アイアンレディー(2)
高速道路で走行中にトンネルに突入すると一瞬にして昼が夜になり、太陽の代わりの黄色い灯火が陰気な光を投げかけてくる。車内の気温自体はさして変わらないはずなのに、ちょっぴり肌寒さを感じたりする。あの感覚に近いとカイは思った。闇夜の神域に一歩足を踏み入れた時のことを。
紫の平原の曇天から一転、いきなり月のない晩ほどに暗くなる。周囲にはさっそく闖入者に喜び勇む残虐な魔物たちの武者震いが感じられる。各種ドーピングアイテムによって身体を強化したシアとルクの2人も経験したことのない殺気の渦にすくみ上がっている。
「俺から離れないようにな」
カイは鞘から刀を抜く。オオガワラから奪って以来愛用してきた「漆黒の太刀」ではない。悪い武器ではなかったがゴールドショーグンの宮殿でもっと性能のよい剣を発見したので、カイのメインウェポンの政権交代が行われたのである。
「解放の軍刀」。これがカイの新たな武器だ。VRMMOを支配階級の独占から解放するという使命を負った(成り行きで負わされた)カイにとってはぴったりの刀であるといえよう。もっともゴールドショーグン秘蔵のこの刀には、赤字に黄色い星や鍬やツルハシマークの装飾がなされていおり、「解放」の真の意味はコミュニズム的なナニかだと予想されたが、カイはその辺の細かいことを気にしないことにした。
闇夜の神域は魔力制限区域であるからシアもルクも力を発揮することができない。ただしカイの指示によりシアは手のひらにわずかな雷光を保持し、懐中電灯の役割を果たすことになった。もしそれがなければ360°ほんとうになにも見えない深淵のような闇なのだ。
「進むぞ。シアは俺の背中に乗って。ルクは俺の左手を掴むんだ」
シアをおぶさりルクと手をつなぎ、カイは黒の魔窟を前進する。足下には成分不明の汚泥がぴちゃぴちゃと跳ね、近くで得体の知れない生物の鳴き声が木霊する。木の焼けたような匂いのする霧を、ささっとかき混ぜる移動物体が横切ったかと思えば、前方の泥がぶくぶくと突如沸き立つ。
カイはつとめて方角を誤らないようまっすぐ歩む。
不思議と身構えていたほど魔物たちはちょっかいをかけてこない。もっと派手な奇襲があるかと考えていたのに、せいぜい2メートル離れたところから大声を上げてこちらを驚かせようとするくらいのもので、直接的な攻撃は未だない。3人は無傷のまま10分ほど進んだ。
「そろそろ半分くらいの距離を攻略したかな」
「ああ主人、残り半分だ。このまま何事もないまま済んでくれればいいが」
「シア、雷光はまだ続けられるか? 大丈夫か?」
「うん」
「よし、じゃあふたりとも、あと半分がんばろうぜ」
いったん立ち止まってそうした会話を交わし、ふたたび進軍を開始しようとした時だった。
この神域でほかのプレイヤーと偶然出くわすことは、砂漠の中からひと粒の宝玉を発見するくらい低確率な事象である。そもそもここへ来られる人間は限られているし、神域自体が広大であるからだ。しかし3人はたしかに聞いた。人の声を。女性の声を。
「お前たちは囲まれている」
カイは歩みを止め周囲を警戒する。ふたりに「聞こえたか?」と目で確認すると、ふたりともが「たしかに聞こえた」とうなずいた。
「お前たちは私の罠にまんまとはまったのだ」
闇から語りかけてくる女性の声は、得意げでありながら非情な冷静さをも併せもつ、勝者の余裕といっていいほどの自信に満ちている。
カイは自分たちの置かれている状況を把握するために、とりあえず声に返答してみることにした。会話が成り立てば多少の時間稼ぎになるし、うまくいけば敵の情報を引き出すこともできるだろう。
「何者だ? 名乗ってもらおう。俺も名乗るからさ。俺はカイ。はじまりの町の独裁者にして、《ケルゲテューナ大陸》でもっとも強いと言われる7人のプレイヤーを探している男だ。すでにゴールドショーグン、カンパニーブラックのふたりに会って、まあ、始末をつけてやった」
会話に乗るか、それとも無視されるか。カイは拳をぎゅっと握りしめる。背中でシアが身を強ばらせるのが感じられる。一拍の沈黙をおいて、声は答えた。
「とうぜんそんなことは知っている。お前たちを消すために私はここで罠を用意していたのだ。蜘蛛が獲物を待ち受けるように、じっと舌なめずりしながらな」
「じゃああんたはもしかして7人のうちのひとりか?」
「そうとも。私はアイアンレディー。西欧の有力政治家にして、《ケルゲテューナ大陸》の支配をもくろむ女」
「自己紹介傷み入る。で、罠ってのは俺たちを包囲している魔物たちのことか? 魔物を操作して俺たちを襲わせようってか?」
「それはすぐに分かることだ」
爆発音にも似たけたたましい野獣の雄叫びが、いっせいに上がる。
もはやおしゃべりはここまで、問答無用の戦闘がはじまる。
「死ね、違法科学者の手先め!」
アイアンレディーの合図と同時に、まがまがしいフォルムをした異形の魔物たちが飛びかかってきた。
カイはルクを抱き寄せ、シアを背中に乗せたまま、つまりふたりが傷つかないよう保護しながら唯一空いている右手で「解放の軍刀」を振るった。
ひと薙ぎで7体の黒い影を切り裂き、返す刀で第2波の魔物どもを討ち伏せる。汚泥を派手に巻き上げながら「ダッシュ」で疾走し、四方に待機する敵を次々と奇襲していく。
魔物を寄せ付けぬ獅子奮迅の舞を繰り広げながらも、カイは魔物を操っているアイアンレディーの気配を読みとろうと精神を研ぎ澄ます。
――どこだ? 必ず近くにいるはずだ……!
陰気な闇はおぞましい断末魔に満たされ、毒や呪いや肉を引き裂く長い爪や牙が飛び交う。黒と死の舞踏会。カイはただの一撃も喰らうことなく、殺戮のダンスパーティーにうち興じる。
――出てこい、操り人形師め……!
「解放の軍刀」が湿っぽい空気を斬れば、耳障りな甲高い音が鋭く鳴り響き、どの魔物のものとも知れない黒い血液がパッと空間に花開く。魔物とて無限に存在しているわけではない。しばらく華麗な戦闘を続けているうちにも、聞こえてくる悲鳴の音量は次第に小さくなっていった。それでもなおカイは腕と脚を休めない。察知した気配は即座に斬り伏せる。
「このままじゃアイアンレディー、あんたのことも斬っちまうぞ」
敵方から有効な反撃がやってこないのをいぶかしんで、カイは挑発をする。もし返事があれば返事のあった方向へとダッシュする。そして剣を振るう。いたってシンプルな戦術。戦術と呼ぶにはあまりに圧倒的方策。
とうぜん返事はない。アイアンレディーもバカではない。声を立てた時点で、いや足音ひとつ立てた瞬間にカイの無慈悲な斬撃が自分に及ぶことを理解しているのだろう。
「なるほどあんたは賢いらしい、アイアンレディー。どういう職業でどういうスキルをもったプレイヤーなのかは知らんけど、《ケルゲテューナ大陸》でも有数の凶悪魔物たちを俺に差し向けるとはなかなかオツな作戦だ。だがな――」
「――あんたの敗因はただひとつ。俺の反則級の強さを見くびったことだ」
カイは索敵できる範囲すべての魔物を斬り殺した。
残る気配はただひとつ、アイアンレディー本人から発される気。
轟く悲鳴もおおかた止んで、不自然な静けさに包まれた夜の下、カイはただひとつ残された影――アイアンレディーの影に軍刀の切っ先を突きつけていた。
「見つけたぜ」
「フン。……私を見つけて、もう勝ったつもりか? 私とて4桁パラメータの持ち主。ふたりの障害物を抱えたお前なんぞに遅れはとらん」
「障害物だと? 美少女に対して使うには、ずいぶん不穏な言葉だなオイ」
お互いの殺気が沸騰する。
先に隙を見せたほうが致命的な一撃を受けことになる。
両者ともに動くことができない。
カイとアイアンレディーは2メートルと離れていないが、ふたりの足下には苦痛にあえぐ巨大なマムシ型魔物が横たわっている。そいつが長い尾でピチン、と泥を跳ね上げた瞬間、アイアンレディーが動いた。
「死ねい!」
「――死ぬのはお前だ、アイアンレディー!」
一閃。
静寂。
倒れたのはアイアンレディーのほうだった。
「バカ……な……」
シアの手にするわずな明かりのみが足下を照らしているため、はっきりとその姿を目にすることはできないが、倒れたアイアンレディーはカイによって胴をばっさりと斬られているだけでなく、右足をマムシの魔物に咬まれていた。
「なぜ……魔物が……」
アイアンレディーは即効性のあるマムシの毒によって、一歩踏み出した瞬間によろめいた。それが致命的な隙となった。
「強制だ」
「な……んだと?」
カイはきつく抱いていたルクを腕から解放し、かがんでアイアンレディーのアイテムボックスを漁りながら、相手の敗因を淡々と説明する。
「ばっさばっさと魔物を斬り殺す間、そのマムシにだけ俺のスキル『強制』をかけておいた。あんたが気づかないうちにな。あんたは魔物を扱う術を使うみたいだが、俺だって魔物くらい支配できるのさ」
カイは最後の斬り合いに際して、アイアンレディーにマムシの牙を差し向けていたのだ。アイアンレディーは魔物に対してまったく警戒を怠っていた。
「あんたは痛みで『死亡』し、ログアウトすることになる。現実世界で運よく医者が麻酔をかけてくれれば、きっとショック死せずに済むだろうぜ。あんたの現実世界での幸運を祈る――」
――3人はアイアンレディーに背を向け、『タワー・オブ・アイデース』へと歩みを進めた。




