はじまりの町(6)
「んん?」
カイは促されるままに空間に浮かぶテキストを読む。
『エルミィへ
お前の雇い主 トネガワゲザルより
知っているとは思うが、現在ログアウト不可状態であり、かつ町中の攻撃が可能となっている。どうしてこうなったのか、バグなのか、なんらかの不具合なのか、それは分からん。だがとにかくすでに老齢を迎え、あらゆるスリリングな娯楽に飽きたワシとしては、願ったりかなったりの状況だ。興奮している。以前、日本国内でギャンブル狂いの若者どもを集めて、命がけの綱渡りやら鉄橋渡りやらをさせたことがあったが、あん時と同じくらい興奮している。あの時は15人くらい無様に死んだよなあ。
そんなわけで興奮状態にあるワシは、さらなる快楽を求めるべく、下男下女階級のプレイヤーが群れている「はじまりの町」へと向かっている。殺戮のためにな。とるに足らない召使いどもだったら、殺してもそんなに気が咎めないからな。閻魔様もあの世で笑って許してくれるだろうよ。
エルミィ、お前の主人として命令する。お前ははじまりの町から一歩も外に出るな。ワシはお前のような小娘をも殺してみたい。苦しむ姿を観察したいのだ。殺されてくれ』
なんとエゴイスティックな、恐ろしいメッセージか。
文面は狂気と退廃の欲望に満ちている。
「このトネガワというのがエルミィの主人なんだな?」
「……はい」
はじめて会ったとき、エルミィは明るく元気に満ちた雰囲気の少女だった。
しかし、脅迫めいたメッセージを前にして、彼女はすっかりおびえきっている。
カイの胸にふつふつと、マグマのような怒りがわきあがってきた。
こんなに可愛い女の子を――殺す、だと?
トネガワとやらが現実世界でどんなに偉い人間なのかは知らん。
だが、未来ある少女の命を、おもちゃのように扱うつもりでいる老人に、これ以上生きながらえてもらう必要はない。
もちろんカイは、自分には人を裁く権利がある、などと自惚れているわけではない。
ただし、現実世界では最低辺の弱者であり、《ケルゲテューナ大陸》のなかでは圧倒的強者である自分にとっては、自分の思う「正しい行い」というものを、せめてVRの世界ではやり遂げなくてはならないし、やり遂げることができるのだ。
正しい行い――正義とは、なにか?
世界中の哲学者が束になってかかっても、なかなか結論の出ない問題である。
それでもカイの魂は、ひとつの明白な決定を下していた。
「エルミィ、キミの笑顔を守る。可愛い女の子の笑顔は正義だと思う。もし俺が間違ってたなら、俺はちゃんと責任をとる。そのくらいの覚悟はある」
エルミィははっと息を吐いて、潤んだ瞳でカイを見据えた。
カイはアイテムボックスを開き、プレイヤーたちから強奪した武具を装備する。
「――トネガワとやらを迎え撃つ。おそらく、殺すことになる」
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名前:カイ
Lv:99(MAX――187/about500,000)
職業:独裁者
魔力:500
攻撃:6120
防御:5160
俊敏:5500
武器
・漆黒の太刀E
防具
頭:王者の月桂冠
胴:貴族の服
腕:はがねのガントレット
足:竜皮のブーツ
財産:2,005,000ジェム
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戦闘準備完了。
武器はオオガワラから奪った「漆黒の太刀」。
防具はその他の暴漢から取り上げたものだ。
初期装備よりはよっぽど強力な品々である。
「あれ、職業が……」
カイはステータスの職業欄が、「傭兵」から「独裁者」に変化したことに気づいた。
もちろん職業変更などの操作をした覚えは、まったくない。
エルミィはカイのステータスをのぞき込み、度肝を抜かれたような顔をした。
「す……すごいですっ。パラメータが! これならどんなプレイヤーを相手にしても、負けることはありません! 職業も――『unique』です!」
「『unique』?」
「はいっ。《ケルゲテューナ大陸》のなかでも限られた人数しか就くことのできないもので、それだけ強力な特長をもつジョブのことです。ギルドや騎士団などで行われる公式な叙勲などではなく、レアな条件を満たした場合にのみ出現する、特殊なものなんですよ」
「なるほど。たしかに独裁者ってのは、あんまり一般的な職じゃないだろうな。この場合レアな条件ってのは、つまり、はじまりの町の制圧だったのかもしれん。しかし、強力な特長? うーん。ステータスに変更はないみたいだけど」
「スキルのほうはどうですか?」
「ああ。見てみよう」
カイはスキル、とつぶやく。
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スキル(スロット7)
A:ダッシュ Lv99
B:強制 Lv1
C:
D:
E:
F:
G:
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「スロットが拡張してる! それに強制とやらを習得したぜ」
「わたしも詳しいことは分かりませんが、かなり珍しいスキルだと思いますよ」
「なるほど」
強制。
おそらくネーミングからして、相手の行動選択になんらかの影響を与える術。
適切な使い時をおさえれば、かなりの戦術的効果を発揮するものだろう。
ゲーマーとしての感にのみ基づく、ただの推論にはすぎないが、それが正しいかどうかはすぐに分かることだ――
「――ちょっと待てエルミィ。なんかギルド本部の方角が騒がしくないか?」
会話を中断して、カイは耳を澄ます。
人の悲鳴、怒号――そういったものが聞こえた気がしたのだ。
「わたしにも聞こえます」
エルミィは耳に手を当て、表情を険しくした。
「もしかしたら、誰か暴れているのかもしれません」
「だろうな。プレイヤーキルをやりたくてウズウズしてる連中のひとりがはじまりの町にご到着、遠路はるばるご苦労さんってとこだろう」
そろそろ他のエリアで遊んでいた有力者プレイヤーが、多数はじまりの町に乗り込んできてもおかしくはない。
カイは「漆黒の太刀」を鞘から抜き払った。
黒くつやめく刀身が、中天に座するヴァーチャル日光を妖しく反射する――
目を細めてその輝きを眺めてから、再び太刀を鞘に戻した。
「プレイヤーキラーは俺が倒す」
「カイさん……行くんですか?」
「もちろん。この町は俺のものだ。俺は俺の力で町の人間を守る。邪魔者は斬る」
「あ…………待ってください!」
カイがスキルの「ダッシュ」を使おうと脚に力を込めたところで、エルミィはあわててそれを制止した。
「どうしたエルミィ?」
「ボイス・チャットです!」
エルミィの眼前に、青白いウィンドウが出現する。
テキスト・チャットならウィンドウのなかにメッセージ文が表示されるところだが、今回は白いスピーカーのマークが点滅している。そしてそのスピーカーから、老いた男のしわがれ声が発せられた。
「エルミィ! どこだ! ワシだ、トネガワだ! はじまりの町に到着したから、さっそく暴れはじめてやったぞ! どこだ! どこだ!」
「OK。状況を理解した。騒ぎの原因はエルミィの主人だな」
カイはエルミィにサムズアップすると、
「都合がいい。どっちにしろ殺す予定だったんだから。すぐ来てくれて助かるぜ」
「ダッシュ」を発動、現実世界の尺度で言えば時速300キロは下らないスピードで、ギルドの方角へと「疾走」する。加速力は10秒を超えてなお持続、ぐんぐんと全身を前方へ引っ張る。それでも俊敏パラメータの恩恵か、カイはマン島ライダーのごとく、超人的なスピード域でも自在に身体をコントロールし、周囲の事物を観察する余裕があった。むしろ周囲のプレイヤーたちのほうが停止しているんじゃないかと錯覚しそうだった。
ギルド本部の建物へと至る通りを目指し、最後の曲がり角を左折する。怒号はますます大きくなり、騒ぎの中心がギルド周辺であることは明らかだった。事実、騒ぎはギルドの目の前で起こっていたのだ。
カイは衝撃的な映像を目撃した。
「あれは――マズい!」