7話
目を覚ますと、窓の向こうは明るみを帯びていた。海から近いと言うこともあり、この辺りはエアコンなどなくても涼しい。もっと言ってしまえば寒いくらいだ。
横にはレニーニャが布団をかぶって寝息を立てて眠っていた。
窓の前に立ち、朝焼けで燃える海を見ていると、肌寒かったので尿意を催す。そっと居間へ続く戸を開けて居間に入ると、祖父母は既に起きていた。
台所でご飯を炊きながら魚を焼いている祖母が僕に朝の挨拶をしてくる。
「おはよう冷泉。早いんだね」
「おはよう。昨日は早く寝たからね」
適当に受け答えし、僕はトイレへと向かう。
用を足し終え、居間に戻ると祖父は朝のニュースを見ていた。午前5時前なのにもうニュースをしている放送局があることは知っていたが、この夏休み中に見ることはないと思っていた。
「まだ寝なくて良いのか?」
「二度寝する前に目が覚めちゃったから、起きているよ」
祖父はテレビへと目を移し、朝のニュースを見ていた。
しばらく一緒に見ていると僕がいた部屋の戸が開き、眠そうな顔をしているレニーニャが出てきた。
「おはようございます……ふわーあ」
大きな欠伸をしているレニーニャを横に座らせると、祖母が台所から先ほどまで作っていた朝食を持ってきた。机に並べると、レニーニャの目は輝いていた。
「いっただっきまーす!!」
眠そうだったレニーニャは朝ご飯を目の前にすると開眼する。相当地球の食事を気に入ったらしい。
食べ終わったあと、ニュース内で最も人気があると思われるイケメン俳優が料理を作るコーナーを見ていたとき、祖父が話しかけてくる。
「今日もどこか行くのか?」
「今日は特に用事はないかな」
レニーニャの方を見ると、真剣にテレビを見ていた。多分どこも行かないのだろう。
「どこも行かないのなら、海へ出てみないか?」
「え? 海?」
誘いは嬉しいが、僕は小学校へ上がる直前の夏、海へ行った際に溺れてしまいそれがトラウマになり未だに泳げない、カナヅチなのだ。
だから、海の近くのこの辺りに来ても僕は泳がずに足だけ水に浸したり海を見ているだけで満足なのだ。
「……いや、良いよ。レニーニャとこの辺りを散策してくるよ」
祖父は僕の言葉を聞くと、軽く吹き出す。
「お前、昨日の間に名前で呼ぶようになったんだな」
顔が熱くなるのが自分でも分かった。祖父も、そんな僕を見て笑っていた。
八時になると、祖父は立ち上がり、海へと出かけて行ったので、僕たちは特にすることもなかったのでテレビを見ていたが、さすがにテレビを見ていても似たようなニュースばかりなので、外へ出ることにした。
「ちょっと船の様子見てきても良い? やっぱり、不安だから」
「もちろん。行こう」
セミが鳴き始めている道を歩いていると、波音が聞こえてくる。
海へ近付くたびに潮の香りも漂ってくる。
レニーニャの宇宙船がある岩場は、祖父母の家の目と鼻の先にある。
階段を下りて、岩から岩へと移っていく。海水で足場が円滑になっているが、ものともせず船の元へと向かう。
「うん、何ともない。あ、そう言えばお願い言っていなかったね。お願いは、ニンゲンのエゴが見られる場所」
「……え? 何? どういう意味?」
「エゴ。利己主義と言うべきかな? ニンゲンは面白い生き物だよ。いろいろな惑星へ行って高度な知的生命体を見てきたけど、ニンゲンほど興味を惹かれた生命体はいない。そのニンゲンのエゴを見たいんだ。何かある?」
そう言った場所はないわけではない。パッと思いついた場所はスーパーの鮮魚コーナーと水族館だ。
受験生になったばかりの僕は、進路に迷い完全に参っていた僕は5月くらいから、スーパーへ行くたびに、鮮魚コーナーで捌かれている魚を見るたびに食べられるかも分からないのに、僕たち人間のために死んでくれていると思っていた。おかげで一時期魚や肉などが全く食べることが出来ず、所謂、精進料理のようなものばかり食べていたが、次第に植物だって生きていると言うことが分かり始め、何も食べることが出来ないと言うことが分かったあたりで食べ物を食べる際は感謝をして食べるようにするようにしている。
「あるよ。そう言うエゴイズムが見られる場所。でも、そんなの見たところで本当に何か力になるの?」
「うーん、これに限ってはただのワガママだから溜まらないかも。でも、せっかく未知の惑星の地球に来たわけだし、それにとても奇妙で面白いニンゲンと言う生命にも会えた。そのニンゲンがいかにして非道なことをしているのか気になるんだ。それで、どこなの?」
目を輝かせながら僕に顔を近付けてくるレニーニャに少し動揺するが、怯まずに僕は言う。
「スーパーか水族館か迷うけど、水族館の方がエゴはあると思う」
「どういう場所!?」
「狭い水槽にたくさんの魚を閉じ込めて、泳いでいる姿を見るだけの場所だよ」
レニーニャはあまり嬉しそうではなかった。
「うーん、あんまりエゴっぽさを感じないけど、行くだけ行ってみよう」
簡単に言うが、ここから水族館まで自転車で行こうものなら4時間以上はかかる。気になったので、地図アプリで調べてみると、徒歩で早くても6時間30分、もはや7時間と言うべきだ。自転車で行けば4、5時間はかかってしまうだろう。
「自転車で行く気なの? 何時間もかかるよ」
「構わないよっ!!」
「……あのさ、レニーニャは座っているだけだから良いけど、僕は自転車を運転しなきゃいけないんだよ? それに、熱中症のことも考えると今日行くのは、やめておいた方が良いよ」
泣きそうな顔をしているレニーニャを見ていると、罪悪感を覚えるが仕方ない。
「とにかく、一旦家に戻って別の場所がないか考えよう。ね?」
泣きべそをかきかけているレニーニャと共に祖父母の家へと向かう。
落ち込んでいるレニーニャを見て、祖母は驚いていた。
「冷泉! あんた女の子を泣かしたのかい!?」
「いや、違うよ。水族館に行こうって言っていたんだけど、ここからじゃ遠いでしょ?」
祖母は目を見開いて、声を大にして言った。
「水族館!? あんた、自分が何を言っているか分かっているの!?」
「分かっているから、現実を教えたらレニーニャが泣きそうになってんの! 車があれば行けるけど、車なんかないでしょ? じいちゃんも海へ行っていないし、無理でしょ!」
僕と祖母が口論していると、レニーニャはオロオロしながらその様子を見ていた。
「とにかく、あと少しすればじいちゃんも戻ってくるから、その時に聞いてみな。もしかすると連れて行ってもらえるかもしれないよ」
「でも、じいちゃんも原付しかないんじゃないの?」
「組合の人から車くらい借りられると思うからさ。聞くだけ聞いてみなよ。レニーニャさんの頼みってなると、あの人も断れないと思うよ」
言い終えると同時に玄関が開く音がする。祖父が海から帰ってきたらしい。
「おかえり、ちょっと折り入ってお願いがあるんだけど」
「……何だ?」
「レニーニャが水族館へ行きたいらしいんだ、でも、自転車で行くのはさすがに無理だろうし、その」
祖父は下を向きながら言った。
「すまん、水族館は別の機会にしてくれ。あまり行きたくないんだ」
「どうして?」
祖父はそのまま黙ったままだったので、追求するのはやめた。
さて、そうなるともう1つの候補であるスーパーへ行くことしか選択肢はない。
「レニーニャ、スーパーでも良い? 君の期待に副えないかもしれないけど」
「行くだけ行こうよ。私も気になるからさ」
玄関で靴を履いていると、祖父は居間から出てくる。
「スーパーへ行くのなら、送ってやる。今から自転車で行くと熱中症になっちまうぞ」
家の隅に止めてあった漁協の軽トラックのエンジンを起動し、祖父は運転席に座っていた。
レニーニャは先ほどまで僕の横にいたのだが、急にいなくなったので探し回る。
坂の下にある海が見える場所にレニーニャはいた。
「何してんの? もう出発するよ」
潮風でレニーニャの長い髪がなびく。僕の方へ振り替えると彼女は話し始める。
「レイゼイは、この海が好き?」
髪を抑えながら、僕に尋ねてくる彼女を見て、少しだけ心臓の鼓動が速まる。
「……分からない。毎日のように見ているから、何とも言えないよ」
「そっか」
僕の横を通って、レニーニャは家の方へと向かっていった。
もう一度レニーニャの見ていた海へと視線を移すと、陽光で輝いていてとても綺麗だった。
だけど、僕は海にトラウマがある。
「冷泉、行くぞ」
心配した祖父が僕を呼びに来たので、海から視線を逸らして、僕は祖父の動かす軽トラックの荷台に乗り込んだ。
トラックの荷台の上には祖父が作った小さな小屋が置かれていた。僕たちはその中に入っていた。
屋根が外せるので、始終空を見ていた。青空と白い雲が夏を彩ってくれている。
「スーパーってどんなところなの?」
「食べ物が売っているんだ。魚以外にも肉や野菜もあるし。もちろん飲み物だってある。生活に最低限必要なものが揃っている場所かな」
「そんな便利な場所で、本当にニンゲンのエゴが見られるの?」
ずっと上を向いている僕の横にレニーニャはジッと僕の方を見ていた。
「レニーニャってさ、どうして自分の星に帰りたいの? 地球はイニジードとほぼ一緒なんだろ? それならさ、もういっそのこと地球で暮らしていかないか? この辺りは過疎化も進んでいるし、人が寄りつくこともないよ。もちろん、レニーニャが良いと思えたらの話だけど」
「……地球は良い星だよ。食べ物もおいしいし、イニジードと環境がほぼ同じ。だけどね、私は早くイニジードに戻って、家族に会いたいんだ。家族は私が今、未知の惑星にいるだなんて思っていないだろうし心配もしていると思う。だから、早く無事に戻って家族に会いたいんだ」
やっぱり、僕とは正反対だ。
片親なので母親に迷惑をかけまいと、非行に走るようなことはしたくないと思っていたのでそう言う行為全般はしなかった。
だけど、家に知らない男が出入りするようになれば、誰だってグレてしまうだろう。
家庭問題を他人に話したところで解決するわけがない。自分自身の手で解決するしかないんだ。レニーニャはイニジードにいる家族のことを思っていると言うことは、それなりに円満な家庭なのだろう。
「レニーニャの家族構成を教えてよ。僕の家は僕とお母さん、あとは知らない男の人だよ」
空を見上げながら、僕は彼女に尋ねる。
「私、お父さん、お母さんの3人だよ。一人娘だから、大事に育てられた。ど、どうしたの急に泣いちゃって。あっ……ごめん。別にレイゼイに対して嫌味で言っているわけじゃないんだけどさ」
上を向いていても、涙はこめかみを通って流れていく。彼女の家庭は、やはり円満だ。羨ましいと思うと同時に、涙が止めどなく溢れてしまった。
「分かっているよ。ちょっと、羨ましいって思っただけ。そうだよな。大事な家族がいるなら、地球にいつまでもいるわけにはいかないよな。きっと、イニジードに戻ることが出来るよ。そして、早くお父さんとお母さんを安心させてあげた方が良いよ」
しばらく、セミの鳴き声や車のエンジン音、対向車線を走る車の音だけが聞こえていた。
身近なスーパーに到着する。
駐車場はいつ見ても広い。向こう側には薬局も見えているので、ここである程度は揃うのだろう。
「冷泉、ばあちゃんに買い物も頼まれたから、ついでに買い物をしていくぞ」
祖父は荷台に乗って僕たちに話しかけてきたので、生返事をしながら僕たちも荷台から降りる。
「ここが、スーパー……!」
目を輝かせながらスーパー内を見ている。
「レイゼイ! 野菜! 野菜が売ってる!」
当たり前のことに感動しているレニーニャを、神社のときと同じく、外国人観光客と思われているのだろう。
「野菜よりもさ、魚だろう。こっちだよ」
レニーニャの手を引っ張って、鮮魚コーナーへと向かう。
すぐ近くにある海で捕れたであろう魚が所せましと並んでいる。この魚たちも、僕たち人間に食べられるために生まれてきたのだろうか。楽しく泳いでいたところを、エサに釣られて捕らえられて……。
「どこがエゴなの?」
「え? だって、この魚たち、数時間前まで泳いでいたんだぞ? まさか数時間後に死ぬだなんて思いもしていなかっただろうしさ。完全に人間のエゴだろう?」
「……何言ってるの? レイゼイは魚の気持ちが分かるの? それならまあ、多少はエゴだって思えるけど、魚の気持ちも知らないのにそんなこと言っちゃうのはどうかと思うよ。それに、魚に限らないよ。その言葉は、魚だけに使うのはおかしい。もしかすると数時間後には、私とは別の野蛮な異星人が地球に攻め込んできて、私たちのことを捕食する可能性だってゼロじゃないんだよ。全然エゴじゃないよこんなの。こんな光景なら、魚を毎日捌いているおばあさんの方がエゴだと思うよ。それは仕方ないことって言うのなら、ここに並んでいる魚たちも仕方ないで済ましちゃえるよ。捕まって、死んでいくのは仕方ないことなんだよ。全然、全然こんなのエゴでも何でもない。むしろ、ここにいる魚たちは私たちのために死んでくれたのだから、ちゃんと命を戴かないと。だから、ご飯を食べる前にいただきますって言うんでしょう? レイゼイが教えてくれたことじゃない」
長広舌をふるっているレニーニャの言葉を聞いて、僕は何も言い返せなかった。
それは仕方ないことと言いかけたときに、心を読んだかのように先に言われたときは本当に何も言えなかった。気付けば、彼女は話したいことを言い終えてしまったのだ。
「冷泉、欲しいもの、あったのか?」
祖父がこちらへと近付いてきて、僕に尋ねる。
「……ううん。別にないよ。買い物終わったなら、帰ろう」
レニーニャの言っていることは正しい。
僕は自分の意見を相手に論破されると、頭がこんがらがってしまうので、もしかするとレニーニャの意見に反感を持っている人もいるかもしれない。だけど、僕自身の出した答えは、彼女の言う通りと言うことだ。
エゴではない。魚が捕まってしまったのも、それがその魚の運命だったのだろう。
レニーニャは店を出るまで、僕の後ろにいたので、どんな表情をしていたのかは分からない。言葉を発していなかったのを見ると、してやった顔だったのかもしれないし、言いすぎたと反省していたのかもしれない。
つづく
番外編です。この話自体はエネルギーに一切関係ありませんが、後々重要にはなってきます。