タワー・オブ・アイデース(2)
予想通り、3人は途中死にかけたふたりのプレイヤー、Xキングとシュヴァリエ・ド・ルージュを見つけた。ルーパン同様胸に大穴をあけられて苦しみ、彼らはとても話のできる状態ではなかった。カイが話しかける前に『死亡』してしまった。
3人のトッププレイヤーの死。これだけでも十分不思議な現象ではあるが、もっとおかしいのは結局魔物にひとたびとして会うことなく3階、4階と塔を上ることができているということだ。もっとも凶悪なダンジョンとして名高い『タワー・オブ・アイデース』も、これでは『はじまりの町』並に安全なエリアに堕落してしまっている。
「5階だな、主人」
「5階」
「ああ、5階だ」
死にかけの男3人をのぞいては、ノミ1匹エンカウントすることなくついに5階にまでたどり着いてしまった。
「噂によれば5の倍数の階には中ボスが待ち受けているということだが」
ルクの言うとおり、これまでのように長い通路が続いているのではなく、階段上ってすぐの小部屋に大きな金属の扉がひとつ、堂々とその威容を放っている。この奥が中ボス部屋なのだろう。
「開けるか? いいか? Are you ready?」
「いい」
「なにが来ても主人と一緒なら大丈夫」
「よし、GO!」
扉がきしみながら開かれた。
はたしてそこは中ボス部屋らしい中ボス部屋で、なにもないだだっ広い空間になっている。なにもない? いや、ひとつある。人影が。
――それが中ボスではないことは、3人のいずれの目にも明らかだった。そいつはあからさまにプレイヤーなのだ。
「遠路はるばるご苦労だった! アブラブラドラゴンだ!」
合衆国大統領、プレジデント・オヴァマだ! とでもいったような勇気と自信と確信に満ちあふれた男の自己紹介に、3人は面食らって硬直する。全身をすっぽり包む濃紺のマントに、同じく濃紺のターバンを巻いた恰幅のいい30代男性。それがアブラブラドラゴンのアバターだ。
はじめに硬直から解けたカイが中ボス部屋への一歩を踏み出すと、とたんに扉は閉まってしまった。シアとルクのふたりはハシゴの小部屋に取り残され、カイだけがアブラブラドラゴンと対面したかたちだ。
「どういうつもりだ? 1対1をご所望かい?」
さきほどの惨殺を目撃した以上、シアとルクが隔離されたことはむしろカイにとってありがたかった。今から激しい戦闘になっても、ふたりを巻き添えにすることはない。ただし敗北した場合、残されたふたりがどうなるかは分からないが。
「《ケルゲテューナ大陸》のチート・プレイヤー同士、なあに、腹を割って話をしようと思ったまでさ!」
オーバーなボディーランゲージを交えつつ、アブラブラドラゴンは快活な調子で答える。
「ルーパン、Xキング、シュヴァリエ・ド・ルージュを殺したのはあんただな?」
「ゴールドショーグン、カンパニーブラック、アイアンレディーを殺したのはあんただろう?」
「なるほど。じゃあお互い3人ずつ狩ったわけだな」
「そういうことだ!」
「すまんが俺はさる違法科学者からの依頼によって、あんたも狩らなきゃならないんだが」
「かくいう私も、さる違法科学者からの依頼によって、カイくん、キミを始末しなきゃあならない」
「猿真似はやめてくれ。イライラするから」
「猿真似のつもりはない。私はほんとうに違法科学者東野博士から依頼を受け、カイというチート・プレイヤーを殺害することになってるのだ!」
なにがおもしろいのか分からないが、相手の言ったことをオウム返しにするのがこのアブラブラドラゴンとかいう男独特のユーモアセンスなのだろう。カイはそう判断し、これ以上の会話はもはや不要と考えた。「解放の軍刀」を鞘から抜き払う。
「私を斬るつもりか?」
まん丸に目を見開き、「これは傑作のジョークだ」とでもいいたげな身振りのアブラブラドラゴン。
「もちろん斬る。これ以上のおしゃべりはやめとこうぜ。オバンの井戸端会議じゃあるまいし」
「私にチートがあると知っての所行か?」
「俺だってチートでここまでやってきたんだ」
アブラブラドラゴンはニヤリ、と相好を崩し、マントの中に隠しもっていたレイピアを構えた。
両者にらみ合い、動く。
パラメータ4桁同士のプレイヤーによる、高速で、強烈で、鉄壁の戦いぶり。剣と剣がワルツを踊り、殺戮のステップは地鳴りを誘う。火花が散る、散った火花が床に落ちないうちに、離れあい近づきあい、追い、追われ、猛攻、防御、反撃――。
カイは「ダッシュ」を駆使するものの、アブラブラドラゴンもカイの加速に対応する程度の俊敏値は備えている。「強制」はもとより発動する暇などない。発動したところで簡単に克服されてしまうだろう。アブラブラドラゴンもまたカイに対して有効な決定打を放てないでいる。しかしなにか含みのある笑いをたやさない。
カイは心の内で咆哮する。
――そのふざけた笑いをぶち壊す! こいつを倒せばすべて終わる!
肉迫。チャンスは訪れた。
アブラブラドラゴンはカイの攻撃半径へと不用意に侵入する。
構えからして、カイの放つ一撃をアブラブラドラゴンは防ぐことができないはずだ。
カイは体全体を使って乾坤一擲の刺突を繰り出した。
剣は怒りの矢と化して敵の心臓へ疾駆する。
――いけええええええええええええええ!
――決まった。
たしかな手応え。
アブラブラドラゴンの胸を軍刀の白い刃が貫いた。
「すまん。俺の勝ちだ」
ツバメのように機動していた両者は、戦闘開始からはじめて静止した。アブラブラドラゴンは自分の胸に刺さった刀をじろりと眺め、カイの顔に視線を移し、ふふふ、と笑った。
「痛くないんだなあ、これが!」
血が出ていない。
胸から噴き出すべき血液が、バーチャル・ヘモグロビンの赤がない。
「どういうことだ……!」
「チートだ」
「チートだと? 能力値を不正上昇させてるだけじゃないのか?」
アブラブラドラゴンは大胆にも素手で刃をつかみ、さらに自分の胸に押し込んだ。痛みのひとかけらも感じていない様子だ。
「天才的違法地下科学者東野博士に用意させた、『不死』チート。マリオでいうところのスター。これがあるからこそ俺は《ケルゲテューナ大陸》最強の座に君臨しているのだ。邪魔だった他の6人のトッププレイヤーが消えた今、そう、俺こそが最強のプレイヤー! 《ケルゲテューナ大陸》の皇帝!」
「嘘だろ。東野博士はVRMMOをあんたみたいな訳のわからない大富豪どもの独占から解放するために、俺にチートを授けたんだぞ!」
「その東野博士の研究費は他でもない俺から出ているのだ。俺こそ東野博士のスポンサーというわけさ!」
カイは解放の軍刀から手を離し後ずさりする。物理攻撃が有効でないなら残された手段はひとつしかない。バックステップ、そして助走をつけて手のひらをアブラブラドラゴンの顔面狙って叩きつける。
「スキル――強制!」
「無駄だよ!」
ばちんっと小気味よいhit音、カイの手がアブラブラドラゴンに接触してたしかに『強制』は発動したはずだが、効果が現れる気配はない。アブラブラドラゴンは平然としている。
「東野博士の策略にまんまとはまったなあ! 研究者とはそういうものだ、研究費を得るためには悪魔にも魂を売る。お前は咬ませ犬にすぎなかったのだ。スポンサーである俺はゴールドショーグン以下のプレイヤーの殲滅を望んだ。東野博士はスポンサーの意向を実現すべく、お前に仕事を与えた。それだけの話!」
アブラブラドラゴンの言葉が正しいのかそうでないのか、カイにそれを確かめる方法はない。ただ目の前の光景、致命傷を受けても平然としているアブラブラドラゴンの姿のみが現実であり、証拠だ。
「ログアウト不可状況をつくりだし、プレイヤーの逃亡を禁じた。そしてこの俺アブラブラドラゴンのために有力なプレイヤーを殺戮した。東野博士のプランは完璧に遂行されたな。お前はもう用済みだ!」
「嘘だろ――」
「現実だ! ここは仮想世界だが、お前が用済みでありこれから死ぬということ、それだけは現実だ!」
アブラブラドラゴンはレイピアの切っ先を天井に向けて膝を曲げ、記念すべき殺傷を前に騎士風の挨拶をして、
「じゃあそういうわけだ、死ぬんだな、カイ!」
目にも留まらぬ疾風の突きを繰り出した。狙いはカイの胸、自分が軍刀で刺された部位に等しい位置。カイは死を覚悟する。覚悟せざるをえない。回避という選択肢はなかった。一時的に攻撃をかわしたところでどうなるというのか。反撃しても攻撃がまったく通らない以上、そしてログアウトが不可能である以上、アブラブラドラゴンの言うとおりもはや死ぬ運命からは逃れられないのだ。
レイピアが迫る。確実な死と苦しみを与えるべくカイの仮想心臓に一直線。ピロン、ピロン、ピロン、ピロン――。聞き慣れないアラート音が鳴る。意外なほど冷静な思考のなかで、「なんだこの音は」と思うだけの時間はあったが、音がはたして死を警告するアラートなのかそれとも違うものなのか、それはわかりようがない。レイピアは心臓をえぐる。えぐりにくる――。
「うぐっう…………痛てえ……」
倒れたのはアブラブラドラゴンのほうだった。
――えっ?
自分の目を疑ったが、カイは状況を分析する暇も与えられず、頭蓋骨を上に引っ張られるような衝撃を感じて意識を失った。
*
「おかえりなさいですぅ!」
意識を取り戻したカイをまずはじめに迎えたのは、聞くのも懐かしい間の抜けた声だった。ナルミだ。
「えーと。どういう状況ですか? 俺、死んでるのかな?」
「生きてるですよぉ」
ベッドから身を起こす。身体を点検すると《ケルゲテューナ大陸》ログイン時に取り付けられたたくさんのチューブやらなにやらがすべて取り去られている。身につけているのはブルーの患者服のみ。ベッドの横に数日前と変わらない姿でナルミが座っている。髪から目からライトブルー色のエキセントリックな少女ナルミは、ドアを指さした。
白衣の東野博士が立っていた。
「どういうことだよ、博士!」
「落ち着け」
東野博士は手でカイに黙るよう命じる。
「まず、生還おめでとう。……といっても、ワシのおかげだがな」
「ワシのおかげ?」
「そうだ。ワシがアブラブラドラゴンのチートを土壇場で解除したから、お前は勝つことができたのだ。アブラブラドラゴンの『無敵』スキルの解除音が聞こえただろう」
「聞こえたけど、いや、問題はそこじゃなくてだな。アブラブラドラゴンにもチートを与えてたってどういうことだ?」
「彼から直接聞いただろう? 彼はワシのスポンサーだからな!」
「だけど、じゃあなんのために俺を《ケルゲテューナ大陸》に参加させたんだ、結局?」
「とうぜんVRMMOを一部の者たちの独占から解放するためだ。だがワシは最後の瞬間まで迷っていた。はたしてカイを勝利させてすぐにでもVRMMOを大衆の手に引き渡すべきなのか、それともアブラブラドラゴンを勝たせて研究費をもらい続けるべきなのか」
東野博士はベッドの周囲をうろつきまわる。
「まあ、最終的にはカイを選んだわけだ。よかったな、生きてて」
「――つまり」
カイは布団を乱暴にどけてベッドから降りた。拳を固く握りしめ東野博士に対峙する。
「俺は手のひらの上で転がされてたってことか?」
「考えようによっちゃそういうことになるな」
「よし。俺は前々から決めていたことがあった。今それを実行しよう」
間髪いれずカイは博士のみぞおちに容赦なく拳をたたき込む。博士は鋭く呻いて体をくの字に曲げた。ナルミは椅子から立ち上がりふたりから離れたが、カイを止めようとはしない。
「あんたの勝手すぎる行動のおかげでえらい目に遭ったぜ。このくらいの対価は払わせてもらおう」
二発目は顔面に。三発目はふたたび腹部に強烈な殴打。博士は気を失い床に沈んだ――かと思えば、まるでドライヤーの熱風を吹きかけられたバターのように、ドロドロと身体が融解していく。またたく間に博士は液体になった。カイの足下に、東野博士の水たまりが出現したのだ。ふつう水たまりといえばアスファルトの灰色をしていたり、空を映した青色をしているものだが、それは真っ赤な血の色をしている。
「な……なんだ?」
「博士に打撃は効かないですぅ。彼は最先端再生治療細胞をインプラントしているから液体から固体まで自由な形をとることができるのですよぉ」
ナルミが得意げに解説する。といっても水たまりには近寄りたくなさそうに身を引いている。東野博士のスープはごぼごぼと音を立てて泡立ち、今度はあっという間に脚、胴、手、頭の原型を造りだした。静かな池に一滴のしずくが落ちて広がる波紋が、やがてゆっくりと消えゆくように、東野博士の泡立ちは次第に収まり、ついにはもとの人間形態に戻った。
「いきなり殴るとは酷いじゃないか!」
「液状化するとか…………バケモノかよ博士」
「マッドサイエンティストに不可能はない」
「これ以上あんたに付き合ってると、なにされるか分からないからもう帰りたい」
「分かった。帰っていいぞ。だがワシとて人間、お前の労働には対価を支払う用意がある」
「えっ、そうなの? じゃあ3億円ください」
「金以外の報酬なら払う」
「金以外かよ! うーん、じゃあ――」
カイは博士にとある報酬を要求した。そのくらいおやすいご用、と博士はすぐに報酬を用意した。カイはそれを手に、勇んで葛飾区のアパートへと帰還を果たしたのだ。
が、度重なる家賃の滞納と、空き缶のポイ捨てなどといった蛮行と、今回の失踪という数々の所業が家主の怒りを買い、すでにカイの部屋はそこになかった。追い出されたのだ。
「マジかよ。じゃあ頼りになるのはこれだけだな……」
かつて自分の部屋だった2階の一室を見上げながら、カイは東野博士から報酬としてもらった「紙片」を取り出す――
――そこには《ケルゲテューナ大陸》で共闘したプレイヤー、シアとルクの現実世界での住所含む個人情報が記載されていた。彼女たちは世界有数の金持ちの生まれであり、ふたりとも(おそらくヨーロッパの)貴族である。ここを頼ればなんとかなる、とカイは確信していた。おそらく召使いとして広いお屋敷に雇ってくれるだろう。そうすれば少なくとも飢え死にすることはない。カイは歩み出す。アパートを離れる。彼の瞳は将来に対する楽観的で愉快な光に満ちていた。
「まずは飛行機代をバイトで稼がknight!」
その後の彼の行方は、誰も知らない。




