろう。この数字をみる限り。だがお前と互角の実力者は《ケルゲテューナ大陸》に7人ほどいる。それは――」
「ゴールドショーグン、カンパニーブラック、アイアンレディー、ルーパン、Xキング、シュヴァリエ・ド・ルージュ、アブラブラドラゴンの7人か?」
「なんだ、知ってるのか。あの有名プレイヤーどもを」
カイは歯ぎしりした。
博士の命令によって戦わなければいけない相手は、少なくとも自分と同じくらいのパラメータを誇っているという。てっきり博士のチートのおかげで、自分だけがこの世界で圧倒的最強なのだと思いこんでいたが、そうではないらしい。
「――そんなにうまくいかないか、人生ってやつは」
「どうした若造、お話はこの辺にして、反撃に転じるぞ? 今のワシの攻撃力は6000を超えている。最高の気分だ。お前にこれ以上ないほどの死の苦痛を与えたい」
「……まあ、待てよトネガワ」
カイは手を突きだして、トネガワを制した。
それから両肩を震わせて、こみ上げてくる笑いをかみ殺す。
トネガワは不審そうにそれを見やった。
「笑い出しやがった。狂ったか? それとももともと狂ってたのか? ワシはもともと狂ってるクチだがな」
「――――狂っちゃないさ。むしろ、正常に戻った、と言うべきかな」
そうだ。俺よ、カイよ、「ふつうに」考えてもみろ。
チートで圧倒的能力を得て、難なく敵を駆逐できるんだったら、博士はとっくにナルミちゃんあたりをプレイヤーに仕立て上げてるはずだ。
しかし博士はそうはしなかった。どういう仕組みなのかはぜんぜん分からないが、ハッキングにも限界があるということらしい。チートは不完全だった。
パラメータを4桁にしたところで、敵を大きく上回るには至らない。
せいぜい互角になるのがいいところだった。
敗北する可能性はゼロではない。博士はそれを見越して、助手のナルミちゃんではなく、見知らぬ負け組男の俺をプレイヤーとしてスカウトしたのだ。
俺なら、死んでも、社会にとって大した損失じゃないしな。
「いいぜ。そういうの。こういう展開を待ってたぜ、俺は」
東野博士。
見てろよ。
それでもやっぱり俺は、勝利する。
パラメータで圧倒できないなら、俺のゲーマーとしての腕と才能と、努力と根性と仲間と友情と愛情と、そのほか諸々どんな汚い手を使ってでも、7人のアホどもを圧倒し、捕獲し、一発二発ぶん殴ってやる。そんでもってログアウトした後は、博士を一発――いや、二発はぶん殴ってやろう。キスの責任をとってナルミちゃんとはその後結婚する。
燃えてきた。やるぜ、俺は。
ずっと待ちかねていた俺のチャンス、VRMMO《ケルゲテューナ大陸》。
ここで俺は魂の全てを使い尽くして戦う。
俺が生きた証を、この仮想現実の世界に刻みつけてやるのさ――。
「――おい、そろそろいいか?」
しびれを切らしたトネガワが、槍を構え直し、6000攻撃力の突きを繰り出した。
カイはニヒルな笑いを顔に貼りつかせたまま、
「スキル――『ダッシュ』!!」