はじまりの町(4)
カイの予想――「これから、忙しくなる」。
これはまったく正しかった。
彼の実力を発揮しなくてはならない場面が、すぐにやってきた。
混乱の兆候を見せるギルドに、なるべく目立たぬよう注意して忍び込んだカイ。
そのあとに続くようにして、騒然としたギルドへと、30歳くらいの男が(つまり年寄りプレイヤーが)いかにも威張り腐った態度で入ってきた。
敷居をまたぐなり、不快なダミ声で叫ぶ。
「フェノールはいるか! ご主人様だぞ!」
――フェノールの主人だ。
現実世界でフェノールを使役し、《ケルゲテューナ大陸》へと彼女を強制的に参加させた雇い主。フェノールの話によれば、ある国の政治的権力者らしい。
「はやく来い! ご主人様の命令は2秒で完遂しろ!」
漆黒の鎧をがちゃがちゃいわせて、縦にも横にも巨大な体躯を震わせる。
受付の奥にいたフェノールは、ほとんど涙目になって彼の前に飛んできた。
「遅れました、申し訳ございません……!」
「バカが! もし町中でも武器が使用できるなら、お前なんぞとっくに斬り殺してるわ! 無能め!」
そう言って彼は腰に吊り下げた太刀を抜き払うまねをする……つもりだったらしい。
「ぬ?」
抜き払うアクションを威嚇的に行うはずが、なんと、実際、黒光りする太刀を抜刀してしまったのである。
カイは舌打ちした。
博士のハッキングの成果だ。ほんとうに町中での武器の使用が可能になっている。
「なんだ。どういうわけだ。武器が使えるぞ……」
困惑するフェノールの主人。恐怖に打ち震えるフェノール。
騒然とするギルド。ギルド員たちは試しに自分の武器を取り出す。成功する。
「町中で武器が使えるようになってる!」
「なんでだ? アップデートか?」
「どっちにせよ、危険すぎる……!」
「全員落ち着け! 危ないから武器を仕舞え! 絶対使うな!」
徐々に怒鳴り合いの混乱に陥っていく。
フェノールの主人はにやりとおぞましい笑みを浮かべると、一喝。
「黙れ下郎どもがああああああああああ!」
一瞬にして場は沈黙。
威厳の込められた大音声により、プレイヤーたちはすくみ上がる。
「フン。よく分からんが、町での攻撃が解禁になったようだな。ということは、ここもフィールドと同様、力こそ正義、力こそ法律、力こそ全て」
この男、なにを言い出すんだ?
プレイヤーたちの頭の上に、そんな疑問符が浮かび上がる。
と同時に、得体の知れない恐怖にとりつかれる。
まるで猫がネズミを前に舌なめずりするかのような、余裕と残虐の声色。
彼は黒太刀を振り上げた。
「ワシの名は『オオガワラジンダイ』。現実世界では日本の内政省長官。最強の収賄術によって富を蓄え、世界大富豪裏ランキングにも載っている権力者、大富豪だ。《ケルゲテューナ大陸》においてはレベル30の猛者。どうせこんなビギナー向けギルドにたむろしているのは、とるに足らない誰かの召使いどもだろう? へん。町から出られない臆病者が……」
レベル30、と聞いて、一同が戦慄する。
はじまりの町において、レベル30に到達している者は珍しい。
「数分前からログアウトできなくなっておるし、武器が町中で使用できるようになっとるし、妙なことづくしの日だな今日は。フン、最高じゃないか。ワシら人類のエリートは、もはやこういうわけのわからないスリルでしか、喜びを感じないのだ。ふつうの娯楽には飽きているからな」
オオガワラは驚喜に身を震わせながら、頭上で太刀をかたく握りなおした。
「《ケルゲテューナ大陸》では殺人をしても逮捕されることがない。ククク……ひと暴れしてみるとするかな……殺しはスリリングな娯楽だよ」
殺気。
プレイヤーたちはその場から動くことができない。
「まずはワシの無能な奴隷、フェノールの命をもらおう……」
フェノールは目をつむった。死を覚悟したのだ。
薄暗い室内。死をもたらす黒い太刀。
オオガワラはフェノールの首筋めがけて、無慈悲に刃を振り下ろす。
誰もが陰惨な結果を予想した。しかし――
「スキル――ダッシュLv99!」
カイが動いた。
スキル発動。
移動補助系のごく基本的なスキルである「ダッシュ」だが、極限まで強化されたスキルレベルのために、もはや想像を絶するほどの加速を実現する――。
「その辺にしとけよ、おっさん」
「な…………?」
オオガワラは首を傾げた。
気づけば懐に、見知らぬ青年が立っていたのだ。
振り抜いたはずの腕はがっちりと受け止められ、勢い余って太刀を取り落とす。
スコッ、と小気味よい音を立てて、太刀は床に刺さった。
フェノールの黒髪を二三本、道連れにして。
「だ……だれだお前は? なにをしたんだ?」
「答える必要はないな。ちょいと実験させてもらうぜ。悪く思うなよ」
カイは懐からナイフを逆手に取り出し、柄の部分でオオガワラの額を打った。
もちろん攻撃力6000のパワーをそのままぶちあてるわけにはいかないので、相当な手加減を施した。
「がっ……!」
「さすがLv99の身体だ。めちゃ動作が軽いぜ」
オオガワラは白目をむいて倒れた。
フェノールは驚愕の眼差しでカイを見上げる。
「カイ様……!」
「なあ、フェノールさん」
カイは訊ねる。
「説明によれば、《ケルゲテューナ大陸》ではプレイヤーが気絶したら『死亡』と判定されるらしいな。つまり強制ログアウトさせられて、その後アカウントリセットってことだろ?」
「え、ええ」
「でも現在、《ケルゲテューナ大陸》はログアウト不可になってる。ってことは……」
カイは最悪の予想をしていた。
ログアウト不可の現状、相手の意識を奪っただけでは、『死亡』しないのではないか。
下手したら意識を取り戻して、継続プレイが可能かもしれない。
三分後。
カイは予想は的中していたことを知った。
「むーん……むん」
オオガワラは意識を取り戻すと、唸りながら体を起こしたのだ。
『気絶』即『死亡』のルールが崩れ去ったのである。
「ここは…………?」
「なるほどな――」
「――オオガワラさんよお」
苦い顔をして、カイは目覚めたばかりのオオガワラに言い放つ。
「場合によっては、俺はあんたを殺さなきゃならないんだが。現実世界とまったく同じ意味で『殺す』必要があるんだよ……」
「ひっ!?」
「あんたみたいなツケアガったオッサンは、支配階級だかなんだか知らんが、放っておけばこのゲーム内でまたフェノールさんみたいな人たちを虐げる。俺はそれを阻止しなくちゃならん」
オオガワラは自分のおかれた状況を正確に理解した。
「分かった。お前のレベルが高いことは、さっきの一撃で理解した。……なあ、取引の余地がある。そうは思わんか?」
「取引?」
「そうだ。ワシがここで暴れようとしたことが、お前の気に障ったんだろう? それは謝ろう。そんでもって詫びの品として、こいつをお前に進呈する」
オオガワラが指さしたのは、床に座り込んだままのフェノールだ。
「こいつは現実世界では、ワシの身辺の世話をする召使いだ。いちおうワシもまだ手を出してないから、新品だ。フェノールをお前にやる。好きにしていい。知ってると思うが、《ケルゲテューナ大陸》ではそういうけったいな遊びも自由に――」
「女の子をモノ扱いか。たいそうなご身分だな」
カイは再びナイフを構えた。
「装備品、アイテム、金をすべて差し出せ。さもなくば拷問する。気絶したら醒めるまで待ってやる。目覚めたらまた苦痛を与え続ける。どうだ?」
「待て待て待て。お前、なにが望みだ? え? ワシの持ち物を寄越せだと? そんなことしたらあれだぞ、ワシはこの町から出られなくなる。素手じゃ魔物と戦えん」
「町から出られない? それどころじゃない。俺はあんたを一文無しにした後、このギルドの地下にあるVIPルームに監禁するつもりでいる。ログアウト不可の不具合が修正されるまでずっとな」
「ふざけるな、じゃあワシに、地下室で長らく退屈してろというのか?」
「そうだ。殺されないだけありがたいと思え」
オオガワラはしばらくカイとにらみあっていたが、ふと肩の力を抜き、諦めたように笑った。
「分かった。それじゃあ………………お前が死ねぇええええええ!」
刹那、オオガワラの手が、床に刺さっていた黒太刀に伸びる。
つかむ。引っこ抜く。
レベル30の鍛えられた動作。熟練の技。
そしてそのまま、カイの胴体をまっぷたつに断ち切るべく、鋭く斬りかかった。






